薄暗い坑道を進んでいるといきなり大ボスに出会った。
「あなたが奥からやってきたということは……湊柊一郎はすでに脱獄を果たした、ということですね……」
チューリップ・プリズンの所長にして青藍島規制の諸悪の根源である水城姫子だ。彼女は鋭い切れ目を眼鏡越しでも分かるほどに額に寄せた。俺はそれを見て嬉しくなったので口を滑らせることにした。
「どうだろうな? 先ほど記憶が戻ったばかりで状況がよく分かってないんだ」
「減らず口を……あなたが教唆と幇助をした事に変わりはないでしょう。晴れて正式にこのプリズンの囚人になることができますね」
ここで舌戦をしている時間はない。俺は両手を挙げた。
「今更降参のつもっ……」
彼女の顔が微かに揺れてクラリと倒れた。彼女が何をされたのか分からないと言った顔でこちらを睨みつけてきたので、俺は彼女に見せつけるように羅漢銭をじゃらりと見せつけた。
「コレで顎を撃ち抜かれたことによる軽い脳震盪だ。しばらくすれば動けるようにはなる」
「……最初から話し合うつもりはなかったということですね」
「今はな。この騒動が終わったらゆっくり話し合おうぜ。それまでは……ゆっくりしてな」
俺は彼女の懐から鈍く光る拳銃を拝借し、彼女の服で体を縛り、その辺の岩を咥えさせた。万が一にも背後から撃たれたら面倒だし、億が一にも自決されたら寝覚めが悪いからだ。
「んじゃ、そこで眺めてな。『金色の狂犬』がこのプリズンに来た意味を」
「ごっ、がっ、もごっ……!」
あの年の咬合力では岩を噛み砕くのは不可能だろう。誰かが何とかするだろう考えて、俺はエレベーターに向かって坑道を駆け始めた。
程なくして囚人服姿の我妻と洗脳を受けた囚人が兵士達と衝突している場面に出くわした。
「ダチが困ってたら手を貸すのが通りってもんだよなあ! 助太刀するぜ樹里亜ぁ!」
俺は愛刀ティラミス・モダンを振り抜き瓦斯機構を起動して、兵士達を一気になぎ倒した。
「まあ神父様! 私たちを助けるために戻って来てくれたのですね!」
「ああ! 救世主はなれなくとも、一時の助けぐらいにはなってやらあ!」
押し寄せる兵士達を壁面に叩きつけていく。暴徒鎮圧用の重装備越しでもかなりの衝撃の様で、すでに十数名は動くのがやっとの状態になっていた。
「それと樹里亜! お前に頼みたいことがある! 後で合図を送るから、その後に囚人達を使って救助活動をしてくれ!」
「何をするつもりか分かりませんがいいですよ! 恩返しは早いほうが良いですからねえ!」
この数秒後にどうなっているか分からない状況でも狂気的な笑顔を浮かべる彼女は、何所か俺と似ているような気がする。同族嫌悪と信頼を抱きながら兵士の波を押し返していく。
「馬鹿な……!? 相手はたった一人だぞ……!?」
「慌てるな! 一旦引いて一斉射撃の準備をしろ!」
相手はこの狭い坑道を覆うほどの射撃を行うようだ。進もうにもその壁は厚く、かといって引くには後方に友とその仲間がいる。つまりこの場から動かずに対処する必要がある。普通だったらここで終わりだろうが、あいにく俺は普通ではない。礼がくれたアザレアの刺繍が施されたストールに手をかける。
「西洋躑躅が紡ぐは
発砲の寸前にストールを解いて糸にして展開する。瞬間、豪雨のような連射が始まり坑道を揺らす。
「こっちは実弾だ! 一発でも喰らえばひとたまりもないぞ!」
「この一斉射撃を体一つで耐えられるわけがないだろう!」
「その体が残っていればいいな!」
凄まじい銃弾の横殴りの雨が襲う。通り雨が如く止んだ時には、壁面にいくつもの銃弾がめり込んでいた。
「さあ、肢体が散っても踊れるか試しましょう?」
その中から糸が襲って兵士たちの装備を切っていく。
「なっ!? バカな!?」
「ど、何所からだ!? どこから攻撃されているんだ!?」
慌てふためく兵士達が一人また一人と裸にされていく。
「一斉射撃を行う時は包囲してからじゃないと防がれるぞ。流石に今の俺じゃ一方向に展開するのがやっとだからな」
俺の手から放たれた運命の赤い糸が奴らの武装を完全に無力化した。この糸には新素材d12oが配合されており、理論上切れない繊維となっている。そこに桐香様の技術が加われば移動、捕縛、防御、攻撃、全てに置いて完成された最強の兵器と化す。
「俺にとっては艱難辛苦を越えるアリアドネの糸だが、お前らにとっては絶望に堕とされる蜘蛛の糸だろうな」
抵抗する手段が無くなった裸族達に傷化粧を施してさらに進んでいく。
「銃は使うな! 数人で塊になって一気に襲い掛かれ! 押し倒せばその段階で勝ちだ!」
「全兵力を坑道によこせ! 狭いここで止められなかったら奴の機動力には追いつけない!」
「何でコイツはこの暗闇でこんな速く動けるんだ!?」
明かりが消えようと何度も通った道は頭と体に刻まれている。1人で半班分の採掘をできた俺を舐めないで貰いたい。
「オラオラオラァ! 死にたくなかったら伏せてるんだなぁ!」
蚊柱のように襲い掛かってくる兵士達をぶちのめして進んでいく。入り口近くまで戻ってきたがすでにくまさんチームの面々は居なかった。俺の例の作戦を知ったのか、それとも兵士達に捕まったのか。何であれ必死に抵抗したであろう証であるつるはしを拾ってさらに進む。
「松岩をも砕くつるはしだ! 手前等の身体は松岩よりも硬いかあ!?」
ライオットシールドすらも意味を成さない攻撃に兵士達も退き始めた。これなら────
「「そこまでだ! 総員構え!」」
前から増援の兵士が、後ろから建て直した兵士が、遂に俺を板挟みにした。全兵力を集めたであろう数を前に、二丁拳銃でも愛刀でも糸でも対応は不可能だろう。俺は目を瞑って深呼吸をした。本来ならマスクを付けるべきであろう程に粉塵が待っていて、思わず咽こんでしまった。
「ゲホゲホ……塵肺になったら労災降りるかな……」
「その前に棺桶行きだ。総員突撃!」
兵士が前後から押し寄せて来る。これでは避けようがない。ここで終わり────な訳がない。俺がこの炭鉱を決戦の部隊に選んだのには理由がある。俺はつるはしを上に放りながら横のくぼみに逃げ込んだ。
「なっ……!? だがそこに逃げ込めば袋小路────」
「もう一度言うが死にたくなかったら伏せるんだ! 頭と顔を覆ってなあ!」
頭上からミシミシと不穏な音が響く。俺は糸を展開して俺の頭上だけ保護した。
「それじゃ、ご安全に」
次の瞬間、ドドドゴゴゴと明らかにやばい音と共に落盤が起こって煙が上がる。何とか視界が確保できた頃には歪な岩壁が聳え立っていた。あんだけ激しくドンパチやっていれば補強もズタボロになって、いつでも落盤を引き起こせる状態になっていた。圧倒的な大人数を無力化するには、瞬間的に大勢を巻き込める範囲攻撃を起こす必要があった。それゆえに俺は炭鉱を選んだ。
「俺を殺しにきたんだから生き埋めにされても文句は言えねえだろうが……一応殺しだけは絶対にするなって言われてんでな。ここから手前らを一発で助ける方法がある」
俺はくぼみにかかっていた透明なレインコートのようなものにくるまった。
「俺はこれが、お前らは岩が盾になってくれるだろう。計算して起こした落盤だから安心しろ。それにこれが合図になって救助が来るからな」
ボタンを押して膨らませ、呼吸器を口に当て、開いた手で所長から拝借した実銃の引き金に指をかける。
「発破用意、ご安全に」
全ての薬莢の火薬が引き起こした爆発を切っ掛けとして、坑道に炎の塊が走った。それは岩壁を吹き飛ばし、俺が歩むべき道を切り開いた。
これで予定通り全ての兵力を殲滅したので、エアーマントと拳銃を外してエレベーターで地上に舞い戻った。肌に張り付く湿気とペリトコールの匂いが嵐を予兆させる。そこには2人の女性が立っていた。
「……本当にあの人数を捌き切ったのね。正直、あれであなたが痛い目を見ればよかったのだけれど」
この状況でも嫌な人感を醸し出している夕顔と。
「流石精さんですね……一番隊で最も危険な男なだけあります……」
彼女に寄り添うように立っている太田部ちゃんだ。2人にピースサインを送ってこの後の指示を出す。
「特別警備隊を派遣して地下の救助活動を手伝ってあげてください。我妻とあの3人だけじゃ忙しいでしょうから」
「私があなたの指示に従う利点はあるのかしら? あなたを人殺しにして訴えた方がよっぽど楽しいと思うわ?」
「そんなつれない事言わないで下さいよ、
俺の計画の果が自身の新たな地位に繋がると気付いたのか、彼女は目を閉じて軽く笑った。
「……そこまで計算して計画を立てたのかしら?」
「犠牲者はなるべく出さない、出すなら最大限に生かす……
「滅茶苦茶悪い顔してる……」
「ということでしばらくは新しい所長を支えてやれ太田部ちゃん。お前の素直で純粋な所はきっと役に立つ。一番隊の意地を見せてやれ」
「……! はい……! 少しでも精さんに追い付けるように頑張ります……!」
2人の新しい門出を楽しみにしながら俺はイルカ桟橋に向かった。遠くで花火が打ち上がり、NLNS側の作戦が成功したことを告げる。後は帰るだけなので、兵士達が乗っていた船に乗り通信機を起動させる。
「こちらω-99。全兵士の無力化に成功。敵船の通信機から回収を要請するものとする。どうぞ」
「こちらATM-00。要請を受理します。数分でイルカ桟橋に到着する予定です。どうぞ」
アサちゃんの事務的な報告通りにがやってきた。船上にはNLNSのメンバーと、イクラがプリントされた可愛らしいTシャツを着た湊君がいた。
「……本当にあの人数を捌き切ったんですね」
「詳しい話は移動しながら話すぜ」
「噴射嫁とヘルメットはどうしたんだ?」
「それについてもだ」
NLNSの船に乗り移って大きく深呼吸をする。生きて帰るまでが作戦なのでここからが本番だ。俺は改めて警戒態勢を取って、二丁拳銃を構える。
「いくぞ────
「お前が言うなよ。出発はするけどな」
船がプリズンから離れていく。後日に諸々の手続きのためにまた来ることにはなるだろうが、青藍島からの出島規制が解除されるまでは来れないだろう。今しばらくの別れになる。数々の思い出に浸りたいが、それは作戦が終わってからにするとしよう。
「レーダーには警戒するようなものは映っていないので、そこまで本格的に警戒しなくても大丈夫ですよ?」
「そうだよ! それに精くんはご飯あんまり食べてないからお腹空いてるでしょ? 少し何か食べたら?」
「そうですよ! まだまだいっぱいありますから食べてください! おすすめは豚骨ラーメンです!」
「確かに海やプールで食べるカップ麺は美味しいけど、そういう場面ではないと思うのだわ……」
「それに精様はあまり警戒を怠りたくないようですから、片手で食べられてしっかりと熱量のある羊羹がよろしいかと」
「流石文乃は気が利くな。ほら、精」
淳之介君が個包装タイプの羊羹を剥いて渡してくれた。
「感謝するぜ……粒あんタイプか……羊羹はこしあんしか認めねえんだが、あんまり贅沢言ってる状況じゃないしな……」
「九十九さんって意外と食のこだわりがあるんですね」
「体が資本の仕事だったんでな。あと、これからは精さんって呼んでくれ。九十九終はプリズンにしかいねえからな」
「……分かりました、精さん」
湊君から呼ばれる精さん呼びはとても新鮮で、非常に気分のいいものだった。
さて、ここからは俺が情報屋として今回の騒動について話そう。俺は水城所長を止めるべく炭鉱に潜んでいたんだが、俺が出るまでもなく九十九終、いやあの時の彼は土口精だったか。とにかく彼が彼女を無力化した後、俺は彼女の拘束を解いた。
「大丈夫ですか、所長?」
「かはっ……傷は出来ませんでしたが……口を漱ぎたいですね……まさか岩で口封じをしてくるとは思いませんでした……」
とりあえず彼を追った所で追いつけないだろうということで、彼女の肩を支えながら全裸マンの方を追うことにしたんだ。炭鉱を進んでチューリップのマークが描かれた場所に出たら、そこには彼の仲間が待ち構えていた。
「ようやく来ましたね水城所長」
「残念だが、全裸マンはとっくに先に行っちまってるぜ」
「ということで無駄足だったますね」
ウィッグ工房シスターズの3人がこの上なく嬉しそうに笑っていた。彼女たちは所長を裏切ったということもあって、所長からまあまあな仕打ちを受けていた。だからこの場で酷い目にあわされてもおかしくなかった。
「もっとこっちに来てください。そっち側だと落盤に巻き込まれますよ」
「狂人先生は落盤で兵士を一掃する予定らしい。相変わらずとんでもねえこと考えるぜ」
「伊栖未ちゃんと一緒に炭鉱のあちこちを削っておいたます。かなり大規模になるますよ」
彼女たちは俺の予想に反して所長を守ろうとした。
「……なぜ助けようとするのです? あなたたちは彼の命令で私を殺すつもりではないのですか?」
俺も正直そう思っていた。故郷へ理不尽な規制を敷かれ、命の危機に追い込まれた敵なんて殺したくてしょうがないだろう。すると彼女たちは彼のように悪い笑顔を浮かべ、自信満々に答えた。
「狂犬先生から私たちに下した命令は"絶対に死者を出すな"です」
「あの人は死別が
「例え不俱戴天の仇に対してもそうらしいます。昔、故郷を滅ぼしかけた相手も完膚なきまで打ちのめしただけで済ませたらしいます」
彼は同性愛者だった妹と悲劇的な別れをしている。それを別の誰かに体験してほしくないのだろう。そうこうしている間に俺の背後からガラガラと落盤の音が聞こえ、次いでドカンと爆発音と熱が届いてきた。
「合図が来ましたね。早速救助活動に向かいましょう」
「止めたりしねえでくれよ所長さん? 死人を出したらマズいのはお互い様だろ?」
「伊栖未ちゃん直伝の発破術を見せてやるます」
俺たちの横を過ぎていく彼女たちを止める気にはなれなかった。所長を支えている現状では足手まといになると思い、俺は所長と一緒に事態が収まるのを待つことにした。
「…………これで1人でも死者が出たら彼の作戦は失敗ということになりますね」
「…………ただ、彼が行ってきた作戦が失敗した例はありませんね……3人の看守長の時も、自身をプリズンから出した時も」
俺たちの予想通り、死者を1人も出すことなくこの騒動を終わらせた。彼はあらかじめあらゆる所に掛け合っていて、容易く増援を呼びよせたのだ。
「…………してやられた、ということですか」
「…………そのようですね」
救助者でもないのに一番最後に出てきた俺たちは、間違いなく彼への敗北を確信した。しかし、それはどこか心地の良いものだった。