俺の休日は一杯のココアから始まる。ココアをじっくりと、甘く、濃く、香り豊かに練る。出来上がったココアは昇りゆく朝焼けを眺めながら、お気に入りの『The Entertainer』をスマホで再生しながら口の中で転がす。そして目をつぶり、思い耽る────のだが、ここ数年はそうもいかなかった。
「おはよう親父。あーしと兄貴の分も頼む」
「おはようお父さん。折角だからお母さんも起こしたほうが良いかな?」
「その心配はない……精の休日だけは早起きできるようになった……ふわぁ……」
家族ができて皆で楽しむようになったからだ。今日は皆で久しぶりの『狂犬のココア』をいの一番に楽しむと決めていた。ということで手慣れた手つきでココアを練り上げ、朝の食卓を一瞬にして華やかで濃厚な香りに包む。
「そういやカフェには顔出ししたか親父?」
「ああ。もうちょっと事態が落ち着いたら再販予定だってさ」
俺が青藍島を離れている間、仙波さんのカフェの俺監修メニューが販売停止になっていたのだ。俺が帰ってきたのだからすぐにでも販売開始したいらしいが、とある事情でまだできていない。
「どこの施設も連日超満員で、人手が全く足りてないらしいからね」
「ここぞとばかりに大々的に広告を出したからな……仕方がないだろう」
今の青藍島はとある事情によって観光客が全盛期以上に来ている。語らねばなるまい、その理由を。
あの脱獄騒動から数日、世間では信じられないような話が蔓延っていた。幻の第9矯正管区から囚人が逃げた、そこにはあの『金色の狂犬』がいた、所長が施設を私物化しようとしていた、『金色の狂犬』は施設を第二の青藍島にしようとしていた、施設の女囚は全員竿姉妹になった、男囚は『金色の狂犬』を目の当たりにして全員勃起不全になった、など玉石混交の混沌だった。
「いやー、バカどもを情報で踊らさせるのは最高に楽しいですねえ!」
「私の諜報員としての力が役立ったようで何よりです」
「まあ、あたしたち生き証人がそういったらそれが真実になっちまうよなあ?」
「もっとも、全裸マンが作戦通りに脱獄できたかどうかは知らないますけどね」
俺から蘭、蘭から凛、凛からウィッグ工房シスターズへと、俺が出した指示によって起きたこの状況は世間の目を大いに集めた。その中で水城所長は湊柊一郎の捜索と俺への接近を図り、まずは俺と話し合うためにと青藍島にやってきた。
「……まさか私がこの島にやってくる日がくるとは思いませんでした」
SHO本部で出迎えた彼女は兵士もつけずに1人だった。あれだけの損害を出した手前、誰も手を貸してくれなかったのだろう。だから俺は彼女に手を刺しべた。
「立ち話もなんですから会場までエスコートしますよ。初めての人間には刺激が強い場所ですから」
「……ではお願いします」
彼女の手を引いて会議室に案内する。桐香様直伝の紅茶を準備して話を始める。
「さて、そちらの要求はなんでしょうか? 俺の自首でしょうか? それとも湊君を探す事でしょうか?」
彼女は紅茶を一口だけ含んでピタリと止まった。
「……どちらも要求はしません。あなたのあの行動は夕顔刑務官の指示ということになっていますし、あなたが彼を売るような真似をするとは思えません」
「よくご存じで」
「……ウィッグ工房の3人がうんざりするほど話してくれましたから」
俺はまだ研修終了をしておらず、あのプリズンでは研修中の刑務官補佐でしかなかった。そこで俺のかつての夕顔との縁を利用して責任逃れを考えた。効果は絶大で、"九十九終はプリズンを私物化しようとしていた所長を止めた"ぐらいの話になっているらしい。俺が彼の手伝いをしている映像も"私刑で死刑になりそうだった囚人を救った"なんて早大に美化されている。凛の話を盛るスキルに感謝しよう。
「では何をお望みで?」
彼女は意を決したように紅茶を一息で飲んで目を見開いた。
「『金色の狂犬』が変えたという青藍島を見せさせてほしいのです」
要は青藍島観光案内だろう。一時期は宣伝大使もやってたからそれぐらいお安い御用だ、とトンと胸を叩いて立ち上がる。
「任せてください。これでも何かとリードするのは得意なんですよ」
「治安管理委員会委員長を務めていることが何よりもの証拠でしょうね」
手始めに発着場から嫌でも目に入るヌーディストビーチを案内する。今日も今日とて一糸纏わぬ野生の姿で盛っている男女の組が散見される。
「……あまりにも信じがたい光景ですね」
「誰しも最初はそう言いますよ。ただ────」
「そこのご婦人、よろしければお相手して頂いても?」
声に振り返ると熟女好きのドスケベ許可証だけを身に着けている男性がいた。彼を見て彼女は心底嫌そうな顔をして溜息をついた。
「……生憎ですが────」
「おや、許可証がないということは希望者ではないということですね。失礼いたしました」
彼はぺこりと頭を下げて得物を探しに行った。彼女はなんとも言えない顔で彼を見つめていた。お次はメインストリートだ。準性感地区となっているためプレイスポット以外では挿入はしていないものの、オーラルセックスなら360度どこを見ても必ず視界に入る。もちろん、何もしないでただ夫婦で睦まじく歩いている友人だっている。常識的な青藍島民も紹介したいので彼女と一緒に近づく。
「こんにちは橘家の皆様。言われる前に紹介するが、こちらは俺の研修先の所長だ」
「チューリップ・プリズン所長の水城姫子です」
「これはどうも……株式会社NLNS社長の橘淳之介です」
「その伴侶の橘文乃です」
「何の変哲もない夫妻ですが、かつては俺と一緒に青藍島を大きく変える事件を起こした仲間なんです」
「と言っても十何年も前の話ですけどね……あの時は大変だったなあ……」
「私の父や祖父がご迷惑をおかけしました……改めてお詫び申し上げます」
「……あなたたちも青藍島に人生を振り回されたのですね。心中お察しします」
娘を青藍島の人間に滅茶苦茶にされた彼女の言葉に偽りはないだろう。だからこそ当事者達と話して青藍島がどう変わったのかを知ってもらう必要がある。
「なあ淳之介君、所長に俺達の昔話を聞いてもらうってのはどうだ? 青藍島の変化を体験したどころか変化させた元凶だから、それはそれは貴重な話ができると思うぜ?」
「なるほど……水城さんがよろしければお話ししますが……」
彼女が少し唸って少し先にあるパイズリヤに目線を移した。
「しっかりとお聞きしたいので、あちらに河岸を移してもよろしいでしょうか?」
そして俺達は青藍島で何があったのか話した。強制された性が蔓延っていた旧ドスケベ条例、その条例の中でしか生きられなかったSS、その条例に抗った反交尾勢力、必要以上の規制を強いた新ドスケベ条例、青藍島消滅の危機にお互い手を取り合って生まれたNSNS、そして今なお変わり続け"真の自由な性"を探し続けている真ドスケベ条例。
「…………これが今までの青藍島で起きた全てだ」
「…………なるほど。貴重な話を聞かせて頂きありがとうございました」
彼女は目を瞑ってふうと息を吐き出した。これで少しでも青藍島への考えが変わってくれたら嬉しいが、それぐらいで変わるほど身内を身内を滅茶苦茶にされた憎しみは簡単なものではない。
「…………1つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何でもどうぞ」
「なぜあなたは青藍島に復讐をしなかったのですか?」
確かにそれも話さなければならないだろう。しかしここで話すには少々重い話で、これ以上長々と橘夫妻を巻き込むわけには行かない。なので俺は一つの提案をした。
「ある物を見ながら話したいので場所を変えましょう。淳之介君達は来ないでくれ。あまり見せたり聞かせたりしたくないんだ」
「……お前がそう言うってことは相当な話なんだろうな。この場のお代を持ってくれるならいいぞ」
「任せろ。お食事代としてSHOの経費で落としてやる」
領収書を切ってもらって、橘夫妻と別れて、再び彼女を連れてとある場所に行く。
やや太陽が下がってもなお澄み渡る青空の下、俺達は一基の墓の前にいた。
「紹介します。俺の妹、卵です」
「……事故で両親ともに亡くなったと聞きました。綺麗にお手入れされていますね」
「毎月18日に家族総出で来てるんです。紹介するぜ卵、こちら俺の研修先の所長だ」
「水城姫子です。この度はお兄様に案内されてきました」
彼女と共に手を合わせて合掌する。挨拶も済ませたので本題に入る。
「俺が復讐しなかった理由ですが……そもそも復讐してますよ」
「……何を仰っているのですか? あなたほどの力がある人間が復讐していれば、この島程度なら崩壊してるはずです」
確かにその通りかもしれない。現に平行世界の卵はその一歩手前まで行った。しかし俺にはそんな復讐の仕方では満足しなかった。
「認めさせたんですよ。青藍島に、卵が正しいって」
「……もしかして妹様は同性愛者だったのですか?」
「ええ。かつての青藍島では非生産的だと排他され、異常者だとまで言われた同性愛者でした」
俺は今でも青藍島を許していない。だから間違いを間違いだと認めさせ、自分の大切な物を受け入れさせた。ただ壊すよりもだいぶ屈辱を与えられる復讐だった。だから俺は復讐はきっちりとしている。
「それでも物足りないから、『金色の狂犬』として青藍島に必要不可欠な存在になろうとしました」
憎き島で必要不可欠な存在になり惜しまれながら去っていく。あまりにも回りくどい方法だが、誰にも迷惑をかけない方法でもあった。だから俺は治安管理委員会委員長になり、性的マイノリティへの理解を深める活動を行った。その結果が青藍島の規制に繋がり、皮肉にも俺自身の手で青藍島を滅ぼす一歩手前まで追い込んでしまった。
「あのまま引き下がっていれば青藍島は無くなったでしょう。でも、俺はまだまだ復讐したりなくて、まだまだ青藍島が必要だったんです」
「だから己の命を賭してでも青藍島の規制を解除しようとした、と……? あまりいい言葉ではありませんが、正気の沙汰ではありませんね」
自他ともに『金色の狂犬』と呼ばせるような奴が正気な訳がないだろう。でも、いや、だからこそいいのだ。
「今回の件でよく分かりました。どうやったって俺は『金色の狂犬』以外にはなれないのだと。他者を更生させる看守にも、罪を償い続ける囚人にも、大人しく衰えていく凡人にもなれなませんでした。俺が『金色の狂犬』として青藍島に齎した変化はあまりにも多くて、あまりにも大きかったみたいです」
「……そのようですね。島で開かれようとしていたあなたの引退式が何よりもの証拠です」
聞いた所によると彼女の兵隊は青藍島にも入り込んでいて、俺の動向は定期的に報告されていたらしい。なら俺を青藍島から出さないように実力行使をすればよかったのではと思ったが、そうしたらプリズンに割ける兵力が足りなくなったのかもしれない。ならばプリズンで全力で迎え撃った方がまだ勝ち目がある、と彼女は考えたのだろうか。
「……もし私がこのまま青藍島への規制を続けると言ったらどうするおつもりですか?」
その答えは一つしかない。
「『やりたいようにやる』だけです。俺の体と心が動く限り、いや『金色の狂犬』であり続ける限り」
「……そうですか……でしたらこうする他ありませんね」
すると彼女は手提げカバンから1枚のクリアファイルに挟まれた書類を渡してきた。それは1枚の誓約書だった。
『誓約書 SHO治安管理委員会委員長土口精様へ 私は1ヵ月以内に青藍島へのあらゆる規制を解除することを誓約します。チューリップ・プリズン所長水城姫子』
あまりにも唐突だった。俺が望んだものがこうもあっさり手渡されるとは思っておらず、催眠にかかったようにピタリと固まってしまった。
「あの騒動で私はあなたを殺そうと考えていました。更生不能で秩序を乱す悪しき存在なのだからそうなって当然であると。しかし、あなたは違いました。例え故郷を悲惨な状態に陥らせた存在であっても、決して命を奪う事だけはしませんでした。おかげで傷者は大量に出ましたが、あの騒動では死者は1人も居ませんでした」
一応凛から聞いてはいたが、彼女の口から行ってもらえた方が信用に値する。俺の作戦はすべてうまくいったようだ。
「そこで私は思いました。土口精及び変わった青藍島は本当に不必要な存在なのか、と。なのでこの島に行くと決めた時にプリズンで作成しました。そして私自身が青藍島を見て、状況次第では渡そうと思っていたのですが……青藍島は十分すぎるほどに真っ当な島になっていましたね」
彼女は俺に向かって45度程頭を下げた。
「私も学者の端くれであるというのに、過去の一例に囚われて現実を見ようとしませんでした。それ故に青藍島に大変ご迷惑をかけてしまいました。この度は大変申し訳ありませんでした」
彼女にとって青藍島を認めるというのはとても大変で、何より屈辱的な事だっただろう。それでも己の非を認め、心から謝罪をしているのだ。ここで死ぬまで許さないなんて言うほど、俺は悪逆でも非道でもない。
「頭を上げてください。規制を解除してくれるならそれだけで十分ですよ」
自身を認めてもらうなら、まずは他者を認めることから始めるべきだ。
翌日、彼女は会見を開いて私刑で青藍島に規制をかけたことを認めた。
「私は『金色の狂犬』のおかげで青藍島を受け入れることができました。なので──────青藍島へのあらゆる規制を解除することをここに宣言します」
幾らなんでも急すぎやしないかと思ったが、俺には何となく事情が分かった。彼女はプリズンで起きたあの騒動の責任を取るべく所長を辞任するつもりで、まだ彼女に力がある内にやる必要があったのだ。おかげさまで新たなPV撮影、入島希望者の書類を捌き、船やホテルの準備、観光客への適切な接し方の指導と殺人的に忙しかった。
「やばいっすよこれ!? 精さんがいても追っつかないってどういうことっすか!?」
「こんな忙しさ僕のデータにないぞ!?」
「精! 広報委員会からドスケベランドの新アトラクションのPVの依頼だ!」
「精くん! 暴徒鎮圧用の新兵器の導入はどうなったの!?」
「精さん。こちらの書類を捌いてもらえますか?」
「だああああ! ちっくしょう! お前ら! 今日もフル残業だ! 来月の給与査定を楽しみにするんだな!」
多分、これが彼女なりの俺への復讐なのだろう。ヌキ家も震えて青ざめる程のブラック労働をこなし、19連勤が終わってやっと休日になった。それが現在である。
「この休暇が終わったらまた連勤だ……今度は8連勤だから実質休みだな」
「お父さんの休暇判定どうなってるの……?今日は家事全般を僕とレイラでやるから、お父さんとお母さんはゆっくりしてていいよ」
「でも盛るのだけはやめてくれよ? 流石に今3人目がデキたら方々に迷惑だからな」
「大丈夫だ……精が青藍島を離れてから不安と激務でホルモンバランスがおかしくなって、ずっとピルを飲んでいるから安心してくれ……」
「それはそれで問題だがな。親父、お袋の相手は任せたぜ」
折角だから今日は礼の要望に応えられる限り応えるとしよう。
「それじゃあ礼、何がしたい?」
「お前と一緒に寝たい……少なくとも日が昇り切るまでは寝たい……」
さて、頑張りますか。
「頑張って寝るって何だよ気楽に寝ろよ」
「お父さんって妙な所で真面目過ぎるよね……程々に頑張って寝てね」
「ほら行くぞ精……ふわぁ……」
それじゃあ、今回はあまり頑張らないでいくとしますか。
本編はここで終わりますが、番外編やエピローグがありますので、そちらも楽しみにしていただけたら幸いです。