本日はチューリップ・プリズンに行って研修修了の手続きをする日だ。フォーマルなスーツとお気に入りのアザレアのストールをきちっと身に着け、懐かしの本島から出るプリズン行の船に乗って、今度は正規の方法でイルカ桟橋に着陸する。
「お久しぶりです九十九さん」
特別警備隊の服が似合っている逆茂木ちゃんが挨拶をしてきたので、こちらもびしっとした敬礼で返す。
「久しぶりだな逆茂木ちゃん。案内は不要だぜ」
「分かりました。私は引き続き監視していますので、どうぞごゆっくりしていってください」
手続きにどれだけの時間がかかるか分からないが、最後の便で帰るつもりだからかなりゆっくりできるだろう。とりあえず色々見て回るのは手続きを終えてからなので、早速所長室に向かった。ノックを3回して要件を言う。
「九十九です。研修修了の手続きに来ました」
「……入りなさい」
相変わらず冷たい声が帰ってきたのでドアを開けて入る────と同時に左腕で硬い何かを受け止める。
「直前までは良かったが……ドアノブが動いた瞬間に気が動いちまったな、ノロマンちゃん」
「これでもダメでしたか……こうなるとお手上げですね」
「君の上司ですら手懐けられなかったんだ、君じゃ足下に及べばいい方だよ……つーことで失礼するぜ」
同郷の出世頭からの手厚い歓迎を受け、畏まる必要が無くなったので気軽く入室する。そして奥に鎮座する新たな所長に挨拶をする。
「研修修了の手続きをしに来た。良い感じに頼むぜ、夕顔新所長」
「青藍島での生活で腑抜ていなくて安心したわ」
彼女は俺の予想通りに所長の座に就いていた。誰もやりたがらなかったから彼女が就いたと聞いていたが、当の本人は満足そうで何よりだ。彼女は机の上の書類をパサパサと片付け、1枚の紙を俺に提示した。
『研修修了証明書 九十九終及び土口精 上記の者は、下記の通り本収容所での研修を修了したことを証明する。囚人の監視及び矯正・設備施設の点検及び清掃・刑務官への訓練・業務内容の改善、組織の人材整理等。 チューリップ・プリズン所長 夕顔葉月』
「これを受け取れば研修修了よ。何か心残りでもなければ早急に受け取って帰ることをお勧めするわ」
「何でそんな早く返そうとするんですか? 既婚者の幸せオーラに負けそうだから────」
「あなたはこのプリズンの伝説なのよ。囚人を不必要に刺激させないほうが良いでしょう?」
確かに脱獄騒動の(一応)裏にいた一騎当千の看守補佐など、誰でも一目は見たいと思うだろう。しかし、俺としては今のところ再びこのプリズンに来る予定がないから、しっかりとこの光景を心に残しておきたい。なので俺は書類をファイルに入れてカバンに仕舞い、とっておきの話を始めた。
「知ってっか? 伊栖未ちゃん結婚したんだぜ?」
「……は?」
「相手はあの3838番こと四色沖奈だ。今度式を挙げるそうだから招待状送ってやろうか? ちなみに神社でやるからブーケトスキャッチのチャンスはないぜ」
「なっ、何をそんなバカな事を……いい冗談ね────」
「これウェディングドレス着た伊栖未ちゃんの写真。こっちはタキシード着た沖奈。で、予行演習でキスしてる写真」
最後の写真を見せると同時に彼女が椅子ごとガシャリと背中から倒れ、次いで書類の山がドサドサと覆いかぶさった。
「夕顔さん!? 精さんは何を見せたんですか!?」
「コイツの仇が幸せそうにしている写真かな。んじゃ、後片付けと医務室への運送は任せるぜ。なにせ研修が終わっちゃって手伝えねえんでな」
これで邪魔者はしばらく動けないだろうから、悠々とプリズンを巡ることができる。最初で最後の『金色の狂犬』、土口精としてプリズンで過ごす時間が始まった。
スーツ姿でわいせつ房を歩いていると、囚人からは誰だアレという声が続々と聞こえてきた。顔ぶれもかなり変っており、俺を知る囚人もほとんどいないから当然だろう。しかし看守はそうそう変わるものではなく、もしかして九十九さんじゃない? ぐらいの反応がひそひそと聞こえてきた。
「その金髪……もしかして九十九か!?」
そんな中、相変わらずの溌溂とした声が俺を呼び止めた。俺は振り返って声の持ち主にニヤッと笑ってみせた。
「お久しぶりですね山岸刑務官」
「その邪悪な笑顔! 絶対に九十九だ!」
それで判断するのかとツッコみたかったが、それでしか判断できなさそうな人なので受け流して敬礼する。
「研修が終わったので最後に見収めようとあちこち回っている状態です。なので指導や手助けはしませんよ」
「そうか遂にお前が正式にこのプリズンの人間じゃなくなるのか……色々感慨深いなあ……お前を案内して指導していたのがつい一週間ぐらい前のようだ」
あまりにも色々ありすぎて昨日のようにとはいかないようだ。しみじみとしている彼女を傍らに、俺はとある人を探して視界をグルグルと回す。今までの事件と耳に入った話から想定はしていたが、実際に見るまでは分からないと少しだけ期待していたからだ。
「……もしかしてソフィーヤ看守長を探しているのか?」
先程まで子犬のように嬉しそうな顔をしていた彼女の顔がプリズンの空のように曇った。恐らく、俺の想定していた通りの展開になったいるのだろう。
「……やっぱりクビになっちゃいましたか?」
彼女が目を瞑って、息を漏らしながら頷いた。
「湊柊一郎との関係がありすぎてな……色々抗議したんだが、ケジメはしっかりとつけないといけないって本人が受け入れてしまったんだ……そうなっては、もうどうしようもなくてな……」
真面目なソフィーヤ看守長だからその情景がありありと思い浮かぶ。生活に関しては失業保険で何とかなっているらしいが、そろそろ動き出さないとヤバイと度々相談を受けているらしい。
「お前は聞いてないのか?」
「そういえば連絡先は交換してないですからね……青藍島に俺及び樋口さんがいるって言っておいてください」
あの騒動の後樋口さんも青藍島にやってきたのだが、お互いに色々忙しいから落ち着いたらゆっくり話しましょうと決め、今のところ連絡は取っていない。内呂君が元気そうに診断やっていましたと言っていたから大丈夫だとは思うが、研修修了で区切りがつくので帰ったら話てみようと決めた。
「分かった。しっかり伝えておくよ。ああ、そういえばお前が入院している間、お前の奥さんに会ったことがあってな」
「なんて言ってました?」
「お前が研修中に構わなかったことを寂しがっていたぞ。しっかり相手してやったんだろうな?」
「そりゃもちろんしましたよ。言うのも憚られるぐらい」
ならいいと肩をバンと叩かれる。叩いた側である彼女が痛がっていた。そういえばこんな感じのやりとりもあったなあとしみじみと思い出す。
「そろそろ作業時間になるでしょうかウィッグ工房に行ってきますね」
「そ、そうか……行ってこい……山城の奴がリーダーになって、結構頑張っているからな……いったぁ~……相変わらずどうなってるんだあの体は……」
痛がる彼女は仕事に戻って行ったので、俺はウィッグ工房に向かうことにした。
俺の発案したウィッグ工房は俺抜きでも十分作動していて、今や十数人の囚人がいる大規模な作業場となっていた。その人数ともなると担当刑務官も数人いるので、俺はその1人に声をかけて山城を読んで欲しいと頼んだ。あの九十九さんの頼みなら断れないと快く引き受けてくれ、10分だけ彼女と話す時間が貰えた。
「お久しぶりです狂犬先生!」
水城元所長の圧力が無くなって気が緩んだのか以前より彼女はたるんとしており、非常にもちもちとしていた。
「……太ったな」
「そんなこと話しに来たわけじゃないですよね!? 沖奈ちゃんと御白子ちゃんは元気ですか!?」
「沖奈の方は伊栖未ちゃんと結婚したぜ」
「まあ! お似合いのお二人ですからお幸せになること間違いなしですね!」
まるで自分の事のように喜んでいる。ウィッグ工房最初期からいて、(彼女自身も面倒事を起こしていたが)あの2人の面倒を見ていたのだから思う所があるのだろう。
「そういえばお前の方はどうだ?」
「うーん……獄中ですしもう45も越しちゃいましたからね。当てがないわけではないのですが、良い報告はもうちょっと後になりそうです」
「じゃあ急げ。青春に遅いはないが出産にはあるぞ」
「…………それより御白子ちゃんはどうですか?」
「何を言っているんだ? お前が一番知っているだろ? 今日は工房にいないみたいだが────」
「狂犬先生こそ何を言ってるんですか? 御白子ちゃんは私たちの中で一番最初に出所しましたよ」
「えっ?」
彼女曰く、御白子は違法にラブドールを販売していただけで大した刑期ではなかったらしい。プリズンの中でも新顔で、その見た目から恐れられていただけとのことだ。
「青藍島には心の整理がついたら行くとは言っていましたけど……その様子だとまだ来てないんですね」
青藍島に波多江さんがいる以上、おいそれと来ては筋が通らないと考えているのか。俺は波多江さんが会社経営の都合で波多江組から抜けたと内呂君から聞いたが、御白子が知るすべはどこにもないだろう。俺は御白子の出所先や連絡先を知らないので、どうこう言うことはできない。
「来てくれたらいい職場紹介してやれるんだがな……今は御白子を待つことしか出来なさそうだな」
「ですね。あ、そろそろ時間なので失礼します。良ければウィッグコーナーで何か買っていってくださいね。おすすめは狂犬先生を再現した金髪のウルフカットのヤツです」
「コスプレに使えるものがあるかもしれねえから見てくつもりだったさ。ただ、俺モデルのウィッグを俺本人が被る必要ねえだろ。んじゃ、ご安全に」
ご安全にと彼女と別れてウィッグコーナーを見る。色とりどりのキュートな物から落ち着いた黒色の短髪の物まで幅広く取り揃えていた。
「は~い、いらっしゃいませ~!」
猫をフルアーマードしたような神経を逆なでる声がする。顔を見上げると、想像通りのヤツの顔があった。
「剃髪後もアイツみたいな加齢による薄毛もコレで安心! プリズン印のウィッグ、いかがです……か……」
相変わらずの失言で嫌な安心感を覚える。俺は盛大にため息をつきながら睨みつけた。
「いい加減人の顔見てから発言しろ屑畜生女。手前髪でウィッグを作ったらさぞいい品になるだろうな?」
「何でお前がここにいるんですか!? もしかして本島の女に手を出して捕まりましたか!? ざまあないですね!」
よくぞこの短時間でここまで都合のいい展開が広げられたなと一種の関心を覚えたが、変な噂が広まっても嫌なので研修修了で来ただけだと伝える。すごく残念そうな顔をされながら商品を案内された。
「見ていってくださいよ。この金髪ロングとかどうです? 奥さんにギャルのコスプレをさせるのにいいんじゃないんですか?」
「……5000円か。お前への礼も込めて買ってやるよ」
「じゃあ買わなくていいので青藍島でお礼してください。音を上げる程こき使ってやりますから」
「ああわかった。待ってるぞ」
「……は?」
あまりにもすんなりと俺が返したせいか、ヤツが口を半開きにしたまま止まった。折角だから色々言ってそのバカ面をもっと拝むとしよう。
「俺の作戦を……湊君やウィッグ工房シスターズに伝えるにはお前の力がどうしても必要だった。お前がいなかったらこの結末は迎えられなかった……ありがとう、凛。お前のおかげだよ」
「な……あ……」
ヤツの顔が赤くなってプルプル震えてきた。顔だけはいいからいい光景だ。
「出所が決まったら姉さんに食いたいもん伝えておけ。俺が作って待っていてやるよ」
「────っ! ああそうですか! それじゃあ満姦全席でもお願いしておきましょうかね!」
プイっと振り返って話を断絶されてしまった。いいものが見れたから良しとしよう。
「……私もいい思いさせてもらいました。それだけは感謝します、ありがとうございました」
まさかコイツから返してもらえるとは。一番の土産話かもしれない。
昼の休憩時間になったので、グラウンドのあの場所に向かう。そこでは一人の初老の男が薄暗い空を仰いでいた。
「そりゃお前さんが来ればこのプリズンも騒がしくなって、俺みたいな老いぼれはこうやって一人で静かに過ごしたくもなるさ」
「分かっちゃいますか。今日は別れの挨拶に情報を持ってきただけで、シガレットクッキーはないですよ。釘谷さん」
そいつは残念だと彼がニヤッと笑う。久々にプリズン流の挨拶をしようと両手を出したが、首を横に振って断られてしまった。
「もうお前さんはこのプリズンの人間じゃないからな。普通の挨拶で頼むよ」
「それじゃあ……シコんにちは」
「……やっぱりプリズン流の挨拶にしよう。お前さんの普通は普通じゃないのをすっかり忘れてた」
ということで挨拶も程々に近況報告をしあう。このプリズンは大きく変わったようで、囚人と看守の距離感が普通のものになったようだ。過度に罰することも無ければ、必要以上に協力し合うこともない、ある意味つまらない施設になっていた。それでも俺がプリズンからいなくなってなお、あるいはいなくなったからこそ、『金色の狂犬』の伝説を知りたい人間は大勢いるらしい。なので内呂君以外の情報をふんだんに仕送る。
「あの2人が結婚したのか……仲が良いのは知っていたが、そこまでになるとは思っていなかったな」
「釘谷さんも結婚したらどうです? 見た目も声もいいからその辺の女だったらコロッとイケちゃいますって」
「こんな老いぼれに靡く女がいてくれりゃいいがな」
意外と近くにいるんだなコレがと思いつつ、乙女の恋心を不必要に持ち出すのは無粋なのでフッと軽く笑って空を見た。相変わらずの曇天だが、以前よりも幾分か明るくなっているような気がする。
「……何でお前さんは彼女と戦えたんだ? 俺は戦えなかったから教えてほしい」
同じく青藍島を故郷に持つ彼は俺に質問と同時にプリズンでの過去を吐いた。彼が水城元所長の手駒の1人なのは知っていたが、故郷を捨てきれなくて水城プロジェクトを辞退し半端な情報屋になった、というのは知らなかった。
「確かにお前さんには力があった。でも、とてもじゃないが彼女に及ぶものではなかった。なのに何で戦えたんだ?」
「そんなの一つだけですよ。青藍島を不当に規制したからぶちのめしてやりたかった。端的に言えば
俺の人生はたったそれだけの理由でどんなものにも立ち向かっていた。水城元所長だけでなく旧ドスケベ条例、平行世界の妹、異世界の敵。それ以上の理由などなく、必要とすらしていなかった。
「だから周りの人にめっちゃ迷惑をかけていました。勝手に自分一人で突っ走って、妻や家族は当然、仲間という仲間全員に」
「……俺はお前さんが青藍島の規制の原因になったとは思っちゃいないさ」
「そこは俺がどう思うかの問題です。その上で迷惑かけたらきっちり償わなきゃいけないと思っています。功罪で功が勝ったら許してもらえるだろうって」
「……それにしたって限度ってものがあるだろう?」
「ありませんよ。俺の『やりたいようにやる』に限度なんかありません。死ぬまでどんどん大きくなっていって、それでもやり続けます。俺にとって"生きる"っていうのはそういうもんなんです」
様々な経験を経て手にした俺の確たる人生の方針だ。それを聞いて彼は呆れたように笑った。
「そんな奴だから"青藍島の英雄"になっちまうんだろうな」
青藍島の規制が解除された際、『金色の狂犬』のおかげで解除されたと本島の誰かが言って、それに伴って新たな二つ名ができたような気がする。言われて悪い気はしないが、俺は『金色の狂犬』で十分だし、何より"英雄"なんて柄ではない。でも、なってしまったからこそ言えることもある。
「"英雄"なんて誰でもなれる陳腐なもんですよ」
「……なったお前さんだからそう言えちまうだろうが、世界じゃ"英雄"なんて数えられるほどしかいないんだ」
「"世界 英雄"なんて調べればまあまあの数の人間が出てきますよ。それに"英雄"の本質は世界を変えたとか、滅亡の危機を防いだとか、そんなんで語れるもんじゃありませんよ」
「……じゃあ何で語れるんだ?」
「"どこかの誰かのためになったか"……これだけでいいんです」
異世界での経験の中で"最も
「良し悪しは二の次として、どこかの誰かのためになったのなら無条件に誰かの"英雄"なんです。俺はたまたま青藍島に住む人のためになったから"英雄"なんて呼ばれてるだけで、釘谷さんも簡単になれますよ? "英雄"になった俺が言うんですから間違いありません」
「そうは言われてもな……どうやったらなれるって言うんだ?」
「……ありきたりな言葉ですが、"英雄"はなろうと思ってなるものじゃありません。いつの間にかなっているものです。そしてすでになってるとしても、そうそう気付けるものでもありません」
「…………老いぼれに若い人間の言葉は分からん。はっきり言ってくれると嬉しいね」
スマホで時間を確認する。そろそろいい時間になるだろう。俺はギラっと笑って答えを言った。
「英雄色を好む……恋は誰かを簡単に英雄にしてくれますよ」
「だから俺にそんな相手なんかいる訳────」
「釘谷さーん! お時間よろしいですかー!」
向こうから山城がドスドスと駆けてきた。何か畔を訪仏させる迫力だなと思いつつも、ここから先に俺は必要ないだろうから足早に去るとしよう。崩れかけた壁を足場にし、アザレアのストールを紐解いて、仕込んである羅漢銭を放って有刺鉄線に巻き付ける。
「山城ぉ! 壁の防御をしっかりしておけって干瓢女に伝えておいてくれぇ! んじゃーなぁ! 『やりたいようにやらせてもらいました』ぁっと!」
グラウンドにいた一同の記憶に残る事間違いなしの退場だろう。これでこのプリズンへの心残りはなくなった。青藍島に帰って色々待つとしよう。
「……最後まで自由だったな。全裸マンがどうなっているのか知っているか聞きたかったんだが────」
「その全裸マンさんの事でお伝えしたいことがあるんです! 彼の更生日記を見つけまして!」