※この作品はR-18です。

盈虚の華燭〜嫁巫女は双子のような義兄に溺愛される   作:朱河なつめ

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※残酷な描写を含みますのでご注意下さい。


片割月の章③

 夜霧の向こうから、タァ――ンッ……と銃声が響いた。

「伊織さん!」

 突如喜世が夫の名前を叫び、ばしゃんッと大量の水になって消えた。

 驚いて体勢を崩しかけたそよぐの右肩を別の女の手が優しく支える。

「里の奴らに追いつかれた。……お義父さんが撃たれて、お義母(かあ)さんがあっちに向かった。大丈夫、弾が腕を掠っただけ。凌も無事よ」

 凍鶴の声が淡々と情況を伝える。そよぐは呆然と彼女を見つめた。

 ずぶ濡れの長い焦げ茶色の髪、血の気の失せた肌、透けた長襦袢の胸元から零れ落ちそうに豊かな乳房。女性にしては長身で、すらりとしていながらメリハリのある体つきが妖艶だ。

 水滴を纏った睫毛の下に眼球はなく、暗い水がLEDライトの光を吸って仄白く揺らめいている。

 口元が笑みを描くと、右の艶ぼくろがきゅっと浮き上がった。

「凍鶴……さん?」

「ええ」

 凍鶴は頷くと、愛おしそうにそよぐの頬を撫でた。

「大きくなったわね。シーリアによく似てる。瞳の色なんてまるで同じ」

 そよぐはまた涙が込み上がりそうになったが、再び響いた銃声に凍りついた。

 斧を振るう音が途絶えた。里の追手の襲撃を受けた凌達は無事なのだろうか。

 凍鶴が安心させるように肩を抱き寄せた。

「大丈夫。お義母さんが付いているから、二人とも大きな怪我はないわ。でも……邪魔が入って虚ろ桂を完全に伐り倒せていない」

「そんな!」

 里人の中には狩猟免許を所持している者もいると言う凌の説明を思い出した。

 本来は害獣を駆除する為に用いるべき猟銃を、同じ里の人間に――凌と伊織へ向けて発砲したのだ。

 ざわりと仄暗い水面がうねる。凍鶴が目を眇め、「そよぐ」と義理の娘の名を囁いた。

「まだ祠の封印は解けていない。今の状態で哭女様のお力を振るえば、ますます貴女の負担になる」

「構いません」

 そよぐは薄緑の双眸を鬼火の如く燃え上がらせ、凍鶴を見据えた。

「凌ちゃんが桂男の末代なら、あたしが最後の巫女なんです。嫁巫女なんて巫山戯た因習、あたし達が断ち切らなくちゃ駄目なんです。そうしなきゃ、呪いも祟りも永遠に終わらない。誰も解放されない!」

 血を吐くような訴えに、死した巫女は瞼と唇を震わせた。

「――……哭女様」

 凍鶴の呼びかけに、水の上の女神は柳眉を持ち上げた。

「そよぐは先のある生者です。でも、わ(・)た(・)し(・)達(・)は死者です。代償なんて幾らでもお支払い出来ます」

「……確かに、そなたを含む死せる内侍はわたくしの一部。そなたらの魂を代償に力を振るえば、そなたの娘の負荷は軽くなろう。しかし、わたくしが力を振るえば振るうほど、死せる内侍の魂は塵も残さず消えるぞ」

「そんなの、駄目!」

 思わず声を上げたそよぐを抱き締め、凍鶴は微笑んだ。

「凌より長生きしてくれるんでしょう?」

 言葉を失うそよぐの頬を両手で包み込み、凍鶴は眼球のない両目から涙を流した。

「あの子、貴女が死んだら本気で後を追うわよ」

「凍鶴さんが……透悟さんの後を追ったみたいに?」

「ええ。透悟君に出会っていなければ、姉さんが死んだ時点で生きる事を投げ出していたわ。透悟君にもシーリアにも置いて行かれて、いつか凌と貴女を迎えに行ける日が来るかもしれないって踏み止まっていたけど――あの男に見つかった時、もう死ぬしかない、死にたいって思ってしまった」

 凍鶴の涙がぽたぽたとそよぐの頬を濡らす。落涙は灼けるように冷たく、どうしようもなく凍鶴が死霊である事を思い知らされた。

 そよぐ、と噛み締めるように自分の名前を囁く声は、彼女の息子と何処か似ていた。

「でも、貴女はまだ生きている。死を選ばず、宿命から逃げず、凌と一緒にわたし達の許まで来てくれた。わたしにもお義母さんにも出来なかった――桂男の血に囚われた愛する人と真正面から向き合って、寄り添って、信じ抜く事を成し遂げた。貴女の姿がどれほど眩しく、忘れてしまった陽射しのように温かく思えたか――」

 仄暗い水面に無数の波紋が生まれ、女達の声がさざめくように笑う。頭や背中を幾つもの手が優しく撫でては離れていく。

 凍鶴の涙を追いかけるように溢れた涙を少女のような指が拭い、スミの声がおずおずと囁いた。

「おら達の事は何も気にする必要はねぇ。ようやっと門弥さんに会えるんだ、こんなに嬉しい事(こた)ぁねぇ。……それに馬鹿な倅や孫らの不始末は、おら達がつけねばならぬもの」

「スミさん……?」

 振り向きかけたそよぐをスミの手が押し止める。思いがけず素朴な口調で、スミは苦笑した。

「佐和(さわ)さんにも濔青さんにも、喜世さんにも真鶴さんにも凍鶴さんにも、本当に申し訳ねぇ。せめてそよぐさんにゃあ生き延びてもらわんと、門弥さんに合わす顔がねぇんだ」

 スミの気配が背後から離れていく。哭女様、と朗らかな声が女神を呼んだ。

「お頼み申し上げます。幾らでも使い潰して下さってもらって構いません。――我らの水で、我らの子の罪垢をお流し下さい」

 哭女はゆるりと瞬き、愁いを帯びた微笑を口の端に上らせた。

「相分かった」

 女神が濡れた袖をひらりと振るうと、後方でぱしゃんッ、ぱしゃんッ、と立て続けに水音が上がった。

 凍鶴の腕の中で淵の方を振り返ったそよぐは、目を瞠った。

 ――数え切れないほどの、銀色の涙珠。

 黒い鏡面のような水の上に立つ哭女を無数の水の粒が取り巻き、きらきらと仄白く光り輝いている。

 まるで星屑のように儚く美しい、砕け散った巫女達の涙の一雫。銀色の涙珠は無重力空間のように中空を漂い、哭女の人ならざる美貌を冴え冴えと夜闇に浮かび上がらせる。

「この地を覆う霧は全てわたくしの水から生じたもの――手始めに返してもらうぞ、汝背(なせ)の君」

 哭女は徐に左手を伸ばすと、上向けた掌をぐっと握り込んだ。

「霧が……?」

 LEDライトに浮かび上がる霧がするすると消えていく。哭女ヶ淵を幾重にも取り巻いていた霧が急速に晴れ、深い渓谷の上空がぽっかりと裂けたように雲が途切れた。

 サ――……ッと、青褪めた月明かりが谷間に射し込む。

 黒い山影の切れ間に夏の満月が覗いている。霧の帳が取り払われた斜面のあちこちにLEDライトの光が浮かび、男達のどよめきが四方から聞こえた。 

 谷底に横たわる渓流は死んだように静まり返り、水の澱んだ大きな淵が広がっていた。

 外側へ弧を描くように突き出した瀬の対岸に、枝や幹が捩じくれた不気味な木が聳え立っている。

 目眩がするように濃密な花の芳香。

 黒ずんだ葉と血色の花を被った老木の幹の中心はぼこりと膨らみ、膝を抱えた成人女性がすっぽり入るほどの巨大な洞を形成している。鉄格子のように蔦が幾重にも絡まるその奥には、緑っぽい箱のようなものが垣間見えた。

「そよぐ!」

 凌の声に息を呑む。

 老木――虚ろ桂の側に凌と、蹲っている伊織と傍らに寄り添う喜世の姿を認め、安堵のあまり全身から力が抜けた。

「良かった……」

 ホッとしたのも束の間、銃声が轟いた。

 ばしゃん! と哭女の足元で水飛沫が上がる。よりにもよって哭女を狙撃したのだと理解したそよぐは、血の気の下がる音を聞いた。

「――ほ」

 谷間の気温が一気に降下する。

「ほ、ほほ」

「ほほほ、ほほ、ほほほ」

「ほほ、ほほほ、ほほ、ほほほ、ほほ」

「ほほほ、ほほほほ、ほほほほほ」

「ほほ、ほほほ、ほほ、ほほほ、ほほ」

「ほほほ、ほほほほ、ほほほほほ」

「ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ――」

 ギロチンの刃のように冷たく澄んだ哄笑が谷間に響き渡る。

 かちかちと奥歯が鳴る。凍鶴はぎゅっと娘を懐に抱き寄せると、哀れむように呟いた。

「馬鹿な奴。わざわざ山姫の怒りを買うなんて」 

 元来、哭女は沢の女神――山に宿り、山を治める女神だ。

 山姫の怒りに触れた者の末路はただ一つ。

 ぴたりと笑声が止んだ。

 哭女は両の眼窩をカッと見開き、ある一方を振り向くと口端を大きく吊り上げた。

 白魚のような指先が近くを浮遊する水の玉を弾く。

 銀色の軌跡を一直線に描き、水の玉が一人の男の体を貫いた。

「がッ……!」

 血を吐いた男は猟銃を取り落とし、斜面を転がり落ちた。

「ひぃ!」

「ばっ、化け物!」

 近くにいた別の男達が悲鳴を上げ、一人が猟銃を構える。「よせ!」という制止の声が掛かったが、恐怖に突き動かされた男はあっさり引鉄を引いた。

 哭女の顔面を狙って撃ち出された銃弾はぱしゃんッと水の玉に飲み込まれ、中空で止まった。

「鉛玉は好かぬ。ほれ、返してやろう」

 哭女が発砲した男を指差すと、水(・)の(・)玉(・)が(・)銃(・)弾(・)を(・)弾(・)き(・)返(・)し(・)た(・)。

「あぎゃっ!」

 銃弾が男の頭部を直撃し、脳漿を撒き散らしてどうと倒れた。

 数人の男達が逃げようと哭女に背を向ける。哭女が濡れた袖を翻すと水の玉が弾丸の如く跳び、膝を撃ち砕かれた男達は叫びながら谷底へ滑落した。

「ほ、ほほ。誰の許しを得てこの場を去ろうと言うのかえ?」

 哭女は愉快そうに喉を鳴らすと、両目を細めて虚ろ桂の方を見遣った。

「そこにおるのだろう? 佐和の子、八尋。真鶴の子、要人。疾く我が前に出でよ」

「……これは一体どういう事だ?」

 山影の下から、虚ろ桂を挟んで凌達の反対側に八尋が現れた。

 流石に和装ではなく、山歩きをするような長袖の上着とズボンを纏っている。哭女を前にしても悠然とした表情は崩さず、三日月のような双眸は相変わらず微笑みを絶やさない。

 似たような服装の要人はびくびくと父親の後ろを歩いて来たが、月明かりに照らされた山姫の姿に情けない悲鳴を漏らして尻餅を突いた。

「驚いた。封印の祠はそのままなのに、どうやって力を取り戻した?」

「我が内侍と、そなたの祖母らの献身の賜物よ。この日、この時の為、この淵に沈みし者らの恨みは我が水に溶け、我が祟りの一部となった」

 八尋の視線が目まぐるしく哭女、喜世、凍鶴、そよぐを捉える。凍鶴が男の目から庇うようにそよぐを抱き締めると、「ハッ!」と笑い声を上げた。

「植村そよぐ! あの娘の存在が、封印に風穴を空けたのか!」

 八尋は両手を叩いて笑い転げると、歪んだ口元に片手を添えた。

「千年を数えて尚、一人として現れなかった――本物の変若水の巫女! なんて事だ! 凌、良くやった!」

「……手前、何を言ってやがる?」

 祖父母を背に庇った凌は眉を顰めた。

 銃弾が掠めたのか、精悍な右頬から血が流れている。思わず凍鶴の腕にしがみつくと、宥めるように背中をさすられた。

「分からないのか? 封印が内側から緩むほど、お前の妹の肉体は哭女の器として最適という事だ。あの娘が齎す変若水は、かつて桂男が月神から賜った真の変若水にも等しい力を秘めている。まさに祁月家が追い求めてきた不老不死の霊泉だ!」

 蛇を思わせる眼差しがそよぐに絡みつき、蕩けるような笑みを湛える。

「植村そよぐは月神からの賜物に違いない。無事に屋敷へ連れ帰ったら、すぐにでも私の嫁巫女に――」

 凌が八尋に殴りかかるよりも早く、凍鶴と喜世から凄まじい殺気と共に銀色のリボンが放たれた。

「ぐッ……」

「お、お父さん!」

 鞭のようにしなるリボンが八尋に殺到し、全身を締め上げながら宙吊りにする。細い水の緒で気道を圧迫され、八尋は顔を引き攣らせた。

 青い顔で涙と鼻水を垂らしていた要人は凍鶴の姿に気付くと、魂を抜かれたように放心した。

「凍鶴、さん」

 凍鶴は甥に一瞥もくれず、眼球のない両目で射殺さんばかりに八尋を睨みつけている。

「わたしの娘を、誰がお前などに……!」

「伊織さんの時といい、透悟の時といい、息子にも孫にも相手にされないからと言って曾孫の嫁まで寝取ろうとするなんて、つくづく見下げた男ね」

 右腕から出血している伊織の体を支えながら、喜世は冷然と仇敵である男を見つめた。

「いいえ、お前ほど可哀想な男はいない。天女の幻想に魅入られ、大切なものを取り零し続けて――お前の愛した人は誰一人、お前の許には残っていない」

「……は、はは……久しぶりに会った舅に随分な言い様ではないか、喜世」

 八尋は顔を歪めつつ、ねっとりとした笑みを長男の妻に向けた。

 次いで凍鶴へ見遣ると、そよぐと纏めて視姦するように女體を舐め回す。

「やあ、凍鶴。死んで尚、ふるいつきたくなるような女ぶりだな」

「好色ジジイが、ぬけぬけと!」

「死んだ嫁巫女が甦るなんて実に素晴らしい事ではないか。残念ながら透悟は既にいないが……ああ、お前の姉が生んだ要人はどうだ? 真鶴の代わりなのか、幼い頃一目会ったお前の面影が忘れられないようでね。添い臥しの相手に、お前と似た娘を所望するほど入れ込んでいるようだ」

 一人楽しそうに喋り続ける八尋の異様さに、凍鶴も喜世も警戒するように眉を顰めた。

「わたしは死霊よ?」

 凍鶴の言葉に、首を絞められながら八尋は恍惚と笑う。

「だからどうした? 女日照りの沢鳴の里では、死んだ女の屍すら極上の馳走だ。封印を強化すれば、お前達はただの哀れな嫁巫女に戻る。子を生す肉体が必要なら、丁度良い娘を見繕ってやろう。お前達の新しい器となる巫女を」

「なっ……」

 絶句する凍鶴を、そよぐは思わず背中に庇った。伊織もまた、険しい顔つきで妻を抱き込んでいる。

 八尋は何処までも本気だ。本気で喜世と凍鶴を別の巫女の体に封じ込めて甦らせ、そよぐと共に自分や要人の嫁巫女として飼い殺そうとしている。

 それを凌や伊織に見せつけ、彼らの憎悪を一身に浴びる為に。

 ――馬鹿な男。

 涙が涸れ果てたような女の声が囁いた。

 仄暗い水底の一番奥深くに沈み、これまで一度も気配を感じさせなかった巫女の思念。

 ――わたしの事なんて、父親への当てつけで抱いただけの女としか思っていなかった癖に。

 ――物としか見ていなかった女に生まれて初めて拒絶されて、わたしが死んで漸くわ(・)た(・)し(・)を(・)欲(・)し(・)た(・)……馬鹿な男。馬鹿な子。

 ――子供達を散々振り回して、苦しめて、罪を重ねて、恨まれて祟られて。神様だって許してくれない。

 ――わたしはただあの子を、信じて愛したかっただけなのに。

 濔青さんと呼びかけると、水面に浮かぶ女が泣き笑うように顔を歪めた。

 ――ごめんなさい。あの子をここまで狂わせたのは、何もかもわたしの責任。

 ――どうか、あの子に伝えて……。

 やりきれない苦しさに唇を引き結び、そよぐは八尋を見据えた。

「どんなに貴方が願っても、伊織さんも凌ちゃんも濔青さんの代わりにはなりませんよ」

 かつての妻の名前に、八尋の表情が凍りつく。

「何を――」

「喜世さんや凍鶴さんのように、濔(・)青(・)さ(・)ん(・)も(・)こ(・)こ(・)に(・)い(・)ま(・)す(・)。この哭女ヶ淵に、ずうっと」

 八尋は両目を見開くと、何かを探し求めるように視線を彷徨わせた。

 そよぐは頭を振った。

「濔青さんは貴方の前には現れません、絶対に」

「な、ぜ……何故、何故そう言い切れる!?」

「直接彼女から伝言を聞いたからです。『今更わたしを欲しがるな。わたしは永遠に八尋のものにはならない。わたしの』……」

 八尋を愛しているからこそ決して愛を告げない事が彼への復讐なのだと、濔青はせせら笑っていた。

 ちらりと哭女を窺う。

 女神は悪童のような笑みを浮かべると、「思う存分にやるが良い」と思念で応じてみせた。

 哭女の趣味は、桂男の恋心を弄んで踏み躙る事なのかもしれない。

「『わたしの身も魂(たま)も、疾うの昔に哭女様のもの。哭女様に全て捧げたのだから潔く諦めろ』、だそうです」

 八尋の喉が隙間風のような音を漏らした。

 伊織と凌が些か複雑そうな顔をしている。同情したくないが、狂い果てるほど恋い焦がれた妻から引導を渡された八尋の胸中が手に取るように理解出来てしまったらしい。

 八尋の手足からだらりと力が抜ける。

 銀色のリボンがしゅるしゅると長身を降下させ、うつ伏せに地面へ押しつけた。

「ほ――ほほ、ほ、ほほ」

 哭女は袖で口元を隠し、愉しげに肩を揺らした。

「良い良い、実に良い気味だ。そなたの最も欲する女は我が眷属。そして我が祟りの一部となって、傲れる月桂の子らを滅ぼす」

 川原に倒れ伏した八尋は、血走った目をぎょろりと哭女に向けた。

 哭女は細く喉を鳴らし、哭女ヶ淵の周囲で立ち尽くす里の男達を睨め回した。

「さて、前座はそろそろ終いだ。先程目にした通り、杣人の邪魔をする者はわたくしが直々に手を下してやろう。命惜しくば――貴様らの栄華が潰える様を確(しか)と見届けよ」

 哭女は悠々と水面を渡り、虚ろ桂が聳える岸辺までやって来た。

 かつての夫の変貌した姿を前に、女神の白面は恐ろしいほど静かだった。

「実に醜い有り様よの。わたくしの前に現れる時は、桂男の名に相応しい、見目麗しい男神の皮を被っていたと言うのに」

 ふ、と形の良い唇があえかに笑う。

 悲しげに――二度と会えない誰かの面影を惜しむように。

「まやかしに目が眩み、盲いたわたくしが愚かだったのか。まやかしに縋り、偽りを騙る事でしか愛を語れなかったそなたが浅ましかったのか――どちらであろうな、汝背の君」

 風もないのに虚ろ桂の枝葉がざわりと揺れる。

 真っ赤な月桂花が血の涙の如く散り、はらはらと哭女に降り注ぐ。しかし一片として女神に触れる事は叶わず、彼女を取り巻く水の玉に弾き飛ばされて消し炭と化した。

 哭女は凌を見遣った。

「あと如何ほどかかりそうだ?」

 凌は重い溜め息を吐き出すと、乱暴に頭を掻き毟った。

「……残り半分だけど、さっきの銃撃で鉈も斧も壊された。代わりの道具が必要だ。爺ちゃんが利き腕をやられたから、俺一人で何とかするとなると――」

「成程。道具とやらはこれで良いかえ?」

 哭女が左手を振るうと、周囲の水の玉が集まって水晶のように透き通った斧を形成した。

 驚きに固まる凌に向かって放るように長襦袢の袖を揺らす。凌は慌てて斧をキャッチすると、青銀色に仄光る柄を何度も握り直した。

「石みたいに硬ぇ……どうなってんだよ、これ」

「何、水の気を圧縮しただけだ。刃に触れぬよう気を付けよ、そなたの指などぽ(・)ろ(・)り(・)ともげるぞ」

 哭女はくすりと笑うと、月明かりに染まった水面を指差した。

「手負いの杣人の代役ならば、打ってつけが一人おるではないか」

「……は?」

「呼んでやるが良い。息子のそなたにも父にも合わせる顔がないと、水底で細石のように縮こまっておる。意固地な所は母に似たのか――そなたも良く似ているな」

 凌は短く息を呑んだ。

「哭女様っ」

 伊織が上擦った声を漏らす。哭女は優しく目を細めた。

「そなたの息子もまさしく杣人ぞ。よく育ててくれた。故にこうして、桂男の末代に相応しき男子を得たのだから」

 震える伊織の胸に、喜世がそっと頬を寄せた。

 妻の肩を搔き抱くと、伊織は振り絞るような声で息子の名前を呼んだ。

「透悟……ッ!」

 水面に波紋が広がる。

 凌は呆然とそよぐを――その傍らに寄り添う凍鶴を見つめた。お袋、と青年の唇が微かに動く。

 凍鶴がくしゃくしゃと顔を歪め、そよぐに縋りつくように泣き崩れた。

 義母の体を支えながら、そよぐは凌に頷いた。

 凌は潤んだ両目を強く閉じ、キッと水面を見据えるとよく通る声で言った。

「一度でいい。頼む――力を貸してくれ、親父」

 ざぶんッ、と。

 呼び声に応えるように、青白い男の腕が水面を突き破った。

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