義務教育(中学及び高校)において、健全な性知識の修得と実践演習を行うことで将来的な人口減少をくい止めると共に、子育て適齢期に出産育児を奨励することで成立当時歪だった人口ピラミッドの、一定程度のコントロールを目的とした法律。
現代では高校の教育カリキュラムで一般教科として盛り込まれ、特別教室において実践演習を行うことが一般化している。
副次効果として、法律の施行の前後で若年層の性犯罪が減少しており、世代交代が進んだ現在では滅多に発生しない犯罪として認知されているほど。
「はぁ、憂鬱だなぁ」
高校に入学してしばらく経ち、そろそろ新しいクラスメイトたちとそれなり打ち解けてきたなと感じ始めるゴールデンウィーク明けの朝の時間帯。
最寄りのバス停で降りた加成布津夫は、本当に私は憂鬱ですといった表情で、同じくバスから降りたその他大勢の高校生達に紛れながら、その大きくぽっちゃりめの身体でトボトボと学校への道を歩いていく。
「よっ、布津夫。おはようさん!」
「おはよう、田中君……」
布津夫は自分の教室に入ると、早速友人の田中一郎と挨拶をした。
彼とは入学当初席が隣同士だったこと、田中が人当たりもよく誰とでも仲良くなれるタイプの人間であることもあり、自分に自信がなく引っ込み思案な布津夫でもこうして友人らしい会話が出来ていた。
「どうしたよ、浮かない顔で。今日は初めての『実習』だぜ? あの小池面秀(こいけおもひで)なんてとんだ浮かれポンチになってるってのに」
「それは彼が運動部期待のホープで、さらに言えば女子に人気のイケメンだから仕方ないよ」
「おいおい、そんな卑屈になるなよ布津夫。クラスカーストなんてまかり通っていたのは大昔の話だぜ? 確かに、俺らフツメンが小池と同じように振る舞っても白けるだけなのはそうだけども」
二人が教室の一角に視線をやれば、話題の小池君が男女数名のクラスメイトに囲まれながら楽しそうに話しているのが見える。
「おうおう。初めての男女組み合わせは教師が適当に選ぶってのに、今からギラついちゃっておっかないねぇ」
田中は全くそうは思っていないような面白そうな表情を浮かべて、軽口をたたいた。
そう、本日行われる通称『性教育実習法』に基づく実習は、ある程度回数をこなさない限り生徒側の希望は基本的には通らないようになっている。
それなりに法律を制定した偉い人たちの小難しい理由もあるのだろうが、布津夫にとっては憂鬱の種でもあった。
これまでの小・中と学校生活において、何かとグループ分けで最後に選ばれるタイプであった布津夫。
組んだ相手に自分のようなハズレを引かせてしまったことも申し訳なく思うし、そう考えてしまう自分自身もあまり好きにはなれなかった。
「あなたたち、なに変な話してるのよ」
「おっと、委員長おはよう」
「おはよう、斉藤さん」
「はいおはよう」
そんな二人の会話に混じってきたのは、クラスの委員長で斉藤香奈。
田中とはいわゆる幼なじみというヤツで、布津夫からみれば羨ましいほど仲良しに見える。当人達はただ人間関係的な意味でただつき合いが長いだけだと言い張るが。
「ちょっと、イチ。役職で呼ぶの止めてって言ったわよね」
「そうは言うけどな、これまで委員長じゃなかったことなんてあったか?」
「そうなんだ? 斉藤さん」
「まことに不本意ながらそうね、加成君。しかも全部他薦で、半分はコイツのせいってことも併せて伝えておくわ」
「それは、その……ご愁傷様です」
「まったくだわ」
いつものように、端から見ればイチャついているようにも見える二人を余所に、布津夫はもう一度小さくため息を吐いた。
「やだなぁ……」
午前の授業を終え、持参した弁当を田中と共に食した後。
布津夫とクラスメイト達は、実習棟の一角の視聴覚室へと集合していた。
全員がそれぞれに落ち着きなく、そわそわした空気に包まれた中、担任教師が室内へと入ってくる。
「ようし、全員いるな。委員長、号令」
「きりーつ、礼。お願いします」
「「おねがいしまーす」」
「はい、お願いします。えー、前回までの授業で説明したとおり、今日から実習の方に移っていくからな。準備はできてるな?」
担任教師は生徒達を見回し、その不安と興奮の入り交じった独特な空気を感じとった。
自分の時もこんな感じだったなと、教師は青春時代の思い出を振り返りつつも授業を進めていく。
「ではまず、女子から実習室の方へ移動してくれ。担当の先生がいるから割り振りはそこで聞くように」
はーいと軽い返事と共に、クラスの女子達が席を立って部屋を出ていく。
「残った男子に伝えておくぞ。今後もこんな感じで、男女別に実習室に向かってもらうからな。これは、最初だから相手が分からないようにするためと、しなくてもいいトラブルを避けるためだ」
「「はい」」
「お前等、返事はいいんだけどな……。いいか? どうやってもセンシティブな話題には面白がってだったりマウントを取るために揶揄するヤツが出てくるんだ。だから、今日どうだっただの俺は巧くやれただの言い出すアホが毎年いる。だけどな、女子はそんな見栄っ張りのハッタリはお見通しなんだ。なんせお前等は、テレビゲームで例えるならヒノキの棒とお小遣いを握りしめた村人Aに過ぎない。そして女子はそんなこと百も承知だからだ。分かったら、今やってるバラ色の妄想を捨てて、精一杯の誠意を込めて実習をこなしてこい」
担任教師はそう言うとちらりと時計を確認して、移動開始と男子に宣言した。
「布津夫、いよいよだなおい」
実習室の扉の前でクラスの男子達とともに割り振りの順番待ちをしていた布津夫に、田中が楽しみで仕方ないといった顔で声をかけてくる。
「田中君は楽しそうだね……僕は不安で仕方ないよ」
「先生も言ってただろ? 俺たちゃ勇者じゃなくて村人Aだってよ。気にしすぎなんだよ、布津夫は」
「自覚してる」
「ほら、そろそろ俺らの番だぜ」
田中にせっつかれて前に進んだ布津夫。
そこには30代ほどと思われる女性教師が立っていた。
名を岩本由紀、性教育実習の担当教師で特に女子生徒からの人望の厚い女性教師だ。
「田中君は左手前から三番目ね、加成君は右の一番奥よ。ふふふ、緊張してるの?」
「コイツ、ちょっとナーバスになってるんですよ。気にしすぎだって言ってるんすけど」
「加成君? 誰だって初めては不安でいっぱいなのは普通なのよ。だから自分が情けないだとか思う必要はないからね」
「……はい、ありがとうございます」
その二人の気遣いに、少しは気持ちも楽になった布津夫はお礼を言いつつ足を進めた。
途中で頼みの綱であった田中と別れ、割り当てられた扉の前へとすすんだ。
これら実習室は校内にありながら、さながら集合住宅のように一つの廊下にいくつもの扉が並んでおり、実習に必要とされる設備と十分な防音能力を備えていた。
事前の説明によれば、エアコン、ベッドにユニットバス、ちょっとしたテーブルと自習学習にも使用するテレビモニター、着替えを入れておくロッカーがあるという。
しかも汚れた衣類(実習時は学校支給の安物の制服もどきに着替える)などは壁に備え付けのダストシュートへ入れれば、クリーニング店さながらの巨大な洗濯ドラムへと運ばれるらしい。
といっても、ベッドは学校の備品らしく保健室のそれと同様で、備品一つ一つがそれなりに年季の入ったものなのは一般的な公立高校のそれであった。
その一番奥が布津夫に割り当てられた部屋であった。
「ふう……失礼しまーす」
コンコンとノックをして、布津夫は扉をあけ室内へと入っていった。
「お、私の相手はオタク君か。よろしくー」
若干退屈そうな空気を隠そうともしない、備え付けのベッドにショーツがちら見するのに気づいていながら恥ずかしげも無く胡座をかいて座っているのは、クラスでもとりわけ目立つ存在の女子生徒で。
金に染めた髪、綺麗に焼けた薄小麦色の肌、校則ギリギリを攻める丈の短めなスカート、すらりと伸びた下肢を包むだるだるのルーズソックスといった出で立ちの、十人が十人ギャルと評する、周防絵理その人であった。
布津夫は乾いた笑みをかろうじて浮かべながら、ヒノキの棒で魔王に戦いを挑む村人Aの気持ちを味わい、こんなのってないよ……と組み合わせの妙を恨んだ。
次話もすぐに投稿します。