年が明け、厳しい寒さが続く一月の週末。駅前の大型商業施設の一角にある、パーティーグッズやコスプレ衣装が所狭しと並ぶバラエティショップに俺と麻依は初めて足を踏み入れていた。
「うわぁ……なんか、すごい空間だね」
「本当。……でも、背に腹は代えられないからね」
非日常的な品揃えと特有の空気に少し圧倒されつつも俺たちは周囲の視線を気にしながら、お目当てのハンガーラックを真剣な顔で漁っていた。やがて俺は一つの衣装を手に取って大きく頷いた。
「……よし、これにしよう」
俺が選んだのは清潔感のある水色の今時のパンツスタイルの看護師衣装、いわゆるスクラブだった。
(これなら健全だし、皓二朗の嘘に乗っかってからかうには十分すぎるはずだ)
俺が一人で満足気に頷いていると横からスッと、麻依の手が伸びてきてその衣装を取り上げられた。
「甘い! 甘すぎるよカヤ!!」
「えっ!?」
麻依は俺の選んだパンツスタイルの衣装をラックに戻すと、代わりに「如何にもそういうためのコスプレ」としか言いようのないパッケージを俺の目の前にドカンと突きつけてきた。
「瀬戸くんの限界ギリギリの理性をぶっ壊して本音を吐かせるんでしょ!? なら、これくらい容赦ないやつじゃないとダメ!!」
「なっ……!?」
麻依が持ってきたのは少し光沢のある白い生地で作られた、タイトなシルエットのナース服だった。しかも、スカートの丈が尋常じゃない。パッケージのモデルの着用写真を見ると、少し前かがみになっただけでお尻が完全にはみ出してしまうのではないかと心配になるほどの超ミニサイズだ。
「ちょ、麻依……いくらなんでも短すぎない!? これ、絶対お尻はみ出すって……っ!」
「はみ出すギリギリのラインがエロいじゃん! ほら、セット内容見てよ。白のナースキャップに絶対領域を作り出すための白のニーソックス、おまけにサテン生地の白手袋まで同封されてるんだから!」
「ニ、ニーソックスに手袋……っ」
属性が致死量まで詰め込まれたそのパッケージを見て、俺は激しい戦慄を覚えた。そんな俺に麻依はさらに追い打ちをかけるように、近くの棚から持ってきた真っ白な『衛生マスク』の入った袋をスッと手渡してきた。
「ついでに、これもね」
「マスク……? なんで?」
「こうした方が、絶対それっぽい雰囲気が出るから!」
「〜〜〜〜ッ!!」
自信満々に言い切る麻依。これから自分がそれを着て、あの皓二朗の前に立つという現実を克明に想像してしまい、俺はあまりの羞恥にパッケージを持ったままガタガタと震え上がった。
普通なら「こんなの着れるか!」と棚に叩き返すところだ。だが俺の両手はなぜか、その致死量の属性が詰まったパッケージをがっちりと胸にホールドしたまま、決して離そうとはしなかった。顔を真っ赤にして小刻みに震えながらも、頑なに商品を棚に戻そうとしない俺の異様な執念。それを見て、麻依の方が少し引いたように恐る恐る顔を覗き込んできた。
「……えーっと、カヤ。それ、私が言うのもなんだけど……一応、冗談半分で勧めたんだよ? いくらなんでも過激すぎるし、本当にそれ買うの?」
悪ノリで勧めた張本人から「冗談だった」と明かされた上で半分ドン引きしながらの確認だった。だが、俺の心はすでに決まっていた。皓二朗が俺のことでいっぱいいっぱいになって、理性の限界で逃げ回っているなら……逃げ場がないくらいに完全にトドメを刺して、変な気を使えないくらい理性をぶっ壊してやる。
「……買う。絶対に買う」
俺が羞恥心を怒りと使命感に変換してレジに向かおうとするのを見て、麻依は肩をすくめた。止めても無駄だと悟ったようだ。結局俺は、その衣装セットに加えて、麻依にそそのかされるまま『ガーターベルト』と、ジョークグッズとして売られていた『おもちゃの聴診器』までカゴに放り込んで会計を済ませた。
「ま、いっか! じゃあカヤの目的は果たしたし、次は私の買い物に付き合ってよ!」
「買い物?」
「うん! 栄太が『脚とヘソ』とか言うからさ、今度四人で遊ぶ時用に、私服で着れる超ミニのセットアップとか、お腹がチラ見えする服を探したいの! アイツの目ん玉ひん剥かせてやるんだから!」
「いいじゃん、付き合うよ。頑張れ、麻依」
レジでお金を払いながら俺は財布の中身を確認した。最近になって知ったのだがアスリスは国の指定難病に認定されており、申請を出せば完治するまである程度の助成金が貰えるらしい。おかげで以前のように友達と遊びに行くことすら躊躇うような、お小遣いに困窮する苦学生生活からはすっかり抜け出せていた。
支給されたお金は基本的に未来のための貯金に回しているが、この前のクリスマスのデートなど特別な記念日にはありがたく使わせてもらっている。そして今回も、この『決戦兵器』の資金はそこから捻出させてもらった。
それぞれ意中の相手を陥落させるための決意を胸に、俺たちは次の服屋へと向かったのだった。
数日後の放課後。
「お邪魔します……」
僕はカヤさんの自宅アパートの玄関で、ひどく緊張した面持ちで靴を脱いだ。今日は彼女のお母さんが夜勤で明日の朝まで帰ってこない日だ。
「一緒に予習をする」という名目で呼ばれたものの、ここ数日の僕の態度は自分でも嫌になるくらい挙動不審だった。彼女が少し触れようとしただけでビクッと逃げ出し、かと思えば二人きりになると無意識にすり寄ってしまう。彼女を不安にさせているのは分かっているのに、あの生々しい悪夢のせいで僕は自分の理性を保つことだけでいっぱいいっぱいだった。
「適当に座ってて。俺、ちょっと着替えてくるから」
「あ、うん。手洗ってくるね」
他の生徒がいないため気負いのない「俺」という素の男口調で話す彼女に頷き、僕は洗面所へと向かった。冷たい水で顔を洗い、鏡の中の自分を睨みつける。
(しっかりしろ、瀬戸皓二朗。カヤさんは悪夢の中の悪魔なんかじゃない。君の世界で一番大切な、優しくて可愛い彼女じゃないか)
必死に自分に言い聞かせてリビングに戻り、ローテーブルの前に座って参考書を開く。だが、その直後。開いたドアの向こうから現れた彼女の姿を見た瞬間、僕の思考回路は完全にショートした。
「……お待たせ、皓二朗」
「あ、カヤさん……って、え……?」
カタンッ、と。手からポロリとシャーペンがこぼれ落ちた。僕は目を限界まで見開き、半開きの口から間抜けな音を漏らしたまま完全にフリーズしてしまった。
彼女が身に纏っていたのは、ボディラインがはっきりと出る純白のタイトなナース服だった。スカートの丈は恐ろしいほど短く、平熱34℃の白い太腿には、あろうことかガーターベルトが容赦なく食い込んでいる。
手袋がナース服のサイドポケットに無造作に引っ掛けられており、胸ポケットには折りたたまれた銀縁の眼鏡が片方のつるを引っ掛けるようにして収まっている。そして首にはおもちゃの聴診器がぶら下がっている。
「カ……、カヤ、さん……? な、なに、その……格好……?」
僕の顔が、みるみるうちに沸騰したように真っ赤に染まっていくのが自分でも分かった。ここ数日、必死に取り繕っていた「余裕のある彼氏」のポーカーフェイスなんて、秒で粉砕されていた。
そんな僕の狼狽ぶりを見て、カヤさんはふっと口角を上げた。そして手首につけていた黒いヘアゴムをスッと外し、口元に持っていって軽く咥えた。両手を後ろに回し、背中まで届く長い黒髪をバサリとひとまとめに掬い上げる。無防備で真っ白なうなじが晒され、咥えていたゴムを取って高い位置でポニーテールに結び上げる、その一連の仕草。
「っ〜〜〜!」
あまりの艶かしさに、僕は息を呑んで肩を跳ねさせた。髪をまとめ終えた彼女は、手に持っていたナースキャップを頭にピンで留め、さらに真っ白な衛生マスクで口元をすっぽりと覆い隠した。胸ポケットに引っかけられたままの銀縁眼鏡、ポニーテール、ナース服、ガーターベルト、そしてマスク。属性が致死量まで詰め込まれた『完全装備』の出来上がりだった。
「……瀬戸皓二朗さんですね。お待たせしました」
カチリ、と。彼女の中で何かのスイッチが入ったのが分かった。そこからの彼女は素のぶっきらぼうな男口調でもなく、かといって『九条綴』のような古風な言い回しでもなかった。ただひたすらに、淡々とした「白衣の天使」の演技だった。
「えっ……あ、はい……」
淀みのない丁寧な敬語。彼女が静かに歩み寄り、ローテーブルの向かい側に膝をつくと、僕はその堂に入った演技に完全に当てられ、戸惑いながらも条件反射で「患者」としての返事をしてしまった。
「本日はどのような症状でいらっしゃいましたか? ……最近、ひどく落ち着きがない様子で、彼女さんからビクビクと逃げるような素振りが目立つと伺っておりますが」
「そ、それは……っ」
「彼女さんが少しスキンシップをとろうとしただけで、露骨に距離を取る。それなのに二人きりになると無意識に距離を詰めてしまう……随分と不安定な状態のようですね。何か、心当たりはありますか?」
淡々と「問診」を続ける彼女の瞳はマスク越しでも分かるほど真剣で、逃げ場のない僕はソファに背中を押し付けたまま顔を真っ赤にしていた。
「あ、あの……これは、具合が悪いわけじゃなくて……ただ、僕の理性が……」
「理性、ですか?」
「……はい。その、数日前に、ひどい夢を見てしまって。それからカヤさんに触れられると、色々と……余裕がなくなってしまって……」
「夢、ですか。治療のために必要です。具体的にどのような夢だったのか、包み隠さずお話しいただけますか?」
「えっ!? いや、それはちょっと……っ」
「瀬戸さん。隠し事はよくありませんよ」
マスク越しにじっと見つめられ、僕は観念した。視線を泳がせながら真っ赤な顔でポツリポツリと懺悔を始める。
「……納涼祭の夜の、夢なんですけど。カヤさんとはぐれてしまって……、その後、カヤさんの身に何が起きたかは見てないんです」
「……はい」
「でも……気づいたら数ヶ月も時間が経っていて、そこですっかり雰囲気の変わったカヤさんと再会したかと思ったら彼女にホテルの密室に連れ込まれていました。そこで『宮本貴也』としての本性を剥き出しにしたカヤさんが、僕をベッドに押し倒して……っ」
そこで彼女がどんな言葉を囁き、どんな風に強引に蹂躙して僕の理性を焼き切ったのかという、生々しくて背徳的な夢の全容を白状させられた。
話し終えると、僕は羞恥で死にそうになっていた。だが、ふと彼女の顔を見ると――声こそ落ち着き払っていたが、髪を結んだことで完全に晒されている彼女の耳の先が、僕と同じくらい真っ赤に染まり上がっていることに気がついた。
(か、カヤさん……本当は、すごく恥ずかしいんだ……)
僕を問い詰めるために彼女自身も羞恥心と戦いながら、必死にこの過激な演技を続けてくれている。それに気づいた瞬間、胸の奥がきゅうっと締め付けられるような愛おしさが込み上げてきた。
「……なるほど。それは大変でしたね」
彼女は平静を装いながらコホンと咳払いをした。
「それでは、詳しく診察を始めます。シャツを脱いでください」
「えっ……脱ぐの?」
「はい。聴診器を当てますので」
促されるまま、僕は恥ずかしさに耐えながら制服のシャツのボタンを外し、上半身を晒した。彼女はサイドポケットから白手袋を取り出してゆっくりと両手に嵌めると僕の正面に膝立ちになった。
「まずは触診しますね」
「ひっ……!」
冷たく滑らかなサテンの生地が、僕の腹筋や胸板の傷跡をなぞる。わざと焦らすように、優しく、じっとりと肌を這うような触り方に僕の身体はビクンと大きく跳ねた。
「随分と、緊張されているようですね」
手袋越しの愛撫を続けながら、彼女は首にかけていたおもちゃの聴診器のイヤーピースを耳に入れ、チェストピースを僕の左胸に押し当てた。
「……心音が、かなり激しくなっていますよ。瀬戸さん」
ジョークグッズだから実際の心音なんて聴こえないはずなのに、彼女はさも聴こえているかのように楽しげに告げた。事実、僕の心臓は今にも肋骨を突き破りそうなほど早鐘を打っている。
「自分でも聴いてみますか?」
「え……?」
彼女は自分の耳からイヤーピースを外し、それを僕の耳に着けてくれた。そして、チェストピースを再び僕の胸に当てる。
「どうですか?」
「えっと……全然、分からない……かな」
僕が素でそう答えると、次の瞬間、それがバラエティショップの「おもちゃ」であることに気付いた。そんな自分の真面目すぎる失言にハッとして、僕はさらに顔を熱くした。
「ふふっ」
マスクの下で彼女が悪戯っぽく微笑むのが分かった。
「故障でしょうか? それなら確認も兼ねて……私の心音を、聴いてみますか?」
彼女は僕の手を引き、僕が持っていたチェストピースを彼女自身の胸元へと導いた。同時にナース服の胸元のボタンを上から二つほど外す。タイトな布地がはだけ、隠れていた柔らかな谷間と清潔感のある真っ白な下着が僕の目の前にチラリと覗かせる。チェストピースは彼女の柔らかく張りのある胸にゆっくりと沈み込むと、チェストピースを当てた面から、少しだけはみ出た肌が僕の指先に直接触れる。
「っ……!」
息が止まるかと思った。視線を上げるとマスクの上の彼女の目元が僕を誘惑するように、これ以上ないほどいやらしく細められていた。その挑発的な瞳を見た瞬間、僕の下腹部にドクンと重い熱が宿る。
彼女は僕の耳から聴診器を外し、もう一度チェストピースを僕の胸に当てた。そして、そっとマスクを顎までずり下げた。ローテーブル越しに身を乗り出し、硬直している僕の唇に、そっと自分の唇を重ねてくる。
「んっ……ちゅ……ぁ……」
夢の中の「淫靡な悪魔」と比べたら、ずっとたどたどしくて不器用なキス。けれど、互いの唇が触れ合い、甘いシャンプーの香りと彼女の吐息が交じり合うその生々しい感触は僕の脳髄を溶かし、圧倒的な興奮へと導いていく。
「……今までで一番、心音が早くなっていますよ」
唇を離し、潤んだ瞳で僕を見つめながら彼女が囁く。
僕の息遣いはあからさまに激しくなっていた。ズボン越しでもはっきりと分かるくらい、僕のどうしようもない昂りが主張してしまっているのを彼女の視線が捉える。彼女は僕の耳元に口を寄せた。そして、先ほどの問診で僕が白状したばかりの、悪夢の中のあの台詞を――今の状況に合わせて少しだけ修正し、艶やかに、楽しげに囁いた。
「瀬戸さんって……やっぱり、チュー、すっごく好きなんですね……♡」
「っ――――!!」
その言葉が、僕の中に残されていた最後の理性の糸を、完全に焼き切った。もはや我慢の限界を超えていた。「ハァッ、ハァッ」と荒々しい息を吐きながら、彼女の細い肩を掴んで強引に押し倒してメチャクチャにすることしか頭の中にない――その瞬間だった。
「ダメですよ、瀬戸さん」
ピシャリと。僕の激しい息遣いと余裕のない気配を察知した彼女の手が、僕の胸板に押し当てられる。もう片方の手は楽し気に弧を描いた口の前で人差し指を立てて、落ち着くようにという意志を伝えてきた。それを見て僕は動きを制止した。
「え……っ?」
「まだ診察は終わっていません。……私から許可を出すまで、勝手に動かないでくださいね?」
ポニーテールを揺らしながら、彼女の瞳がゾクッとするほど冷たく、そして甘く僕を射抜いた。興奮で力んだ全身の力が、その一言で魔法のように抜けていく。彼女が僕のために、ここまで羞恥心を捨てて用意してくれた「舞台」だ。それを僕の勝手な欲望で台無しにするわけにはいかない。
「……っ、はい……」
僕はソファに深く腰掛けたまま、膝の上で両手を強く握り締め、必死に荒い息を吐き出して身の内の衝動を耐え忍んだ。完全に彼女の「成すがまま」になることを決意したのだ。僕がぐっと堪えて大人しくなったのを見計らうと、カヤさんは満足げに目を細めた。
「よく我慢できましたね。……それでは、一番熱を持っている『患部』の診察に入ります」
言うが早いか、彼女のサテンの手袋に包まれた指先が僕のズボンのベルトにするりと伸びた。
「えっ、ちょ、カヤさん!?」
「動かないで、って言いましたよね?」
カチャリ、とベルトが外され、ジッパーが下ろされる。僕はソファに座らされたまま、彼女の手によってズボンと下着をお尻の下まで一気に引き下げられた。
「あ……っ、う……!」
ひんやりとした部屋の空気に晒されたと同時に、限界寸前まで膨れ上がっていた僕の『熱』が彼女の目の前に完全に露わになった。顔から火が出るほどの羞恥と、これから何をされるのかという期待で頭がおかしくなりそうだった。
「ひどく腫れていますね……。まずは手による触診から」
サテンの手袋の滑らかな感触が、僕の最も敏感な部分を、根本からゆっくりと包み込むように撫で上げた。
「あっ……! くっ……!」
ただでさえ限界だったところに極上の布地越しの愛撫が加わり、僕の腰がビクンと跳ねる。彼女の指先は、僕の反応を楽しむように、ゆっくりと、けれど確実に急所を捉えて責め立ててきた。
「……瀬戸さん」
触診を続けながら彼女が、ふと僕を見上げてポツリとこぼした。その声は看護師としての演技から少しだけ外れた素の『カヤさん』の響きを帯びていた。
「私……すごく、嫉妬してるんです」
「え……?」
「夢の中の私に」
彼女は手元の動きを止めないまま、潤んだ瞳で僕を見つめ返した。
「愛情は私のほうが絶対に負けてないのに。……夢の中の私に腰砕けにされて、数日の間、私から逃げ回るくらい挙動不審にさせられたことに酷く妬いてるんです」
「カヤ、さん……」
「だから……そんな存在に、瀬戸さんを気持ちよくさせることでも絶対に負けたくない」
それは不器用で真っ直ぐな、彼女なりの愛の告白だった。彼女は僕の膝の間に身を沈めると、ポニーテールを揺らしながら僕の熱のすぐ目の前で、艶やかな桜色の唇をペロリと舐めた。
「お口での、触診です」
「――――ッ!! ぁ、カヤ、さん……っ!」
温かくて、ひどく柔らかい粘膜の感触が僕の熱をすっぽりと飲み込んだ。彼女が一生懸命に舌と口内を使って僕を味わい、そして果てしない快楽へと導いていく。下から上目遣いで僕を見つめる瞳には夢の中の悪魔への対抗心と、僕への深い愛情が入り混じっていた。
「んっ……ちゅ、れろ……ちゅっ……」
静かなリビングに水音が卑猥に響き渡る。夢の中で僕を支配した「悪魔」なんかじゃない。現実の彼女が一生懸命に与えてくれるこの圧倒的な快楽と熱に、僕はもうソファの背もたれに頭を預けて喘ぐことしかできなかった。
「あ、カヤさん……! もう、ムリ……っ、でる……っ!」
限界を告げる僕の悲鳴のような声にも彼女は止まることなく、むしろ負けじとさらに深く吸い込んでくる。
「ぁあッ……!!」
視界が真っ白に弾け、僕は彼女の優しくて甘い『診察』の泥濘の中で、その熱のすべてを口内に解き放った。
ビクン、ビクンと余韻に震える僕を彼女は決して拒絶しなかった。それどころか逃げようとする僕の腰を両手でしっかりとホールドしたまま、喉を小さく鳴らして僕の熱を最後の一滴まで残さず飲み込んでくれたのだ。
「んっ……、……こくっ」
ゆっくりと顔を離したカヤさんは口元をサテンの手袋の甲で艶やかに拭った。ポニーテールからこぼれた後れ毛が彼女の白い頬に張り付き、その黒い瞳が達成感と深い愛情に満ちた光を帯びて僕を見上げている。
「……よく、我慢できましたね。瀬戸さん」
「カ、ヤ……さん……っ」
僕のすべてを受け入れてくれた彼女は夢の中の淫靡な悪魔なんかよりもずっと美しく、そして圧倒的に僕を狂わせる存在だった。荒い息を繰り返しながら彼女を見下ろす僕を見て、カヤさんはふわりと心底満足したような――夢の中の自分に「完全勝利」したような――誇らしげな微笑みを浮かべる。
「私からの診察は、これで終わりです。……ご褒美に、ここからは好きにしていいですよ?」
その一言が完全に僕のストッパーを吹き飛ばした。
「っ……!」
僕はソファから身を乗り出し、膝立ちになっていた彼女の細い腕を引いて、そのまま自分の胸の中へと強く引き寄せた。
「わっ……瀬戸さんっ!?」
「もう、限界……。好きだ、カヤさん……大好きだ……っ」
僕は彼女の言葉に甘え、そのまま彼女をソファの上へと押し倒した。カチャリと音を立てておもちゃの聴診器がズレ、頭に留めていたナースキャップがふわりと床に落ちる。でも、そんなことはもう気にならなかった。
「んっ……ちゅ……ぁっ……」
顎にマスクがずらされたままの彼女の唇を塞ぐ。先ほどまで僕の熱を味わっていた唇からは微かに僕自身の匂いと味がしたけれど、それすらも愛おしくてたまらない。夢の中で彼女にされた強引なキスへの意趣返しのように僕は深く、貪るように彼女の口内を味わい尽くし、舌を絡めた。
「ふぁ……っ、瀬戸、さん……いきなり、激し……っ」
「カヤさんが、僕をこんなにしたんだよ」
「あ……っ、んんっ……!」
酸素を求めて唇を離した彼女の白いうなじに、首筋に、鎖骨に、次々と熱いキスを落としていく。僕の手が彼女の着ている純白のナース服に伸びる。タイトな布地を捲り上げると、平熱34℃の滑らかな白い肌と太腿に容赦なく食い込むガーターベルトが現れた。僕の36℃の熱を持った手でそこを撫で上げると彼女の身体がビクンと大きく跳ねた。
「ひゃっ……! そ、そこ……直接触られると……っ」
「看護師さんも、すごく心音が早くなってるよ」
先ほど彼女に言われた言葉をそっくりそのまま返すように囁くと、カヤさんは潤んだ瞳を揺らし耳の先まで真っ赤にして顔を背けた。
「……っ、患者さんが、そんな余裕のない顔で触るからです……っ」
「余裕なんて、最初からないよ。……好きにしていいって言ったよね? カヤさんが可愛すぎるから、もう絶対容赦しないよ」
僕はサテンの手袋を嵌めたままの彼女の指先に自分の指を絡ませ、ソファに縫い付けるように押さえ込んだ。
「……診察が終わったというのに、看護師にイタズラをするなんて……いけない患者さんですね」
顔を真っ赤にしながらも彼女は、必死に『白衣の天使』の演技を崩さない。震える声で紡がれる丁寧な敬語が僕の嗜虐心と独占欲をこれ以上ないほどに煽り立てた。
「いけない患者でいいよ。……今度は僕が看護師さんの隅々まで診察してあげる」
僕は縫い付けていた片手を離し、ナース服の胸元に残っていたボタンを、一つ、また一つと外していった。タイトな生地が左右に大きくはだけ、清潔感のある真っ白な下着に包まれた柔らかな膨らみと、引き締まった腹部のラインが完全に露わになる。僕がその滑らかな肌に直接触れると、彼女は「ひゃっ」と小さく身をよじった。
「あっ、んっ……瀬戸さん……そ、そこは……診察項目には、ありません……っ」
「嘘だ。すごくドキドキしてるくせに」
僕は彼女の谷間に顔を埋め、34℃の少しひんやりとした肌に熱い吐息とキスマークを刻み込んでいく。
「ぁあっ……だ、だめです、そんなところ……っ、痕が……っ」
「白衣を着ていれば見えないでしょ? ……それに、夢の中のカヤさんは、もっとひどいこと僕にしたんだから」
「んんっ……あ……っ、それは……っ」
僕の少し意地悪な言葉に彼女は抗議の声を上げることもできず、ただ甘い吐息を漏らして僕の背中に腕を回した。サテンの手袋のツルツルとした感触が僕の素肌を撫でるたびに背筋にゾクゾクとするような快感が走る。
ガーターベルトの留め具に指を這わせ、絶対領域の柔らかな肉をきつく掴むと、カヤさんの口から限界のような甲高い嬌声が零れた。
「ひやあッ……! や、あ……っ、瀬戸さん、激しすぎます……っ、私、おかしくなっちゃいそう……っ」
「おかしくなってよ。僕のことしか考えられないくらい、めちゃくちゃにしてあげるから」
僕がそう囁くとカヤさんは熱に浮かされた潤んだ瞳で僕を見つめ返した。
「……っ、そんなの、横暴すぎです……っ」
震える声で必死に『白衣の天使』の演技を保とうとしているけれど、僕の肩を掴むサテンの手袋の指先は、期待と快感で小刻みに震えている。僕はガーターベルトの留め具を撫でていた手を、超ミニ丈のスカートの裾からさらに奥へと滑り込ませた。
「ひゃっ……! だ、だめ、そこは……っ」
「さっき、僕の『患部』をあんなに丁寧に診察してくれたんだから。僕もお返しをしてあげないと不公平でしょ?」
清潔感のある純白の下着越しに、彼女の一番熱い場所を指の腹でゆっくりと撫で上げる。
「ひぁぅっ……! ちが……っ、瀬戸、さん……っ、わたし、おかしくなっちゃう……っ!」
平熱34℃の彼女の身体が僕の指先からドクドクと熱を帯びてとろけていくのが分かった。布地をそっと横にずらし、直接その濡れた場所に指を這わせるとカヤさんの口から限界のような甲高い嬌声が零れた。
ガクガクと腰を震わせ、サテンの手袋で顔を覆って必死に声を殺そうとするけれど、口から漏れ出す甘い喘ぎはもう止められない状態だった。丁寧な敬語を保とうとする演技が僕の与える快楽によってボロボロに崩されていく過程が、たまらなく愛おしくて興奮する。
「診察してるだけなんだから……これくらいで泣いてちゃだめだよ、看護師さん」
「あ……っ、ん、あぁっ……! ずるい、です……っ、そんなの……っ、皓二……っ」
快感に耐えきれず、ついに素の名前が漏れ出した彼女の唇を僕はもう一度深く塞いだ。同時に先ほど彼女の診察でお尻の下まで下げられたままになっていた自分のズボンと下着を足先で完全に蹴り脱ぐ。
「……っ、瀬戸、さん……」
「カヤさん……大好きだよ。本当に、愛してる」
僕は彼女の脚を割り開き――ふと、あることに気がついた。彼女が僕の理性を壊すために今日ここまで完璧な「準備」をしてきたのなら。当然、それに必要なものも用意しているはずだ。僕は彼女のナース服のサイドポケットに、そっと指先を滑り込ませた。
「ひゃっ……? こ、皓二朗……?」
ポケットの底を探ると、カサリと見覚えのある四角い小袋の感触があった。
「……やっぱり、あった」
僕がそれを取り出して見せると、カヤさんは「あ……っ」と情けない声を漏らし、顔を真っ赤にしてパッと視線を逸らした。しかもポケットに触れた感触からして、中に入っているのは一つや二つじゃなかった。
「……手で触れた感じ、一つだけじゃないね」
「そ、それは……っ、念のためっていうか……途中でなくなったら、困るだろ……っ」
「ふふっ。準備万端だね。……カヤさんって、すごくエッチなナースなんだ」
「〜〜〜ッ!! ち、ちが……っ、からかうなバカ……っ!」
涙目で抗議しつつも自ら複数個の避妊具をポケットに忍ばせていた事実を突きつけられ、彼女は羞恥で完全にパンクしかけていた。その反応が愛おしすぎて、僕はたまらず彼女の赤い頬に軽くキスを落とす。
手早く袋を開け、ゴムを装着する。サテンの手袋で顔を覆っていた彼女の手が離れ、ポニーテールを乱した彼女が僕を見上げた。その黒い瞳からは、ついに堪えきれなくなった生理的な涙がひとしずく零れ落ちた。
「……っ、朝まで、好きにしてください……瀬戸、さん」
彼女が完全に身を委ね、甘く微笑んだのを合図に。僕は、僕を待ってくれている最愛の泥濘の中へと、深く、ゆっくりと身体を沈めていった。
「あぁッ……! ぁ……んっ……!」
「くっ……カヤ、さん……っ、あったかい……っ」
36℃の僕の熱と34℃の彼女の熱が、ぴったりと混ざり合う。彼女の中は平熱の低さなんて嘘のように、溶けそうなほど熱くて甘かった。サテンの手袋に包まれた両腕が僕の背中に強くしがみく。
「あ……っ、ん、あぁっ……! もっと……っ、皓二朗……っ」
「カヤ、さん……っ」
深く繋がった熱の奥底で、カヤさんが僕の名前を呼んだ。丁寧な敬語を崩さないよう努めていた『白衣の天使』の演技は完全に溶け落ち、そこにあるのは、僕の愛してやまない素の彼女の姿だけだった。僕は彼女の細い腰をしっかりと掴み、ゆっくりと、けれど確かな重さを持って腰を動かし始めた。
「んぁっ……! あ、ひゃっ……! 皓二、朗……っ、ふか、い……っ」
「カヤさん……すっごく、気持ちいいよ……っ」
僕が身体を打ち付けるたび、顎にずらしたままの衛生マスクが上下に揺れて、僕の胸元に擦れる。それがまた、視覚的にも触覚的にも異常なほど僕の興奮を煽り立てた。ナース服のボタンはすでに外れ、はだけた布地から覗く真っ白な肌が快感によってほんのりと桜色に染まっていく。ガーターベルトが食い込む絶対領域を撫で上げ、膝裏に腕を回してさらに深く腰を沈めると、カヤさんは「あぁッ!」と大きく甲高い嬌声を上げた。
「だめ……っ! 皓二朗、あ……っ、そこ、擦れ……ひゃあッ!」
「だめじゃないよ。……もっと、カヤさんの全部、僕にちょうだい」
サテンの手袋に包まれた彼女の両腕が、すがりつくように僕の背中を掻き毟る。滑らかな生地越しの強い圧力が彼女がどれほどの快感に耐えているのかを克明に伝えてきた。ポニーテールに結ばれた黒髪がカーペットの上に散らばり、潤んだ瞳からポロポロと生理的な涙がこぼれ落ちる。
「カヤさん。……さっきポケットに入ってた分、朝まで全部使い切らないとね?」
「〜〜〜〜ッ!!」
僕が意地悪く囁きながら一番熱い場所を執拗に攻め立てると、カヤさんは顔を真っ赤にして首を横に振った。
「ば、か……っ! あぁっ、んんっ! ……あんなの……っ、全部使ったら、おれ……っ、こわれちゃう……っ!」
「壊れないよ。僕が、優しく大事に抱くから。……それに、『好きにしていい』って言ったのは、カヤさんでしょ?」
「あ……っ、ずる、い……っ。皓二朗の、いじわる……っ、ぁあッ!」
涙目で抗議しながらも彼女は僕の首に腕を回し、その身体をさらに僕へと擦り寄せてくる。平熱34℃の彼女の身体は、今は僕の36℃の体温と完全に混ざり合い、火傷しそうなほどの熱を帯びていた。
僕のために羞恥心を捨てて、嫉妬して、こんな過激な格好までして僕を現実へ引き戻してくれた、不器用で、誰よりも愛おしい僕の彼女。その事実が僕の胸をどうしようもないほどの幸福感で満たしていく。
「カヤさん……愛してる。本当に、大好きだよ」
「……っ、おれも……っ、おれも、皓二朗が……っ、すき……っ、ぁ、あぁッ!!」
彼女の口から漏れ出した素の「俺」という一人称と、これ以上ないほど甘い愛の言葉。それが最後の引き金になった。
「あ……っ、カヤ、さん……っ、いく……っ!」
「皓二朗……っ! おれも……っ、あぁあッ!!」
互いの身体が限界まで弓なりに反り、視界が真っ白に弾け飛ぶ。僕は彼女の奥深くに熱を注ぎ込み、カヤさんもまた僕の背中を強く抱きしめながら、甘い泥濘の中でガクガクと絶頂の余韻に打ち震えた。
「はぁっ……はぁっ……」
「んっ……ぁ……っ」
荒い息だけが、静かなリビングに響き渡る。僕は彼女の身体の上に倒れ込み、汗ばんだ額同士を擦り合わせた。彼女の乱れた息遣いが直接肌に伝わってくる。
「……すごく、気持ちよかった」
僕が彼女の耳元で囁くと、カヤさんは照れ隠しのように目を逸らしながらも、サテンの手袋で僕の頭を優しく撫でてくれた。
「……バカ。まだ、一つ目だろ……」
「うん。……夜は、まだまだこれからだからね」
僕が再び彼女の唇を塞ぐとカヤさんは抵抗することなく、甘く溶けたような吐息を漏らして僕を受け入れた。
それから、どれだけの時間が経っただろうか。リビングのカーペットからベッドへと場所を移しても、僕たちの熱は一向に冷める気配がなかった。深夜の静寂の中、肌と肌がぶつかる水音と荒々しい息遣いだけが部屋に響き続けている。
サイドテーブルに無造作に置かれていた避妊具は、もう最後のひとつを使い切って空の袋だけになっていた。ボクシングで鍛えたはずの僕の体力も、とうに限界を迎えようとしている。それでも彼女を求める本能がどうしても止まらなかった。
「あ……っ、ぁっ、あぁッ……! ひ、ぃっ……んんっ……!」
僕が身体を打ち付けるたびカヤさんの口からはもう言葉にならない、うめき声の混ざった嬌声だけが漏れ出していた。あんなに綺麗にまとめられていたポニーテールはとうに解け、汗ばんだ艶やかな黒髪がシーツの上に乱雑に散らばっている。彼女が身に纏っていた純白のナース服も、真っ白な下着も、今はベッドの下に脱ぎ捨てられていた。
今の彼女の平熱34℃の肌を彩っているのは、白いニーソックスと太腿に食い込むガーターベルト、そして僕の背中をしなやかに抱きしめるサテンの手袋だけだ。
何度も絶頂を迎え、とっくに身体の限界は超えているはずなのに彼女は僕の好意に全力で報いようと、うつろになりかける意識を必死に繋ぎ止め、僕のすべてを受け入れ続けてくれている。
「カヤ、さん……っ、僕、もう……限界……っ」
下腹部から込み上げる決定的な熱の昂りを感じ、ついに最後の限界を予感した僕が荒い息の合間にそう告げた瞬間だった。
「ん……っ、あ……っ」
サテンの手袋に包まれた両腕が僕の首にしっかりと巻き付き、同時にニーソックスに包まれた細い両脚が僕の腰に絡みつき、逃がさないようにギュッと力強く挟み込んで捕まえた。
「か、カヤさん……!?」
動けなくなった僕が見下ろすと、汗と涙でぐしゃぐしゃになった顔で彼女はひどく熱っぽく、それでいてどこか物欲しそうな甘えた瞳で僕を見つめ返していた。
――僕のすべてを、一滴残らず欲しがってくれている顔。
その表情を見た瞬間、僕の胸をどうしようもないほどの愛おしさが突き抜けた。
「……っ、愛してる。本当に大好きだ、カヤさん……っ」
僕は彼女の開いた唇に、これまでで一番深く、甘い口づけを交わした。
「んっ……ちゅ……ぁ、んんんっ……!」
舌を絡ませ、互いの唾液と吐息を貪り合いながら。僕は彼女の細い脚に腰を捕まえられたまま、その一番奥深くに、今日一番の熱を激しく吐き出した。
「あぁッ……!!」
「んっ……ぁ,、くっ……!」
視界が真っ白に弾け、頭の芯が痺れるような絶頂の中で、僕たちは互いの激しい鼓動を直接感じ合いながら、完全に一つに溶け合っていった。
長い、本当に長い絶頂の波がゆっくりと引いていく。僕は彼女の首筋に顔を埋めたまま肩で大きく息をして、荒くなった呼吸を必死に整えていた。カヤさんもまた僕の腰に絡めていた脚の力をふっと抜き、僕の背中に回していた腕をシーツの上に力なく落として、微かな寝息のような喘ぎを繰り返している。
「はぁっ……はぁ……カヤ、さん……」
「んぅ……皓二、朗……」
互いの汗ばんだ肌が密着し、僕の36℃と彼女の34℃の体温が混ざり合って心地よい気だるさと熱を生み出している。僕はそっと腕で身体を支え、ベッドに横たわる彼女の顔を見下ろした。
涙と汗で濡れた白い頬。疲れ切って、トロンとまどろんでいる黒い瞳。僕は顎にずらしたままになっていた衛生マスクに手を伸ばし、そっと耳から紐を外してやった。さらに僕の背中を力強く抱きしめてくれていた彼女の両手から、滑らかなサテンの白手袋をゆっくりと引き抜く。
「……もう、診察はおしまい。本当に、ありがとう……カヤさん」
手袋が外された彼女の素肌の手を握り、その指先にそっと唇を落とす。するとカヤさんは目を細め、力のない声で小さく笑った。
「……お前、体力オバケかよ……。ボクサーのスタミナ、舐めてた……」
「ふふっ。ごめんね、カヤさんが可愛すぎるから、つい」
完全に『白衣の天使』のスイッチが切れ、いつもの「俺」という一人称と素のぶっきらぼうな口調に戻った彼女に僕は心からの安堵とたまらない愛おしさを覚えた。もう、あの恐ろしい悪夢を思い出すことはない。僕の脳内は嫉妬して、照れて、限界まで僕を受け入れてくれたこの愛おしい現実の彼女の姿で、隙間なく上書きされていた。
「……悪夢、もう見ないか?」
眠気に負けそうになりながら、カヤさんがぽつりと、確認するように呟く。
「うん。もう絶対に見ないよ。……カヤさんのおかげだね」
「……そ。なら、よかった……」
安心したようにふわりと微笑むと彼女の瞳はゆっくりと閉じられ、やがて規則正しい静かな寝息が聞こえ始めた。限界を超えてもなお、僕が安心するまで意識を保ち続けてくれていたのだ。その健気さに胸が熱くなり、僕は彼女の額にそっと感謝のキスを落とした。
ベッドの下に散らばったナース服や下着、それに空になった小袋の山を片付けるのは明日の朝でいい。今はただ、この温かくて愛おしい泥濘の中で彼女の体温を感じていたい。
僕は彼女を腕の中にすっぽりと抱き込み、冬の冷たい夜の静寂の中、深く、穏やかな眠りへと落ちていった。