淫界人柱アラカ短編集 作:名無し犬
缶ビール数本に、つまみはポテチに枝豆、キムチ等々。アパートの一室、彼と二人きりの質素な飲み会。大学の付き合いで行く羽目になるそれとは違って、億劫な気持ちはまるでない。むしろ二人での買い出しからして楽しくて、準備段階から私は期待に胸を弾ませていた。
(あらあら浮かれちゃって。そんな調子で大丈夫なの?)
(問題無いわよ。初めて飲む訳でもあるまいし。自分のキャパくらいは把握してる)
カーラからの心配、という名のからかいを軽くあしらう。今までだって深酔いした事は無いのだ。ましてや、彼の前で醜態を晒すなんてありえない。
(痴態は毎晩晒してるけどね?)
(次は無いわ)
(…)
「どうかした?」
「ううん。何でもないわ。始めましょう」
極めて平和的にカーラを黙らせ、彼と向き合う。特に示し合わせたわけでは無いけど、お互いに缶ビールを開け、目の高さ程にまで掲げて口を開いた。
「それじゃ、乾杯」
「乾杯」
◆
「ふふっ…」
「大丈夫アラカ?飲み過ぎじゃない?」
顔を真っ赤にしたアラカが心配で声を掛ける。かなりペースが速い。自分は二杯目を空けたばかりだというのに、アラカは早くも四杯目に手をつけていた。
「ん〜?だいじょーぶよこのくらい」
とは言うものの、目はとろんとしているし、呂律も少し怪しい。普段の落ち着いた様子とは打って変わって、にやにやと浮ついている。正直可愛いとは思うものの、ここまでギャップがあると心配が勝る。
「せめて、水を飲んだ方が良いんじゃ…」
「え〜?」
どこか楽しげに、アラカは考える素振りを見せる。その間もふにゃりとした笑みは絶やさない。そんな彼女は、驚くべき要求を自分にしてきた。
「じゃあ、君が飲ませて?」
「っ!?」
要求そのものも意外だが、驚くべきはその仕草。小首を傾げて、こちらをのぞき込む様な上目遣い。普段のアラカであればまずしない、非常にあざとい仕草だった。
「そ、それは…」
「だめ?」
予想外の事態に動揺し答えに窮する自分に、アラカは寂しそうな顔で追い打ちを掛ける。あのアラカが、(特定状況下を除き)クールなアラカが甘えてきている。それを拒む事など出来るはずも無く。
「…分かった」
「やった」
ミネラルウォーター片手に、アラカの隣に座る。キャップを開け、嬉しげに口を開いて待つアラカに、少しずつ水を飲ませた。
「んっ、おいしい」
「それは良かった」
口を離してすぐ、そう言って微笑むアラカに、何だかこちらまで幸せな気分になってくる。普段は気を張っている事が多いから、こうして無防備な姿を見せてくれることがとても嬉しい。
「どう?少しは落ち着いた?」
自分の問い掛けに、アラカは答えない。何故か急に立ち上がって、
「ん、しょっ」
「えっ?」
どうしたのか聞く間もなく、自分の膝の上に向かい合う様に座ってきた。そのままこちらをぎゅっと抱きしめてくる。耳に吐息が当たってくすぐったい。
「あ、アラカ?」
「ふふっ、あったかぁい」
こちらの動揺など知ったことでは無いとばかりに、アラカは体を密着させてくる。心臓がうるさい。夜はともかく、普段はこんな風にスキンシップをしてくる事はあまり無いから、どうにも慣れない。嫌というわけでは無いけど、幸せでどうにかなってしまいそうだった。
「…いつもごめんね」
「えっ?」
抱きしめ返そうとした手が驚きで止まる。顔は見えないけれど、その声音は酷く弱々しかった。
「無理、させてるわよね。しょっちゅう、あんな事させて」
あんな事、が何を指しているかは、言葉にせずとも分かる。ひとまずはアラカの話を聞こうと、続きの言葉を待った。
「自分でも、抑えられないの。普段は大丈夫でも、一度でもスイッチが入るともう駄目。あそこに入る前と後とで、私はどうしようもなく変わってしまった」
腕の力が強まる。それとは逆に、アラカの姿は酷く弱々しく見えて、気付けば自分からも抱きしめていた。
「…本当に、君はどんな私でも受け入れてくれるわね」
アラカの声音が少しだけ明るくなる。少しの間、黙って抱きしめ合って、再びアラカの方から口を開いた。
「…助けに来てくれて、嬉しかった。大学まで追いかけて来てくれて、救われた。あんな目にあって、それでも幸せでいれるのは、全部君のおかげ。だから…」
アラカが少しだけ体を離して、互いに見つめ合う。赤くなった顔で、潤んだ瞳で、不安げな表情で。彼女は言葉を続けた。
「ありがとう。大好き。…これからも、一緒に居てくれる?」
アラカの問い掛けに、言葉より先に行動で答えた。そっと顔を近付け、軽く口付けをする。驚いた顔の彼女に向けて、自分は口を開いた。
「うん。これからも一生、君と一緒に居るよ」
むしろ、こちらからお願いしたいくらいだ。喜びも幸せも、アラカから充分過ぎるくらい貰っている。何が変わろうと、今ここに居るのは、間違いなく自分が愛する伊早瀬アラカだ。一生添い遂げる事に、何の躊躇いも無い。
「愛してるよ。アラカ」
「…嬉しい」
安心した様にはにかんで、今度はアラカの方から唇を重ねて来た。そのまま何度も口付けをかわして、もう一度、深く抱きしめ合う。
「ああ、幸せ…」
噛み締める様に、アラカは言う。自分も全く同じ気持ちで、つい腕に力が入った。すると彼女が「んっ」と、色っぽい声を出すものだから、心臓が大きく跳ねる。
「あの、ね」
アラカがこちらに体重を掛けて来て、抵抗する事なく後ろに倒れ込む。自分が彼女に押し倒された様な体勢になり、熱っぽくこちらを見下ろす瞳と目が合った。
「今日は、君にたくさん触れたい。…駄目?」
返答なんて、決まりきっていた。結局、用意したお酒とおつまみにそれ以上手を付ける事は無く、二人だけの夜は更けていった。
◆
「あああああああああああぁぁぁぁ…」
まるで芋虫の様に布団に包まり、アラカはうめき声を上げていた。どうやら、酔っても記憶はバッチリ残っていたらしい。目が覚めてからしばらく、ずっとこうしてのたうち回っている。なお、途中でカーラがまた何か言ったらしく、自分の顔を殴りつけていた。こりない悪霊である。
「ちがっ、ちがくないけどっ、あんな、あんな風に甘えるつもりじゃ…っ!」
ぶつぶつと小声で何か呟いている。これはしばらくはそっとしておいた方が良いだろう。先に朝食でも作っておこう。そう思って立ち上がろうとした自分の袖を、アラカが遠慮がちに掴んだ。
「…待って」
のそのそと起き上がり、何故か正座でこちらと向き合う。つられてこちらまで正座になってしまい、緊張した空気がお互いの間に流れた。
「その、酔った勢いじゃなくて、ちゃんと伝えたくて。だから、その…」
顔を赤くし、もじもじとするアラカの次の言葉を、静かに待つ。しばらくして、アラカは意を決した様に口を開いた。
「いつもありがとう。私も、愛してる…」
そう言ったきり、アラカは俯いて押し黙ってしまった。何か気の利いた事を言えれば良かったのだけれど、こちらも胸がいっぱいで、上手く言葉が出てこない。
「…あっ」
だから、昨夜と同じように、行動で示す事にした。ゆっくりと驚かせない様にアラカの肩に触れ、拒まれないのを確認してから抱きしめる。するとアラカの方も、おずおずと手を背中に回し、抱きしめ返してきた。
「ああ、もう。どんどん君から離れられなくなるなぁ…」
どこか嬉しげに、彼女は言う。自分も同じ気持ちだった。時が経つ毎に身も心も深く繋がって、以前よりもずっと彼女に焦がれている。それで良いと思った。彼女の居ない人生なんて、想像すら出来ないから。
「ねえ」
そっと体を離して、期待に満ちた目で、アラカは自分を見上げてくる。その顔に、ゆっくりと近付いた。
「んっ」
触れるその感触に、何度繰り返そうと飽きる事は無いのだろうなと、熱を持った頭でぼんやりと考える。名残惜しさを感じつつも顔を離せば、幸せそうにはにかむ彼女と目が合って、自分の頬も緩んだ。
「ふふっ、本当に君は私の事が好きよね」
「もちろん」
するりと口から出た返事に、アラカの笑みが更に深まる。しばらくの間そのまま見つめ合って、こうして一緒に居られる幸せを噛み締めるのだった。
二人のイチャイチャを無限に盛りたい。