淫界人柱アラカ短編集 作:名無し犬
「はあ、はあ、はあ…!くっ!」
肩で息をしながら、私を取り囲む怪異達を睨みつける。淫界に取り込まれてから、どれくらい時間が経っただろう?呪具は底をつき、体力も限界。戦う力なんて、これっぽっちも残っていない。どうしようも無く詰みだった。
怪異達の視線が、遠慮なく私の体を舐め回す。ここがどういう場所で、これから何をされるのか、改めて自覚させる様な視線に悪寒が走る。退魔師がろくな死に方を出来ない事なんて、とっくに覚悟していたはずだったのに。
「ああ、馬鹿だなぁ、私」
脳内を駆け巡る彼との思い出の数々に、私は自嘲気味に笑った。どうやら私は、私が思っている以上に弱くなっていたらしい。
「こんな所に、助けになんて来れるわけ無いのに」
力無く呟いた、その時だった。
「うおおおおおおおおっ!!!」
来るはずの無い救いの手が、意外にも雄々しい雄叫びと共にやって来たのは。
「へっ?」
怪異の群れが宙を舞う。走って来た彼に撥ね飛ばされて。その光景に、私は目を丸くして硬直した。
「アラカ!無事!?」
「え?うん…」
心配そうに私に声を掛ける彼に、生返事しか出来なかった。視線がどうしても顔から下に向いてしまう。筋骨隆々の、鍛え抜かれた鋼の様な肉体に。明らかに一朝一夕で作れるものでは無いそれに、私の頭の中は困惑でいっぱいだった。気のせいでなければ、身長も伸びている気がする。
「良かった…っ!無事でいてくれて…っ!」
「…待って。いったん待って」
抱き締められて、一瞬ツッコミを放棄しそうになった脳をどうにか動かす。どう考えても、助けが来て安堵する様な状況じゃない。
「んっ、しょっ」
「アラカ?」
どうにか彼から離れて、その姿をまじまじと見つめる。うん。退魔師としての技術も知識も総動員して観察したところ、間違いなく本物だという事が分かった。妙な術や呪いが掛けられた痕跡も無い。健康そのものだ。
「いやどういうこと!?」
「どういうって…、ああ」
口をついて出た叫びに彼は首を傾げ、自分の体を見下ろして、得心がいったという風にぽんと手を打った。
「プロテインさ!」
「プロテインさ!?」
あまりにも雑でデタラメな説明に思わず復唱してしまう。プロテインですぐこんな身体に仕上げられるなら、世の人類は皆ゴリラと化している。
「そんなわけないでしょ!?プロテインはそんな万能じゃないわよ!」
「そうは言われても…」
まるでこちらがおかしいかの様に、彼が困惑の視線を向けてくる。あまりにも堂々とした態度に、こちらがおかしいのかと錯覚しそうになる。そんなやりとりをしている内に、気付けばにじり寄っていた怪異達が、彼に向かって飛び掛かった。
「っ!危ない!」
「破ァッ!」
気合の入った掛け声と共に振るわれた拳が、その拳圧だけで怪異達を薙ぎ払った。残った僅かな怪異達も蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。まるで風邪の日に見る夢の様な、荒唐無稽な光景が目の前に広がっていた。
「とにかく、ここは危険だ。早く脱出しよう」
「…ええ、そうね」
突っ込み所が多すぎて、もはや私には頷く事しか出来なかった。
◆
そこからはもう、とんとん拍子に事が進んだ。
「流石にこの数は…。私も戦うわ」
「ふんっ!」
「震脚で床が崩れた!?」
立ち塞がる怪異と罠を全て筋肉が捻じ伏せ、
「何、この、何…?」
「アラカ、あれは?」
「霊の類だと思うけど…。関わる気も無さそうだし無視しましょう」
道中に居た困惑しきっていた謎の霊をスルーし、
「破ァーッ!!!」
「なんかもう、慣れてきた自分が怖いわ」
淫界の奥深くに居た仏像の姿をした怪異をも、彼は打ち砕いた。仏の姿を騙るだけあり、まるで存在からして違う様な威圧感を放っていたが、彼の鍛え抜かれた肉体と比べてしまえば、あまりにも矮小な存在だった。…何を言ってるんだろう私は。
「終わった、わね」
「うん。終わったね」
最深部の社を破壊し、釈然としないまま呟く。結局、全て筋肉が解決してしまった。いや確かに、異界なんて安全に処理できるに越した事は無いのだけれど。別にこれっぽっちも可哀想なんて思えないものの、それでもこれはあんまりだという気持ちはあった。死さえ覚悟して立ち向かった敵が、通りすがりの怪獣に踏み潰されて死んでしまった様な気分だ。
何はともあれ、これで終わりだ。ほぼ詰みだった状況から生還して気が抜けたのか、気付けば私は彼に寄りかかっていた。
───ああ、安心する。
何故とか、どうやってとか、疑問は尽きないけども。こうして助けに来てくれた事は嬉しいし、道中ずっと私を庇う様に歩く姿には、ドキリとしてしまった。大切にされている。そう実感して、胸の辺りから緩やかに熱が広がっていく。
「その、ありがとう。助けに来てくれて。…嬉しかった」
彼の正面に回って、正直な気持ちを口にする。赤くなっているであろう顔を見られたくなくて、俯きながらになってしまったけれど、構わず彼は、私を優しく抱き寄せた。
「本当に、無事で良かった」
心の底から安心した、という様な声音だった。その声を聞いて、いくらゴリラと見紛う体格であろうとも、どんな姿でも彼は彼なのだと実感する。優しくて、いざって時には勇気を出せる男の子。私が好きになった人は、変わらずそこにいた。
「これからは、この力で君を守ってみせるよ」
その言葉に、素直に嬉しいと思ってしまった。私だって彼を守りたいし、危ない目にあって欲しくない。それでも、一人じゃない、自分を助けてくれる人がいるというのは、何ものにも代えがたい安心感があった。
「アラカ…」
顔を見上げれば、少し頬を赤く染めた彼と目が合った。少しずつ、彼との距離が近付いていく。瞳に映った私の顔が見えそうなくらい近付いて、唇同士が触れ合う───
◆
「…」
その寸前で、目が覚めた。カーテンの隙間から朝日が差し込み、鳥の囀りが聞こえる。隣を見れば、普段通りの彼が、ぐっすりと眠っていた。
「夢、か…」
何故あんな夢を、なんて分かりきってる。毎晩の様にトラウマをほじくり返す様な真似をしているのだから、あんなカオスな夢を見ることもあるだろう。むしろ、過去に受けた仕打ちと同じ夢を見なかっただけ運が良い。
それにしても変な夢だった。何故彼があんなゴリマッチョになっていたのか。自分の中にお姫様願望の様な、守られたい欲求みたいなものでもあるのかと思うと少し恥ずかしい。
「ああ、本当に馬鹿だなぁ、私」
夢の中の自分を思い出して、くすりと笑ってしまう。一人じゃないなんて、彼と出会ってからずっとそうだったのに。なにより───
「強くなくたって、君は助けに来てくれたのにね」
もちろん、無謀な事をしに来た彼に怒りもあったけど、本当は嬉しくもあった。彼が来なかったら私はあそこで終わっていたし、こうして普通…、まあ普通に暮らす事なんて夢のまた夢だっただろう。怪異を一撃で倒したりだとか、そんな力なんて無くても、彼は私を助けてくれる。それはそれとして、怪しいものに無警戒で突っ込むのだけは本当に止めて欲しいけど。
改めて、眠っている彼の胸に顔を埋める。大好きな人の匂いと体温を感じて、気持ちが和らいだ。
「ふふっ」
胸いっぱいの幸せを噛み締める。こうして隣にいれる事こそ、何ものにも代えがたい幸せだった。
「大好き」
眠っているのをいいことに、彼の額にそっとキスを落とす。起こしてしまわないか心配だったけど、彼は安らかな寝顔のまま、気持ちよさそうに眠っていた。
「んっ、ふぁ…」
それに釣られて、私まで眠くなってきて、ついあくびをしてしまった。幸い、今日は元から休日だ。たまには二度寝もいいだろうと、そっと瞼を閉じる。
「おやすみなさい…」
彼の温もりを感じながら、私は満ち足りた気持ちで再び眠りにつくのだった。