淫界人柱アラカ短編集 作:名無し犬
「アラカ」
両手を広げ優しく微笑む母の姿に、もはや何の感慨も感じなかった。こういった手段を取る怪異は珍しく無く、正直食傷気味だ。今さら心が乱される様な事は無い。
「…はあ」
ため息を吐きながら、母の幻に近付く。よく出来たその姿に辟易した。怪異の悪辣さに嫌気が差しながら、さっさと終わらせてしまおうと、その顔面に思い切り拳を振り抜く。と見せかけて、背後から忍び寄っていた本体に裏拳をお見舞いしてやった。
「ギッ!?」
「まあ、これぐらいお粗末な方が楽でいいわよね」
誰に言うでもなく呟いて、顔面を押さえてのたうち回る怪異を見下ろす。自分が狩る側だとでも思っていたのか、慌てふためくその姿は随分と滑稽だった。とはいえ、見ていて面白いものでも無い。私は淡々と拳を振り下ろして、そいつに止めを刺すのだった。
◆
「…寒い」
仕事を終え外に出れば、あまりの寒さに身震いした。吐いた息が白く染まり、冬の訪れを実感する。早く帰って暖まろうと、私は家路を急いだ。
「…」
静かだ。もうとっくに0時を過ぎているから当たり前なのだけれど、すれ違う人も無く、暗い夜道を一人歩く。寒さも相まって、何だか、自分が孤独であると強調されている様だ。
別に、さっきの怪異のせいでセンチな気持ちになっているとかじゃない。ただ、慣れっこだったはずの孤独に、こうも心がざわめく事に心当たりはあって。
「?…あっ」
携帯のバイブレーションに、いったい何かと開いてみればメールが1件。件の心当たりから届いていた。こちらを心配する文面に、自然と頬が緩む。
「こんな時間まで起きなくてもいいのに」
言葉とは裏腹に、胸のあたりがじわりと暖かくなる。すぐに返信を打とうとして、止める。少しの逡巡の後、私は彼に電話を掛ける事にした。
「…もしもし?」
『アラカ!良かった。無事に終わったんだ』
「うん。今終わったとこ。そんなに心配しなくても、簡単には負けないわよ、私」
ホッと胸を撫で下ろしたかの様な彼の声を聞いて、フッと肩が軽くなった様な、スイッチが切れた様な感覚がする。ああ、本当に好きなんだと再確認して、何だか照れくさい。
「そりゃあ退魔師は安全な仕事ではないけど、だからって毎度死にかける様なものでも無いわ。そんなに心配しなくても…」
大丈夫、と言おうとして、彼に助けてもらった時の事が頭を過った。一度死にかけているところを見ているのだ。そりゃあ気が気じゃないだろう。今思い返しても軽率な行動だった。もっと気を付けないと。
「…無茶な事はしないわ。君が、心配するし」
顔に熱が集まるのを感じながら言葉を続けた。心配してくれる人、帰りを待ってくれる人がいる。それがどうにもこそばゆい。こんなに大切な人が出来るなんて、思ってもみなかった。
「だから、ね」
続く言葉を言いかけようとして、少し悩む。こうして話せるのは嬉しいけれど、慣れている私と違って、彼が毎日こんな時間まで起きているのは大変だろう。私の都合で彼を振り回してしまうのは、私の本意じゃない。
「別に、こんな時間まで起きてなくても大丈夫よ」
『それこそ大丈夫だよ。こっちが好きでやってる事だから』
さらりと言ってしまうものだから、つい黙ってしまった。ああもう、普段は頼り無いのに、どうしてこういう事ははっきり口に出来るのだろう。素直になれない私には眩しくて仕方が無い。
『…なんて、心配で寝付けなかっただけなんだけどね』
「…そう」
なんて言って、恥ずかしそうに彼は笑う。私はそれに、淡白に返事をする事しか出来なかった。本当に彼は心臓に悪い。寝付けない程心配してたなんて恋人に言われて、相手がどう思うか考えないのだろうか。あまりドキドキさせないで欲しい。
『ふぁ…』
私が気恥ずかしさで何も言えないでいると、電話越しにあくびをした気配がして、私はフッと笑った。話してる内に気が抜けてきたのだろうか。だとしたら少し嬉しい。
「君も眠そうだし、そろそろ切るわね」
『ん、いやまだ…』
「無理しなくても、明日学校で会えるでしょ?また明日、元気な姿を見せてくれれば、それで良いから」
『そう、だね…』
一気に眠気が襲って来たのか、彼の声がふにゃふにゃとぼんやりしたものになる。船を漕いでる様子が目に浮かぶようだ。
『アラカ、また明日、ね…』
「うん、また明日」
別れの挨拶をして電話を切る。また一人になったけれど、もう寂しさは感じない。我ながら単純だなと思いつつ、軽やかな足取りで歩き出した。
「何だか私、貰ってばっかりだなぁ」
ぽつり、と一人言が漏れる。付き合ってから、ううん、付き合う前からずっと、彼には貰ってばっかりだ。人並みの幸せなんて、求めてすらいなかったのに。今は普通の女の子みたいに、好きな人と言葉を交わすだけで嬉しくなって、満たされて。こんな生活、以前の私なら想像もつかなかった。
そんな彼に何かお返しがしたくて、私は歩きながら考える。素直に全部言葉にして伝えるのは、まだ私には難しいから、何か、プレゼントを。どんなものが良いだろう。渡す時、何と言って渡そう。
「あっ」
ぐるぐると思考を回している最中、ある事を思い出して思わず声を上げた。クリスマス。私には縁が無い催しだと思っていたけど、今は違う。むしろ絶好の機会だ。クリスマスに、恋人にプレゼントを渡す。うん。恋人らしくて良いと思う。となると、後はプレゼントだ。
「くしゅん」
せっかくまとまって来た考えを打ち切る様にくしゃみが出る。やっぱり、心が暖かくても寒いものは寒い。そろそろ、何かしら防寒具が必要かもしれない。そうだ、彼へのプレゼントもそういうものが良いかもしれない。マフラーだとか、手袋だとか。いや、季節物だと時期が終わると使わなくなる。どうせならもっと、普段使いが出来る様な物を。そこまで考えて、私は閃いた。
───手袋。
暖まる為の物でなくて、保護する物。彼の右手の力を封印出来る様な物なら、きっと彼も喜ぶだろう。もちろん、そういった物を作るのは簡単じゃない。でも幸いな事に、そういった物を作れるような徳の高い方とは、仕事柄伝手がある。…きっと、金銭でなくてもっと大変なものを要求されるだろうけど。修行とか修行とか修行とか。それでも、そうするだけの価値はあると思う。
「ふふっ」
段々と計画が形になってきて、私は笑みを溢した。彼は喜んでくれるだろうか。鈍いところがあるから、プレゼントを渡されて驚くかもしれない。気が早いけれど、想像するだけで幸せな気持ちになれる。
ああ、幸せだ。好きな人がいて、その人を想う事が出来て。こうしてプレゼントを渡そうと考えるだけで浮き足だってしまう。存外、私はちょろい女だったのかもしれない。それでも良いと思えるくらいには、私は彼に夢中だった。
帰り道を一人歩く。寂しさは無く、満ち足りたまま。これから先の事に胸を弾ませて、私は家路につくのだった。