※この作品はR-18です。

冤罪で俺の人生を奪った元恋人が、俺の人生を買いに来た話【完結】   作:ドン・ドナシアン

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015 許さないで。許すことだけはしないで

「はっ、はうっ、はっ……」

 

 背後からの律動が続いている。

 綾子は首から上を袋で覆われたまま、樹木に胸を押しつけるようにして跪いていた。両腕は前に引き出され、幹を抱き込む姿勢で固定されている。手首に食い込む金属の硬さが、わずかな動きでも逃げ場がないことを突きつけてくる。

 

 膝と素足が触れている地面は湿っていた。土と草が混じった感触が、体重を預けるたびにじわりと伝わる。姿勢を保つことすら難しく、前に崩れそうになる身体を、拘束と幹の硬さで無理やり支えられている。

 

「あぁ……っ……」

 

 背後から加わる力で、身体が一定の間隔で揺れる。

 そのたびに腹の奥が強く反応し、筋肉が勝手に引きつる。耐えようと意識しても、呼吸が乱れ、声が袋の内側でくぐもって漏れる。

 視界は完全に塞がれていた。

 見えるものは何もない。あるのは、身体に伝わる接触と、耳に入る気配だけだった。

 

 周囲からは複数の声が飛ぶ。

 嘲るような言葉と、ざわめき。

 その気配に囲まれているという感覚だけが、現実として残る。

 

 誰に触れられているのかは、わからない。

 逃げられない。

 抵抗できない。

 この体勢のまま、すべてを受けるしかない。

 長時間に及ぶ刺激で、身体はすでに限界を越えていた。鈍るどころか、わずかな変化にも過敏に反応してしまう状態に変わっている。

 

「はっ……はっ……」

 

 呼吸が途切れる。

 腰に力が入らない。

 支えようとしても、すぐに抜ける。

 

 理解はしている。

 これは罰だ。

 自分に与えられているものだと。

 そう思えば、受け入れるしかないはずだった。

 

 だが──。

 

 身体の奥で、別の感覚が広がっていた。

 熱だった。

 中心から外へと広がる、逃げ場のないざわめき。

 それが四肢へ伝わり、全身を内側から揺らしていく。

 

「ああっ……あぁ……」

 

 理解できない。

 本来拒絶するべき状況で、身体は逆の反応を示している。

 

 震えが止まらない。

 力も入らない。

 

 それでも、逃げようとする意思よりも先に、身体がその感覚に引きずられていく。

 受け入れているわけではない。

 だが、拒みきれてもいない。

 その事実だけが、はっきりと残る。

 

 そして、その状態のまま──綾子は、自分がどこまで支配されているのかを、理解し始めていた。

 

「んっ、ああっ──」

 

 声が抑えきれずに漏れる。歯を食いしばっても、呼吸の隙間から音がこぼれ落ちる。

 

『これでは罰にならないな』

 

 背後からの声が、すぐ近くで響いた。

 その瞬間、わずかな違和感が走る。声がわずかに二重に重なっている。

 歪んでいる。

 生の声ではない。

 その違和感が、次の異常を引きずり出した。

 

 そういえば、周囲にあるはずのざわめきと野次は、その音の位置が重なっている。

 遠近の差がない。

 複数に囲まれているはずの空間が、ひとつに収束している。

 

 気づいた途端、認識が揺らぐ。

 触れている力は、ひとつしかない。

 呼吸の気配も、ひとつ──。

 囲まれているはずの気配も、音や声を除けば、ただひとり──。

 音だけが、増えているだけだ。

 

「あ、ああっ……」

 

 違和感が頭のなかで整合された瞬間に、身体が大きく反応した。

 

「あ、ああっ、大樹──」

 

 綾子は悲鳴のような声をあげ、身体を大きく引きつらせた。

 大樹──。

 これは、大樹──。

 

 声はなにかの仕掛けで変えられている。だが、いま綾子に触れているそれは、紛れもなく大樹のものだった。

 十年前──。

 ともに、生き、歩み、生涯まで誓ったにもかかわらず、綾子が裏切ってしまうまで──。唯一知っていた男の感覚が、鮮明に蘇る。

 

「んぐうううっ」

 

 綾子の身体が跳ねる。

 大樹に犯されている──。

 その事実を理解した瞬間、これまでとは比較にならない強さで、全身に感覚が広がった。

 

 衝撃が中心から弾け、四肢へと一気に走る。

 身体が制御を失い、連続して震えた。

 

 気がつくと、綾子はその波の中に完全に飲み込まれていた。

 だが、それは一度では終わらない。

 

 二度、三度──。

 繰り返されるたびに、身体の奥が強く反応し、感覚が増幅されていく。

 

 積み重なるように波が押し寄せる。

 逃げ場はなく、ただ翻弄されるしかない。

 綾子は、その終わりの見えない感覚の中で、ただ揺さぶられ続けていた。

 

 次の刹那──。

 衝撃のような感覚とともに、大樹の精が欲望の潮が迸り出たのがわかった。

 大樹が綾子のなかに精を放った──。放ってくれた。

 その感動が綾子を快楽の底に打ち沈める。

 

 願わくば、この精が綾子のなかで受精を果たして、子になってくれれば──。そのためなら、魂を売り渡しても構わない──。綾子は悦びの炎に包まれながら、心の奥底からそう思った。

 

 そして、大樹が離れた。

 背後で、身体から怒張が引き抜かれる感覚が起こり消える。

 直後、衣服を整える気配が続く。

 その大樹の気配が後ろに下がる。

 

「ま、待って、大樹──」

 

 綾子は声を張り上げた。袋に覆われたままでは、どれだけ届いているのかもわからない。

 だから、必死に喉を震わせて呼びかける。

 

 足音は止まらない。

 だが、遠ざかる気配でもなかった。

 土を踏む音が、位置を変えて、綾子の前側に移っていく。

 気配は、綾子の正面へと回り込んでいた。樹木を挟んだ向こう側、すぐ近くに立っている。

 

 頭の上の方でかちゃんという小さな音が鳴る。

 直後、ずっと周囲を満たしていたざわめきと、複数の声が一斉に消えた。

 途切れるように、消失する。

 残ったのは、遠くで走る車の音だけだった。かすかに、遅れて届く。

 静寂が落ちる。

 

「満足したか?」

 

 すぐ傍で、低い声が響いた。

 紛れもない大樹自身の声だった──。

 

「ああ、大樹──話を、話を聞いて──」

 

 綾子は息を乱したまま、言葉を繋ぐ。

 

「鞭とディルド、それから縄も──あなたの言う通りに揃えた……。どんなのがいいのかわからなかったから、ディルドは……二十種類は揃えたわ。鞭も……乗馬鞭だけじゃなくて……五種類くらい……」

 

 途切れながら、必死に言葉を押し出す。

 乱れた呼吸に合わせて、声が上下する。

 

「……全部、用意したの……それと、ピアッサーも、タトゥーマシンも──。そっちも数種類ずつ」

 

「……なんだ、そりゃ?」

 

 疑念の響きを含んだ大樹の声が返ってきた。

 

「拓哉に命令していたこと──。監視映像で見たの。全部、揃えた……」

 

 綾子は息を乱したまま、言葉を絞り出す。

 

「ほかにも必要なら、なんでも手に入れる……。だから──」

 

「ああ、あの話か。そうか。全部揃えたのか」

 

 大樹の声が、わずかに笑いを含んだ。

 だが、綾子は一瞬、言葉を失った。

 大樹が逃亡をした状況を知るために見た監視映像の中で、大樹が求めていたものだ。だから、必死に集めた。

 しかし、いま返ってきた反応との落差が、それにうまく噛み合わない。

 

「あっ……拓哉は処分したわ。二度と国内には戻れないようにした……。ほかに、なにかあるなら──」

 

「はあ? あいつ、国外に放り出されたのか。お前……なかなかやるな」

 

 大樹がまた、軽く笑う。

 評価でも、非難でもない。ただの感想のような声音だった。

 本当に、なんとも、思ってない──。そんな響きだった。それが綾子を恐怖させた。

 

「ね、ねえ……だから……お願い──」

 

「お願い?」

 

 大樹が綾子の懇願を遮るように、間髪入れずに口を挟む。

 その声がさっきまでの軽い口調ではなく、ぞっとさせるほどの冷たい響きがあった。

 

「なんだよ、それ……。結局、お前は、俺にどうしてほしいんだ?」

 

 大樹が言った。

 言葉が詰まる。

 

「……わたしは……あなたに……」

 

 かすれた声が、途切れながら続く。

 喉が震えた。

 呼吸がうまく続かない。

 

「わたしは……取り返しのつかないことを……した……。裏切った……。許されることじゃない……」

 

 言葉にしながら、自分でも理解している。

 だが、それでも止められない。

 

「わかった……。だが、もういいだろ」

 

 大樹の声が入る。

 あっさりとした一言だった。

 

「えっ?」

 

「終わった話だ」

 

 それだけだった。

 その言葉が、綾子の内側を強く揺らす。

 

 終わった──?

 違う。

 違う、違う──。

 

「俺はお前を許す。もう、お前も自分を許してやれ。なにをそんなに後悔しているのかわからないが、俺は裏切りだと思ってない。知らなかった、それだけだ。そして、お前は俺じゃなくて、仕事をとった。それを俺はちゃんと理解している。……じゃあな」

 

 砂を踏む音が、ひとつ鳴る。

 手錠の掛かっている手になにかを握らされた。

 鍵──?

 

 そして、大樹が離れていく。

 その気配に、綾子の身体が強く震えた。

 

「ち、違う──」

 

 声が、ひび割れる。

 

「違う、違う──違う、違う──」

 

 絶叫した。

 必死に言葉を掴もうとする。

 離れ掛けていた大樹の足音が止まった。

 

「わたしを、許さないで──」

 

 喉の奥から、絞り出すように。

 

「許すことだけは……しないで……。許してはいやああ──」

 

 呼吸が崩れる。

 それでも止めない。

 

「わたしは……わたしは……」

 

 言葉が絡まる。

 だが、ようやく形になる。

 

「あなたに……復讐されたい……」

 

 静寂の中に、その声だけが落ちた。

 

「どうか……復讐して……」

 

 もう、整っていない。

 

「死ねって……言って……なにでもいい……」

 

 言葉が崩れる。

 

「罰を……与えて……なにか……命じて……」

 

 呼吸が切れる。

 それでも、縋る。

 

「お願い……お願い……」

 

 泣き声に変わる。

 

「お願いします……」

 

 声が途切れた。

 呼吸が苦しくて、それ以上意味のある言葉を口にできなかった。

 大樹からの返事はない。

 ただ、すぐそばの気配だけは、残っていた。

 

 やがて、大樹が大きく息を吐く音が聞こえた。

 心臓の鼓動が跳ねあがり、身体がびくりと震える。

 

「わかった……。いずれにしても、お前のせいで仕事がなくなったしな。金がなくなったら連絡してやる……。あっ、それと、財布の中の現金はもらったぞ」

 

 大樹の声が落ちた直後、手の中のガラケーが引き抜かれる。

 

「あっ、待って──」

 

 声が裏返るが、両手首は金属で繋がれたまま樹木に固定されているため、追うことはできない。

 

「ばーか。そんな足のつくものを遺すか。じゃあな」

 

 足音が遠ざかり、やがて完全に消えたあとには、静寂だけが残る。

 

「……つっ」

 

 荒い呼吸の中で、右手に握らされたものに気づく。冷たい金属の感触から、やはり、それが鍵だとわかる。

 手探りで鍵穴を探るがすぐには合わず、何度も外しながら時間だけが過ぎていく。それでもやめずに続け、ようやく手応えを掴んで回すと、手錠が外れた。

 そのまま首元の紐を解いて袋を引き剥がすと、夜の冷たい空気が顔に触れる。

 

 すでに、大輝がいなくなってからかなりの時間が過ぎていた。

 視界が戻ると、そこは木々に囲まれた茂みの中で、周囲にはもう誰もいなかった。

 大樹の姿は周囲から完全に消えている。

 

 そして、自分の状態に、遅れて気づいた。

 ジャケットははだけ、スーツも身体も汗で濡れきっている。

 スカートは乱れ、脚は泥にまみれたまま、内腿にはまだ湿った感触が残っていた。

 

「……つっ」

 

 脚に力を入れると、わずかに震える。

 連続で達してしまい、収まりきらない内側の熱が、そのまま残っている。

 呼吸が整わない。

 身体の奥が、まだ静まっていない。

 

 こんな格好では、人前には出られない。

 だが同時に、まだ残っている大樹に犯された感覚を、消してしまうことに躊躇があった。

 

 そのとき、ふと気がついた。

 すぐに近くに紙袋が二つ置いてあったのだ。

 よろける脚を踏ん張って立ちあがり、紙袋の中を覗く。

 すぐそばに置かれていた紙袋のひとつを開く。

 

 いちばん上にあったのは、自分のスマホだった。

 電源は落ちている。ほかには、コートや衣類、下着、パンプスまで、今日身につけていたものがまとめて詰め込まれていた。

 バッグも戻されている。

 

 中を開く。

 財布はそのまま残っていた。

 財布の中のカード類には手がつけられていない。だが、現金はほとんど消えている。紙幣が一枚だけ残されていた。

 

 さらに奥を探る。

 大樹に会えたら渡すつもりで入れていた札束が、消えていた。

 

 もうひとつの紙袋に視線を移す。

 中には、青いワンピースが一着だけ入っていた。

 見覚えのないものだ、安価な既製品──。

 いまの自分が選ぶはずのないものだった。

 

 触れようとした手が震えた。

 綾子は思わず手を伸ばしかけて止める。

 泥で汚れた自分の手に気づき、袋ごと抱き寄せる。

 

 力が抜ける。

 しゃがみ込んだまま、肩を震わせた。

 涙がぼろぼろと落ちる。

 

 そういえば、優しい人だった。

 貧しい時代もあったが、無理のない範囲で、それでも誕生日や記念日、いや、なんでもないときだって、こうやって、なにかを渡してきた。

 その記憶が蘇ってくる。

 綾子はしばらくのあいだ、そのまま動かずに、声を出さずに泣き続けた。

 

 やがて、大きく息を吸う。

 顔を上げて、涙を拭う。

 

 スマホの電源を入れる。

 すぐに発信した。

 

『あっ、もしもし、綾子様──、いまどこに?』

 

 受話器の向こうで、アンナの悲鳴のような声が上がる。

 

「落ち着きなさい。すぐ車を回して」

 

 短く告げる。

 周囲を見回し、場所を伝える。

 

 声は、すでに整っていた。

 

 

 

 

 

【離合篇・完】

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