冤罪で俺の人生を奪った元恋人が、俺の人生を買いに来た話【完結】 作:ドン・ドナシアン
「止まりなさい、黒木──」
アンナの鋭い声が、地下駐車場に落ちる。
綾子は振り向く。
階段口の前にアンナは立っていた。
息が上がっており、降りてきた直後だとわかる。右手には拳銃があり、その銃口が一直線にこちらへ向けられていた。距離はあるが、狙いは外れていない。
アンナの銃の腕なら、綾子の身体を避けて、ピンポイントで大樹の身体を撃ち抜ける。
「アンナ、銃を下ろしなさい──」
綾子は叫ぶとともに、できるだけ大樹を守ろうと、密着して大樹の前に立つ。
そのあいだに、大樹の手が動く。背中に回したままの綾子の両手首に冷たい金属が当たり、遅れて乾いた音が響いた。両手首に手錠がかかる。拘束されたことは理解しつつ、綾子は視線をアンナから外さない。
「聞こえないの──。銃を下ろしなさい──」
もう一度怒鳴る、
「……申し訳ありませんが、そのご指示には従えません」
アンナの視線は鋭い。視線も銃線も大樹を真っ直ぐに向けたままだ。
「はあ?」
かっと怒りが込みあがる。
「綾子様の安全が脅かされています。この状況を見過ごすことはできません」
「見過ごせないのは、あたしの判断を無視することよ」
綾子は一歩、前に出た。前に出た分だけ、大樹の身体を隠しやすくなるはずだ。
「なんと言われようとも、この男は危険すぎます」
アンナは銃を下ろさない。
「お前の護衛としての役割は理解している。でも、その役割は、あたしの意思を踏み越えていい理由にはならない。いまのあなたは、護衛ではなく、ただの妨害よ」
アンナの表情が揺れる。だが銃はまだ下りない。
「下がりなさい。これは命令よ──」
綾子はさらに一歩進み、完全に射線を遮った。そのまま大樹の方へ身体の向きを変える。
「大樹、連れて行って。どこにでも同行するわ」
短く言い切る。
大樹は何も言わない。ただ、前に出てきて、背後から綾子を掴んだ。
綾子は自分から、大樹の準備したレンタカーに向かって歩き出す。軽自動車の横につく。大樹が助手席の扉を開く。
乗り込む前に振り返ると、アンナの顔に、怒りと焦りが浮かんでいた。
「アンナ、最後に言うわ。銃を下ろして、その場に留まりなさい。これは、わたしの意思で動いているの。あなたの介入は許可していない」
「お考え直しを──。こうやって、銃を向けても、動じる気配さえない男です。なにをされるのかわかりませんよ」
「……それがわたしの望みよ……」
言い切ってから、視線を外す。
そのまま車内に身体を滑り込ませる。
アンナが舌打ちとともに、銃を下ろすのが見えた。
まだ車の外にいる大樹の声が横から落ちる。
「こいつは、望んで俺に誘拐されようとしてるんだ。お前の出る幕はない」
「誘拐だと──? 貴様──」
アンナの気配が動く。車の中からアンナを見る。銃が上着の内側に押し込まれ、駆け寄ってくる足音がコンクリートに強く響いた。
距離が一気に詰まる。
「大樹──」
綾子は大声をあげた。
大樹は振り向かなかった。
綾子の声を背に受けたまま運転席へ回り込み、ドアを開けて身体を滑り込ませる。ドアが閉まり、内側からロックが掛かる。
アンナはその間に詰めてくるが、ドア一枚分で手が届かない。
アンナはすぐに車の前へ回ってきた。真正面に立ち、両脚を開いて進路を塞ぐ。フロントウインドウ越しに大樹を睨む。視線に、怒りと、押し殺しきれない感情が混じっている。
エンジンが低く唸る。大樹はアンナを無視してシートベルトを引き装着した。続けて、綾子にも身を寄せ、後ろ手に拘束された姿勢のままベルトを回して差し込んできた。身体が固定される。
アンナは、前から退かない。進路を塞いだまま立っている。
綾子は舌打ちをひとつ落とす。
「ウインドウを開けて。」
綾子は言った。操作音とともに、助手席側のウインドウが下がっていく。
後ろ手のまま、窓に身を寄せる。
「……退きなさい、アンナ……。あなたのために言っているのよ」
綾子は言い切る。
アンナはしばらくのあいだ黙ったままだった。やがて、口が開く。
「……できません」
「拓哉がどうなったか、思い出しなさい」
さらに、わずかな間が置かれる。
口惜しげに歯を喰いしばるアンナの足が右側に下がる。進路の前から身体が外れる。
綾子は顔を引き戻した。
大樹がアクセルを踏見込む気配とともに、車が前に出る。
アンナの脇を抜ける。
しかし、すれ違う位置で車が一時停止し、大樹の手が内ポケットに入った。
取り出されたのは、薄い粘着パッドだった。中央に小型のコードレスのローターが一体で取り付けられている。
綾子の呼吸が止まる。喉がわずかに詰まり、声にならない音が漏れかける。
その一瞬だけ、身体の芯が揺れる。
大樹がその淫具付きのパッドをウインドウ越しにアンナに向かって掲げる。
「部下の不始末は、主人の罪だな。お前が銃を向けた分は、綾子に償ってもらう」
アンナの顔が一瞬で赤く染まったのがわかった。怒りの表情が一気に噴き上がり、奥歯を強く噛み締めた音がした。憎悪の視線を大樹から外さず、抑えきれない激情が表情に渦巻いている。
それでも、動けない。
大樹はそのままパッドをポケットに戻す。
車は加速し、そのまま地下駐車場から地上へ上がった。
スロープを抜けると、三車線の国道に出る。夜の空気が開ける。信号の光が路面に伸び、赤と青が濡れたように反射している。タクシーが流れ、バスがゆっくりと車線を塞ぎ、乗用車の列が切れずに続く。対向車のヘッドライトが連なり、白い光が途切れない。歩道には人影が絶えず、店の明かりが帯のように並んでいる。
その流れに、車は自然に入っていく。
「……さっきのは、わたしの責任よ」
「そうだな」
短く返る。車は流れに乗ったまま進んでいる。信号の光がフロントガラスに流れ、対向車のヘッドライトが連なって過ぎていく。向かっているのは、都心を離れる方向に見える。
「GPSが入っているわ。わたしの持ち物よ。アンナは位置を追える。どこに仕掛けられているか、わたしにも把握しきれていない。最悪、身体に打ち込まれていてもおかしくない」
「問題ない。この車にいる限り、外には出ない」
「……本当に?」
「ああ」
しばらくのあいだ、会話は途切れる。車は車列の中を進み、信号で減速し、また流れに戻る。
「……大樹、あなたは何者なの?」
「……ただの前科者の日雇い業の男だ」
「あなたが出所してからの七年間を調べさせたわ。最近になって、建設作業の人夫仕事をしているところまでは追えた。でも、その前が出てこない。遡ることも無理だった。あなたの情報はなにをしても、どこかで煙のように消えてしまう」
「……調べさせたか……」
大樹の口元がわずかに動く。
「どこで、なにをしていたの? あのアンナを相手にして、あの動き。普通じゃない」
大樹は答えない。
車の流れが緩み、やがて抜ける。前方の車間が広がる。
「……あなたがどこの何者でもいいの……」
綾子は言った。
「……わたしを壊せるものなら、全部渡す。動かせる金も、持っている情報も。足りなければ、それ以外だって」
言い終えて、視線を前に戻す。
信号の光が流れ、フロントガラスに赤と青が滲む。
手錠の掛かった背中側の両手に、わずかに力が入る。
いまの自分が、なにを持っているかはわかっている。
西園寺の名で動く金と、人と、情報──。
それをすべて差し出しても、彼の人生を潰した代償には、足りないことも……。
それでも、差し出すしかないということも……。
「十年前に俺が逮捕されたとき、お前は俺を陥れることだと知っていたか?」
唐突に切り込まれる。
「知らない……っ。わたしは知らなかった──!」
声が跳ね上がる。制御を外れた音が車内に響く。
「知らない……。知らないの……っ」
否定を重ねる。言葉が乱れる。呼吸が崩れかける。
望んでやったわけではない。その一点だけは、どうしても否定しなければならない。
それ以外は、どうでもいい。
「……知らなかったの──」
最後に押し込むように言い切る。そこで止める。
「……それと同じことをお前は、いま俺にしている」
「えっ?」
意味がつながらない。言葉が遅れる。
「黒耀会に、俺のことを調べさせたか」
「黒耀会……?」
「西園寺の裏で動いてる連中だろう。表に出せない仕事を請け負う。暴力も使う」
黒耀会──。
西園寺グループと結びついて動く外部組織だ。表向きは無関係だが、実際にはそれなりのものがグル-プから流れているらしい。指定暴力団を母体とする団体であり、表に出せない案件を処理するために使われている。
綾子自身が直接指示を出すことはないが、その存在と性質は把握している。
綾子は答えられない。
自分の指示で動く調査が、どこまで繋がっているのかを把握しきれていない。
「……わたしは、直接は知らないわ……。でも、関係している可能性はある」
短く言う。
「……やっぱり、お前は俺をまた不幸にする女だな……。お前は、いつも同じ間違いをするな」
大樹は前を見たまま言う。
それだけで終わる。
「えっ、どういうことなの……?」
綾子は驚いて訊ねた。
大樹は答えない。
言葉が、繋がらない。
同じこと──また不幸にする──その言葉が、胸の奥に残る。
なにを──。
なにをしてるの──?
息が詰まる。吸っているのに空気が身体に入ってこない。喉の奥で止まる。胸が上下しているのに足りない。
「……し、知らない……知らないの──」
声が崩れる。
視界が細くなる。信号の光だけが滲んで残る。
呼吸が速くなる。浅くなる。追いつかない。
背中で手錠が擦れる。逃げられない。
「……知らない……っ……」
喉が締まり、声にならない。
車が減速する。
そして、路肩に寄って停止した。
エンジンの振動だけが残る。
「……罰が必要だ……」
低く落ちる声。
その一語で、呼吸が止まる。
次の瞬間、吸い込める。
肺に空気が入る。
……罰を受ける……。
吸える。
喉に詰まっていたものが落ちる。
空気が、そのまま肺に入る。
さっきまでの詰まりが、嘘みたいに引く。
速かった呼吸が一段落ちる。
大樹の身体が近づく。
運転席から身を寄せてくる。
その手に、あの薄いパッドがあった。中央に小型のローターが取り付けられているのが見える。
視界に入った瞬間、背筋が震える。
「あっ、いや……」
思わず声が漏れた。
大樹によりスカートの裾が持ち上げられかけていたが、その手が太腿を半分ほど露出させたところで止まる。
ワンピースの下には下着もストッキングもない。太腿と股間に冷たい空気が触れる。
「拒否するのか?」
試すような声。
綾子の思考が止まる。
──立場……。
自分がどこにいるのか。
なにを選んだのか。
どうふるまわなければならないのか。
全部を思い出す。
「い、いえ……」
喉がかすれる。
「じゃあ、どうするんだ?」
「どんな……罰でも……受け入れます……」
言い切る。
言葉と同時に、身体が強張る。
だが逃げない。
「この前のときに使った掻痒剤を覚えているか?」
大樹が綾子の顔を見てにやりと微笑んだ。
綾子はぞっとした。
あの都心環状線の中で──発狂するほどの痒みに晒されて苦悶した──あれを思い出す。
「お、覚えてます」
わずかに答える。
あの苦しみを思い出すだけで、いまだに身体が震えるほどだ。
「このパッドには、あの掻痒液がたっぷりと仕込みませてある……。罰を受けたいか?」
大樹の言葉にぞっとした。
自分の顔が引きつるのがわかる。
しかし、答えは決まっている。
許されるのは、ひとつだけ……。
「ば、罰を……受ける……。受けなければ……ならないの……」
「わかった」
スカートの内側に手が入ってきた。
太腿の内側をなぞるように上がってくる指先に、思わず息が揺れる。
身体の奥がびくりと反応する。
触れられる位置を理解する前に、視線が揺れる。
パッドが当てられる。
クリトリスの上に、中央のローターが押し当てられる。
「くっ」
冷たい感触。
中央の小さな硬さが、はっきりと存在を主張する。
ぐいぐいとさらに押し付けられる。
逃げ場はない。
シートとベルトに身体を固定されたまま、位置を合わせられる。
粘着面が密着し、指で押さえられて、ずれないように固定される。
思わず、息が漏れる。
大樹の手が抜かれて、スカートが戻される。
それだけで、そこに“ある”ことが消えない。
呼吸は、もう乱れていない。
さっきまでの錯乱が、嘘のように引いている。
代わりに、別の緊張が身体の芯に置かれている。
「ああっ……」
そして、すぐにじわじわと股間に痒みが襲いかかってきた。
すぐに車が再び走り出す。
「か、痒い──」
綾子は悲鳴とともに、身体をもがきくねらせる。しかし、そんなもので収まる掻痒感ではないことは、綾子は誰よりも知っている。
助手席に身体を鎮めたまま、綾子はスカートの中の太腿を擦り遇わせ、足踏み繰り返す。
大樹は無視している。そして、車を高速道路の入口に向けた。