冤罪で俺の人生を奪った元恋人が、俺の人生を買いに来た話【完結】 作:ドン・ドナシアン
「俺たちが昔の関係に戻ることは、絶対にない」
大樹が静かに告げた。
「……えっ……?」
綾子の息が止まる。
「あり得ない……」
大樹がはっきりと繰り返す。
「……っ」
息を吸うことを忘れたように、胸が動かない。
無理に空気を吸い込もうとして、喉の奥で引っかかる。
浅い──。
足りない。
もう一度吸う。さらに浅くなる。
吐けない。吸えない。
呼吸のやり方が分からない。
「……っ、は……」
短い音が漏れる。声にならない。
胸が勝手に速く上下する。速い。追いつかない。
手の感覚が遠い。指に力が入らない。
火照りきった身体が嘘のように冷たくなる。
呼吸が乱れる。さらに速くなる。
大樹に言われた言葉が、遅れて頭に入ってくる。
戻れない。
絶対にない。
あり得ない──。
その意味を理解した瞬間、さらに息が崩れた。
「……ま、待っ……」
言葉が出ない。喉で潰れる。
落ち着け。
落ち着かないと。
薬──。
発作のときの薬は処方を受けている。でも、それはバッグのなかで、いまは背中で両手首を拘束されていて──。
だめだ。これ──。
理解だけが先に立つ。どうにもできないことも同時にわかる。
逃げ場がない。
その瞬間、太腿の内側に冷たいものが触れた。
「……えっ、ああっ」
次の瞬間、股間に貼られているローターが突然に振動を開始した。
「んふうっ……」
腰が勝手に跳ねた。息が一瞬止まる。
思考がそこに集中する。
掻痒感が癒えるとともに、凄まじいほどの快感が綾子を襲う。眼がくらみ、背筋に汗が迸り、綾子の下半身は内側から炎で炙られたかのように熱くなり、太腿はびんと硬直した。
すると、さらに、振動が強くなった。
「……うはっ……はっ、ああっ」
短く息が漏れる。
乱れていたリズムが崩れる。別の形に引き直される。
吸う。今度は、少しだけ深く入る。
吐く。さっきより長く吐ける。
息が楽になるとともに、発作的な激しい痙攣が生じた。
助手席に横たえられた身体が弓なりに反れ、強烈な甘美感が脳天から突き抜けていく感覚が襲った。
全身から力が抜け、綾子はがくりと顔を伏せた。
「……は……っ……はあ、はあ……。」
一方で、呼吸が一定の速さに近づいていく。
肩の力が抜けていくのがわかる。さっきまで勝手に強張っていた筋肉が、少しずつ緩む。
どうして……。
さっきまで、あんなに苦しかったのに。
いつの間にか発作がとまっている。
視界の揺れが収まっていく。焦点が合う。
楽だ。
なにも考えなくていい。
このまま、この状態でいればいい。
そう思った自分に、遅れて気づく。
大樹に罰を受けて……。
抗えなくて……。
それで満たされて……。
もう、大樹に抗うことなど不可能で……。
「……落ち着いたか」
低い声が、上から落ちてくる。
感情はない。ただ確認しているだけの声。
「……っ、は……」
返事をしようとして、声にならない。だが、さっきよりも呼吸は乱れていない。
股間の痒みがかなり楽になっていた。
だが、終わってはいない。綾子が落ち着こうとするのを嘲笑うかのように、再びじわじわと掻痒感を引き起こしていく。
「話せるな」
断定だった。
唇が震える。言葉を探す。探そうとしてやめる。
「……わたしを……許さないで」
考えるより先に、口が動いた。
自分でも、何を言っているのか一瞬わからなかった。
「……お願い、だから……許さないで……。絶対に……」
声が震える。だがさっきのように崩れない。
むしろ、さっきよりも落ち着いている。
すると、視界が歪んだ。
涙が……こぼれ落ちていた。
なぜ、自分が泣くのか……。その理由が綾子にはわからなかった。
「……そうか……。俺が許さないほうがいいか」
大樹が短く、そう言った。
問いかけの形をしているが、確認に近い。
短く、そう言った。
「……わ、わたしは……あなたに償いきれない……罪を……」
「違うだろ」
大樹が綾子の言葉を遮る。
「えっ?」
「お前が罪を償いたのは自分のためだ。自分が楽になるためだ……。そうだろ?」
大樹が静かな口調で言う。
その一言で、胸の奥が静かに落ちた。
「……っ」
喉の奥で、小さく音が鳴る。
「バッグに入ってたのは、発作用の薬と睡眠薬だな。……随分と弱ったな」
大樹の声が落ちた瞬間、胸の奥が強く締まった。
「……くっ」
呼吸は整っている。
崩れてはいない。
それなのに苦しい。
息とは別の場所が、締めつけられる。
違う、と言おうとして、言葉が出ない。
そのまま、ひとつの記憶が浮かぶ。
──あのとき……。
大樹を切り捨てた。
迷わなかった。
冤罪をかけて、刑務所に送った。
その場でなにも感じなかった。
それが当然だとさえ思っていた。
「……あっ、ああ……」
喉が詰まる。
さっき言われた言葉と、その記憶が重なる。
戻れない……。絶対にない。あり得ない。
でも、それは、間違いなく、あのとき自分で選んだことで……。
否定できない。
どこにも逃げ場がない。
「……違う……違うの……」
かすれた声が漏れる。
なにが違うのか、自分でもわからない。
ただ、否定しなければいけない気がしただけだ。
「いや、違わない。おまえが選んだことだ」
大樹の拒絶──。
「あ、ああ……」
身体の奥がひやりとする。だが、呼吸は崩れない。
「くふうっ」
その瞬間、内側に走る振動の衝撃で思考を遮られる。
大樹がハンドルを握る指がハンズフリーのボタンに触れている、それで操っているのだとわかる。
「あっ、ああっ、や、やめて──」
快感のうねりに耐えられない。四肢に鋭い愉悦が響き渡り、綾子は胸を喘がせ、あられもない声をあげてしまう。
しかし、絶頂の寸前で振動が途切れる。焦燥感に綾子は気がつくと太腿を擦り遇わせていた。
「罰を受けて楽になりたいのか? それがお前の望みか?」
大樹が顔を前に向けたまま言った。
綾子ははっとした。
罰を受けて……楽になりたい……。
それが望み……。
その言葉が、頭の中に残る。否定できない。消えない。
綾子は息を殺した。
なにも言えない。
時間の感覚だけが、曖昧に伸びていく。
窓の外で、波が岸壁に当たる音が、一定の間隔で続いている。
低い霧笛が一度だけ鳴った。
「女がいた」
そのとき、不意に大樹が呟くように口にした。
綾子は眼を見開いた。
「女……?」
一瞬、言葉が途切れる。
呼吸がわずかに引っかかる。
だが、当然か。あれから十年──。綾子も結婚をして夫がいる。大樹にも女性がいて当然だ。
「ムショを出て、まともな仕事のない俺を拾った。あれがいなければ、俺は生きていけなかった」
「……そんな人が……」
胸の奥が、重く沈む。
わずかな引っかかり。
それがなんなのか、すぐにわかる。
綾子は大樹を捨てて陥れた。その大樹を支えた女……。
どんな女性だろう……。
気になる。
しかし、それを訊ねる資格などないことは、綾子にもわかっている。
「だが、死んだ」
綾子は息を止めた。
次の言葉が出てこない。
「……そいつと、あいつの作ったチームごとだ」
「……チーム……?」
チームとはなんだろう。
おそらく、いまの大樹の強さに関係があるのだろうが……。
「俺もその中にいた」
短く、それだけを言う。
「そう……なの……」
「黒耀会が粛正を指示した」
「黒耀会?」
綾子は思い出す。
駐車場で大樹が黒耀会のことを訊ねたことを──。そのときに大輝が言ったのが、「綾子がいつも同じ間違いする」という言葉だった。
愕然とする。
「俺も同じだ。知られれば殺される」
静かな断定だった。
逃げ場のない事実だけが、そこに残る。
その黒耀会に……おそらく、綾子は大樹の存在のことを流している……。
綾子はいつも同じ間違いをする──。
まさにそのとおりだった。
「ごめんなさい……。なんとかする。この償いは必ず……」
「黙れ──」
大樹が綾子を見る。
戦慄が綾子の背を貫く。
ぞっとするほどの冷たい眼だった。
「軽々しく償いという言葉を口にするな」
大樹の口調には、綾子に対する憎悪の響きがこもっている感じがした。
謝罪の言葉を口にしようとして飲み込む。
「お前は、いつも同じ間違いをする」
「ご、ごめ……。い、いえ……」
またしても、口に仕掛けた謝罪の言葉を飲み込む。自分にはその言葉を口にすることは許されない。
「ひとつだけ、言っておく」
すると、急に大輝が口調を変えた。
思わず、びくりと身体を震わせてしまう。
「は、はい……」
「俺は昔の俺じゃない……。お前が切り捨てた、ただの善良で世間知らずのエンジニアじゃないんだ。お前が罪を償おうとしているかつての俺はいない」
大樹は言った。
「そ、それは……もちろん」
綾子は慌てて頷く。
「……人も殺してる……。綺麗な手じゃない」
「それは……」
綾子は言葉に詰まった。
冤罪ですべてを失った大樹がどんな人生を送り、どんな風に変わっていったのか……。それは綾子の罪である。
「それは……わたしの罪……。わたしもまた、綺麗な手じゃないわ……。汚れてる。夫にだって……」
大樹を陥れた西園寺直人──綾子の書類上の夫は、いま病院にいる。
愛人と医師に手を回して毒を飲ませ続けているのだ。まだ死んでない。それだけの存在だ。
生かしているのは、大樹が復讐の対象にするかもしれないからである。それだけのために延命させている。
そのことを、いまこの瞬間でも罪悪感を覚えることはない。
「だが、今回のことで改めてわかったことがある」
大樹がまたもや、ハンドルにある淫具のスイッチを押すのが見えた。
「う、うあっ」
綾子は声をあげ、太腿をすり寄せたまま、シートベルトの掛かっている上体を前に曲げる。襲ってきた刺激は峻烈だった。
振動がだんだんと強くなる。
一切の思念が飛ぶ。
刺激に耐えられずに、綾子は身体を大きくくねらせた、
いくっ──。
そう思った。
しかし、またしても、突然に振動が遮断した。
「ああ……」
綾子はがくりと脱力してしまう。
身体はもう耐えられないほどの妖しいうねりで燃えあがっていた。
「……お前とよりを戻すことはない。昔の関係にも戻らない」
すると、突然に助手席が水平の位置まで倒れた。運転席の大樹が身体を乗り出して、綾子の身体に覆い被さってきた。
「えっ?」
驚きで、思わず声をあげる。
大樹は、押し倒したような体勢のまま、綾子を見下ろしている。
「……だが、お前は野放しにできない女だ」
低く、断定する。
そのまま、綾子の身体を後ろへ引きずってずらす。逃げ場のない位置に固定し、押し倒す体勢から、さらに馬乗りになった。
「だ、大樹──?」
「黙れ」
短く遮る。
視線を逸らすことも許されない。
「……お前は、俺の管理下に置く」
一瞬、意味が追いつかない。
「自由はない。俺の許可なしでは、なにもするな」
淡々とした声だった。
命令ではなく、すでに決まっていることを告げる口調だ。
「……っ」
拒絶しようとする思考が、途中で止まる。
身体が先に理解してしまう。
「仕事も生活もだ。誰と会うか、なにを話すか──全部、俺が決める」
逃げ道がひとつずつ潰されていく。
「お前は俺のものだ……。だが、対等じゃない」
その一言で線が引かれた。
綾子は小さく頷く。
「奴隷だ」
「……奴隷……」
言葉をなぞる。
背筋が震える。
拒絶ではない。
理解だった──。そして、歓喜だ。
「お前に選択肢はない。無理矢理でも従わせる」
完全な支配──。
「……わたしを……」
声が漏れる。
「大樹の……奴隷に……して……」
止められない。
大樹の奴隷になる……。
支配される……。
ああ、なんという……。
「全部……奪って……」
懇願だった。
大樹がわずかに目を細める。
「まず、自由はない」
短く確認するように言う。
「え、ええ……自由は……いらない」
「それから──」
わずかに間を置く。
「……股間は封じる」
「……えっ?」
「貞操帯を着ける。勝手に触ることも、処理することも許さない」
事実を並べるだけの声──。
「……はい……」
綾子の身体が震える。
だが、逃げようとはしない。
「排泄の自由すらない。俺の許可なしでは、なにもできない。許可制だ」
完全に閉じられる。
逃げ場は、もうどこにもない。
「……ああ……」
息が甘く漏れる。
理解してしまう。
それが、すべてを管理されるということ……。
それでも──。
「それでいい……」
綾子は微笑んだ。
小さく、しかしはっきりと。
ぼろぼろと涙がこぼれた。
「それがいいの……」
迷いはなかった。
大樹がズボンを下ろす。
視線を外さないまま、綾子の脚を押し開かせる。
貼り付けられていた淫具を、パッドごと乱暴に引き剥がした。
「……くっ」
パッドにくっついていた陰毛が幾らか引き剥がされて激痛が走る。
だが、それさえも、いまの綾子には快感だった。
大悟が剥き出しにした自分の怒張を、綾子のそこへ押し当てられた。
次の瞬間、そのまま貫かれる。
「ああっ──」
身体が跳ねる。
思考が飛ぶ。
深く、強く──。容赦なく押し込まれる。
「あ、ああっ、だ、大樹──、あっ、あっ」
「……俺のことは大樹様と呼べ」
大樹が激しく律動しながら声をあげた。
「対等に話すことも許さない」
「……だ、だいき、さま……」
言葉が自然に出る。
抗えない。
それが正しい形だと理解している。
「……ああ、大樹様……っ──あ、ああっ、ああ──」
声が震える。
だが、それは恐怖ではない。
心からの歓喜だった。
「……ああ、大樹様……っ──あ、ああっ、ああ──」
声が震える。
だがそれは恐怖ではない。
心からの歓喜だった。
「口を開けろ──。許可なく、閉じるな」
大樹が律動を送り込みながら命じる。
「……っ、あ……」
綾子の喉から、抑えきれない声が漏れる。
迷いはない。
命じられるままに、口を開く。
視線も逸らさない。
それが正しいと、身体が理解している。
大樹がそのまま口を重ねる。
深く触れられ、思考が途切れる。
拒むという発想そのものが消えていく。
閉じることは許されていない。
与えられるままに受け入れるしかない。
甲高い声が迸った。女実業家としての慎みも羞恥も失った淫欲な雌の声だ。
容赦なく舌を絡め取られる。
「……っ」
呼吸も、反応も、すべてが乱される。
それでも従う。
それが命令だからではない。
それ以外の選択が、綾子にはもう存在してない。
「あああ、はああっ」
全身に芳烈な喜悦が響き渡る。
四肢はもちろん、指の一本一本までもが砕けるような甘美で鋭い絶頂感が綾子を襲う──。
やがて、大樹がわずかに顔を離す。
だが、綾子は口を閉じない。
閉じることを許されていないことを理解している。
開いたままの口から、浅い呼吸だけが漏れる。
大樹の動きがさらに深くなる。
綾子の身体が大きく震えた。
大樹が綾子の中に溜まりに溜まった精を放つ。
二射、三射──。注ぎ込まれる。綾子は身体を震わせた。
「……あ、ああ……っ」
声が崩れる。
だが、口は閉じられない。
命令が続いている。
やがて、その動きが止まる。
「……しばらく、そのままでいろ」
大樹が身体を離しながら、淡々と告げる。
綾子は動かない。
口を開いたまま……。
許可がない。
閉じることはできない。
視界が揺れる。
思考は静かに沈んでいく。
「……あ、ああ……」
開いたままの口から涎が垂れ流れていく。
綾子は、ただただ、命じられた状態を維持する。
それだけが、いまの自分に許されているすべてだった。
【対決篇・完】