冤罪で俺の人生を奪った元恋人が、俺の人生を買いに来た話【完結】 作:ドン・ドナシアン
021 この苦しみこそ、求めていたもの
「……それは、三つとも処分だ」
「……はい」
大樹の指示に従い、綾子は手に持っていたスラックスとデニムを足元のゴミ袋に押し込んだ。
袋は並んでいる。すでに四つが大きく膨らみ、いまは五袋目に移っている。袋の半分は下着類だった。布が無造作に押し込まれ、形を崩したまま積み重なっている。
これからの生活で下着の着用はほとんど許可しない──そう告げられ、その大半を処分するよう命じられた。残されたのは数点のみ。すべて白で統一され、それ以外はストッキングを含めて破棄が指示された。
いまも衣類がゴミ袋行きに追加され続けている。袋はさらに歪みながら広がっていく。
ここは自宅であるタワーマンション最上階の一室だ。
ガラス張りの壁面の向こうに、都心の夜が広がっている。ハイウェイの光が流れ、高層ビルの灯りが点在する。すべては遠く、音は届かない。
室内はそれと切り離されている。
床は厚いカーペットで足音を吸収する。照明は抑えられ、家具はどれも無駄がない。
綾子はクローゼットルームの前に立っている。中から取り出した衣類を大樹に見せ、処分か残置かの判断を受けている。
それを繰り返している。
これは儀式だ。
支配の成立を維持するための、確認行為──。
迷う必要はない。
なにを残し、なにを捨てるか……。かつてはすべて自分で決めていた。
だが、これからは違う。
大樹が決める──。
綾子は、それに従う。
それでいい。
そうしている方が、はるかに明確だった。
綾子は、それを選んでいる。
期限はない。
人としての立場も、女としての価値も、実業家として築いてきたものもすべて手放して、大樹の奴隷となる──。
それが大樹の出した綾子の贖罪を受け入れる条件だ。
綾子は受け入れた。
心が震えるほどの悦びとともに……。
これからは、大樹の奴隷としての生活──。
身につけるものは当然として、食べるもの、飲むもの、排泄に至るまで管理の範疇だと言い渡された。ゴミ袋に入れた衣類は当然として、このマンションも家具も、貯金も財産も一切を綾子は大樹に差し出すことに決めた。
大樹もまた、それを当然のこととして受け入れた。
彼をこのマンションに迎えて二日目──。
昨夜、綾子は西園寺グループのパーティ会場から大樹に連れ出された。ホテルマンに扮して会場に入り込んでいた彼に導かれる形だった。綾子はその場で大樹の条件を受け入れ、そのまま彼をこのタワーマンション最上階の自室へ連れてきた。
この部屋で、大樹は綾子に手を出さなかった。
軽い食事を済ませ、身体を洗わせて、それで終わりだった。
だが、そこで自由が与えられたわけではない。
綾子は寝台に横たえられ、四肢を拘束された状態で一夜を過ごした。身体の自由はなく、自分の意思で触れることも許されない。奴隷となった以上、その身体は綾子自身のものではない──それが大樹の前提だった。
綾子はそれを受け入れた。
その状態のまま眠り、朝まで一度も目を覚まさなかった。睡眠薬なしで熟睡したのは、数年ぶりのことだった。
そして朝、新しい一日が始まった。
全裸に近い制限された状態で洗面と食事の準備を行い、大樹と向かい合って朝食を取った。
だがその途中で会社から至急の連絡が入る。テレワークでの対応が必要となり、綾子は食事を中断して処理に入った。
その結果、朝に定められていた排泄の時間を自ら逃した。
排泄は任意ではない。時間はあらかじめ定められており、その枠を外れれば機会は失われる。綾子の判断で仕事を優先した以上、その結果も受け入れるしかなかった。
出勤時に与えられたのは、通常の女性用スーツだった。
外見はこれまでと変わらない。
ただし、下着は許可されていない。
代わりに、股間はワイヤー縁の革帯で封じられ、電子的に施錠された状態に置かれた。
解除のための暗証番号は大樹しか知らない。
都心環状線を連れ回されたときのような羽毛の仕掛けやディルドは使われていないが、革帯の内側には小さな突起が並び、わずかな動きでも存在を意識させる構造になっている。
そして、その革帯には排泄のための開口がない。
外部から解除されない限り、綾子は自分の意思で排泄することもできない。
その状態のまま、綾子は仕事に向かった。
本来であれば、夕方には、やっと今日初めての排泄の機会が与えられるはずだった。
綾子自身も、それを前提に定時での帰宅を選んでいた。朝から一度も許可されていない状態はすでに限界に近づいており、これ以上の遅延は許容できないと判断していたからだ。
だが、帰宅直前にどうしても処理しなければならない案件が入った。
放置すれば会社に直接的な損失が出る内容だった。
綾子はそれを優先した。
結果として、帰宅は二時間遅れた。
大樹はその判断自体を咎めなかった。
だが、排泄の時間に綾子が目の前にいなかったという事実は別だった。
夕方の排泄は、そのまま無効とされた。
帰宅後、スーツを脱ぐと、大樹に返した。
だから、いま綾子が身につけているのは、その革帯だけだ。
次に排泄が許可されるのは、就寝前のはずだ。
それが現在の状態だった。
その半裸状態で夕食を取り、そして現在、衣類の処分が行われている。
袋は並び、衣類は指示に従って次々と押し込まれていく。
綾子は判断を持たない。
すべては大樹が決める。
綾子はそれを実行するだけだ。
「あ、あのう……大樹様……」
しかし、綾子はついに耐えることが難しくなり、口を開いた。下腹部の奥が限界まで張り詰めている。
衣類の選別は、そろそろ終わりかけている。しかし、もう限界だった。綾子は自分の顔が蒼褪め、二肢が小刻みに震えるのをどうしても止められなくなっていた。
「なんだ?」
大樹がブランデーの入ったグラスを傾けたまま応じる。
「お、お願いです。先にトイレに行かせてください」
綾子は哀願した。
波のように押し上げてくる圧迫感は、すでに無視できる段階を遙かに越えていた。
視線の先、室内の奥で大樹が動かない。
革張りのソファに深く身体を埋め、片肘をアームに預けたまま。琥珀色の液体がゆっくりと揺れ、照明を受けて静かに光っている。裸身に高級ガウンを身につけ、香りを楽しむように一度口に含み、わずかに喉を鳴らす。
「排泄の時間は決まっている。お前は二度、それを自分で捨てた。それだけだ。早く、次の服を持ってこい」
低い声が、短く届く。
「はい……」
綾子は項垂れながら、クローゼットルームに戻っていった。
足取りは崩れない。だが、もう余裕は残っていなかった。
苦しい……。
逃れたいと感じるだけの理由は、十分にある。
だが、それでいい。
自分は、そうあるべきだと理解している。
排泄すら許されない状態に置かれていること……。その苦しみを与えられていること……。
それ自体が、すでに答えだった。
もっと苦しむべきだと、綾子は思っている。
その苦しみを大樹が与えている。
それだけで、身体の奥に別の感覚が広がっていく。
圧迫とは別の、静かな熱のようなものが満ちている。
呼吸は乱れていない。
思考も崩れていない。
ただ、内側だけがゆっくりと満たされていく。
それを否定しようとは思わなかった。
苦しさと、その感覚は矛盾しない。
むしろ、同時に存在していた。
綾子はそれを受け入れている。
この苦しみこそ、求めていたものだった。
大樹に謝罪を受け入れられ、赦しの言葉を与えられかけたあの瞬間──。
あのとき感じた恐怖に比べれば、いまの苦悶の方がはるかに明確だった。赦されることの方が、よほど恐ろしかった。
逃げ場がないこと。
許されないこと。
そのすべてが、形を持ってここにある。
だからこそ、迷いはない。
この苦しみの方が正しかった。
綾子は、その苦しみとともに、次の衣類を手に取る。
「私的な外出用の春用のワンピース三枚です。右側のものは頻繁に。左側のものはそれぞれ一度か二度ほど袖を通しただけです」
クローゼットから出してきた次の服を大樹にかざす。
「全部処分だ」
「はい」
綾子は手にしていたワンピースをゴミ袋に突っ込んだ。
迷うことはない。
満たされていた。
やがて、やっと衣類の選別は終わった。
すでに、夜の十時を超えている。
袋は八つ。
床に並んでいる。
また、綾子の全身はじっとりと汗ばんでいた。
冷たい汗が、背中を伝っている。
尿意が強すぎて息苦しさも襲っていた。
下腹を締め続けるために、無意識に力が入り続けている。
その緊張が、全身に広がっていた。身体の震えは止まらない。
「ああ……」
知らず、綾子はその場にしゃがみ込んでしまった。
両手で股間を押さえる。
股間の筋肉は、引き締め続けていた。
緩めれば終わる──。
そう思っている。
だが──緩めても、出せないのではないか……。
外に抜けていく感覚がない。
逃げ場がない。
そう感じるほどに、革帯は深く食い込んでいた。
あまりもの尿意で、いまは痛みさえも発生していた。
「綾子、こっちに来い。西園寺グループについて、簡単に説明しろ」
すると、大樹が声をかけた。
「はい」
綾子は立ち上がる。
下腹を締め続けたまま、そのまま大樹のもとへ歩み寄った。
座る場所は決まっている。
大樹の足元だ。
綾子はその位置に膝を折り、正座をした。
剥き出しの乳房は、両手で押さえる。
顔は上げた。
視線は自然と大樹へ向かった。
下腹が、強く締めつけられる。
限界は越えている。
それでも、姿勢は崩さない。
「ああ……」
押し殺す。
呼吸が止まる。
逃げ場はない。
「……いまの会長は、西園寺宗一郎だったな」
大樹が訊ねた。
「は、はい……。創始者であり……一族の長です……」
「お前の義理の祖父だな」
短く入る。
綾子は息を呑む。
「一応……そう……なります。い、いまだに……グループの最終決定を……すべて握っています……」
「グループ規模は」
「……数兆規模です……。持株会社の……西園寺ホールディングスを中心に……」
腹が跳ねる。
声が揺れる。
「西園寺ホールディングス……。それが中核か」
「は、はい……そこに……各事業会社が……繋がってます」
「分野は」
「金融……不動産……流通……製造……」
ひとつずつ、吐き出す。
呼吸が乱れる。
「海外もか」
「……はい……国内外に……広がっています……」
綾子は説明を続ける。
創始者にして、いまだにワンマン体制を崩さない老獪の西園寺宗一郎──。
宗一郎の子世代の長男派閥、次男派閥……後継者争いはあるが、彼らに与えられている実権は最小限。
そして、孫世代の嫡男である西園寺直人──。綾子の夫。綾子は直人の妻という立場で、中核役員のメンバーに名を連ねている。
大樹に訊ねられるまま。秘密は…ない。
すべてを曝け出す。
小一時間経っただろうか……。
いよいよ、尿意は限界になっている。いや、限界は越えている。
「ああ、大樹様……お願いです。もう……」
綾子はもう何度目がわからない哀願をする。
しかし、大樹は反応しない。
綾子は震える自分の身体を抱きしめる。
「大体はわかった。ならグループを奪え。命令だ」
大樹は、視線すら動かさずに言った。
言葉はあまりにも平坦だった。
だが──その意味だけが、遅れて落ちてくる。
「……はっ?」