※この作品はR-18です。

冤罪で俺の人生を奪った元恋人が、俺の人生を買いに来た話【完結】   作:ドン・ドナシアン

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009 今日は大変な夜になるはずだ

「Hé, la petite… ça va? (おい、嬢ちゃん……どうした?)」

 

 身体の大きな外国人の男が、声を掛けながら、綾子に歩み寄ってきた。

 半袖のシャツの袖口から、太い腕がむき出しになっている。日に焼けた肌に、黒いタトゥーが絡みつくように彫り込まれていた。

 肩幅も広い。ロッカーの通路が急に狭くなったように感じられる。

 

 男の視線は、遠慮なく綾子の胸元へ落ちている。紺のジャケットの合わせはどうしても少し開いており、ブラを着けていない胸の柔らかな重みが、その隙間の奥で揺れていた。

 その視線と言葉の軽さが、綾子の神経を逆撫でする。

 羞恥と動揺が胸の奥で絡み合い、瞬く間に怒りへと変わる。

 

「Ne vous approchez pas! Ça ne vous regarde pas! (近づかないで! あなたに関係ないわ!)」

 

 思わず叫ぶような声になっていた。

 通路を歩いていた何人かが、思わずこちらを振り向くのが見えた。

 

「Tiens… une pute qui parle français. C’est rare. (へえ……フランス語がわかる娼婦か。珍しいな)」

 

 男の口元に下卑た笑みが浮かぶ。その言葉で綾子の頭に血が上った。

 

「Qu’est-ce que vous avez dit? Espèce d’ordure! Dégage! Ne me touche pas! Compris?

(いまなんて言った? この下衆! 失せなさい! 触るんじゃない! わかった?)」

 

 怒りのままにフランス語が口をついた。鋭い言葉を叩きつけるようにまくし立てる。

 

「Tch…… Habillée comme une pute et elle gueule. Merde. (娼婦みたいな格好のくせに、喚きやがって。糞ったれ)」

 

 男は舌打ちをひとつして肩をすくめ、そのまま背を向けた。

 スーツケースを引きながら、人の流れの中へ消えていく。

 

 男の背中が人の流れの中へ消えた瞬間、綾子の身体から力が抜けた。

 膝が折れそうになるほどの安堵だった。

 

 だが、その安堵は一瞬で消える。

 綾子ははっとした。

 周囲の視線に気づいたからだ。

 

 ロッカーの通路の前で、何人もの人間が足を止めてこちらを見ている。

 通り過ぎるはずの人の流れが、わずかに淀んでいた。

 指を差して、なにか言う者もいる。

 数人だが、スマートフォンを向けている者の姿も見えた。

 

 綾子の背中に冷たいものが走る。

 さっきの声は大きすぎた。しかもフランス語で怒鳴り散らしたのだ。

 人が注目しないはずがない。

 

 綾子の胸が強く上下する。

 紺のジャケットの下は裸だ。ブラも、インナーもない。こんな格好で、駅のロッカーの前で、外国人とフランス語で怒鳴り合っていた。

 どう見ても異様だ。

 

 視線が刺さる。

 綾子の脚が震えた。

 

 そのときだった。

 突然、ロッカーの中から大音響が響いた。

 携帯電話の着信音だ──。

 

 金属の箱の中で反響し、通路に鋭く鳴り響く。

 綾子の心臓が跳ね上がった。

 

 大樹──。

 

 綾子は慌ててロッカーの中へ手を突っ込んだ。

 だが、掴んだときにはもう遅かった。

 着信音は止まっていた。

 

 ワンコールだけ……。

 綾子は愕然とした。

 大樹からの連絡だったのに──。手に持っておけばよかった……。

 しかし、それを悔悟するいとまはなかった。

 

 視界の端に別の光景が入ったのだ。

 少し離れた場所で、中年の女が駅員になにかを話している。その女の手は、明らかにこちらを指差していた。

 綾子の胸が凍りつく。

 もしかしたら、外国人と揉めていたことを説明している?

 

 その駅員がこちらを見て、近づいてきた。

 裸身にスーツだけという破廉恥な格好。背中には淫具の入ったロッカー。

 

 どうしよう……。

 どうすれば……。

 綾子の呼吸が止まった。

 

 綾子は両手をロッカーの中へ突っ込んだ。

 電話を握っていた反対の手でローションの小瓶を掴む。さらに、ディルド付きのベルトを抱え込むように掴んだ。

 

 黒いラバーのディルドを胸の谷間に押しつけるようにして抱える。

 次の瞬間、綾子は走り出していた。

 駅員が近づいてくる方向とは反対へ──。

 

 脱兎のごとく駆け出す。

 全力疾走に近い勢いだった。

 

 コンコースの人の流れを抜け、脇へ延びる通路に飛び込む。

 視界の先に、公衆トイレの表示が見えた。

 

 走る──。

 周囲の人間が奇異の視線を向けてくるのを感じた。

 

 だが、もう構っていられない。

 トイレの表示のある通路を曲がる、

 すぐ手前に、緑色の多目的トイレの扉がひとつ空いているのが見えた。

 

 綾子は、走ってきた勢いのまま、解錠ボタンを押す。

 「ドアが開きます。」という音声とともに、自動ドアがゆっくりと開いていく。

 付近にいた通行人が異様な雰囲気の綾子に、意識を向けているのは背中でわかった。ただ、振り返って、それを確認する勇気はなかった。

 その時間が永遠のように感じられる。

 ディルドが見えないように、懸命に腕で隠す。

 身体が入れるほどの隙間ができた瞬間、綾子は無理矢理に身体を滑り込ませる。

 

 すぐに内側から施錠ボタンを押す。

 電子音が鳴る。

 ロックの掛かる音がして、機械音声が流れた。

 

 綾子は淫具を抱き締めたまま、その場にしゃがみ込む。しばらくのあいだ、その場から動けなかった。

 肩で息をしている。胸が激しく上下していた。走ったせいだけではない。恐怖と羞恥と動揺が、まだ身体の中で暴れている。

 

 やがて、しゃがみ込んだまま、震える手で握っていた携帯電話を見下ろす。

 大樹から渡された、着信専用に改良された古いガラケーだ。

 綾子は、淫具付きのベルトを抱えたまま、指先で操作する。

 

 しかし、画面にはなにも表示されない。

 着信履歴は残っていなかった。

 

 綾子の胸がぎゅっと締めつけられる。

 

 さっき──たしかに鳴った。

 ロッカーの中で、あれほど大きく。

 

 それなのに、履歴は残っていない。

 

 綾子は唇を噛んだ。

 

 どうして手に持っていなかったのだろう。

 そうしていれば、あのときすぐに取れたのに。

 

 電話を持っていれば──。

 

 胸の奥に後悔が広がる。

 目の奥が熱くなった。

 

 ふと、別の考えが浮かぶ。

 

 大樹は、どこかから綾子の様子を見ていたのだろうか。

 ロッカーの前で立ち尽くしていた姿を……。

 淫具を手に取るのを、躊躇した瞬間を……。

 

 その様子を見て──警告された?

 

 いや、それどころか、あれが警告ではなく、拒絶だったとしたら……。

 

 ロワシーの館──。

 大樹からの手紙の中で喩えられていた言葉……。完全に支配され、完全に従う者だけが入ることを許される場所。そこに、綾子は入る資格がないと、もう判断されたのではないか……。

 

 胸が苦しくなる。

 涙が出そうになるのを、綾子は必死にこらえた。

 

 ふと視線を上げる。

 目の前の壁に、大きな鏡があった。

 綾子は、そこに映る自分の姿を見る。

 

 髪は乱れ、額には汗が滲んでいる。

 息を切らし、顔まで赤くなっていた。

 紺のジャケットの胸元は大きく開き、裸の胸の谷間が覗いている。乳房にも汗がねっとりとついている。

 

 その姿を見た瞬間、綾子の胸に嫌悪が広がった。

 なんてみっともない姿だろう。

 こんな顔で、こんな姿で、大樹に会おうとしているのか。

 

 綾子は立ち上がり、洗面台へ歩いた。ロローションを台に置き、躊躇ったが電話も隣に置いた、すぐに手に取れるように意識して。

 蛇口をひねる。

 冷たい水が流れ出る。

 

 両手ですくった水を額に当て、髪を整える。

 乱れた前髪を指で撫で、形を整えた。トイレットぺーパーで軽く汗を吸わせる。

 

 もう一度、鏡を見る。

 汚い心の自分──。

 大樹を裏切った自分──。

 それでも──せめて見た目だけでも、大樹の前に立てる姿でなければ……。

 

 綾子は大きく息を吸った。

 まだ、間に合う……。

 すぐに待ち合わせの場所へ向かえば、大樹はきっと綾子の姿を見る。

 そして、認めてくれる……。

 会いに来てくれるはずだ。

 

 そう信じるしかなかった。

 綾子はまだ腕に抱えたままだったディルド付きのベルトを改めて見た。

 

「えっ、なに?」

 

 思わず声が漏れる。

 

 ディルドの付いている部分に、なにかが生えていた。

 最初は、汚れかと思った。

 だが違う。

 黒いベルトの表面に、獣の毛を思わせる細い毛がびっしりと植え込まれているのだ。しかも、その毛はディルドの付け根と、ちょうど陰核の当たりそうな股間の前側に当たるフロント部分に集中していた。

 さらに、そのフロント部分には小さな卵形の突起がついている。

 震える指で、そっと触れてみる。

 

「ひっ……」

 

 思わず声が漏れ、綾子は反射的に指を引いた。

 指先に、異様な感触が襲いかかったのだ。

 毛は思ったより細く、柔らかいものと、少し硬いものが混ざっていた。触れるとわずかにしなり、毛の生えている台座部分が微妙に動いて、指先をくすぐるように跳ね返ってくる。

 

 この毛はただの飾りではない。

 股間に当たる位置に、わざと集められているのだ。これを装着した女がほんの少しでも、休まることがないように……。

 

 綾子は唾を飲み込んだ。

 こんなものを、股間に直接密着させる──。

 どうなるか。想像するのは難しくなかった。

 

 あの毛が、歩くたび……身体を動かすたびに、綾子の股間をくすぐるだろう。

 胸の奥が熱くなる。

 

 だが、躊躇している時間はなかった。

 早く待ち合わせとして示されている場所に立たなければ……。

 

 綾子はローションの小瓶を手に取る。震える指で蓋を開け、ディルドの部分に透明な液体を垂らした。

 指先でゆっくりと塗り広げる。

 

 呼吸が少し荒くなる。

 そして、綾子はそのまま、ベルトを自分の股間へあてがった。

 

「うっ、くっ……」

 

 脚を開き、お尻を後ろに突き出すような格好で、まずは大きい方のディルドを果唇に打ち沈めていく。

 いまの夫とは、大樹が逮捕されてから一年後に結婚をしたが、一年後にはすでに、夫婦生活は破綻していた。夫の相次ぐ浮気と複数の愛人の存在に嫌気が差したからだ。

 だから、股間になにかを挿入するのは、八年ぶりになる。

 

 しかし、ローションのおかげだけじゃなく、どうやら、綾子の膣はかなりの蜜で股間を濡らしていた。股間だけでなく、内腿まで蜜がねっとりとまとわりつくほどにだ。

 おかげで、痛みなどなく、ディルドを受け入れることができた。大きすぎることはなかったが、存在感は圧倒的だった。

 

 次にアナル──。

 さすがに、夫にここを許したことはない。

 大樹も指で刺激することはあったが、ディルドまでは使わなかった。

 唇を噛んで、アナルに小さい方のディルドを打ち沈めていく。

 

「くふっ、うあっ」

 

 胎内に二本のディルドが嵌まったところで、ベルトの繊毛が早速本領を発揮して、股間を刺激し、クリトリスを包むようにくすぐってくる。

 必死に腰を静止させ、繊毛とディルドが落ち着くのを待つ。

 ベルトの接続部は腰の左側にある。ただ、股間の締めつけもウエストのベルトも少しきつかった。

 搾るようにベルトを引っ張って、フックさせる。

 電子的な金属音が鳴って、ベルトに施錠されたのがわかった。

 

 首を回して接続部を見る。

 鍵穴はない。

 大樹は、暗証番号がなければ解錠できないと手紙に書いていたが、その暗証番号を入力する操作具自体が別にあるのだろう。

 つまりは、大樹がはずそうとしない限りは、もうこれは外れないということだ。

 

 とにかく、早く示された場所に──。

 大樹に指定されたのは、有名なスクランブル交差点に面する駅前広場だ。

 スカートを引き下げて、スーツを整えると、綾子は多目的トイレの出口に向かおうとした。

 

「あうっ」

 

 しかし、綾子は脚をよろけそうになってしまった。

 繊毛の刺激と、二本のディルドの揺れによる、想像以上の衝撃が股間から襲いかかったのだ。

 綾子は歯を喰いしばって、懸命に腰を伸ばす。しかし、その動きだけでも、股間にある繊毛が綾子に苦悶を与えてくる。

 内側から解錠ボタンを押す。すぐに、ゆっくりと自動扉が開き出す。

 

 駅の喧噪が襲いかかった。

 綾子は下腹部を押さえるようにして、必死に足を前に出す。

 すでに、全身には汗が噴き始めていた。

 

 


 

 

 都心環状線の大きな駅前は、夕方を迎えて人の波が激しくなっていた。

 スクランブル交差点に接する駅前広場には、若者たちの雑踏が渦巻いている。

 その光景を、大樹は高い場所から見下ろしていた。駅前の商業施設の高層階にあるガラス張りの喫茶店の窓際の席だ。

 

 小さな双眼鏡を目に当てる。視界の中に、紺のスーツに身を包んだひとりの女性が映った。

 綾子がそこに立っている──。

 

 遠目からでも、その姿は目立つ。

 背筋を伸ばした立ち姿と、周囲とは明らかに違う落ち着いた雰囲気だ。双眼鏡など使わなくても、見失うことはまずない。

 

 綾子が広場に現れたのは、大樹が指定した時刻より三十分以上前だった。

 それから、約束の時間はすでに三十分過ぎている。

 つまり、彼女はもう一時間近く、そこに立ち続けていることになる。

 

 必死に左右へ視線を走らせている。

 大樹の姿を探しているのだろう。

 だが、簡単に現れてやるつもりはない。

 神経が焼き切れるまで焦らし、それから、やっと存在を知らせる。

 

 綾子は、大樹が現れるだけで歓喜を爆発させる。

 そうして、依存させる。

 これもまた、綾子への「復讐」の一環だった。

 

 双眼鏡を覗いたまま、大樹は綾子を観察し続ける。

 指示したとおりの、裸身にスーツだけの格好──。荷物もない。スマホもない。もちろん財布すら持っていない。

 それらはすべて、綾子が最初に立ち寄った駅のコインロッカーに置き去りにさせてあり、すでに回収した。

 西園寺グループで頭角を現し始めている若き女実業家──。

 そんな綾子が、本当にひとりで、しかもあんな破廉恥な格好に甘んじて現れるのか──それは賭けだった。

 

 だが、綾子は来た。

 いまのところ、大樹の目にも護衛らしい人影は見当たらない。

 どうやら、本当にひとりで、しかも、あの格好のまま、やって来たらしい。

 

 あの馬鹿げた姿で、行き先もわからないまま都心を巡ったのだと思えば、綾子が大樹に会うため本気であることは、疑いようがなかった。

 もし綾子が、本気で大樹に贖罪をしたいのではないのなら──。

 大樹はもう会う必要などないとも考えていた。

 

 ……しかし。

 綾子が本気なのだとすれば、彼女の望む「復讐ごっこ」に付き合ってやるしかないのかもしれない。

 

 回収したバッグの中には、薬剤師の処方した睡眠薬があった。あれが、綾子の常備薬なのはすぐにわかった。睡眠薬を常用する必要があるほどに、綾子は心を病ましているのだろうか。

 

 そういえば、相変わらず美人だとは思ったものの、居酒屋で十年ぶりに再会した綾子の顔は、化粧では誤魔化せないやつれがあり、傷心しきったような様子だった。

 大樹との再会の影響かと思っていたが、もしかしたら、ずっと眠れてないのだろうか。処方されている睡眠薬はかなり強いものに間違いなかった。

 

 いずれにしても、綾子をどうするかは、最後のひとつで判断するつもりだ。

 見ただけで、あの貞操帯がとんでもない醜悪な機能を持つということは予想がついたはずだ。それを綾子は本当に嵌めたのだろうか──。

 大樹は双眼鏡を覗いたまま、テーブルの上のスマートフォンを手に取る。

 そして指先で画面を操作し、信号を送る。

 

 その瞬間──。

 

 双眼鏡の中の綾子の身体がびくりと震え、膝を崩した。

 大樹は小さく笑った。

 どうやら綾子は、あのディルドを受け入れ、ベルトに施錠してきたらしい。

 一度締めれば、大樹が解錠しない限り絶対に外せない──そう忠告したはずだが。

 

 ならば、少しは相手をしてやるしかないか。

 

 本気の想いには、せめて本気で……。

 

 双眼鏡の中の綾子は、ディルドの与える刺激に、いまだに膝を折ったままだ。

 大樹は、とりあえず、信号を送って、ディルドの振動を止める。綾子が脱力したように身体を支え直した。

 

 大樹は手元のスマホから、コインロッカーに置いておいた使い捨て携帯へ向けて発信する。着信専用に改良したガラケーだ。受信履歴が保存されないよう処置もしてある。

 いまのところ、綾子には、一方的に大樹からの連絡を受ける手段しかない。

 綾子の手に握られていた携帯電話が耳に当てられる。

 通話が繋がった。

 

「もしもし、大樹だ……」

 

『あっ、もしもし、大樹なの』

 

「スクランブル交差点の向こうの商業ビルの八階を見ろ。窓際で双眼鏡を使っている男がいるはずだ。それが俺だ」

 

 一方的に伝える。

 双眼鏡の中で、綾子ががばりと顔を上げた。

 電話と窓越しでも、綾子が心の底から安堵している様子が伝わってくる。

 必死に周囲を見回し──やがて視線が合った。

 大樹を認めたのだろう。綾子の顔が泣き出しそうに歪む。

 

「……三分だけ待つ。ここまで上がってこい。但し、エレベーターもエスカレーターも禁止だ。ビルに入って左に進めば階段がある。それを使え。階段を上がったところで待ってやる……走ってこい」

 

 一方的に電話を切る。

 双眼鏡の中で、綾子が慌ててなにかを言おうとしている。

 だが通話はすでに切れている。

 

 やがて綾子は、まっすぐこちらのビルを見上げた。

 ちょうどスクランブル交差点の信号が青に変わる。

 綾子が人の流れをかき分けるように走り出した。

 ただ、その動きは明らかにぎこちない。

 大樹は小さく肩をすくめた。

 

「まあ、頑張ることだな」

 

 呟くと、大樹は、窓際の席から立ち上がりながらスマホを操作する。

 

 綾子の股間とアナルを貫いている前と後ろのディルド──。

 その二本のディルドが、激しく動き始めたはずだ。

 その表面から、強い掻痒剤の液薬を撒き散らしながら……。

 

 ふと窓の外を見下ろす。

 交差点の真ん中で、綾子がしゃがみ込んでいた。

 周囲に人だかりができ始めている。

 

 大樹はそれをしばらく眺めてから、静かに背を向ける。

 まともな状態ならともかく、三分どころか、十分あっても階段でここまで辿り着くわけがない。

 それでも、綾子が汗びっしょりになって、ここまで懸命にやってくるのは間違いない。

 

 大樹は、駅に向かうため、喫茶店を出る。

 綾子とすれ違うことがないように、エレベーターを使って……。

 

 頑張れよ、綾子──。

 おそらく、今日は大変な夜になるはずだ。たっぷりと汗をかいてもらおう。

 今夜、寝るのに……多分、睡眠薬は必要ないだろう。

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