「ただいま…」
「おかえり彩葉〜!………って、やっぱボロボロで帰ってきたね」
「うん…」
夜の十時になる頃。玄関まで彩葉を迎えに来てひと目でわかるほどに彩葉はげっそりと痩せ細っていた。実際に痩せている訳ではなく、雰囲気とか精神的な話なのだけれどね。
今日は彩葉が言っていた『丸一日めんどくさい日』だった。研究室の仕事にプラスアルファで厄介事を押し付けられたらしくそれらの処理に手間取って今に至る。
「ほらほら、ご飯出来てるから食べよ」
カバンを受け取りそこへ置く。いつもならここで靴を脱いで行こう、と言ってくれるはずなのだが、今日は違うようで。ずっと無言でかぐやを見つめている。まるで何も出来なくなった人のように。
「いろは…?」
少し不安になったからおずおずと顔を覗き込む。
「かぐや…」
「うん、何?いろ───むぐっ」
彩葉は無言でかぐやを抱き寄せた。そうして、ようやく呼吸の仕方を思い出したのか、かぐやの体に顔を擦り付けながら深呼吸した。
「かぐや…一緒に寝よ…」
そっか、今日彩葉は“そういう日”なんだ。時々彩葉はこうなって帰ってくる時がある。そういう時は大体かぐやを抱き締めて何も言わなくなってしまう。大抵こういう場合は人のマイナスな部分を直接見てきたか、ぶつけられてきたかのどちらかだ。ため息にも似た呼吸。かぐやの体に巻き付く腕はさながら蛇のよう。かぐやの肩に乗った彩葉の顔は覗けないまま、宥めるように頭を撫でた。
「ご飯は?」
「ゴメン…後で…」
「わかった」
晩御飯は温め直せば良いだけ。でも、人のココロは完全に修復出来ないから、癒してあげないといけない。温め直して一緒に持ってあげないといけない。彩葉にはそっちの方が必要だよね。
「彩葉の部屋行こ」
「やだ…かぐやの部屋がいい…」
「そっか。わかった。行こ」
分かりきった質問をして、分かりきった答えを聞いて。さも予想してなかったように答えて自分の部屋へ彩葉を誘う。部屋に入った途端に、彩葉は雑に服を脱いでシャツ1枚と下着姿になる。相変わらず綺麗な体に魅力的な体型。ストイックな彩葉だけど、体型維持をしているような姿は見た事ないから多分天然物だ。
「おいで」
「ぅん…」
ベッドを一人分空けて手招き。ズタボロになった精神の恋人がかぐやの隣に入り込む。暖かな毛布とふわふわの枕で包み込み、かぐやの胸へ抱き寄せる。
「っ───はぁ……」
ここに来てやっと彩葉の呼吸が安定した。二人きりになったからかな。それとも、家に着いたからかな。どっちでもいいけど不安な彩葉に変わりはないから、ゆっくり頭を撫で始める。二人、ベッドで抱き合って温度と湿度を感じ合う。
「……」
「……」
暫し無言の時間。こういう時は何も言わない方がいいことに気づいた。話をしない分いっぱい抱き締めて、いっぱい撫でてあげる。それがこの状態の彩葉への最善策。そして、かぐやが出来る精一杯。体を擦り寄せてくる彩葉の鼓動が伝わってくる。早くもなく遅くもない。普通のリズムで伝わってくる。
「今日は大変だった…」
「ん?」
やっと一言話したと思ったらまだ顔を胸に埋めて見せてはくれない。
「…色んなこと押し付けられて」
「うん」
「…全部抱えちゃって」
「うん」
「…全部空回りして」
「うん」
一言一言に生気がない。けれどわたしを抱きしめる腕は緩むことは無い。むしろ、強くなっているぐらいだ。少し痛むけれど、それは今日彩葉が受けた痛みよりは痛くない。彩葉の方がもっと痛かったと思うから。
「私って…ほんとダメなやつ…」
縋るようにさらに深く抱きついた。
深い深い闇へ落ちたように彩葉の彩が落ちてゆく。撫でるだけじゃ足りないという意思表示かな。鼻をすする声と軽い嗚咽か聞こえた。よっぽど大仕事を任されたのかな。それとも、誰もやりたくない事を押し付けられたのかな。彩葉は何でも出来で何でも受け入れちゃうから、今日はそれが裏目に出ちゃったんだろうな。
「うんうん。よしよし。もう大丈夫だよ。かぐやの所に帰ってきたでしょ?」
「ぅん。かぐやの所に帰りたくて今日は頑張ったんだ…」
「よしよし、ちゃんと帰って来れて偉いっ」
「ぅん…」
か細い声が新鮮で逆にかぐやも何かしたくなってきた。色んなことをしてあげたくなってきた。でも、今の彩葉に何を言ってもそばに居てって言われるだけだと思うから精一杯抱きしめた。
「今日、家にかぐやが居なかったらどうしようかと思って…」
「うん」
「私の見えない所で月に帰ってたらどうしようかと思って…」
「うん」
「怖かった…」
「うん」
マイナスな出来事が多いと色々マイナスな方へ考えが歪んじゃうのはかぐやだって知ってる。独りになる寂しさも、見えない先の不安も、置いていかれているような孤独感も、かぐは全部知ってる。だから、かぐやは彩葉を安心させる為にひとりじゃないよ、とココロを流す。
「かぐやぁ……」
それでも、彩葉は足りないみたい。巻き付く腕がまた少し強まった。ふわふわの毛布に身を包んでもまだ足りないらしい。
「何かして欲しいことある?かぐや何でもするよ?」
「…………」
ゆっくりのその顔を覗かせてくれた彩葉。やっぱり泣いてたみたいだね。目の周りが少し赤く見える。カーテンの隙間から入る月明かりが彩葉の顔を濡らした。今は二人ともベッドの上。何をするにも逃れられない。上目遣いで子供っぽい彩葉の顔が愛おしくて仕方がない。
「何でも…?」
「何でも」
巻き付いていた片腕が解けて腰からゆっくり上へ這う。そして、かぐやのブラの金具に手をかけた。外すようで外さない曖昧な手の動き。というよりも、すぐに外せる余裕があるからその感触を楽しんでいるような動き。人差し指と薬指を通して今にも外れそうで外れないギリギリの所を指で弄んでいる。
「んっ……」
もう片方の腕が解けたと思ったら、今度は下着の方に手がやってきた。人差し指を通してそのままお尻を鷲掴みにされる。相変わらず彩葉はこれが好きだね。一緒に寝る時大体いつもお尻か胸を触られる。そういう雰囲気になるようにではなくて、完全に手触りの良さで触っているみたい。それって男の人の役目かと思ったけど、恋人同士なら関係ないよって、彩葉が言ってたのを覚えてる。それで普通に納得したのも覚えてる。
「かぐやも…触って…?」
「うん。いいよ」
頷いて、彩葉のほっぺに手を添えてキスをした。少し開いた口の隙間に舌を入れて静かに絡める。あんまり激しくしないようにおかえりと撫でるようにゆっくり絡めて彩葉を宥める。息の詰まった嬉しそうな声。彩葉よりもあんまり触ってないけどいいのかな?こんな時、たま〜にヒトのココロが分からなくなる。彩葉とはもう永いけど、まだまだ見た事のない一面があるはずなんだ。
「ッは…」
ゆっくり離れて見つめ合う。口の中が暖かい。滲んだ瞳がよく見える。さっきまで色んな所が冷たかった彩葉の体。もうその体温はいつもの温い温度に戻りつつあった。いや、むしろ上がってるような気がする。艶がある唇に火照った顔。触られている所はまだ弄ばれてる。
「まだ…足んない。かぐや」
「わっ」
体がふわりと浮いて、彩葉はかぐやを上に乗せた。泣いてる顔が更に見えると思ったら、いきなり抱きしめられた。またかぐやの首に顔を擦り付けて大きく息を吸った。左手はお尻を掴んだままで右手で髪をとかすように頭を撫でている。彩葉にぎゅってされるのはよくある事だけど、ベッドの上でぎゅってされると少し違うことを思い出しちゃうからむず痒いというか、疼いちゃうというか。
「いっぱい触って…」
「彩葉…」
「安心したい……っ」
そう。多分これが一番の本音。答えのない毎日に神経をすり減らして、かぐやに会うために色んなことをして、先の見えない暗闇に自分から飛び込んで、泣きながらも走って、孤独と戦いながら孤独にならないように頑張って、かぐやはそうやってヒトが強くなる事を知っている。色んな時代の人達も手探りで色んなものを探して、失敗して、成功してきた。彩葉もその一人になったのをかぐやは知ってる。
「いろは…」
「ん…っ」
小さく名前を呼んで、またキスをしてあげた。深く深く入り込む程、彩葉はわたしを抱きしめる。吸い寄せられるように、溶け合うように、温度を与えては瞳から零れていく。
「いろは…スる?」
わざとらしく聞いてみた。雰囲気的にはそういう訳じゃないみたいだけど、今はどうなのかな。
「ん〜…」
「………ぁ」
また、彩葉の手がブラの金具を触り出した。やっぱりそれをされるとむず痒い。外した始まる合図のようでドキドキする。光の灯っていない彩葉の瞳も好きだから、何をされてもかぐやは喜んじゃう。今の彩葉の顔はそういう顔。
「本当はそんなつもりじゃなかったんだけど…かぐやのこと、欲しくなっちゃった」
「うん。それで彩葉が元気になるなら……シよ?」
ぷつん。と、金具が外れる音がした。
・・・・・・*
「ん……んんっ…」
カーテンから差し込む光を避けたくてモゾモゾ寝返りをしようとしても体が固定されちゃって動かない。寝転んだまま見下ろすと、まだ彩葉がかぐやを抱いていた。しっかりとホールドされたままかぐやの胸に顔を擦り付けている。まだまだ子供だな〜彩葉は。
「んっ…と…あちゃ〜…」
顔だけ上げて部屋の中を見回す。完全に昨日のまま時間が止まっていた。あのまま二人で寝ちゃったんだよね、これ。よくよく見れば、かぐや達両方もスッポンポンのままだ。時間を見れば朝の10時。彩葉は今日は休みなのかな?慌てて飛び起きない所を見ると多分そうなんだろうけど。
「彩葉、朝だよ。朝ご飯作りに行こ?」
「んぅ……ゃだ…かぐやと一緒にいる…」
「んぐぐぐ……」
あまりにも嬉しすぎて、ついニヤケてしまいそうになる言葉だけど、昨日の残り物を食べないと悪くなってしまう。だから、何とか彩葉の腕を引き剥がして、適当に服を拾い上げて袖を通し、キッチンへ向かう。
「〜♪」
お湯が湧くのを待ちながら、昨日の残り物をお玉でかき混ぜていると、お寝坊さんがゆっくりとした動きで起きてきた。
「かぐやぁ…?」
「あ、彩葉おはよう。……ってちゃんと服着なよ」
「かぐやだって…同じだよ…」
ワイシャツ代わりの白衣を羽織っているだけで、あとは何にも着ていない彩葉。普段かぐやに服はちゃんと着なさいって言う癖にこういう時はズボラになるんだからなぁ彩葉って。
「………」
「い、彩葉?」
なんて考えていると、また彩葉はかぐやを見て止まった。昨日みたいにまたぼーっとかぐやを見つめている。そんなに見つめられるとちょっと恥ずかしい。というか、白衣だけのせいでかぐやが昨日つけた痕がハッキリ見える。こうして見ると彩葉の体って本当にえっちだな……。
「彩───んむっ!」
「ん〜…温い」
「ちょっと…!火ぃ使ってるって!今はダメ!」
「ダメ…?」
「ひゃっ…!ちょ、どこ触ってんのさ!彩葉〜〜!!!」
その後、彩葉にスイッチが入っちゃって、またご飯を食べ損ねそうになったのはナイショの話。