※この作品はR-18です。

八番出口 ―異変の檻―   作:U字

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学習する通路

 

立ち上がるまでに、どれくらいの時間がかかったか分からない。

 

悠人は無機質な通路の中で膝を抱え、自分の身に起きたことを整理しようとしていた。

 

あの女——ユキ——は異変だった。分かっていた。通路に実体のある人間がいるはずがないと、最初の一秒で結論は出ていた。それなのに引き返さなかった。触れてしまった。求めてしまった。

 

そして腰が、ペニスが覚えている。あの膣内の吸い付くような感触を。射精した直後だというのに、下腹にじわりと鉤爪のような疼きが戻ってきている。

 

——切り替えろ。

 

悠人はズボンについた汚れを手で擦り、立ち上がった。

 

後退した分を取り戻さなければならない。今度は引っかからない。何があっても引き返す。

 

そう自分に誓い、歩き出した。

 

*

 

通路は最初に戻ったかのように、淡白な異変を仕掛けてきた。

 

路線図に「痴漢注意」の文字が追加されている区画。引き返す。

 

壁のタイルが一枚だけ肌色になっている区画。引き返す。

 

蛍光灯の光が桃色がかっている区画。引き返す。

 

悠人は機械的に処理した。感情を排し、異変の有無だけを判断する。異変があれば引き返す。なければ進む。色気があろうとなかろうと関係ない。判断基準はただ一つ、「前の区画と違うかどうか」だけだ。

 

順調だった。

 

だが悠人は気づいていなかった。通路が、悠人の反応を逐一記録していることに。

 

どの異変で心拍が上がったか。どの異変で足が止まったか。どの異変で数秒長く視線が留まったか。

 

通路は学習していた。

 

*

 

何度目かの区画で、悠人は通路の雰囲気が変わったことに気づいた。

 

蛍光灯の配置が変わっている。壁のポスターが剥がされ、代わりに業務用の掲示——清掃スケジュールや管理者連絡先——が貼られている。通路の幅も少し狭い。

 

バックヤードのような区画だった。

 

異変か?いや——通路の構造そのものが変わることは今までもあった。蛍光灯の色が変わったり、ベンチが追加されたりしていた。構造の変化と異変は別のものだ。

 

悠人は慎重に歩を進める。

 

通路の先に、人がいた。

 

女だった。だが今度はユキのような異質な存在ではない。水色の作業着を着て、モップを持ち、床を掃除している。背中を向けてモップを前後に動かす姿は、どこの駅でも見かける清掃員そのものだ。

 

悠人は立ち止まった。

 

清掃員。異変か?

 

今まで通路に人がいたのはユキだけだ。その論理で言えば、これも異変だ。引き返すべきだ。

 

だが——これがバックヤードエリアなら、清掃員がいるのは自然なのではないか?

 

悠人の視線が清掃員の背中に固定された。金髪のショートカット。作業着から伸びる細い首筋。モップを動かすたびに、腰が左右にゆっくりと揺れている。

 

作業着の裾から伸びる脚は生足で、ストッキングも靴下も履いていない。足首が細く、ふくらはぎの曲線がしなやかに張っている。

 

——これは。

 

清掃員がモップを止め、腰を伸ばした。背中を反らしてストレッチするように両手を上げる。作業着の裾が持ち上がり、腰のくびれと薄い脇腹が露出する。

 

自然な動作だ。清掃作業の合間のストレッチ。何もおかしくない——はず。

 

だが悠人の心臓は早鐘を打っていた。

 

清掃員がモップを立てかけ、壁に手をついてかがんだ。床の汚れを確認するように顔を近づける。その姿勢で——作業着のボタンが上から三つ外れていることが見えた。胸元が大きく開き、ブラジャーをしていない胸の内側の柔らかな曲線が、蛍光灯の光を受けて白く光っている。

 

汗が光っている。作業着の背中にも汗染みがある。清掃作業で汗をかくのは自然なことだ。ボタンが外れるのも、作業中なら——

 

これは異変なのか?

 

ユキは明確に異常だった。通路に裸足の白ワンピースの女が座っている——そんなものは一目で異変と分かる。だがこの清掃員は「ありえる範囲」に見える。少し色っぽいだけの、普通の清掃員に見える。

 

悠人の判断が揺れた。その数秒の逡巡が、致命的だった。

 

「進む」を選択した。

 

清掃員の横を通り過ぎようとした、その瞬間。

 

「——あら」

 

女が振り返った。

 

整った顔立ち。切れ長の目にアーモンド色の瞳。口元に浮かぶのは挑発的な笑み。化粧は薄いが、唇の赤さだけが不自然に鮮やかだった。

 

「見てたでしょ。さっきから」

 

悠人は足を止めた。

 

「いや——」

 

「嘘。ずっと見てた。ここ——」

 

女はボタンの外れた胸元を指でなぞった。汗に濡れた谷間に指が沈む。

 

「気になった?」

 

引き返せ。今すぐ。

 

悠人の足は動かなかった。

 

女——レイ——はモップを壁に立てかけ、悠人に正面から向き合った。作業着のボタンをさらに一つ外す。汗に濡れた腹部が露出する。臍のラインから下腹部にかけて、薄い産毛が蛍光灯の光に透けていた。

 

「ここ、カメラないの知ってる?バックヤードだから」

 

レイが一歩近づく。悠人は一歩退く。壁に背がぶつかった。

 

「あーあ、壁。逃げられないね」

 

レイの手がまっすぐに悠人の股間を掴んだ。

 

ズボンの上からでも分かるほど硬くなっているそれを、レイは掌で確かめるように揉みしだいた。

 

「ふぅん……正直じゃん。身体は」

 

「やめ——」

 

「やめてほしい?ほんとに?」

 

レイの指がベルトのバックルを外す。ジッパーを下ろす。下着の上から、勃起した陰茎の形をなぞる。

 

「これが『やめて』の身体?」

 

悠人は顔を背けた。だが股間から伝わる刺激に抗えない。レイの指が下着の中に滑り込み、直接肉を握った瞬間、悠人の膝がかくんと折れそうになった。

 

「ほら。気持ちいいんでしょ?力抜きなよ」

 

レイは微笑みながら悠人のものを引き出し、数回しごいた。そして悠人が見ている前で、自分の作業着のボタンを残りもすべて外した。

 

汗に光る身体が蛍光灯の下に晒される。清掃員の作業着の下は何も着けていなかった。小ぶりだが形の良い胸の先端が、汗と興奮で硬く尖っている。腰骨が浮き出た下腹部から視線を下げれば、作業ズボンの中に手を突っ込むレイの動き。ズボンを腰まで下ろすと、一切の下着もなく、綺麗に整えられた陰部が露わになった。

 

「公平でしょ?お互い見せ合ったんだから」

 

レイはそのまましゃがみ込み、悠人の硬直した性器に唇を近づけた。

 

「こっちおいで。——いいもの見せてあげる」

 

先端に舌が触れた瞬間、悠人の視界が揺れた。

 

レイの舌は驚くほど器用だった。先端を舐め回し、裏筋を根元からゆっくり這い上がり、再び先端で唇を窄めて吸い上げる。両手で根元を握りしめながら、口内で舌を回転させる。

 

「んっ……ちゅ……おっきいじゃん。期待していいかな」

 

言葉の合間にも口は止まらない。唾液にまみれた音が静かな通路に響き、壁に反射して増幅される。

 

悠人は壁に手をついて身体を支えるので精一杯だった。頭の片隅で「異変だ」「引き返せ」という声がまだ鳴っている。だがそれは遠い。今この瞬間を支配しているのは、レイの舌と、レイの唇と、喉の奥まで飲み込まれる感触だけだ。

 

レイが口を離した。唾液の糸が性器と唇の間に架かり、光に透ける。

 

「ねぇ、知ってる?」

 

レイは立ち上がりながら、悠人の性器にまたがるように脚を広げた。片方の手で悠人のものを掴み、自分の入り口に当てる。すでにぬるぬると濡れた粘膜が先端を咥え込もうとしている。

 

「ここで出しちゃったら、またスタートに戻っちゃうよ?」

 

レイの瞳が愉しげに煌めいた。

 

ルールを知っている。この女は——異変であることを自覚している。

 

「分かってるんでしょ?でも——」

 

ゆっくりと腰を落とす。先端が膣口に沈み込んでいく。熱い。ユキよりもさらに灼けるように熱い内壁が、悠人を締め上げた。

 

「——止められないよね?」

 

レイの腰が一気に落ちた。根元まで飲み込まれた衝撃に、悠人は声にならない叫びを上げた。

 

「あはっ……全部入った。ねぇ、いい?私が動くから。あんたは気持ちよくなってればいいの」

 

レイは壁を背にした悠人の肩を両手で掴み、腰を前後に動かし始めた。最初からペースが速い。悠人の意志とは関係なく、レイの膣壁が性器全体を搾り上げるように蠢く。

 

「どう?気持ちいい?さっきの女と、どっちがいい?」

 

ユキのことを知っている。通路は全部見ていたのだ。

 

「あの子さぁ、見た目は泣き虫だけど——中身はけっこう怖いよ? まあいいか。答えなくていいよ。ここが、こんなに跳ねてるもん」

 

レイが内壁を意図的に締め上げた。悠人の腰が勝手に跳ね上がる。

 

「あ、自分から腰振った。ねぇ、もっと振ってよ。自分からしたいんでしょ?」

 

挑発に乗せられるように、悠人は自ら腰を突き上げ始めていた。レイの中は狂おしいほどに心地よく、動くたびに新しい快感が脊髄を駆け上る。

 

レイは上半身を仰け反らせ、悠人の突き上げを余裕の表情で受け止めた。汗に塗れた胸が揺れ、腹筋が律動的に収縮する。

 

「そうそう。いいよ、もっと。——あんたなかなかうまいじゃん。ちゃんと奥まで届いて……んっ……あっ」

 

余裕を見せていたレイの声にも、次第に本物の喘ぎが混じり始める。悠人が角度を変えて突き上げると、レイの身体がびくりと跳ねた。

 

「あっ、そこ……っ!やば……そこ気持ち——っ」

 

悠人はその角度を維持したまま、激しく腰を打ちつけた。レイのコントロールが崩れ始める。整っていた表情が歪み、目尻に涙が浮かぶ。

 

「ちょ、ま、速すぎ——あっあっあっ——」

 

立場が逆転していた。レイの膝が震え、もたれかかるように悠人の首にしがみつく。悠人はレイの尻を両手で鷲掴みにし、下から突き上げるペースをさらに速めた。

 

肉がぶつかる音。レイの途切れ途切れの嬌声。悠人の荒い呼吸。それらが通路の壁に反響し、何重にも重なって空間を満たす。

 

「出す——もう——」

 

「っ、やだ、中はだめ——って言ったら、止まれる?」

 

レイが涙声で笑った。

 

「止まれないでしょ。——いいよ、出して。ぜんぶ中にちょうだい。そしてまた——最初からやり直し」

 

最後の一突き。悠人はレイの最奥に精を叩きつけた。レイの全身が弓なりに反り返り、膣壁が痙攣的に収縮して悠人のすべてを絞り出す。

 

「あ——ああぁっ……」

 

レイの声が消えていく。

 

声と一緒に、レイの身体が消えていく。輪郭が薄れ、透けていく。最後に残ったのは、悠人の頬に触れたレイの指先と、耳元で囁く声。

 

「——また来なよ。次は、もっといいことしてあげる」

 

通路がリセットされた。

 

悠人は床に崩れ落ちた。今度は膝を立てる気力すら残っていなかった。

 

スマートフォンを確認しようとポケットに手を伸ばす。画面は真っ暗だ。電源ボタンを押しても反応しない。

 

外界との接続が完全に断たれた。

 

だが悠人を本当に恐怖させたのは、それではなかった。

 

自分の名前が——一瞬、思い出せなかった。

 

「桐山……悠、人……」

 

口に出して確認する。大丈夫だ。覚えている。まだ、覚えている。

 

だが次は?次に異変に負けたら、次は何を失う?

 

悠人は震える脚で立ち上がった。

 

通路は何事もなかったかのように、白い蛍光灯の下で沈黙している。

 

 

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