『超かぐや秘め! 〜月下の多重同期(オーバーリンク)〜』 作:坂本太郎
夜の帳が下りたアパートの一室。窓の外には、数日前から異様なほどの輝きを放ち始めた月が鎮座している。その光は、まるで街全体を検品するサーチライトのように冷たく、心臓の奥を直接掴むような不可解な引力を放っていた。
「……また、この音か」
酒寄彩葉は、デスクに置かれたスマートフォンの通知音で、数分間の微睡みから引きずり戻された。画面には、仮想世界《ツクヨミ》のトレンドランキング。トップには当然のように『月見ヤチヨ』の名があり、そのすぐ下には、彩葉が共に歩んできた相棒――『かぐや』の名が踊っている。
本来なら、プロデューサーである「いろP」として喜ぶべき光景だ。けれど、彩葉の指先は、キーボードを叩く力も失われるほどに冷え切っていた。
「お迎え」が来る。
かぐやが冗談めかして言ったその言葉が、今や現実味を帯びた「死告状」のように、彩葉の胸に重くのしかかっている。
「彩葉? まだ起きてるの?」
ふわり、と甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
振り返ると、そこには彩葉の黒Tシャツを一枚だけ羽織ったかぐやが立っていた。月の光を反射するその髪は、夜の闇の中でも自ら発光しているかのように美しい。かぐやは彩葉の背中に寄り添い、その首筋に顔を埋める。
「……かぐや。寝てなよ、明日は大事なライブなんだから」
「彩葉こそ。……ねえ、彩葉。今夜は、私だけを見ててくれる?」
かぐやの指が、彩葉の手をそっと握る。その温もりは本物だ。けれど、彩葉の脳裏には、今日学校で見せた親友・芦花の、今にも壊れそうなほど寂しげな表情がこびりついて離れなかった。
かぐやが現れてから、彩葉の世界は一変した。それは救いでもあったが、同時にこれまで築いてきた「日常」という均衡を無慈悲に破壊していくことでもあった。芦花や真実といった、ずっと自分を支えてくれた友人たちを、置き去りにしているのではないかという罪悪感。
「ごめん、かぐや。明日の打ち合わせ、まだ終わってなくて……」
彩葉は、かぐやの誘いを断るようにモニターへ向き直った。かぐやは一瞬、茜色の瞳を細めたが、すぐにいつもの自由奔放な笑みを浮かべて身を引いた。
「ふーん。まあいいよ。その代わり、明日はいっぱい構ってよね」
かぐやが寝室へ消えた後、静まり返った部屋で彩葉は自分の手を見つめた。
かぐやとの絆は、もはや言葉では言い表せないほど深くなっている。しかし、その絆が強まれば強まるほど、彩葉の周りには「説明のつかない歪み」が生じていた。
――そして、その歪みに最も敏感だったのは、誰よりも彩葉を見てきた芦花だった。
翌朝、登校した彩葉を待っていたのは、いつもと変わらぬ完璧な笑顔を浮かべた芦花の、けれど少しだけ震える声だった。
『彩葉、放課後……ちょっといいかな。二人だけで話したいことがあるの』
それは、これから始まる「多重同期(オーバーリンク)」という名の、秘められた連鎖の最初の引き金だった。彩葉はまだ知らない。かぐやという月からの光が、彼女を取り巻く少女たちの内に潜む、剥き出しの独占欲と渇望を照らし出してしまったことを。
月が満ちるまで、あとわずか。
少女たちの運命は、現実と電脳、そして愛と嫉妬が複雑に絡み合う迷宮へとダイブしていく。