衛兵に『城門前でお待ちください』と言われた時、僕にはそのまま無視して帰る選択肢も確かにあった。
というより、僕はこの王家と、特に、ゲームでも黒幕的なポジションであった第二王子アンデルセンを警戒している。
なので『待て』と言われたら、『何かありそうだから無視して帰ろう』となるのが、普段の僕の思考のはずだった。
ところが素直に待ってしまったのは、いったいどういうカンが働いたのか。
……いや、まあ。カンも何も、『もしかしたら』という、可能性の推論があったのかもしれないけれど。
その推論は、確かに想定しうるものではあっても、意外なものだった。
「……まさか、とは思ったけど──想像よりずっと早かったな」
城門前で待っていると、僕を目指して歩いて来る人が二人いた。
ナナミさん。
……そして、レイナ。
二人の目的は真っ直ぐに僕だった。
会話できる距離まで来た二人に、僕は、ナナミさんの発言を待つことなく、こんな言葉を漏らしてしまう。
「思ったよりもずいぶん早いね」
三日の猶予を与えた。
そして、その約束が違えられる可能性を、充分に考慮していた。
だが、
もっとだらだら、時間を無駄にすると思っていたんだ。
だって、あいつらは、この世界における『時間』の重さをまったく理解していなかったから。
「アサギくん──」
「アサギ」
ナナミさんが何か言おうとしたのを遮って、レイナがこちらに近寄ってきた。
懐かしいブレザー姿。胸を放り出すように開けられたブラウスのボタン。短すぎるスカート。
……本当に懐かしいな。僕は昔からレイナのことが間違いなく嫌いだったけれど、それでも、こんな姿は、ついつい、目で追ってしまったものだ。
人並みの性欲があった。短いスカート、放り出された胸の谷間。それらはこの女に酷いことをされても、ついつい、視界に入れば注意を向けてしまうものだったはずだ。
でも、今は、そちらに視線を吸い寄せる、去年までは確かに感じていた、不思議な引力が消え去っているような気がする。
僕は……言葉を待つことにした。
この女がどういう物言いをするのか、気になったからだ。
「アサギ、あの……今まで、本当に、ごめん。お詫びになんでもするから、あたしも、連れてって欲しくって、それで……」
「説明はしてないの?」
レイナの発言が思ったより陳腐で、僕の興味はすぐに失われた。
ナナミさんに問いかければ、彼女は少し考えるように視線をさまよわせてから、
「『あなたを助ける代わりに、あなたには、アサギくんの奴隷になってもらう』──っていうことは、言った、けど……」
「奴隷だろ!? 聞いたって! なんでもする! なんでもするから──」
「なんでもする『
「──え、っと」
その時、レイナの視線が泳いだことで、僕は、こいつが何も変わっていないことを確信した。
人間は会話をする前に会話を想定していて、自分より弱い相手への会話では想定のパターンを絞るという脳の働きをする。
たぶんレイナが想定していたのはこうだ。『反省の意を示して、なんでもすると言えば、こいつは自分を許す。そこから、取り入ろう』。
ナナミさんがレイナを連れてきた、というより、レイナが率先して来たのでもない限り、この行動の早さは説明がつかない。
ではその動機は何かと言えば、たぶん、レイナは、僕の方が『使える』と判断したと、そういうことなんだろう。
こいつがヤナウエの彼女みたいなポジションにいたの、傍から見てて、恋愛感情からの行動には全然思えなかったよ。
こいつは根本的に寄生虫で、虎の威を借る狐なんだ。
愛しているのではなくって、媚びている。使う価値のあるものには優しくする。そういう人間性が、当時の僕にさえ透けてしまっていたほど、演技がへたくそだ。
……まあ、それでも、真正面から媚びてこられたら、顔の良さと体の良さもあって、嬉しくて、目が曇るのかもしれないけれど。
僕は散々、お前たちのことを、三人称視点で見せつけられたからさ。
通じるわけないだろ。
「何が『なんでもする
「……え? あ、あれ……?」
「謝って、改心しましたと宣言したら、それで歴史が塗り替えられて、全部、お前の主張が認められた前提で事が運ぶとか、勘違いをしたか? 『なんでもする』のは前提なんだよ。僕に従えない時に罰はあっても、僕に従えた時に褒美なんかあるわけないだろ。何を勘違いしてるんだ」
謝罪をする人を見るたびに、思うことがある。
許される前提でいすぎだと。
謝罪はあくまでも、自分が悪いことをしたと認めるスタートラインにしかすぎない。
だというのに『ごめんなさい』を、『これを言われた者は何がなんでも発言者を許さねばならず、それ以降、発言者を責めるような言動は絶対に許されなくなる魔法の言葉』と思っているやつが多すぎる。
「想定と違ったんだろうな。でも、お前は確かに、僕の目の前まで差し出された。──もう、逃げることは許されない」
奴隷。
この国には、奴隷というものがある。
一部の例外的な特例を除けば、魔法的な力を一切扱えない人しかいないこの国において、奴隷というのは法的な契約だ。
王家か領主貴族に届出を出して、それが受理されれば、奴隷というのは生まれる。
ただしこの国家において奴隷というのは、ファンタジー作品でイメージされるほど、酷い扱いをされるものではない。
たとえば王宮ですれ違ったメイドや兵士なんかの中にも、身分的には奴隷が存在する──この世界は人口も減っていっているので、基本的に、『地元の人』をむやみに酷使するような政策はとらない。なので奴隷は『退職権限のない職業従事者』、あるいは『労役に近いものを課せられた人』、という程度になる。
……ただし。
僕には、呪術がある。
だから僕の語る『奴隷』は比喩的なもので……
ファンタジー作品の奴隷と言われてイメージされるような、救いのないものだ。
「……!」
レイナが、僕に背中を向けて逃げ出した。
危機感知能力は大したものだと思う。
でも無駄だよ。
すでに
呪術とは──
──淫魔の術だ。
淫魔にできることは、僕にもできる。
「っあっ♡」
数秒走ったところで、レイナがガクンと腰を落として、その場にへたりこんだ。
さっき掌握したパスを励起させた。ただし、あいつの魔力の行き先は、淫魔ではなく、僕に変えて。
……そして、条件も、変えた。
「レイナ。戻れ」
「っ……誰が、あんたのところ──っいいいいいいいいい♡♡♡」
「僕は『戻れ』と命じた。いいか、教えてやる──一つ。僕の命令に従わない。その場合、罰が降る。そして……」
「このっ……!」
会話をするために、力の絞り出し──強制絶頂効果を弱めていた。
だから、反撃が来る。
いや、反撃を、しようと、レイナが、できるようにした。だから、きっとこの馬鹿は、反撃をする。
予定通りの進行で助かるよ。
「ああああああああああ♡♡♡」
「二つ。僕に危害を加えようとする。その場合、罰が降る」
レイナは、あとずさりして……
それからまた、僕のいない方へ、走り出した。
やっぱりわかってなかったか。
「三つ、あるいは、これが一つ目の原因だけれど……」
「っぎいいいいい♡♡♡」
「僕から許可なく離れようとした場合にも、罰が降る」
「……て、めぇ……!」
「簡単だろ。お前たちでも理解できるはずだ。『逃げるな、黙って従え。抵抗するな』。お前たちが僕に当たり前に求めてきてたことだろ」
「……」
「改めて──お前を奴隷として迎え入れよう。ようこそ、レイナ。まずは……」
「……」
「そこに、土下座してろ」
レイナは、僕をにらみつけた。
僕は、笑顔になってしまうのを、こらえきれなかった。
にらみつける、が──逆らえないことは、わかったのだろう。
実際、淫魔の呪術紋の力によって、こいつは死ぬほどイカされてる。僕に逆らえば、同じことが起きると予想することぐらいは、できるらしい。
レイナが、額を地面にこすりつけるように、土下座した。
僕と、ナナミさんと、それから、城門そばの、兵の見ている前で。
レイナは──
あるいは、本気で改心しようとしたのかもしれない。
でも、改心されても、面白くない。だって、罪を認めたら、そこからがスタートのはずだろ。改心して、半端にいいヤツになられても、ムカつくだけだ。
僕は、誰にも変化を認めない。
ヤナウエが日和ったのは、本当にがっかりした。
やっぱりだめだよ。半端に日和ったり、改心したぶったりしたら。そんなの──僕の心が、鈍るだろ。何勝手に、良い人の面みたいなの覗かせてるんだよ。何を、反省してんだよ。
お前たちは、僕にとっての『悪』のままでいてくれ。
そうしたら僕も、変わらずにいられるからさ。
レイナが土下座をしたのを見て──
……背筋が、震えた。
それは、謝意を示すポーズをあいつがとっていることに対して、というよりも。
……僕を見下して、嫌ったままで、それでもあいつが、僕に逆らえない事実を目の当たりにしたことによる、恍惚だった。
……ああそうそう。
「ナナミさん、どうする? 君も、僕のところに来るのかな」
こんな、人間としての小ささ、醜さを見せつけられて。
……いじめる側は必ず薄汚い精神の下種ではないし、いじめられる側も必ず高潔な被害者ではない。
力関係が変われば、たやすく逆転する。
この世界に、綺麗な人間なんか、一人もいない。
僕も、小さくて、醜い、ただの人だ。……あいつらと同じ、何かが少し違えば、あいつらの側に立っていたはずの、同じ、人間なんだ。人間なんだよ、僕だって。
……でも、ナナミさんは。
「……レイナを、一人にはしておけない。私も、行く」
そうだよね。そう言うんだ、君は。
「うん、それじゃあ──ようこそ。僕の
「……治療院?」
僕が追放される前後で、スラムを始め、城下町で、『ある奇病』が流行した。
それを無償で治癒して回ったことで、僕は……スラムの人たちに、認められることになった。
その時……
まだ、今ほど、知らない人に対してなめらかに話せなかった僕は、みんなに名前の一部だけを聞き取られた。
今ではその名前が、治療院の名前であり、僕の名前になっている。
その名前は……
「カミネ治療院。誰でも無償で治癒する、僕のこの世界での、拠点だよ」
続きが書けていれば明日以降同じ時間に投稿されます。
書けていなければこれで未完です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
追記
書けたので明日から二章が投稿されます。