ササイナナミ寄り
時間を少し遡り、レイナが苗床化した直後
覚悟はしていた。
でも、現実が、覚悟を容易く上回った。
ササイナナミの身に降りかかったことは、異世界転移からすべてが『不幸』という名前でラベリングできる。
しかし、もしもそういう楽で雑なラベリングを良しとしないならば……
(私は、中途半端だ)
妹が明らかに命の危機に瀕していた。
王宮にも、クラスメイトの中にも、解決できる力の持ち主がいなかった。
だから、アサギタカミネを頼った。
──ここまでは、他に選択肢がなかった。
アサギタカミネは『奴隷として差し出すなら治療する』と約束した。
今にも死にそうな
だから、妹に文句を言われる覚悟で、『命よりも優先すべきものはない』と思って、レイナをアサギタカミネに差し出す約束をした。
──ここまでも、それ以外に選択肢がなかった。
そして、いざ助かってみれば、むしろレイナの方が乗り気で、アサギタカミネの元に行きたがった。
双子の姉妹だというのに、なぜか、まったく違う世界観で生きていたことがわかってしまって、自分がどれだけぬくぬくと安全圏で『良い人』をやれていたかを思い知らされて……
妹は、約束通り、アサギタカミネの物になった。
──ここに、選択肢があった。
止められた。
アサギがまさか、あんな酷いことをレイナにするとわかっていたら、止めていた。
……レイナが、アサギにどれだけ酷いことをしていたかをきちんと見つめて、理解できていたら、止めるという選択肢を選べた。
絶対にろくなことにならないのが、わかったはずだから。奴隷にするという約束を反故にして、止めることはできた。止めたあと、アサギをどう取り成せばいいかはわからないけれど、止めることはできた、はずだった。
でも、しなかった。
奴隷と言っても、せいぜい、下働きみたいなことをさせられるぐらいだと思っていた。
まさか、あんな、人権を無視するようなことをするとは、想像もつかなかった。
(酷い──酷いのは、アサギくんじゃなくて、私)
アサギの憎悪を理解できていなかった。
アサギにとって、レイナはもはや『人間』とみなしたい相手ではなかった。それぐらいの恨みの深さがあった。そこをまったく理解できていなかった。
……このクラスで、アサギがされていたことを、理解できていなかった。
悪い人になりたくないばっかりに、いじめには関わらなかったし、アサギとも普通に話をしていた。
けれどそれは、消極的に、いじめに参加するも同然の行いだった。
……自分だけが罪を逃れるような立ち回りをしていたという観点から見れば、他の『消極的にいじめに参加している』クラスメイトたちよりも、よっぽど卑怯で酷いことをしていたとさえ言えるだろう。
(……どうしたら)
そして──
──ササイナナミは、また、決められなかった。
妹のレイナをあんな状態にしたアサギを、酷いと思った。
その酷いことをしたアサギのことを理解できていなかった自分を、酷いと思った。
だから、ナナミには選択肢があった。
『それでも』。それでも、アサギの味方をして、アサギの傍で、一緒に、あの状態のレイナとともに過ごすという、『アサギの味方になる』と決断する選択肢。
……そして。
『やっぱり』。……『やっぱり、レイナにこんなことをするのは、許せない』。そう、姉妹愛を発揮して、戦ってでもレイナを取り戻そうとする、そういう選択肢。
でも、どちらも選べなかった。
アサギの非道も、それを良しとさせたレイナの非道も、それらから距離をとって卑怯に善人でい続けた自分の非道も、何もかも、受け止め切れなかった。
だから、レイナを置いて、アサギの元から逃げた。
……そして。
そして──
(──どこに行ったら、いいんだろう)
居場所を、失った。
今さらクラスには戻れない。
……覚悟がない。レイナを売って、アサギを連れ帰れず、別れを告げたクラスに出戻ることが、できない。
かといって、今から引き返して、レイナを助けようとか、アサギとともに罪を背負おうとか、そういう覚悟も、なかった。
平和な学校生活で、ナナミはいつも、綺麗なままでいられた。
決断を避けて、責任を避けて、辛い目に遭っている人に優しい言葉だけ掛ける。その実、辛い目に遭っている人を救うためのことは、何もできない。それは『優しさ』ではなくて、『自己保身』であり、『良い人ムーブがしたいだけ』ということだった。
でも、この世界では、どこかに立ち位置を見つけなければならない。
どこかに立つためには覚悟が必要で、その覚悟を持たないと……
居場所を失う。
今の、ナナミのように。
……ナナミは気付けば、王城に戻っていた。
呆然としながら歩いていた。
そうしたらここにいた──というのが、ナナミの感覚だ。
この世界に来てから、ナナミはずっと、王宮の中にいた。
初めての外出──ダンジョン攻略を除けば、初めての外出で、アサギのいるスラムへと行った。
それだけなのだ。
『王城』『スラム』、それから『ダンジョン』。ナナミがこの世界で知っている場所は、たったの三つで、それ以外にはない。
だから、ぼんやり歩いていれば、王城にたどり着くのは必然で──
「やあ英雄。ずいぶんお疲れのようだけれど、我が友にはあまりもてなされなかったのかな?」
──その、必然、戻る場所に。まるで待ち構えていたように立つ人物がいた。
「……アンデルセン、第二王子……」
金髪を長く伸ばした、背の高い男。
彼はいつでも、待ち構えている。通りがかる場所とタイミングを完璧に掴んでいるかのように──実際、掴んでいるのだろう。
アサギはアンデルセンのことをずいぶん警戒していた。
根拠もあっての警戒らしい──が。
(……『殺されかけた』ってアサギくんは言ってた。でも……こんな穏やかな人が、誰かを『殺しかける』ことが、できるなんて……)
信じられない。
頭では、わかる。『ここは、そういう世界だ』。そこで微笑んでいる人が、腹の内側で考えていること、そうして取り得る選択肢は、ナナミがこれまで生きていた世界よりもかなり多いのだと、わかっている。
その中には『殺人』という選択肢も、もちろんあることだろう。それは、わかっている。
けれどどうしても、感覚として、こうまで穏やかで、虫も殺せないという様子の人が、人を殺す──
それは、平和な世界で生きてきたナナミにとっては、頭で理解しても、感覚としては納得できない、そういうことだった。
「何か悩み事がありそうだね。よければ話を聞きましょうか?」
「……いえ、その……だ、大丈夫です」
「そうですか」
「…………」
アンデルセンがあまりにもあっさり引き下がるので、ナナミは驚いた顔でアンデルセンを見上げてしまった。
あまりにも感情が隠れなさすぎる表情に、アンデルセンは、にっこりと微笑みを返していた。
「やはり、何かあるようで」
「……いえ、その……」
「ああ、しかし、私には話しにくいことなのでしょうね。けれど私も、悩める英雄を見て見ぬフリができる立場でもない──ああ、そうだ。ミス・ナナミ、こういうのはどうでしょう? 私は何も聞かない。けれど、絶対に誰にも話を漏らすことのない、そして、我が友アサギタカミネの知り合いでもある女の子を紹介しましょう」
「……」
「その子に言うも、言わないも、あなたの自由。どうでしょう?」
アサギは警戒していたけれど、ナナミには、アンデルセンの笑顔には、裏がないようにしか思われなかった。
アサギからの情報を軽視しているわけではない。本当に『信じられない』だけなのだ。これほど穏やかに、心配そうに微笑む人が、本当に、アサギの言うような人なのか?
……頭では『そういう可能性もあある。アサギが言うなら、そうなのだろう』とは思う。
けれど、心が、承服しかねていた。
それに……
(クラスにも、戻れない。アサギくんの家にも、戻れない……)
現実問題、今のナナミには、このあと行ける場所がなかった。
……だから。
「……わかりました。会うだけ、でしたら」
「ありがたい。……実は、引き会わせたい相手は、私の実の妹でしてね。故あって離宮に幽閉されているのです。……もちろん、危険なことをして捕まっているわけではありませんよ?」
アンデルセンが魅惑的にウィンクをする。
その無邪気そうな表情は、疲れ果て、警戒もしているはずのナナミの顔に、かすかな笑顔を引き出す威力があった。
アンデルセンはナナミの微笑を『念押しで意見が変わらない』というメッセージだと受け取ることにしたようだ。
「では、妹を紹介しましょう。こちらへ」
アンデルセンに導かれて、ナナミは王城へ戻る。
……視線がつい、クラスメイトがいるであろうあたりに向く。
(みんな、怪我とか、してないかな……でも、私がいなくても、他に回復ができる人はいるし……大丈夫かな……)
かくして。
決断する覚悟のない女は、流されるまま、『あの部屋』へと向かうことになる。
『