ササイナナミ寄り
時間を少し遡り、レイナが苗床化した直後
「まあ、新しいにおい。どなたかしら?」
ササイナナミが見たその少女は、あまりにも人間から外れて見えた。
美しすぎて、かわいらしすぎる。
小さく細いが、完成している。
目隠しをしている。黒い、目隠しだ。だが、その下に眼球がないことが、一目見て察せられてしまった。
鳥籠の上にクッションを敷き詰めたようなベッドに座る彼女は、ふわふわの白いドレスを着て、白い髪を伸ばしていた。長く、長く、伸ばしていた。あまりにも長くて、ベッドシーツをすっかり覆い隠し、それでもまだベッドの向こう側まで伸びている。
こんな髪では動けないんじゃないか──そう思った。不便そうだと思った。でも、それでいいのだと理解した。
その美しく白く小さい人の足首には、宝石とクッションで彩られた足枷がついている。
閉じ込められた人。
……確かに、彼女は、誰にも話を漏らせない。
アンデルセンがここに近寄りたがらなかった理由も、なんとなくわかってしまう。
……きっと、仕方ない事情があるに違いないけれど、『実の妹』のこんな姿は、兄としては、見ていられないもの、なのだろうと、一目で理解させられてしまった。
「もし?」
少女が、返答がないことを不自然がるように声を発した。
なんてかわいらしい声なのだろう、とナナミはまた自失しそうになり、慌てて、返事をする。
「ご、ごめんなさい。その……見とれてしまって」
「まあ。異世界の方はみなさん、お上手なのね」
「……ええと」
「カミネ様のお知り合いでしょう? 声の感じ……『伝わる感じ』が、異世界の方のものだわ」
この世界の人々は、勇者を生贄に捧げたその時点から女神の加護を失い、さらに裁きを受けている。
その裁きの中に『言葉の壁』があった。言語が違う者とは意思疎通ができないという、ナナミたちにしてみれば当たり前のものが、裁きとして刻まれている。
だが異世界人は女神の加護を得ることに成功しており、裁きから除外されている。
なので、言葉が違おうが、話を通じさせることができる。それが『伝わる感じ』という、独特な雰囲気・ニュアンスとして、感じ取られているようだった。
「えっと、カミネ様っていうのは……アサギタカミネくん……です、よね?」
「たぶんそうだわ。わたくしは、『カミネ様』と呼んでいるけれど……」
「……でしたら、クラスメイトです。えっと……御明察の通り……」
「無理に繕わなくてもいいわ。わたくしに礼節なんか、必要ないの。好きになさって?」
「……では……その、私は、ササイナナミです。クラスメイトで、えっと……」
友達です。
……そう言えればよかった。
けれど、ナナミは、自分をアサギの友人と認めることができなかった。
こんな覚悟もなく、『良い人』ぶるためにアサギを使っていた自分が、友人なんて名乗ったら、きっと、アサギは気分を悪くするだろうと、そう思うのだ。
「ところでササイナナミさんは──」
「えっと、『ナナミ』で、大丈夫です」
「──そうなの? じゃあ、ナナミさん、あなたは、どうして、わたくしのところへいらしたの?」
「それは……」
どう語ろうか、少し迷う。
アンデルセンに紹介されて、連れて来られた。……それが端的な説明なのはわかる。わかるが、『どうして、アンデルセンは、自分を、目の前の足枷でつながれた少女の前に連れてきたのか?』というあたりを説明する時に、どうしても……アサギとのやりとりや、レイナのことに、少しばかり触れる必要があるだろう。
話すか、話さないか。
話して、何になるのか。
話すべきなのか。
何もわからない。何も決められない。
ナナミが黙っていると、少女の方が、口を開いた。
「ねぇ、あなた、カミネ様の普段の様子を知っていらっしゃるのよね?」
「えっと…………はい」
「だったら、教えてくださらない? カミネ様、普段は何をされているのかしら。あまり、そういうことを聞かれたがらないようだから、こっそり、教えて欲しいわ」
なんと無垢な問いかけなのだろう、とナナミは思わず、微笑んでしまった。
その微笑には暗い陰があった。
彼女の質問に答えようと思うならば、ナナミは己の罪を懺悔しなければならないからだ。
話題を逸らすか、それとも、黙って帰るか。
……帰る。
(……どこへ? もう、私のいられる場所なんか、どこにもないのに)
ナナミは──
──流されるように、語り始めた。
「……アサギくんの、普段の様子は……彼はその、理性的な、人で……」
「ええ、本当に、そうよね。本当に、理性的で──ふふ」
そこで小鳥が朝露の甘味を喜ぶような笑いがこぼれた。
美しく可愛らしい少女の唇からこぼれたささやかな笑い。
だけれど、ナナミは、その笑いが、つい、変な気持ちになるほど、淫靡に聞こえてしまった。
……アサギの『ゲーム知識』にない──ゲーム知識を超えた、イレギュラー。
地上で唯一の淫魔還りの媚笑が、ナナミの頭の深いところを揺らす。
「ねぇ、ナナミさん。あなたは、カミネ様のことが、好き?」
「…………好き、ではないと思います。……あ、えっと、嫌いという意味ではなくって……」
「ええ、わかるわ。好ましいけれど、恋愛対象ではない──そういう意味よね」
「えっと、はい……」
「きっと、あなたには『好き』という気持ちが足りないのよ」
「……………………え?」
「言葉の選び方で、肩入れしていないのが、よくわかるもの。あなたはきっと、彼の敵ではない。でも、味方でもないのでしょうね」
「…………」
「そんなに『好きな人』と『嫌いな人』に気を遣って真ん中であろうとして、疲れないのかしら……でも、異世界転移者の方々って、そういうところがあるのよね。好きな立場でも、嫌いな立場でもなくて、なんだか少し引いた、真ん中あたりの立場から、人のことを話そうとする、そういうところ。流行なのかしら?」
……あまりにも。
あまりにも、すべてを見られているかのような、言葉に聞こえた。
好きでも嫌いでもない。
すべてに対して、そうだった。
ササイナナミは誰かを好きになったこともなければ、誰かを嫌いになったこともない。
妹のことは──何か、対抗心みたいなものを燃やされているのは、わかった。わかった上で、『双子の姉妹だから大事にするものだろう』という常識に基づいて、大事にしていた。
好きか嫌いかを聞かれると、困る。
だって、好きでも嫌いでもないから。
ササイナナミの『優しさ』はつまり、そういうことだった。
何かに肩入れをすることのない、良く言えば中立な精神性。
しかし、『好き』も『嫌い』もない人間は、コミュニティの一員になることができない。
多くの場合、コミュニティの一員になれない者は排斥・排除される。
だが、ササイナナミは美しい花だった。ただそこにあって風に揺れているだけで許される花。風が吹いた時にわずかに花弁を揺らして香りを運ぶだけで、人に満足を与える花。だから、今まで、『中立』『傍観』という態度が許されてきた。
だが、花が花であるだけで許されるのは、平和な場所のみだ。
戦いが始まり、生存のための努力が必須となったこの異世界において、ナナミは花ではいられなかった。
当人もそのことを感じ取って、立ち位置を確保しようとしたけれど──
──どうしようもなく、ズレていた。
ナナミは、好き嫌いの感情を行動原理にしていなかった。
ただ覚悟と責任がありそうな方向に進もうとし、実際に、そこまでの覚悟も責任感もない──何かに肩入れし、熱を上げ、『たとえ、世界のすべてが敵に回っても、私だけは味方だ』と言えるような相手を見つけられないまま、立ち位置を決めねばならない状況に己を追い立てただけだった。
誰も好きではないのに、『誰かの側につこう』などということが、できるわけがない。
大変でないうちはモチベーションもなく機械的に可能だが、大変になってくると、どうしても心の中に虚しさが訪れてしまって、結果的に、何にも肩入れすることなく、流されるままに流れていくだけ。
根のなき花のごときもの。それが、ササイナナミという少女だった。
「ナナミさん? まだいらっしゃるかしら」
「あ、は、はい。います」
目の前の少女は厚手の目隠しで目元を隠している。
全身真っ白な中で、その黒い目隠しだけが、浮かび上がって見えた。
「わたくしね、カミネ様が好きなの」
「……えっと……」
「だから、どうか、カミネ様の味方をしてあげて欲しいわ。あの方は──なんだか、いつも追い詰められているから。そしてできたら、好きでいて欲しいの。人の気持ちは、強制できるものではないけれど……」
「…………あの」
「なあに?」
「好きになるって、どういう気持ちなんでしょう」
幼児のような質問だ、と思った。
普段、恥ずかしくて聞けない。でも、誰かに聞いてみたかった。『そんなこと、小学校あたりで、なんとなくわかるもんだよ』と言われそうで、聞けなかったけれど……ナナミは、『誰かを好きになる』という気持ちについて、いつでも、聞いてみたかった。
少女は「そうね」と真剣に考えこんでいるようだ。
人差し指で下唇に触れるその姿は、真剣なのだろうけれど、あまりにも愛らしくて、つい、顔に微笑が上ってきてしまう。
「『この人は、鍵を持っている』と思えること、かしら」
「……鍵、ですか」
「ええ、鍵。その人の前では、誰にも話せないことを、話せる。その人の前では、自分でも知らなかった自分の気持ちが顔を出す。……心の中に、自分でも知らないうちに閉じ込めていたものが、その人の前では溢れ出す──心の扉を開く鍵を持っている人が、好きな人、なのよ」
「……そういう基準だと、私は、あなたのことが、好き、なのかもしれません」
「嬉しいわ! ……けれどね、それはきっと、誤解だわ。だって、あなたは、わたくしに話しかけていないもの」
「……ええと」
「きっとあなたは、壁にも同じ話ができるのでしょう?」
「……」
「だから、あなたの心の奥にあるものは、まだ出ていないのよ。ちょっと緩んで漏れたけれど、でも、わたくしは、あなたの心の扉を開けてはいないのではないかしら?」
「……私は、アサギくんを好きになれるんでしょうか」
「それはわからないけれど、意識してみたら、きっと、今までにないことが起こるものよ」
本当にそうだろうか?
意識したところで、誰かを好きになれる自分を想像できなかった。
だが……
方針には、なる。
「……ありがとうございます。私、どうしたらいいか、わからなくて……」
「何かの助けになったのなら、こんなに嬉しいことはないわ」
「アサギくんを好きになってみようと思います」
ササイナナミは、己の発言の異常性に気付くことはできなかった。
双子の妹を苗床にされておいて、嫌悪感がないのだ。
酷いことをしているとは思う。あれだけのことをする人の味方でいるのは、社会が許さないだろうなと思われることをしているとは、思う。
だけれど、生理的な嫌悪感というものがない。
社会が許さないので、自分も受け入れなかった。
誰にも敵対したくない少女がアサギのもとを離れた理由は、言ってしまえば、その程度のものだ。彼女の中に判断基準と呼べるような好悪の感情はなく、ただ、社会性と世間体という、外部基準により、そばに立つかどうかを決めていた。
実際の、ナナミの感覚としては、『レイナが酷いことをした。だから、酷いことをされている』というだけだ。
ナナミの中では、それで説明がついていた。そして、説明がつくことについて、ナナミは納得してしまえる。それが肉親を酷い目に遭わせる行為だとしてもだ。
そして、その異常さを指摘する、『人の心』のわかる者も、この場にはいない。
「私、アサギくんのところに戻ります。……最初に、アサギくんのやることを受け入れようと思っていたはずなのに、逃げちゃって……でも、やっぱり、良くないこと、ですよね」
「さあ? 良くないか、いいか、わたくしにはわからないわ」
「……すみません。でも……とにかく、私は……立ち位置を、決めます。きっと、必要なことだから。本当にありがとうございました」
ナナミは頭を下げ、きびすを返す。
少女はそれを見送り……
「きっと、カミネ様にはあなたが必要よ。だって……あなた、とっても
淫靡な笑みを浮かべ、ぺろりと唇を舐めた。