時系列が戻る。
クラスメイト(ネコイ)が触手オブジェになった日の夕方。
「頼むアサギ、戻ってきてくれ」
どうにもコンプライアンスという概念のない世界では、住所というのが配布フリー情報として扱われているようだった。
あるいはこれは、第二王子アンデルセンの陰謀か。
クラスメイトをやたらと僕に接触させることで、あいつが何を狙っているのか──というのは、あとから考えるとして。
この日、僕の治療院に訪れたのは、クラスメイトのワタナベだった。
こいつが前衛の何かの職業なのは、格好を見ればわかる。
どうにもダンジョンに入る格好のまま来たらしい。背中には槍を背負っていて、陶器とも金属とも言い難い、丸い肩甲のついた、茶色い鎧を身に着けている。
日中はやたらとブレザーを着てたがるやつも多いけれど、こいつは中に破れてもいいような、この世界のシャツを着ている。……だいたい、ブレザー着用については『日常感を忘れないために着ていたい』派と、『いざ帰る日のために大事にとっておきたい』派がいたように思う。こいつは後者かな。
ワタナベは確か陸上部に所属していたんだっけ。
地味な男だ。背は高いが体つきはがっしりしているとは言い難く、顔は悪くないが良いとも言い難い。成績の方も、運動、勉強、部活、どれも聞こえるような実績はなかったと思う。
いじめというムーブメントに巻き込まれないように、消極的協力をしていたうちの一人、ということになるだろう。
つまり、僕とは無関係な他人だ。
「なぜ?」
戻ってきてくれ、と言われたから、てっきりその後にメリットの提示でもあるかと思った。
だが何もなかった。頭を下げたポーズのまま固まったまま、僕がたずねるまでピクリとも動かない。
僕の問いかけに、ワタナベはようやくこちらを見て、何を考えているんだかわからない顔で首をかしげる。
「なぜ……と言われても……その……レイナさんのこと、治してくれたみたいに……」
「つまり、そちらはこう言いたいわけだ。『治療が必要そうな人物が出たから、その治療を依頼したい』と」
「いや、依頼というか、戻ってきてほしいんだ。ネコイが……」
「はっきりと言おうか。迷惑だよ。二度と来ないでくれ」
「……」
「だいたい、なんだ、その格好は? 槍を持ってこんな街中で、何をするつもりなんだ?」
「え、いや、何をするつもりもないが……」
「街ですれ違う中で、兵隊以外で武器を持ったやつがいたか? いなかっただろう? 明らかに異世界人顔の人間が、武器を持って、鎧を着て、こんな場所に踏み込むのは、敵対的な意思表示だよ。少なくとも、恫喝の目的があると、僕は判断する」
「……」
ワタナベは苦しむように視線を逸らして、唇を噛んだ。
無口で、表情の変化に乏しいやつだ。何を考えているかわかりにくい。
でも、どんなことを考えてるかぐらいは、わかる。
「まさか僕が、無償で手を貸すとは思ってないよな」
「……クラスメイト……だから……」
「そこから追い出された身だよ、僕は」
「……」
「帰れ。迷惑だ」
「ネコイが、大変なんだ。お前の力が必要で……」
「そちらが僕を必要としているかどうかと、僕がそちらに協力してやるかどうかは、まったく無関係だ」
「……」
「帰れ。二度と顔を見せるな。これが最後の忠告だよ」
「…………退けない」
「そうか、死ね」
「ちょいちょいちょい!」
あまりにも通じない相手に
くすんだ銀髪の愛らしい女の子……マウスだ。
「カミネ! せっかく友達がたずねて来てくれたんだよ! そんな冷たくすることないじゃん!」
……マウスは愛らしくて快活な少女ではあるが、こういう『情を大事にしろ』みたいなことを言うタイプ……
ではない、とも言いきれないな。
スラムの関係性は『情』で成り立っている部分もある。
何せ『
この環境の中で娼婦互助会の代表として立ち、多くの娼婦の安全な取引を斡旋する立場というのは、そう大きな旨味がない。まあ、多少、金銭的に他よりも多めにもらえるが……それに見合う苦労でないのは、わかる。
だからスラムの中は情で回っている──知りたくもなかったことだが、利益ではなく、情でも人を縛れるのだ。細かい恩義によって他者を利用する方法を、マウスは熟知し、実践している。それを、そばで見た三か月程度で、嫌というほど、学んだ。
そんな彼女が、よそ者のワタナベに『優しくしろ』みたいなことを言うのは、やっぱり不自然だな。
意図を知りたい。
「マウス、少し向こうで話そうか」
僕の提案がお気に召したようで、マウスは快活に笑って、僕が歩き出すとついてきた。
この間に帰ってくれたらそれはそれ、と思っているが……まあ、ワタナベは、帰らないよな。
頭を下げて頼み込むだけで、僕を戻すのにメリットの提示が必要だとさえ思っていない。クラスメイトだから、なんていう理由で互助が当たり前だと思っている、平和ボケ極まる地蔵。
僕は恨みを個別に管理する。
『元クラスメイトだから』というのは、その全員にヤナウエやレイナに対するような恨みを抱く理由にならない。
だが、あいつらは、僕が苦境にいる時に、消極的にとはいえ、苦境形成に協力した。
だから僕も同じようにしよう。積極的に苦しめるつもりはないが、困っていると言われて手を差し伸べることもない。その方針、だが……
「商売でも思いついたのか」
ひっそりとささやけば、マウスはニカッと八重歯をのぞかせて笑った。
どうにも、ただ放置するより、楽しいことができそうだ。
◆
マウスから提案されたことに、僕は乗っかった。
それはとても面白い試みだと思えたからだ。
「やあ、ワタナベくん。待たせてすまないね」
「あ、ああ……?」
わかりやすく豹変した態度に、戸惑っているようだった。
地蔵のように表情の固い男の顔に、感情が浮かんでいる。かなり、内面での戸惑いは大きいのだろう。
僕は──こういう時はいかにも神妙な顔をすべきだと思っているのだけれど、どうにも、これから起こることを思うと、笑いがこらえきれなかった。
やはり僕は、自分で思うよりずっと、クラスメイトに執着している。
積極的に殺してやろう、までは思わないが……クラスメイトたちが、僕のちょっとした働きかけで散々なことになると思うと、笑顔を隠しておけない。
「話もせずに突っぱねるのはよくなかったね。改めて、こちらから、ネコイさんを助ける条件を提示させてもらいたいんだけれど、いいかな?」
「条件……わ、わかった」
「症状については、想像がつくよ。レイナさんと同じような感じなんだよね。つまり、それは、僕にしか治せないということだ。ナナミさんの治療は試したんだろう?」
「え? いや、ナナミさんはここにいるんじゃないのか?」
「……そっちに戻ってないのか。参ったな、ナナミさんが必要なら、この話は白紙だ。僕のところにもいないよ」
「いないのか? 探さないと……」
「まあそれはともかく、話を戻してもいいか?」
「ともかくって……」
「…………」
「わ、わかった。……ええと、ネコイの症状は……レイナさんの感じで、合ってると思う。だから、アサギに頼めれば……」
「わかった。じゃあ、改めて、報酬について話そう」
「………………わかった」
まだ『クラスメイトのよしみ』でゴリ押そうとするなら、もう帰していいとマウスからは言われている。
そこが僕のボーダーラインだ。だが、この
これでようやく、スタートラインに立てる。
「恐らく、僕にしか治せない症状なんだろう。まあ、実際のところは、診てみるまではっきりとは言えないが──その上で、僕を城に連れ帰りたいなら、治療が失敗しようとも、治療できる症状じゃなかろうとも、まず、この条件を呑め」
「……」
「女子一人だ」
「……………………は?」
「『異世界の女』に娼婦需要があるらしくてね。女子を一人助けるなら、その女子か、別の女子か、とにかく一人、差し出せ。それが最低報酬」
「……お前、何を言ってるんだ?」
「呑めないならこの話はなしだ」
「そんな条件……許されるわけがないだろ!?」
「許されるわけがないのはどっちだ?」
「……」
「お前は、『世界で唯一の、治癒可能な能力を持つ人材』を、『クラスメイトだから』と無償で使おうとしたな。世界で唯一の人材──医者でもなんでも、世界で一人しか持っていないような技能を持った人間を使おうと思ったら、何億とかかるのは、わかるだろう?」
「……それは……」
「それを、『たった一人』で勘弁してやるんだから、あまりにも慈善事業が過ぎると思われることはあっても、『許されるわけがない』なんて言われるようなことではないよ」
「でも……!」
「値引き交渉は受け付けない。ああ、それとも──値引きしてみるか? 『女子一人』を、『女子のパーツ半分』に変えてやろうか?」
「………………」
「冗談だよ。ただの肉になったら価値なんかないからな。それで?」
「……アサギ、お前……変わったよな」
「僕の何を知っているつもりでいる?」
「……」
「『帰る』か、『条件を呑む』か、すぐに決めろ。僕も暇じゃない」
ワタナベは……
「……お、俺、俺は……ネコイを、見捨てて逃げた。ネコイは、最後まで助けを求めていた……」
「僕が出した選択肢に『無駄話をしろ』というのはあったか?」
「…………じ、実際、どうしたら、いい? 女子を一人、差し出せと言われても……納得する、わけがない……」
「背中に背負ってる槍で、何ができる?」
「……」
「その五分刈りの頭部の中身は、ただの石ころか?」
「……」
「『どうすればいい』? それは、お前が考えるんだよ。脅してでも、騙してでも、連れて来い。『一人助ける。代わりに、一人が娼婦になる』。こんなにわかりやすい交換があるか?」
「……」
「ああ、そうそう──」
ダメだ。笑いがこらえきれない。
僕はやはり、最低の、クズみたいな、性格らしい。
「──クラスのみんなにも伝えてくれよ。『誰かを一人救いたいなら、誰かを一人差し出せ。男子を救いたいなら男子を。女子を救いたいなら、女子を。もちろん、クラスメイトから僕に鞍替えしたいんだったら、一人差し出して、こちらに自分を売り込んでいいぞ』って」
「……そんなこと、言えるわけないだろ」
「ではアンデルセン王子に持ち帰ってくれ。彼の判断に任せよう」
発言の相手はそこの
こいつをここまで連れてきた、第二王子アンデルセンの手の者だ。
監視している。……気配は、なんとなくつかめる。
さて、果たして、ワタナベは……
「……わかった。俺……だ、誰か、連れて来る、から……だから、ネコイを助けてくれ……」
消え入りそうな声で。
『誰か』を差し出す覚悟をした。
「わかった。よく言えたな、ワタナベ。ご褒美に、さっきの伝言は、僕の口からみんなに伝えるよ」
震え、背中を丸めるワタナベの肩を叩いてやる。
さて、城の中に引き入れられたあと、クラスで一丸となって、僕とワタナベの約束を反故にさせようとするか──
──そこも含めて。
楽しみなことが、起きそうだった。