アサギタカミネがクラスメイトたちのいる部屋から出たあと
「我が友よ。さすがに見過ごせない事態になりそうだから、忠告をしておくよ」
クラスメイトたちの居場所を出たアサギタカミネは、廊下の壁にもたれて待っていたアンデルセン第二王子と出会う。
彼は『勇者が魔王の心臓を貫く場面を描いた絵画』のすぐ横にいて、腕を組んで、微笑んでいた。
黒い廊下の中で、真っ白いスーツを着た金髪の美丈夫の姿は、まるで暗闇の中に浮かび上がる光のようだった。
アサギタカミネは、暗い瞳でアンデルセンを眺める。
アンデルセンは、かすかに微笑み、言葉を続けた。
「やりすぎだ。……我々は、『異世界転移者』という資産を我が城から持ち出す君を、放置できない」
「そうか」
「……友よ。何が目的なんだ? 君の行動が、君自身の破滅に繋がることぐらい、わかるだろう」
アンデルセンの声には、本気の困惑と、本気の心配があった。
この男がここまで感情を声に乗せるのは珍しい。
アサギタカミネは、これを演技だと思った。だが同時に、本気のようにも思った。
どちらでもよかった。もはやアサギタカミネは、腹の探り合いをするつもりがない。
「そもそも、お前が、クラスの連中を次々と僕のところに案内させたのは、なんのためだ?」
「……治療が必要な『資産』をそのままにはしておけない」
「お前の意思か、王宮の意思か、どちらかと聞いている」
「………………」
「お前の意思なら、この事態を招いたのはお前だ。王宮の意思なら──僕を見誤っているなという感じだね」
「我々は、君の何を見誤ったのだろう?」
「僕が
「……どうでもよくなる?」
「元の世界に帰ることをあきらめて、この世界で暮らしてみて、ようやく気付いたことがあるんだ。──なあ、『生きる』って、そんなに必死にやらなきゃいけないことか?」
「……」
「レイナへの報復をとりあえずやってみたよ。……最初は、胸が好くような気持ちもあった。でも、なんていうか、思ったほどじゃなかったんだ。『報復は何も生まない』とはよく言ったものでさ。あいつらがどんなに酷い目に遭おうとも、別に、僕がこれまでやられたことは帳消しになったりしないんだ」
それまでの不幸をなかったことにするぐらいの幸運、というものは存在しない。
それまでの苦労をなかったことにするぐらいの成功、というものも、存在しない。
過去は変えられない。
傷も癒えることはない。
溜め込まれたフラストレーションは、とっくに『報復』程度でどうにかなる値を超えていた。
「どうにも僕の『快』を感じる機能は、いつの間にか壊れていたみたいだ。だからきっと、これから先の人生にも、楽しいことも、気持ちいいことも、ないんだろうと思う」
「……」
「いじめは人生を変える──最近になってようやく、『実際に、脳の機能を破壊する』みたいな研究成果も有名になったみたいだ。まったくもってその通りだと思うよ。たぶん僕は、ヤナウエの四肢を削いで、無様に射精するしかできないオブジェに変えてみても、まったく楽しくないし、胸の中のしこりが消えることも、もうない。……僕は報復なんか、求めてないんだ」
「……」
「元の世界にも未練はないし、これからの人生にも希望はない。……でもね、僕は別に、明るい未来をまったくあきらめたわけでもないんだよ」
「?」
「もっともっとめちゃくちゃにしてみたら、きっと、僕だって笑えるはずだろ?」
アンデルセン第二王子は、自分の顔から、『微笑』という仮面が剥がれていることに、遅れて気付いた。
目の前の男を確かに見誤っていたと、気付かされた。
「……友よ。君は、破滅に向かっているのか。自他を巻き込んで、すべてをめちゃくちゃにして……その先にしか『明るい未来』がないと、そこまで……絶望しているのか」
「これを絶望と呼ばれるのは心外だな。一応僕は、僕なりに、『楽しいこと探し』をしてるんだ。その結果、王宮を敵に回しても、クラスメイトたちが殺し合っても、この世界が淫魔女王に支配されても──別にいいよ。どうでもいい。それは、僕には関係がないことだ。……ああ、そうそう」
「……」
「アンデルセン」
いくら『名前で呼んでもいい』と言っても聞き入れなかったアサギタカミネが、ごくごく自然に、アンデルセンと名前を口にした。
それで、思い知らされる。……アサギタカミネは変わった。転移したてのころ、クラスから追放されたころ、その後、そして、今……何度目かの、変化をしている。
その変化は不可逆だった。
「アンデルセン、お前の陰謀を手伝ってやってもいい」
「……」
「とぼけなくてもいい。お前の行く末も、僕は知ってる。理由は知らないが──お前は、王族を皆殺しにするだろう?」
ゲームにおける、中盤以降の物語。
淫魔女王を倒し、地上に戻ったあと、『主人公』たちは、城に残した仲間がアンデルセンとその手の『影』によって、拘束されていることを知る。
そして王宮内で兵士や『影』と戦い、人間ボスであるアンデルセンと対決する流れになるのだが……
その後、城を巡ると、王や第一王子、第一王女が殺されていることを発見する。
どうしてそうなったのかは、わからない。
だが、タイミングから見て、『城に残したクラスメイトたちが、囚われる時に抵抗して殺した』か……
『アンデルセンがやった』かしか、ない。
アサギタカミネは、アンデルセンと会話をしてみて、後者だと確信している。
「あるいは、面白いかもしれない。どうだろう、僕に新しい娯楽を提供してみないか?」
アンデルセンは、冷や汗を垂らしていた。
化け物だ。
アサギタカミネはいつの間にか、化け物になっていた。
見誤ったのは、確かにそうだろう。だが……
「友よ。……今より私と君とは、無二の親友だ」
「そうか。お前が僕から奪おうとしたものと、僕にこれから与えるもので、『これから与えるもの』が上回るのを望むよ」
「もちろんだ。すべてを与えよう。……ただ一つ。妹の命と自由さえ保証してくれるのであれば、私は他に、何も求めない」
「なるほど、それが目的なら、僕らは確かに友人になれそうだ」
アサギタカミネから、手を差し出された。
アンデルセンは、それを取ることを、一瞬、躊躇した。
……この男の『娯楽』に、将来的に、妹の命や自由が喰われる可能性が頭をよぎったのだ。
だが……
「ああ、改めてよろしく。親友」
結局は、手を取る。
……かくして、王家を殺し尽くす友誼が、ここに結ばれた。
この世界の人間の命運は──
──いよいよ、終わろうとしている。
◆
ササイナナミは、暗闇の中を歩いていた。
「……っ」
ここが『ダンジョン』なのはわかる。
けれど、ダンジョンのどのあたりなのかが、わからない。
あの後……
アンデルセンの手引きで『小さな人』と面会をし、アドバイスをもらって、アサギのところに戻ろうと思った。
そうして王宮を歩いていたはずなのに……
気付けば、ダンジョンの中にいた。
「…………」
ナナミは、息をひそめ、ダンジョンからの脱出を目指している。
もともと、ダンジョンはどこもかしこも似たような暗い石と土の洞窟であるのに加え、ナナミにはいわゆる『マッピング能力』がない。
『聖女』という女神の加護は非常に強力なものだが、それは仲間ありきの回復役として強力なものにしか過ぎない。
回復や補助ができる。だが、直接攻撃の手段は……それこそ、
そして、聖力は、淫魔どもにとって最高のごちそうだ。
ナナミは、自分を追い立てるモンスターどもの気配が、興奮を帯びているのを感じ取っていた。
それはダンジョンで磨かれた感覚……というようなものではない。
女は、誰だろうと、どの年齢だろうと、自分に劣情を向けてきて、あまつさえ襲おうとするような相手の気配や息遣いは、敏感に感じ取る。
連れ込まれそうな気配。襲われそうな気配。電車内で後ろに立つ男性の息遣い。あるいは胸ばかり見ている教師の視線……
ナナミだってそういうものとまったく無縁であったわけではない。ただ、そういうのは、『実行はされないもの』だった。気持ち悪いというだけで終わるものだった。……だが。
今、見つかれば犯される。
その予感が、ひしひしと、ナナミの心を蝕んでいた。
(レイナ……)
もしかしたら、レイナが常にさらされていたのは、こういうものだったのかもしれない。
ナナミは改めて、妹の苦労の、ほんの一端を知ったような気がした。
(とにかく、出ないと。上……上に向かえば、間違いない、はず。ここが第何層かわからないけど……ダンジョンはずっとずっと、下に向かうものだから、とにかく上を目指さないと……)
息を潜め、周囲のモンスターどもの気配を必死に探りながら、移動する。
もう、一日や二日ではない時間が経っている。
食事も排泄も、睡眠さえもとっていないが、ナナミはそれでもどうにか動けた。
そういう体に造り変えられていることをナナミは知らない。けれど、結果として、女神の加護が、『呪いの力を採掘する道具』に与える女神からの保護が、今のナナミの純潔と生命を守っていた。
(……アサギくん……)
この状況、彼ならどうにかできるのかな、と思った。
けれど、彼が自分を助けに来るとは、思わなかった。
そもそも、今、ナナミがこんな状況だと、アサギは知らないだろうし……
……あの時。
レイナへのあまりにも酷い扱いをした彼を、つい、非難するように見てしまった時……
彼が、裏切られたような顔をしたのを、見た。
たぶん、アサギの中の、『何か』が崩れたのだろうと、そう思った。
だから出て来てしまったというのもある──
(私は、綺麗なままでいたかった、のかな)
がっかりされたくなかった。
汚泥にまみれたくなかった。綺麗なままでいたかった。
なんらかの加害者にならず、なんらかの被害者にもならず。
何にも加担せず、誰の味方にもならず、ただただ汚れず、被害に遭わずに生きていたかった。
……異世界に来なければきっと、そういう生き方もできたのだろう。
けれど、異世界に来て、それができなくなった。
だから覚悟をしていたつもりでいて、覚悟を上回ることをレイナがされた時……
その手引きをしてしまった自分ではなく、酷い扱いをしたアサギを責める考えが、最初に出てきた。
それがきっと、アサギを傷つけたのだろう。
だから助けは来ない。彼にとってきっと、自分は『他のみんな』と同じになってしまったから。
……だから、自分の力でここを出て、アサギに再会しなければならない。
……モンスターの気配が遠ざかる。
ナナミは岩陰から岩陰に移るように、姿勢を低くしたまま、移動した。
……遠くに、階段を見つける。
上り階段だ。
モンスターは見たことのないものなので、あるいは十五階層よりも低い場所にいるのかもしれない。
けれどこうやって隠れ潜んで階段を発見し、上へ上へと昇れば、いつかは出られる──そう信じなければ、心が折れる。
ナナミは階段に向かって、慎重に、しかし素早く移動し──
「見ぃつけた♡」
──蕩けるような、女の声を聞いて、
意識、断絶。
二章終了
三章ぐらいで終わりたい。
書けていたらまた明日かそれ以降近いうちに投稿されます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。