主人公が治療院に帰った後
22話
「な、なあ、ワタナベ……アサギ……くんと、親しいのか?」
クラスメイトから飛び出す、『クラスメイトと親しいのか?』という問いかけ。
案外、衝撃的なものだな、とワタナベは、地蔵のような、感情の読み取れない表情の内側で驚いていた。
「……親しい……か、どうかは、わからない。でも──」
素直に言えば、『親しくはない』だろう。
アサギタカミネは、クラスの誰とも親しくない。
ただ、ワタナベが、他のクラスメイトよりも、一歩だけアサギタカミネとの関係性について有利であることは、否定できない。
それは『クラスの中で、ササイナナミを除けば真っ先にアサギタカミネに声をかけに行ったから』という……ことではない、
(……ことも、ないのか)
好感度ベースではなく、言ってしまえば、理解度ベースの『親しさ』ならば、確かに、ある。
ワタナベは、他のクラスメイトよりも一歩早く、アサギタカミネを理解させられた。
あいつが昔のアサギではないことを思い知り、『情』や『クラスメイトのよしみ』なんていうものがまったく通じない人物であることを、把握させられた。
そういう意味で、今、クラスメイトの誰よりも、アサギタカミネと『間違いのない付き合い』ができるだろうという自信はある。というか……
クラスメイトは、自分も含めて、アサギタカミネのことを、何も知らなかった。
ただの『生贄』でしかなかった。自分たちが、ヤナウエらに目をつけられずに、平穏な学園生活を送るための、生贄。
そこに『個性』を認めたことが、一度でもあっただろうか?
むしろ、積極的に、アサギの個性から目を逸らしていた──生贄としているあいつが、自分たちと同じ『人間』であることを、意識しないように、目を逸らしていた。
ワタナベは、石のように固い表情の内側で、様々なことを考えた。
だが、言葉になるのは、たった一言だけだ。
「──アサギを怒らせずに付き合うことは、できると思う」
思い出すのは、ササイレイナのことだ。
『養鶏場の雌鶏』とアサギタカミネが表現する状態にされたレイナ。
……まさか、レイナも、ヤナウエからアサギに乗り換えた時に、あそこまでの扱いをされるとは想定していなかったのではないか?
体を自由にさせることも、媚びへつらうことも、想定していただろう。
だが、そもそも、なんのアクションも起こせない、『設備』として扱われることは、想像していなかったように思えてならない。
レイナのことだから、アサギと再会した瞬間には気付いただろう。
だけれど、間に合わなかった──レイナが自分を売り込んだ結果『雌鶏』にされた経緯は、そのようなものではないかと、ワタナベは思っている。
ワタナベはいつでも、目立たない場所から、クラスメイトの様子を慎重に伺っている。
力……腕力とか、成績とか、実家とか、雰囲気とか……あるいは『格』とかがない自分が、いわゆる『青春』を過ごすためには、『強者を怒らせ、そのターゲットが自分に向かないようにすること』が必須条件だった。
だから、レイナの心情を想像し、その失敗の原因を悟ることができた。
……だから、
「へへっ、そ、そうなんだ……いや、頼れるな、本当に──ああ、でも、ヤナには、俺がこんな話したことは、バラさないでくれよ? いやほら、一応、聞いただけっていうかさ」
逆立てた髪を撫でつけながら、ニヤニヤと笑うこの男……
ヤナウエのグループの『お調子者』担当。
スドウ。
ヤナウエのグループに属して、笑いをとったり、ふざけたり、小間使いを引き受けたりしている、こいつ。
そいつが今、ヤナウエを
ワタナベは、さんざんヤナウエの下でおこぼれをあずかっておきながら、今、すぐにでもヤナウエを切ろうとするスドウに……
同情と、共感を覚えていた。
(……だよな。ヤナウエがもし、アサギに許しを乞うなら……真っ先に、ヤナウエに切られて、生贄にされるのは、お前だもんな)
クラスの中にはいくつかのグループがある。
グループそれ自体のランクもあるけれど、グループのメンバー間でも、当然、ランクがある。
そして、アサギタカミネが出した『こっちに来たいなら、一人差し出せ』という条件で、生贄として選ばれやすいのは、『別のグループのやつ』ではなく、『自分のグループの中で一番地位が低いやつ』だろうな、というのは想像が及ぶところだった。
明確な理由は挙げられないが、『同じグループの方が騙しやすい、騙して生贄にしても罪悪感が働きにくい』という感覚はわかる。
だから、スドウはヤナウエに切られる気配を感じて、先んじて行動を開始したのだろう──ワタナベは、そう思った。
そう思ったから、
「……つなぎはつける。だから、直接会って、話してみたらいいんじゃないか?」
「ええ? い、いや、でもさ、ヤナの許可なしに、そういう派手な動きは……」
「やるなら早い方がいいと思うが。あいつは……本当に、どんどん、条件を厳しくする。それに、『それはできないけど、代わりに』みたいなことは、絶対に認めない」
「……う……」
「どうする? アサギのいる場所は、覚えてる。案内は、できるが」
ワタナベは、スドウにエサをちらつかせることにした。
……スドウであれば、女子に声をかけて、『一緒にアサギにつかないか』と呼びかけることも可能だろう。
そうして、『アサギにつなぎをつける』という名目で……
ネコイの治療分と、自分とネコイが、アサギにつくための生贄を確保する。
(……アサギ、本当に、お前は、残酷だ)
アサギタカミネが、ネコイの治療後、『待ってるよ』とだけワタナベに言って、帰った。
この時点で、クラスメイトたちは
アサギは、『やりやすくしてくれた』。
それは情とかではなく、きっと、逃げ道を潰す目的だったのだろう。
『ここまでやったんだから、できるよな』ということ。そして、『ここまでやって、それでも信頼を裏切るなら、容赦する必要がないな』ということ。
『待ってるよ』とみんなの前で肩を叩かれたあの時点で、ワタナベはもう、クラスメイトを騙して売るしかない状況に追い込まれてしまった。
ワタナベは、罪の意識を覚えていた。
……だが、やらなければ、自分が……死ぬ。死ぬより、酷い目に遭う。
クラスメイトたちを守るために、自分を犠牲にできるか、少しだけ考えた。
……できなかった。『犠牲になる』というのがリアルに想定できない状況であれば、どうにか、誰も犠牲を出さない方法を考えたかもしれない。だが、アサギタカミネのことを知ってしまった今、そんな道はないとわかっている。だから、もう……
(『しょうがない』か)
……もう、しょうがない。もう、どうしようもない。
言い訳だとわかりつつ、『状況が、差し迫っているから』、クラスメイトを売ることを正当化する。
それが詭弁による自己説得だとわかりつつ、そうするしかなかった。
「……じゃ、じゃあ、頼むよ……そうだ、次、ヤナがダンジョンに行くローテでさ、なんとか、抜け出して……その時に、頼む」
「ああ、わかった」
スドウが「へへっ」と笑いながら、去っていく。
あの笑いは……笑うしかない、笑いだろう。
クラスメイトを差し出すことに、罪の意識がないわけがない。
アサギタカミネを除けば、このクラスは比較的まとまっていて、仲のいいクラスだった。
……たった一人を犠牲に、このクラスは確かに、団結していた。
その、クラスメイトを差し出す──
その行為は、自ら日常を壊すという意味を孕む。
異世界に突然召喚されるというように、『知らない何かに巻き込まれて、壊される』という事故的なものではない。
自らの手で、壊す。自ら、異世界の価値観に馴染む。それは不可逆な変化に思えた。
しばらく、呆然とする。
やるしかないのはわかっているが、それでも、『自分が誰かを売ること』を受け止め、飲み下すには、沈黙の時間が必要だった。
もっとも……
……足音が、近付いて来る。
スドウに呼びされた場所は、『おあつらえむき』な空き部屋。
密談に適した、普段はみんな近寄らないような場所。
そこで座って、長く長く息をついていたワタナベに……
「……あの、ワタナベくん?」
……女子の声が、かかる。
ワタナベは、その潜めるような声音から、女子の用件を察した。
そして……
(もう、現実を受け入れるために、静かに過ごす時間もないほど……状況が、変化していってるんだな)
声をかけてきた女子を、どう騙してアサギに差し出すべきか、考え始めた。