ヤナウエ寄り
スドウ、ニナカワ、キサキが主人公に差し出された翌日から
ヤナウエは、スドウがいなくなることを予感していた。
スドウというのはグループの中のお調子者だ。明るい、というより、よく、ふざける。
雰囲気を読んで、深刻になりそうだったら柔らかくしたり、誰かが怒りそうなら、怒りそうな方をなだめたり、怒らせそうなことを知らずに言ったやつにそれとなく注意したり──潤滑油的なポジション、とでも言うのか。そういうやつだった。
だがそれは結局、ヤナウエという後ろ盾ありきで負っていた役割だ。
ヤナウエが後ろ盾として機能しなくなった。
そして、クラスメイトの中から、『生贄』を選ばなければならなくなった。
そういう状況であれば、スドウは『空気を読んで』、より強い側につこうとするだろう。
ヤナウエから見たスドウは、言ってしまえば『そういうキャラ』だった。卑怯者、という表現は、学校生活を普通に送っていたころには思いつきもしなかったが、冷静に、第三者視点で振り返れば、ずいぶんと風見鶏の卑怯者だったな、と思う。
……誰かをアサギに売らなければいけない状況に追い込まれて、誰もが『こいつを売っていい理由』みたいなものを探し始めたような気がする。
クラスの空気が一瞬でピリついたのがわかった。そのピリつきは、全然、弱まることがなかった。
普通の暮らし、協力してのダンジョン攻略を行っていたころには『目に入っていても気にしていなかった、クラスメイトのちょっと嫌な部分』が、アサギの発言以降、やけに気になるようになった。
ヤナウエはそうだった。
クラスのみんなも、きっとそうだろうと思う。
当然、スドウもそうだったんだろう。
だからスドウはさっさと誰かを売ってアサギ側につくんだろうな、とヤナウエは思っていたが──
──この日。
スドウが『返却』された。
「………………」
何かを言わなければならない、とヤナウエは思っている。
だが、言葉が出てこない。
クラスメイトが集まるロビーに『返された』スドウは……
目と、声を、失っているようだった。
「あとの世話はそちらで、というのが、アサギ
スドウを返しに来たのは、ワタナべだ。
暗い顔をしている──ように見えるのは、ヤナウエの錯覚だろうか? ワタナべはいつでも暗く、固い顔をしていると思っていた。でも、ここ最近の彼の雰囲気は、本当に石の地蔵のように固く、重い。
ヤナウエは、ワタナべからあった説明を思い出そうとした。
運ばれてきたスドウが、目と喉を失っている。……その事実はわかる。見て、わかる。
だが……その理由、どうしてそうしたのかを、説明された気がするのに、全然、頭に入っていなかった。
衝撃的すぎて。
……心のどこかで、アサギがそこまでするはずはない、と思い込んでいたのだろう。
クラスメイトに、まさかそこまで、酷いことをするなんて──目を抉って、喉を潰すとか、そんなことをするなんて、ありえないと、思っていた。
だからスドウの姿は、ヤナウエの想像を超えていた。
「……す、すまない、ワタナべ、その……もう一度、お願い、できるか」
そこでワタナべにもう一度の説明を促すのが、ヤナウエにとっての精一杯。クラスメイトたちも見守る中で発揮できた、リーダーシップの残滓、みたいなものがさせた行動だった。
ワタナべは──クラスメイトたちからの困惑と恐怖の視線を、ここにいないアサギの代わりに受けているワタナべは、固い声で、要求に応える。
「スドウは、目と喉に『魔力』が集まり易いらしい。だから、それを抜いて、
残りは、いらない。
クラスメイトに使う表現ではなさすぎて、うまく呑み込めない。
ヤナウエはそれでも、言葉を絞り出した。
ここで沈黙が続くとワタナべはさっさと帰ってしまいそうな雰囲気があったし、ワタナベをこの空気のままで帰すことは、クラスにとってよくないというカンが働いたからだ。
……もっとも。
この雰囲気が、質問を重ねることで、良くなる気配は、なかった。
良くなって欲しいと、それこそガチャでも引くような気持ちで、ヤナウエは、ワタナべを引き留める。存在するかもわからない、『あたり』が出て欲しいと祈りながら。
「スドウは、治る……よな? こ、ここは、異世界、だもんな……?」
目と喉を奪われた。
外科手術によって? いや、違うだろう。もっと、ヤバイ手段によってだ。
失われた臓器は勝手に再生したりしないのは、ヤナウエも理解している。
だが、ここは異世界。そして、少なくとも、ササイナナミの治療は、傷を一瞬で治す。骨折としか思われないような症状でさえも、治してもらえた。
だから、ナナミさえ戻れば、治る……
「アサギから、そう質問されたら答えるように、伝言を預かっている」
ワタナべはどこまでも固い声で、ヤナウエに答える。
「この傷はどのような魔法でも、絶対に治らないそうだ」
「………………なん、で」
「俺たちの傷が治るのは、俺たちに『魔力』があるからで……その『魔力』を集めて抜き出したから、ナナミさんでも治しようがない、ということを言われている。これより詳しい説明は、俺にはできない」
「なあ、その、冗談だよな?」
すがるような問いかけだった。
冗談。すべてが、冗談みたいだった。
だから、全部冗談であってほしいという願掛けが、ヤナウエの口から出た。
当然……
「……何を指して『冗談』と言ったのかわからないが、冗談は一つもない」
「……」
「俺はアサギに言われた通りの説明をしたし、スドウは実際に目と喉をくりぬかれた。これは治ることがない。……ああ、でも……キサキとニナカワは、とりあえず……体は、無事だ。ネコイも……」
その情報に『なら、良かった』と安堵の息をつける者は、誰もいなかった。
言い方に引っ掛かりがありすぎた。
そして、言い方的に……ワタナべとネコイが、『売った側』。スドウ、キサキ、ニナカワが『売られた側』であることが察せられた。
だからヤナウエを始めとした大勢は、『ワタナべはもう、アサギの完全な手下だ。こいつにあまり逆らうと、アサギに目をつけられる』と確信した。
だが一方で、違うことを思った者もいるようだった。
「なんでワタナベはそんな酷いことできるの!?」
上がった女子の声。
ヤナウエはそれを止めようか一瞬だけ迷ったが、放っておくことにした。
今、クラスの中には、とてつもないギリギリで維持されている『バランス』がある。
その『バランス』を乱すと思われる言動をとった者から、『生贄』として目をつけられるという確信があった。
今、声を挙げた女子は、『バランスを乱す』存在だと、クラスから認知された。
ワタナべは、女子の声に、苦し気に答えた。
「生きるためだ」
「だからって、こんなこと許せるの!?」
「俺が許すかどうかは関係ない」
「関係あるでしょ!? ワタナべ、止めてよ! こんな……酷すぎるよ!」
……そこからも、何か、金切り声での『糾弾』があった。
だが、ヤナウエからしても、女子の詰め寄り方は、まずすぎた。聞くに堪えなかった。
今ここにいないアサギにも、同じことが言えるのか?
たぶん、言えないだろう。ワタナべだから、ああして、感情に任せて──恐怖を押し殺そうとして、責めている。
責めることで本当に恐怖が押し殺されるわけもなく、何か安心できるような『答え』を引き出せるわけでもないことは、予感しているだろう。それでも、『だから、黙っておく』という選択ができなかった。
精神的な、弱さ。
だが、今、金切り声を挙げているあいつが、クラスの中で特別、心が弱いというわけではないことも、ヤナウエはわかっていた。
全員、ギリギリだ。
ギリギリの中で、『他の人より、ちょっと弱い』彼女が耐えきれなかった。
……これから先。
ギリギリの中で、精神か、あるいは肉体か。もしくは他の要素か……何かが問われる場面で、その『何か』が、『他の人より、ちょっと弱い』者から、脱落していく。クラスはもうそういうフェイズに入っていることを、ヤナウエは確信した。
黙って女子の言葉を聞いていたワタナべが、口を開く。
「じゃあ、どうすればよかった」
それは女子の声に比べればかなり小さい。
だが、あまりにも重く、固く、その小さな声一つで、女子の勢いをすっかり止めて、彼女に『自分は今、まずいことをした』と気付かせるのに、充分だった。
「アサギに何も差し出さず、逆にスドウみたいに差し出されるのを待てばよかったのか? 自分を犠牲にしてでも、人を助けようだなんて思って行動したら、誰かが『お恵み』をくれるのか?」
「あ、え、えっと……」
「わかれよ。ここはもう、そういう世界じゃない──いや、最初から、そんな世界は、どこにもなかった」
「……」
「アサギが何かしたか? してなくても、『ああいう扱い』だった。『ちょっと空気が読めない』『ちょっとムカつく』──その程度のことで俺たちは、誰かを犠牲にしたじゃないか。……別に、そのことを責めてはいない。俺も、加害者側だから。でも、俺たちは、知ってるだろ。耐えているだけで好転する事態なんか一個もないことを。それを、クラスの中で見せつけられ続けてきたじゃないか」
ワタナべがこんなにしゃべるとは、誰も、思っていなかった。
無口な、地蔵のような男──それが、ワタナべという男に対する評価だった。
だが、今の彼は、堰を切ったように言葉を発している。
……わかりにくかったが、ワタナべも別に、『クレバーに立ち回った』つもりでいるわけではないのだろう。
彼もまた、ギリギリだった。
「俺たちは道徳的でもないし、他人を重んじてもいない。ただ、自分以外の誰かが犠牲になってくれるのを、手をこまねいて願っていただけだ」
手をこまねくという所作について古文の時間に習ったことを、ヤナウエは思い出す。
それは『指と指を絡め合わせるように、自分の右手と左手をつなぐ』という様子を指す言葉だった、ような気がする。
つまりそれは、祈りの仕草でもあった。
「世界が変わって、願ってるだけじゃ、どうにもならなくなった。積極的に被害者を作らないなら、自分が被害者になる。……道徳とか、『酷いことをしない方がいい』とか──何もしないやつが、安全圏にいるつもりで文句だけ言ってられる時期は終わったんだよ。お前も当事者だ。早く気付け」
ワタナべは優しい男だった。
自分を責めた女子にさえ、忠告してやるのだから。
だが、その忠告はもはや無意味だった。
クラスメイト……『男子は男子を、女子は女子を捧げろ』というアサギの言葉があるからだろう、特に女子の目つきが、言っている。
『こいつをどうやって、自分が捕獲して、差し出そうか』
ヤナウエは、クラスが膠着状態から、積極的に生贄を選出する状態に切り替わったことを察する。
うめくこともできず、目隠しをされてそこに倒れたまま、苦し気にしているだけのスドウを見て、全員が、『ああはなりたくない』と思ったし、『あそこまでのことをされる』とも理解した。
「……帰る前に言えと言われていた伝言を伝える」
ワタナべの発言に、音にならないざわめきみたいなものさえ、止まった。
誰もが一言一句聞き逃すまいと耳をそばだてる中で……
「『時価を下げる』と、アサギは言った。つまり……『二人が一人を差し出せばいい』らしい」
それを、きっと『一人が一人を差し出す』ルールで行ったワタナべやネコイが呑んだのか、というのをヤナウエは真っ先に考えた。
……呑んだのだ。呑んだ上で、ここに、スドウを『持ち帰った』のだ。
そこまで、ワタナべにとって、アサギは、逆らうことができない絶対者であり……
『時価を下げる』のは、『時価を維持する』や『時価を上げる』よりも、
この空気の中、この誰もが自分を売るかもしれない中で、協力せざるを得ない。
二人組を作って、だ。……その二人組を作る相手は、別な二人組をすでに作っていて、自分を売るつもりでいるかもしれないのに。そんな状況で、二人組を作るしかない。
「……それから、『あまり体を傷つけすぎるなよ』とも言われている。性別の縛りも、なくすらしい。……では、俺は……帰る」
ワタナべが背を向ける。
その背中を引き留められる者は、誰もいない。
目立つことなんか、できない。
目立てば孤立して、狙われるから。
すでに最悪に重いように思われた空気が、さらにもう一段重くなった。
あるいはこれも『最悪』ではないのかな、とヤナウエはぼんやり思い……
「……はは」
笑った。
何も楽しくないのに──へらへらと、笑うしかなかった。