「やあ」
城門を抜けようとしたところで僕らを出迎えたのは、僕があまり会いたくないと思っていた人物だった。
にこやかに微笑む、爽やかな、美しい顔立ちの男だ。
僕から見れば『うさんくさい』という印象だけれど、クラスの女子たちは、ずいぶん、この男の顔面に大騒ぎをしてたような気がする。
背が高い。腰の位置が高い。手足が長い。うちのクラスで一番大きい185cmのやつと並んでも少しだけ高かったから、190cmぐらいはあるんだろう。
真っ白いスーツのような服装。ラペルについているのは王家の紋章で、それは『心臓を突き刺し地面に縫い留める剣』を
ふわふわした長い金髪を背中の半ばぐらいまで伸ばしたそいつは、顔立ちだけなら女装でもさせたら似合うんじゃないだろうか?
身体のバランスがいいから、遠目に見れば華奢で小柄に見えるし。まあ、近付いて見てみれば、決して細身とは言えない、190cmぐらいの男なんだけれど。
そいつは明らかに、僕に話しかけていた。
ナナミさんも、僕を見ている──どうにも、こいつと口を利くのは、僕がやるしかない役割のようだ。
「……これは第二王子。お久しぶりです」
言葉だけは丁寧に。
けれど、敵意は隠れていないし、隠すつもりも、さほどなかった。
僕がこんな態度だというのに、向こうは微笑を浮かべたままだ。
「そんな呼ばれ方は寂しいな、友よ。君には私を『アンデルセン』と呼ぶ資格がある」
「残念ながら、僕の世界に同じ名前の童話作家がいましてね。あまりその名前に悪印象を抱きたくないんです。ファンですから」
「ファン──ああ、『
……余談だが、僕らのしゃべっている言葉と、こいつらがしゃべっている言葉は違う。
なんらかの手段、言ってしまえば『女神の加護』によって、僕ら加護を受けている異世界人は『裁き』を逃れている。裁きというのは色々あるが、この場合は、『全人類は同じ言葉で意思疎通を行うことを禁じる』というものを、免除されている、というわけだ。
だから僕らの言葉は日本語でも、この西洋風の連中に通じる。
ただし、ファンだの、カルタだの、あるいは推しだの、そういう単語には、少々、解釈と理解の手間がかかるようだ。
あと、ニュアンスは割と正確に伝わるので、『言葉が通じている』というよりは、『発した意味が相手の頭に直接伝わる』というようなものなのだろう。
「君が王宮に来たのは、ミス・ナナミの妹さんの件だね。どうぞ。私が直接、君たちを先導しよう。そうすれば、宮殿内での無用な問答は避けられるはずだ」
「……それはどうも」
「上辺だけでも、君からの感謝の言葉を受け取れるのは気持ちがいいものだね。ああしかし、もしも今のお礼が上辺だけでないというなら、妹に会って行ってくれると助かる。あれが、ずいぶん君に会いたがっているからね」
「何が目的ですか?」
「妹の喜びが私の願いだ。それだけだよ、友よ」
「……先導をしたいなら、ご自由に」
「……ははは。では、行こうか」
王子が背を向け、歩き出す。
番兵はいるが──今のやりとりのあとで、僕を止めるような愚かな真似をする者は、いない。
愚かっていうか、『命知らずな真似』かな。
……第二王子。
この国には四人の王子・王女がいる。
一人は王位継承をすると言われている第一王子。
そして目の前の第二王子、アンデルセン。
それから、ヤナウエ……僕のクラスのリーダーみたいなやつと婚約話があった、第一王女。
そして、僕とちょっとした縁のある第二王女。
この兄弟の仲は円満だとされている。
王家への反発が根強いスラムにいても、王家四兄弟の仲の良さを疑う者はいない。
ただ僕は、この第二王子が、腹の内側に真っ黒いものを詰め込んでいると、知っている。
僕を殺そうとした王国暗部の統括者であるから──というだけではなく。そんな役職がなくとも、こいつは油断ならない。そういう男だ。
相互不干渉の約定を示せたのも、僕の実力が圧倒的だったからではなく、僕の持っている情報、つまりゲーム知識があってのことだ。
知識があり、なおかつ、消すのにそれなりに被害が出る。だから、僕を見逃している。できれば、利用したい──そんなところで、『取り置き』の状態、というのが、僕とこいつの間に結ばれた『相互不干渉』の条約の真実と言ってしまえるだろう。
ぶっちゃけてしまえば、アンデルセン第二王子は、王位を狙っている。
第一王子が邪魔だが──第一王子にも支持者がたくさんおり、第一王子は表の軍勢を担っており、さらに言えば、王が次期王に指名している、というところで、『暗殺してしまおう』と踏み切れない、というところがあるのだ。
つまり僕は、ある程度の実力と知識を示したので、こいつの手駒としてストックされている状態、ということになる。
……ナナミさんを王宮の外に出したら、王都から引っ越してもいいかもしれない。
ただ、あの時と今とは、状況が違うのが、悩みどころだ。……僕はスラムのみんなと、あまりにも絆を育みすぎた。さて、どうすべきか。
広い庭を抜けて、宮殿の中へ。
無駄に広い廊下。真っ白で凸凹の一切ない白い床面。左右に飾られた調度品の絵画。マイルストーンのように骨董品と思しき彫刻や陶器が置かれている。
まず賓客をその文化的資本によって圧倒するような廊下があり、それを抜けるといよいよ『宮殿』の本質の部分へと入る。
その先は、入り口の廊下よりは落ち着いているものの、やはり広く、そして金がかかっていることがよくわかる場所だ。
足を包むのが硬く滑らかで美しい建材から、柔らかな絨毯の感触に変化している。
白を基調としていた空間がシックな黒と濃い赤に塗り替えられ、奥へ行けば兵よりもメイドの数が増えていく。
僕らを見て廊下の端に寄り頭を下げるメイドたちの前を通り過ぎながら、僕は……いよいよ、空気が、クラス転移をしてきたあの日からしばらくの間過ごした、懐かしいものに変化するのを、感じ取っていた。
異世界人のための宮殿に、入った。
そこは学校を思わせる廊下があった。
ただし、廊下の右手にある窓から見えるのは、僕らのよく知る校庭や町並みではなくって、異世界の景色。石造りの、高くとも三階建ての建物が、まばらに立ち並ぶ、城下町だ。
もっと遠くまで見渡す視力があれば、スラムの景色も見えることだろう。
床材はリノリウムに似ていた。けれどきっと、違う。
……この王家は、異世界召喚を繰り返している。それは、ダンジョン資源採掘のために、女神の加護を失っていない異世界人を呼び出す必要があるからで、異世界人を淫魔の生贄としてダンジョンに捧げる契約を履行するためだ。
僕は、クラスメイトに、その事実を黙っていることを条件に、相互不干渉の条約を結んだ。
この世界での契約には、『口約束』『書面による法的な契約』『特殊な巻物を利用した魔法的な契約』の三つが存在する。
そして僕が交わしたのは、『魔法的契約』だ。
これはもしも僕が契約を破って、『クラスメイトたちが淫魔の生贄として使い潰される運命にある。王家は、淫魔と契約を交わして、定期的に女神の加護付き異世界人をエサとしてダンジョンに差し出すことで、淫魔から利益を得ている』というのをバラせば、契約相手がバラしたことを認知しているかどうかに関わらず、即座に罰則が降る。
ただし、その罰則というのは、女神の加護を受けている異世界人には通じない。
……だから、僕の代わりに、第二王女が罰則を受けることになっている。
第二王女と会わせたいというのも、『人質はまだ無事だぞ』と示すために声を聞かせてやる、ということだ。
僕はつくづく、この第二王子アンデルセンの性格の悪さを嫌っている。
「ここから先は、お二人で」
異世界人居住区の分厚い扉の前で、アンデルセンが足を止めた。
ここから先に入らない──さも『大変な状態』になっているレイナへの気遣いに見える様子で道を譲ったが、こいつの本音は『発情した豚には気持ち悪くて近寄りたくない』というあたりだろう。
ゲーム知識ありきだけれど、本当にこいつは、異世界人をいずれ
「アサギくん」
「……うん、行くよ。……第二王子、案内をありがとうございます」
「いやいや、いいんだ、友よ。君の役に立てるなら、こんなに嬉しいことはない。……ああ、それから」
「……なんでしょうか」
「妹と会ってやって欲しいのは、本音だ。社交辞令ではない。私のささやかな願いを叶えてくれるならば、嬉しいな」
「考えておきます」
「ありがとう」
……ろくでもない何かが待っていそうなので断りたいが、こうして不安を煽られると、確かに彼女の安全をこの目で確認しておきたくなる。
術中にはまっている気がする。僕の弱さだ。僕の小ささだ。
……でも、あいつは知っているのだろうか? 僕が、命からがら、不干渉条約を結んだあの日から、実力をつけていっている、ということを。
「アサギくん……」
「……ああ、ごめん。行こうか」
ナナミさんが、分厚い扉を開き、僕を中へ招き入れようとする。
その瞬間──
「んいいいいいいいいいいいいいい♡♡♡」
扉の中から獣のような声が聞こえた。
ナナミさんが、さっと顔を背けて、頬を赤くしている。
……ああ、これが、今のレイナの状態か。
……本当に器の小さいことを思ってしまう。
僕を酷い目に遭わせたやつが、半死半生で、こんな獣のようなあえぎ声をあげているだなんて。
……本当に、面白いな。
真顔を維持するのが、大変だよ。