インドウたちが襲われたのとだいたい同じ時間
インドウたちより二階層上(八階層)
「アサギさん」
ワタナべがこうして足音を忍ばせるようにして僕に近寄り、呼びかけて来る時は、何かパーティ内で面倒ごとにつながりそうな種火が燻っている、ということだ。
僕はいくらかの『種火』を意図的に振りまいていて、さらにまたいくらかの『種火』を僕の意図の外で発生したのを理解しながら放置している。
もちろん、僕の意図しない、なおかつ把握していない『種火』もあることだろう。
さて、どの『種火』が土の中から煙を上げ始めたのか。
「……そろそろ、あなたも戦った方がいいと思う」
「なんだ、それか」
それは僕が意図して振りまいている『種火』で、自分でも驚くぐらい、ワタナべの話に対する興味が失われたのを感じざるを得なかった。
『そろそろ戦った方がいい』。
僕はダンジョンに入ってから、一度も戦っていない。
クラスメイトの連中を後ろからせっついて戦わせているだけだ。
というか、ヤナウエの下働きをしていたころから数えても、僕が『戦っている』姿を見たやつなんか、一人だっていないだろう。
あの当時、僕は下働きに小間使い、それから敵へのデバフということをしていたわけだが、僕の働きを実感を持って認識できたやつなんか、一人だっていなかった──実際に、僕がデバフをかけた敵と戦っていたヤナウエやウエマツ、スドウなんかも含めて、一人も。
だからそろそろ、クラスの連中の中で、『アサギ、実は最初から今まで、ずっと、大したことないんじゃないか?』という疑念が持ち上がって来るころだろうとは思っていた。
僕は別にそれでいいと思っている。
でも、ワタナべは、そうは思っていないようだった。
「……一番上のあなたが実力を示さないと、下の者がついてこない」
「ヤナウエはそうしていたね。クラスメイトをまとめる意思があった。みんなで異世界から元の世界へ戻ろうという志があった。立派なことだよ」
「…………あなたへの不満も出始めている」
「知ってる。面白いよな」
「……面白い?」
「いや、面白いだろ? だって──『じゃあ、お前らは、なんで、僕のところに来たんだよ』って話になるじゃないか」
「……」
「実力もわからない、見たことがない。でも、ヤナウエを見限って、生贄を差し出してまで、僕のところに来た。僕が連中の前で、いわゆる『実力』を見せつけたことなんか、一度だってないのに。生贄を差し出してまでだよ?」
「それは……もう、ダンジョンにこもらず、この世界で生きていくしかないと思っていたから、この世界で生きる伝手がありそうなあなたのところに、来たんだろう」
「じゃあなんでダンジョンに入る前に反発がなかったんだよ」
「……」
「これが面白くないなら、僕は何を『面白い』って言えばいい?」
「……」
「逆にワタナべに聞きたいんだけど、お前はなんで、僕のところに来たんだ? ネコイを治療したのはわかってるけど、それは、ヤナウエから僕へ鞍替えするほどの理由にはならないだろ?」
ワタナベは地蔵のように黙り込んでしまった。
考えてはいるのだろう。けれど、言語化ができないのだろう。
きっと、誰も言語化できない。
『それ』を言語化する必要性に駆られたことなんか、一度だってない人生を歩んでた連中だからだ。
「……僕は、なんでお前たちが、ヤナウエに従うのか、ずっと疑問だった。僕とヤナウエとの違いはなんなのか。あるいは……僕と、ワタナべの違いは、なんなのか。なんで、僕だけが被害に遭って、他の連中は被害に遭わない──目をつけられずにいられたのか。ずっとずっと、考えていたんだ」
「……」
「『自信』だよ。『雰囲気』と言い換えてもいい。お前たちはね、『なんか、凄そう』『なんか、ショボそう』という雰囲気に尻尾を振るだけで、その実態はさして重要視してないのさ」
とはいえ、『凄そう』『ショボそう』は、本人が自助努力だけで作り上げられる雰囲気でもない。
凄そうなやつには、そいつを凄いと思い込んでいる『周囲』が必要だ。
逆にショボそうなやつは、そいつをショボいと思い込んでいる『周囲』がいる限り、雰囲気が覆ることは、まずない。
根源にあるのは本人の自信とか実績だろう。でも、それをもとに、周囲の視線が、そいつの『凄い』『ショボい』を作り上げる。
「お前たちは、一度追放された僕の『後ろ』を勝手に想像した。『こんだけ自信のある振る舞いなんだから、きっと、この世界で何か後ろ盾を得ているんだろう』と、勝手に想像して、その想像をもとに、僕を『凄そう』と思った。だから、僕についてきた」
「……」
「が、そこの言語化ができてないから、『この世界で生きていく上で、凄そう』という思い込みでしかないはずのものが、『全部凄そう』という思い込みにすり替わった。だから、『生活』という舞台から離れたダンジョン攻略でも、『凄そう』に基づいて、僕についてきてる。──自分で物を考えられず、雰囲気に流されて死地に赴く馬鹿ばっかりだってことだ」
「……だったら、その雰囲気を維持しないと、人が離れる」
「それで離れるやつは最初からいらないから、問題ないよ」
「……」
「いや、むしろ……そういう離れるやつが、『ただ離れる』だけじゃなくて、僕にトラブルを運んでくるのを、僕は願ってるのかもしれない。……ワタナべ、僕はね、きっと、クラスへの報復なんか、もう望んでない。でも……」
……自分の心が、会話を通して言語化されていくのを感じる。
僕は、ただ、クラスの連中を皆殺しにしたり、あるいは、酷い目に遭わせたりということで、この胸を塞ぐ『つかえ』がとれるとは、もう思っていない。
……ただ、ずっと、消化不良感に悩まされていて、それがなんなのかは、わかっている。
「……僕は、『反撃』は望んでいる」
ヤナウエを殺し損ねたことを、つまらないと思っている。
あの時──レイナを癒す時、ヤナウエが殴り掛かってきた。
一回目で、自分でも意外なことに、『ためらい』があって、殺せなかった。
だから二回目、殴り掛かられるのを待った。自分から殺すのは、なんとなく、したくなかった。僕は……大義名分が欲しかった。
ナナミさんに『悪い人だ』と思われないために?
……そうじゃない。必要なのは、僕自身の納得だった。
「僕は、『仕方なくやりたい』んだと思う。だってヤナウエとか、ウエマツとか、スドウとか、レイナ以外は……ただ、黙って見てただけじゃないか。『黙って見てたな。報復する』って、なんか、気持ちよくないだろ?」
「……じゃあ、何か。アサギさんは……クラスの連中が、あなたを弱いと思って、攻撃してくるのを、待っている、と? そのために……戦っている姿を見せない、と?」
「『弱いと思って』は間違いかもしれないよ。実際に僕は弱いかもしれない。ワタナべだって、僕が戦っているところを見たわけじゃないだろう?」
「……俺は、あなたに攻撃なんかしない」
「そうだろうと思ってるよ。あるいは、油断してるよ、と言おうか?」
「……」
「冗談だって。……あとさ、普通に考えて、僕が戦わない理由、わからない?」
「…………すまない」
「敵に自分の手の内を晒したくないだろ」
ワタナべの石のような表情が、崩れた。
たぶん僕の発言の意味をきちんと理解して、その上で、理解できなかったんだろう。
敵。
それはダンジョンで出て来るモンスターとか、淫魔女王とか、あるいは王族とか、女神──ではない。
クラスメイトのことだ。
僕にとって、クラスメイトは、敵だ。
昔はもちろん、今だって、敵のままだ。
ただ、潜在的な敵ではあっても、シンボルエンカウントで即戦闘というタイプの敵ではない。
それはつまり──
「──元の世界で生きている時と同じ基準で、僕は敵対行動をカウントする」
「……」
「何か証拠が残るような加害に対して、正当防衛はするよ。でも、自分からはしない。……お前たちは罪を自覚して、罪を犯すべきだ。『モンスターを倒す』のとは違う。『クラスメイトを差し出す』『クラスメイトに攻撃する』っていう、
その基準で言えば、僕は教唆犯、売春
ともかくそのぐらいか。誘拐の実行、傷害、あるいは殺人。『いじめ』という優しい言葉を被せられて、まるで内輪の中で解決すべき牧歌的な問題みたいに偽装されていた犯罪行為を、自覚的に犯すべきだし、それに自覚的になるべきだ。
「だからねワタナべ、僕は去る者は留めないよ。二度と受け入れもしないけど」
「……もし、また戻ってきたらどうする? 殺すのか?」
「ああ、それはね──」
──ちょうど、その時。
パーティの前の方が、騒がしくなった。
名前が聞こえる。叫びが聞こえる。
『カリヤ』『インドウ』『どうして』『襲われた』『化物』『助けて』。
こういう単語がざわめきになって伝わり、『叫びの原因』が、僕のところに駆けて来る。
そいつは、僕のところから出て、インドウのパーティに行ったはずの、カリヤ。
カリヤは、息を切らせ、僕の目の前でスッ転んで、体を滑らせながら、それでも両手で体を持ち上げて、僕を見上げた。
ちょうど、土下座のような姿勢で……
「い、インドウたちが、化け物に襲われて……た、助けてくれ!」
ワタナべの顔をちらりと見る。
苦々しい顔をしていた。
さて。
僕が出戻ろうとするやつをどうするか、実地で見せるとしようか。