ワタナべ寄り
カリヤがアサギのところに戻ってきたところ
「アサギ、アサギっ、た、助けてくれ! お願いだ!」
ワタナべは、アサギに向けてただ『助けて』を繰り返すカリヤを見ていた。
表情は苦々しくならざるを得ない。
カリヤ。
……一度は他グループの女子を売ってまでアサギに降ったのに、インドウたちに……正しくはタイナカに扇動されて、急に後悔したようなことを言って、インドウパーティに行った。
そしてまた、戻って来ている。
もしもカリヤが『ただ戻って来ている』だけならば、ワタナべも、『インドウたちに伝令を託されたのか』と思ったことだろう。
だけれど、そうは思えない『文脈』があった。
その文脈を、アサギは薄ら笑いで指摘した。
「へえ。
……カリヤがこの世界で得た
最前線で攻撃を受け止めるべきポジション──もっとも、ダンジョン内で奇襲を受けた、などで他のメンバーが手を放せず、それでも伝令が必要だから、不向きなりに必死に走ってきた、と好意的に解釈することも、できる。
けれど、さらに違う『文脈』が、カリヤの行動を好意的に解釈させてはくれない。
「それでインドウはなんて言ってた? あいつが伝令を託すぐらいだから、正確な報告はしてくれるんだろ? それを聞かないと動きようがないよ」
「え、えっと、それは……」
「まず、お前が僕のところに来た経緯を教えてくれないか? 伝令を託されたのか、それとも──ハン。
「いや、だ、だってさあ……!」
ワタナべは顔を覆いたくなかった。
カリヤの返答が、一瞬でアサギの視線を絶対零度まで冷やしたのがわかったからだ。
『だってさ』。
二択か、三択か。とにかく択のある質問を投げかけられた時、『だって』『でも』『そういう話じゃなくて』などと、答えを避けて話を進めたがる者は、人にストレスを与える。
本人がストレスから逃げるために、そこを答えることを避けているのだろうが……
カリヤは、こういう言動があまりにも多いやつだった。
無責任なのだ。己の行動に。
そのくせ『罪』を背負いたくない。だから、『お前が悪い』と突きつけられそうな択しかない質問の答えは避けて、『だって』『でも』と言い訳から入ろうとする。
そういう態度をアサギはことのほか嫌う。
そもそも、アサギはカリヤが『そういうやつ』だというのを理解していて、最初からうっすら嫌い──クラスメイトをそもそも嫌っているが、その中でも一段か二段、はっきりと差異をつけられるぐらい、嫌っていた。
出ていく時に『アサギを怖がらず』とか口走った他責言動も、恐らくアサギは覚えている。
ワタナベは、元パーティメンバーとして、カリヤに味方するかどうかを迷っていたが……
カリヤに味方するのは、無意味どころか、有害な結果になることが確信できた。
……あるいはもう。ワタナベが何をしようとも、しなくとも、最悪の結末にしか、ならないのかもしれない。
アサギがあえて放置していた『種火』が、今、この時、噴き上がるのが聞こえてしまうからだ。
「アサギ! 助けに行くだろ!?」
カリヤの後ろから出てきたのは、ナカイだった。
格闘技系部活動のグループにいたやつだ。同じグループの男と組んで、ハナイを娼婦に売ったやつ。
強さを誇るわりに、その『強さ』を自分より弱いやつにしか向けない──
しかも、こうして、『俺が行く』ではなく、『アサギ、行くだろ』と人に決断を強要しようとする、どうしようもない卑怯さまである。
アサギの機嫌はもう直ることはないと、ワタナベは確信した。
「俺たちはお前に従った。お前が『ダンジョンを攻略できる』って言ったからだ! でも、ここまで、お前は一回も戦ってない! 今こそ男を見せる時だ、そうだろ、アサギ!?」
詰め寄って来る。
体は、ウエマツほどではないがでかい。厚みもある。
少なくとも、ただの殴り合いなら、アサギなんか相手にもならずに捻りつぶされるだろう。
だが、この世界で、筋肉の『圧』は、必ずしも力量差を決定しない。
ナカイに詰め寄られて、アサギはやはり、嗤っていた。
「ナカイ、お前はどうしたい?」
「へ!? え、お、俺? 俺はぁ……お前をリーダーだと思ってるから、お前の決定に従う」
「そうか。じゃあ、僕の決定を言おう」
「おう!」
「助けに行きたいやつは、勝手に行っていいよ。僕は助けない」
「………………は?」
「ナカイ、『男を見せる時』だろ? 別に僕は男を見せたいとか思ってないけど、お前にとっては、このタイミングで……男? を見せるんだっけ。いってらっしゃい」
あまりにも綺麗な笑顔で言うもので、ナカイも、カリヤまで、あっけにとられていた。
だが、十秒ぐらいの沈黙のあと、ナカイが、アサギの胸倉を掴んだ。
……瞬間、アサギが軽く片手を挙げたのを、ワタナべははっきりと認識した。
そうしなければ、アサギが『特別に調整』した三人が、ナカイの手か、頭を、斬り落としていただろうことも、わかった。
「おい、アサギィ! そうじゃねえだろ! クラスメイトから助けを求められたんだから、行くだろ、普通!」
「だから、『いってらっしゃい』ってば」
「お前には人情がねえのかよ!」
こういう発言はすべて、嘲笑の対象になってしまったことを、ナカイは頭でわかっていないのかもしれない、とワタナベは思った。
人情とか、義理とか、絆とか。
そういうものを盾に人を説得する権利はもう、クラスメイトを売り飛ばした時点で、失われている。
アサギの視線からそのことに思い至ったのか、ナカイは視線を逸らして口ごもる。
でも、アサギの胸倉から、手を放したりはしなかった。
「と、とにかく、行くぞ! インドウたちを助けに、行くぞ!」
「だから『勝手に行け』って言ってるけど?」
「この……わからずやめ!」
ナカイの拳が振りかぶられる。
格闘技系にしては動作が大きい。ウエマツなんかと違って、『格闘技』が体に染みついていない動きだ。感情的になると大振りになる──
──あるいは、それは、『相手を叩きのめす』目的の拳ではなく、『相手に見せつけて、脅しつける』目的の拳だったのかもしれない。
ともあれその拳は、アサギが待ちかねている『反撃の契機』だった。
……ワタナべは。
「──おい、何止めてんだよ、ワタナべ!」
その拳が、アサギに届く前に、止めていた。
ナカイの恫喝するような大声よりも、アサギからの冷ややかな、不満そうな視線の方が、怖い。
自分の行動は、『アサギの機嫌をとる』という目的で見れば、明らかな悪手だった。
……だから、ワタナべは、気付いた。
(そうか、俺は、クラスメイトが目の前で酷い目に遭うのを見過ごせるほどには、割り切れてないのか)
人間味と呼べる想いが、自分の中にもあった。
クラスメイトを売っておいて。その末路を見届けておいて。末路──目と喉を抉られたスドウをみんなの前に届けて、アサギからの言葉を伝えるメッセンジャーをやっておいて……
それでも、なお。
まともな人間でありたいらしい。
もう、手遅れなのに、それでも……『まともな人間っぽい気持ち』にしがみついているらしい。
ワタナべは、己の中途半端さを嗤った。
「ナカイ、無駄だ。やめよう」
「アサギの腰巾着の分際で俺に注意すんのかよ!」
「……俺も行く」
「…………あ?」
「インドウを助けに行くんだろう。俺も行く」
もともと、ワタナべはインドウのパーティだった。
だから、インドウの窮地に駆け付ける動機はあるし……縁も、ある。
だが、ワタナベがその発言をした時、ナカイはわかりやすく動揺してアサギの胸倉から手を放してしまったし、救援を求めに来たはずのカリヤも、『まずい』みたいな顔をした。
ワタナベはアサギの顔を窺う。
少しだけ、彼の機嫌は直っているようだった。
そのアサギの視線が、ワタナべに言う。
『な? こいつらは、助けに行きたいわけじゃない』
『ただ、正義の味方ごっこがしたいだけだ』
……あるいはアサギなら、もっと酷い語彙を選ぶかもしれないが。
そういう意図の視線であることは、ワタナべにもわかった。
「ナカイ、カリヤ、味方をしてくれる人を他にも探そう。アサギは……動かない」
それに対して、ナカイが怯んだように視線を落としている。
『こんなはずじゃなかった』『行くとしても全員だ』『自分は行きたくはない』──そういう感情が、面白いぐらいに透けて見えていた。
「あ、で、でも」カリヤが慌てたように口を挟む。「俺が走った時にはもう、かなり絶望的で……も、もしかしたら、間に合わない、かも……」
カリヤが駆けて来た時に言った『助けてくれ』という言葉の意味は、『俺を保護してくれ』というものだと、ここで確定した。
こいつは盾役だった。そのはずだった。でも、前線に立っていなかった。誰を守ろうともしていなかった。
女神の加護は、その人の魂の形に添う形で顕れるという。
王族の説明が正しいならば、どうしてこんな、誰も守れないカリヤが、盾役たりうる女神の加護を得たのだろう?
……たぶん、きっと、本当に、魂の形に添う加護が与えられているとしても──
──魂の形は、性格とは、無関係なのだ。
ワタナべは、そう結論づけるしかなかった。
「つまり、どういうこと? まあ、ナカイは行くとして──」アサギはナカイを放逐することを確定事項にした。「──カリヤ的には、もう無駄かもしれないと思ってるから、行きたくないっていうことかな?」
「え、いや、俺は、俺、は、その……」
「あ、そうだ、こうしたらいいんじゃないかな? カリヤパーティを組んだらいい」
「……え」
「ナカイと、それから、希望者を好きに募って、連れて行ったらいいよ。そうしよう」
「いや、いや、それは……」
「少なくともナカイは、『リーダーの決定に従う』と言いながら、『勝手に行け』という僕の決定には従えないようだから、もうナカイにとって、僕はリーダーじゃない。だからきっと、行ってくれるよ。『男を見せる』らしいし」
ナカイがもごもごと言い訳を始めようとしている。
殴り掛かろうとした時の勢いさえ、すっかりなくなってしまっていた。
アサギの笑顔は、こういう時、凄絶に美しい。
「行けない理由を並べてみていいよ? 盾役のお前がこんなに必死に伝令に走ったんだ。きっと、のっぴきならない状況なんだろう。僕は、別のパーティの面倒まで見てられない。だってあいつらは、僕のところに混ざることをわざわざ拒絶した連中だからね。きっと何か、僕には窺い知れない……信念? とか? 矜持? みたいなものが、あるんだろうね。ご立派だ。そんな連中についていったカリヤもきっと、立派な信念を持っているんだろう」
今、アサギがやっていることは、ただのいじめだった。
逆らえない状況で、さんざんに責め立てられ、追い込まれ、人格を否定され、行動の矛盾をあげつらわれ、笑いものにされる。
アサギのパーティの中から、カリヤたちに対する笑い声が挙がった。
それは、ヤナウエがアサギに何か『指摘』をしている時と、同じような、笑い声だった。
強者が『こいつを貶めます』と決めた時に起こる、お追従の笑い。
「ほら、仲間を集めて、行けよ。立派に男を見せてこい」
カリヤとナカイは黙り込んでしまった。
アサギが、ワタナベに視線を向ける。
「ネコイはどうする?」
ワタナベを止める気はないようだった。
わかっていた。だから、ワタナべは用意していた言葉を返す。
「……頼む」
「保証はしない。邪魔なら弾く」
「ネコイ、どうか、大人しく、アサギに従ってくれ。……お願いだから、感情的になって、判断を間違えないでくれ。俺、俺は──」
その言葉の末尾に、ワタナべは『俺のように』と添えようか迷って、結局、添えなかった。
この判断は感情的なものだ。間違いない。
インドウはきっともう死んでいる。カリヤとナカイは仲間として信じられない。
それでもこの三人で──もう増えることはないだろう──三人で、インドウを助けに行く。
スドウを売って、キサキを売って、ニナカワを売って。
自分はとっくに外道に堕ちていて、それは何をしても償えることではないと思っていた。
それでいいと思った。『元の世界基準』で外道になったところで、この世界では何かの罪に問われることではない。むしろ、生き残るために必要な行動でさえある。その考えは今も変わっていない。
……でも。
このまま、迷宮を攻略して、元の世界に帰るのかもしれない、と思ったら──
「──やっぱ俺、見捨てられない。インドウたちを、見捨てらんないよ」
インドウ。真面目で正義感の強いやつだった。
カリヤ。卑怯な面ばかりが目立ってしまっているけれど、学校生活の中では、少し気が弱いところがあっても、頼れるやつだった。
ナカイはあまり交流がなかったが、勢いのある言動で笑いを誘う姿がよく見られた。
誰もかれも、いいやつばっかりだ。
でも、異世界が、みんなの悪いところを浮き彫りにしてしまった。
元の世界に戻る。
その可能性が見えたら、みんなの、『いつもの日常』が浮かんできてしまった。
いいやつばっかりだった。悪いところもあったけれど……いい、友達だった。いい、友達だったんだ。
……アサギは、浮かぶものが、ないんだろう。
あのクラスの平和だったころの思い出、その一番隅っこの、一番暗い場所には、ずっと、アサギがいた。暗すぎて、見えなかった。見ようともしなかったけれど、そこには確かに、アサギがいた。
「行こう、カリヤ、ナカイ」
行きたくなさそうだった。
だからワタナべは、言うことにした。
「もう、ここに、お前たちの居場所はない」
クラスの中にアサギの居場所がなかったように。
もう、カリヤもナカイも、居場所を持っていない。
二人は、クラスメイトたちの視線から、それを察したらしい。
恐れるようにあとずさりして──
「──そんな、わけ、ねえだろ」
ナカイが、踏みとどまる。
「な、なんで俺らだけ送り出す雰囲気なんだよ……! 助けるのが、当然だろ!?」
だったら何を、今、ぐだぐだしているのか。
行けばいいとアサギは言った。……もう、『当然』は違うのだ。もう、『絆』とか『思いやり』を盾に自分が正しいことを言っているかのような偽装はできない。『クラスメイトを売った』という事実が、それらすべてを空虚にするから。
だからナカイがあがくのは、『行きたくない、死にたくない』という本能からの行動でしかなかった。
それでもナカイが素直に『死にたくないので行きません』と言えないのは……
生きていくにはあまりにも邪魔な、プライドのせいだった。
「アサギ……アサギ! アサギのくせに、なんで……! お、俺が『行こうぜ』って言ってんだろ!? 行けよ!」
「──そろそろうるさいな」
アサギが『飽きた』のが、わかった。
ワタナべは──もう、止められなかった。止める暇も、なかった。
ナカイが、ふにゃふにゃと崩れ落ちていく。
「あ、あえ……え……?」
何が起きているか、わからないようだった。
ワタナべにもわからなかった。でも、予想はできた。
──デバフ。
アサギはデバフ職のはずだ。
立ち上がれないほど、なんらかのステータスを落とされた──
「おい、カリヤ、『それ』持って行けよ。二度と立てないけど、盾ぐらいにはなるだろ」
──では、ない?
デバフは、アサギがかけ続けないと維持されないはずだ。
だが、そういう物言いではなかった。
ワタナべの疑問の視線に、アサギが答える。
「
「……」
「大したことなかったな。STRも、DEXも」
「アサギ……」
「『持っていく』か、『置いていく』かは、選んでいいよ。どっちにしろ、もう二度と、ナカイは立つこともできない。筋力をかなり吸ったから、呼吸も……ああ、心臓も怪しいか。ゆっくり死ぬか、すぐ死ぬか、好きに選ぶといい。それと──」
アサギが、最高に意地の悪い笑みを浮かべる。
「──ワタナべくん、行くか行かないか、お前はまだ選べるよ」
「……」
「『見捨てらんない』っていうのは──胸に響いたよ。じゃあ、見捨てる選択肢を僕は提示しよう」
アサギが、近付いて来る。
耳元にささやきかけるように、顔を上げて、
「それがお前にとって『罪』なんだろ。じゃあ、自覚的に、罪を犯せ」
「………………は、は、は……」
笑い、なのか。
呼吸、なのか。
うまく考えられない。
……油断、していたのかもしれない。
ワタナべは、自分は、アサギの懐に潜り込めたと、無意識にそう思っていた、のかもしれない。
でも、結局、他の連中と変わらない。
自分もまた──
──アサギの、敵の一人。
「さあ、選んでいいよ。どっちにする?」
アサギが笑っている。
やはり、その笑みは、凄絶で、美しかった。