僕がこの連中にされていたことは、一言では言えない。
『〇〇されているんです!』と、何か一つ、明確な罪状を訴えられたならば、きっと、もう少しやりようがあっただろう。
でも、連中は、そういうことは、しない。
……大昔の学園ドラマなんかは、本当に、『良いいじめ』ばかりが描かれていたと思う。わかりやすい恐喝。わかりやすい暴行。わかりやすい犯罪教唆。
僕がもし、ああもわかりやすい犯罪行為の被害者だったら、すぐにでも警察に駆けこんでいただろう。
けれど、あいつらの行為は、その全部に『言い訳の余地』が存在した。『いじめは、いじめられている側が、いじめだと思ったら、いじめです』なんていう標語もあるようだが、僕がいくら連中の行為をいじめと思っても、学校や家族、もちろん加害者の家族にそれを『いじめです』と認めさせられるヴィジョンは、まったくなかった。
ようするに、連中は狡猾で、僕には、信頼できる相手というのが、誰もいなかった、ということになりそうだ。
ただ僕は、『だから、自分を取り巻くすべてが悪で、すべてが憎い』とは思いたくなかった。
そうやって雑に、人間そのもの、社会そのものの価値を、実際に僕に加害した連中のせいで貶めることは、なんだか負けた気がして……ようするに、つまらない矜持にこだわった結果、僕はたとえばナナミさんを恨まずに済んだと、そういうことに、なるのだろう。
僕は恨みと憎しみを、きちんと個別に管理している。
その中でレイナは、僕に恨まれるトップ層のうち一人だ。
金色に染めた髪。派手なメイク。ナナミさんと顔の構造やパーツはほとんど同じだというのに、けばけばしい真っ赤な口紅が、まったく顔立ちの印象を変えてしまっていた。
顔つきもそうだ。あいつの浮かべる表情は、嘲笑、蔑み、それから見下し。……まあ、僕以外には、それ以外の表情も向けていたし、なんなら、クラスのリーダー的存在であるヤナウエなんかには、吐き気がするような媚びた顔と声をしていたが──それをチラリとでも視界に入れてしまった時には、酷い『報復』をされたものだった。
連中の僕への蔑みが顕在化し、いよいよ『〇〇されているんです!』と法に訴えられるぐらいにはっきりしてきたのは、この世界に来てからのことだった。
そのころにはもう、僕が駆け込める警察は存在しなかったし、クラスのいじめを異世界人である国王や王子に報告するのも……長年一緒に暮らしてきた家族さえ信用しきれなかった僕が、自分たちを異世界に拉致した人たちを、そこまで信用できるはずもなかった。
ヤナウエはリーダーというポジションにマッチョイズ厶が必須だと思っていたようで、誰かに攻略を押し付けることはなかった。
そこは評価対象になったらしい。ヤナウエたちの行為に、文句は言わないまでも辟易していたみんなも、ヤナウエが最前線に常に立つことで、だんだんとヤナウエを崇め、より明確に従うようになっていった。
そうしてヤナウエが『いじめ』の対象にしていた僕は、ヤナウエ以外からも、下っ端扱いをされるようになっていった。
そんなヤナウエたちに、僕は荷物持ちとしての同行を許され、よく同じパーティでダンジョンに入ることになった。
クラスカーストのトップの仲間入り──なんていう話じゃない。
奴隷だ。
……でも、その当時の僕は、嬉しかった。
クラス転移で、他に頼れるような人がいない中で、ヤナウエたちに、連れ回されることになった。
荷物持ちとか、ヤナウエたちが休んでいる間──というか、レイナとヤッている間の見張りとか、そういう下働きをさせられてきたけれど、『一生懸命にヤナウエくんの役に立って、認められたら、クラスでの居場所もできるし、今の立場を脱せる』なんて、信じていた。本当に、頭がおかしかった、当時の僕は。
ブラック企業に勤めている人の頭に『転職』がよぎらないように、僕はこのクラスから抜け出す選択肢をまったく思いつくことができず、どうにかこのクラスのトップであるヤナウエに認められることだけが、今の扱いを変える唯一の手段だと、そう思い込んでしまったのだ。
結果は追放。
そのお陰で、『ああ、そうか、居場所はここだけじゃないんだ』という発想を得られたことにだけは、感謝しても……いや、やっぱり、冗談でも、戯言でも、あいつらに感謝なんか、したくないな。
かくして僕は雑用兼サンドバックという立場から抜け出し、この世界の市井で生きることになった。
第二王子に殺されかけたりもしたけれど、この三か月は忙しく、しかし、『自分の行ったことが、他者に認めてもらえる』という点で、かなり……『生きている』感じのする、三か月だった。
その三か月を経て、また、ここに戻ってきた。
「いぐうううううううううう♡♡♡」
「おい、レイナ! レイナ! しっかりしろ!」
獣のような声で吠えるレイナは、髪が短く、そして、黒くなっていた。
まあ、地毛は黒だしな。理容師もいないこの世界じゃあ、金髪は維持できないか。
かなり髪が短くなっているのは、差別化だろう。
もちろん、姉のナナミさんとの差別化だ。
……今から振り返れば、レイナの行動は、ナナミさんへの対抗心みたいなものが、かなりあったように思われる。
僕に対するいじめが酷くなるタイミングは、いつも、ナナミさんが僕を気遣った後だ。
だから、ナナミさんとの差別化のために髪を金色に染めていたが……
染められなくなったから、短くしたんだろう。ナナミさんは、綺麗な、長い髪をしているから。
「ヤナウエくん! レイナの治療のために、アサギくんを連れてきた!」
ナナミさんが叫ぶ。
ここは──大きい部屋だな。たぶん、ヤナウエたちの、ヤリ部屋なんだろう。
知らない部屋だ。功績のお陰で新しい部屋でももらったのか。まあ、僕がいたころは、ヤろうと思ったらダンジョン内という命知らずなことをしていたし、僕がいなくなったあとでもらった部屋なんだろう。
大きくて、家具はベッドが一つきり。
大きなベッドだ。今は……レイナが暴れ回っているから、このベッドぐらいしか、寝かせられるところがない、というあたりか。
レイナは、全裸だった。
あいつの寝ているベッドは、シーツがもうぐしょぐしょだ。
どれだけイき狂ったんだろう。
腰を跳ねさせ、目を剥いて、喉を逸らし、激しく絶頂している。
数秒、あるいは数十秒見ていても、絶頂がまったく弱くなる気配がない。常に、最大の絶頂を、絶え間なくしている──そういう感じだ。
よっぽど淫魔に気に入られたか、あるいは、淫魔を怒らせたか──なんとなく後者のような気がする。
『ベッドの上で、女が、イきまくっている。しかも、全裸で』というシチュエーションなのに、そばにいるヤナウエの顔は、憔悴していて、痛々しい。
文字でまとめてしまうとエロシーンにしかならないのだが、常に全力イきをしまくって、絶頂から降りて来る気配がなく、しかも魔力がどんどん発散して、おまけに潮や愛液でシーツはぐしょぐしょ、という状況は、『エロい』より『怖い』が勝るんだろう。
確かに、怖い。
見た目はナナミさんと同じはずのレイナという女がイきまくっている。
だっていうのに、性欲がわかないのだ。
「アサギ!? こいつがなんの役に立つんだよ!?」
ヤナウエの言葉は僕に向いていなかった。
相変わらず、こいつにとって、僕は無価値らしい。
でも、他人同士なんだから、そんなものだろう。
今の僕にとっても、ヤナウエは無価値な他人だ。
当時の僕はこいつからの評価が欲しくて頑張っていた。
でも、評価されなかった。そうして追放されて、気付いたんだ。
クラスメイトは、たまたま同じ教室に入れられただけの、他人にしかすぎない。
そこでの評価を求めるのは、そこにしか居場所がないからだ、と。
だから他人同士、僕もヤナウエと言葉を交わす理由がない。
「ナナミさん、施術を始めるから、そいつを追い出してくれないかな」
「わ、わかった」
「おいアサギ! 何する気だ!」
「一刻を争いそうだよ」
「う、うん……ヤナウエくん、お願い、お願いだから、出て行って! レイナを助けたいの!」
「アサギが何の役に立つんだよ!」
興奮した猿、という表現が頭に浮かんだ。
……ヤナウエ。
格好いい、見た目をしていた、と思う。
そうだ、身長は180はあった。体格は細マッチョで、成績は優秀。先生からの評価も高い。
顔立ちは爽やかで、街で歩いていたらスカウトされた……みたいな話も、聞いたかな。別のやつだっけ?
確かに、僕と比べると、スタイルはかなりいい。脚が長い。筋肉が、目立たないけど、ちゃんとついてる。服装は──ブレザー。制服だ。
僕らはこの世界に転移したその翌日から、なんとなく、日中は制服を身にまとう習慣ができていた。
それは、いくら『ダンジョンで化け物どもを倒す!』と息巻いていても、この、どこかもわからない場所で、少しでも自分たちの日常にしがみついていたい……そういう気持ちの表れだった、そんな気がする。
僕はもう、ブレザーは持っていない。
クラスから追放された後、第二王子の部隊が僕を殺そうと追ってきた。その時のあれこれですっかりボロ切れ同然になってしまったので、処分した。
今は市井でよく着られている生成りのシャツに、動きやすい麻のような素材のズボン、あとは黒いマント。
マントは、便利だ。これがあると、外で寝る時に、いちいちブランケットなんかを用意する必要もなく、しっかり体に巻き付ければ温かいし、裏側にポケットを縫い付ければ、いろいろ仕舞っておくことができる。
ぼんやりとそんなことを考えている間にも、ナナミさんとヤナウエの間で、押し問答が発生している。
このクラスの内側から見るヤナウエは、勇気と決断力があるリーダーだった。
でも、外から見ると、頑迷で頑固で、時と場合を弁えずとにかく意に沿わないことには怒鳴って反抗する、ただのクソガキだな。
「ナナミさん、別料金だけれど、そいつ、黙らせてあげてもいいよ。このまま騒がれると、帰るしかないし」
「あぁ!?」
会話の相手はお前じゃないんだけどな。
僕はこのまま帰ってもいい。でもまあ、さすがに、ナナミさんがかわいそうだ。
ただ、本当に帰ってもいい。だから、別料金を──対価を請求するし、決めるのは、ナナミさんに任せよう。
……と、思っていたのだけれど。
「アサギぃ! 何戻ってきてんだ! てめぇは追放したろうが!」
「……」
「黙ってんじゃねえよ雑魚! こっちは忙しいんだ! 出てけ!」
「依頼者に問う。
「おいっ、返事しろ!」
どうにも暴力が、僕に向けて振るわれそうだった。
ヤナウエのチートは『豪勇無双』。職業は『戦士』が振り分けられた。
まあ、こいつは勝手に勇者を名乗ったが……
この世界で召喚された異世界人が『勇者』を名乗るのは、王族の人たちは、気が気じゃなかっただろうな。
そいつは禁句なんだよ。勇者っていうのは。まあ、世界設定を知らなきゃ、剣と魔法のファンタジー世界で、いかにも主人公みたいなポジションになれば、勇者を名乗りたがる気持ちもわかるけれど。
つまりこいつは近接型、ガンガン突っ込んでガンガン戦う。勇気、あるいは恐れのなさでステータスに補正がかかる前衛職、なんだけれど……
……遅いな。
面白おかしく呪ってやろうかと思ったけれど、遅すぎて、戸惑ってしまう。
殴り掛かる動作も大振りで、武術的な動きは少しもない。
ステータスに任せた突撃──僕がいなくなってから一階層も突破できたのを、嘲り交じりで『凄い』とは思ったけれど、これだけ馬鹿な戦い方で十五階層のボス部屋までたどり着いたんなら、それは『凄い』じゃなくて、『運がいい』と言うべきだった。
こいつら、何も改めてないのか。
壁にぶつかることもあっただろうに。戦術の見直しも、戦法の見直しも、してないんだ。
そこまで馬鹿の集団じゃなかったはずなんだけど……
……ああ、そうか。
こいつら、この世界で生きてる自覚がないのか。
まだゲームをやってるつもりでいる。……なるほど、王宮の中で、謀略にはめられて、『現実感』を育むことができないまま、ここまで来てしまったのか。
哀れみさえ覚えてしまうよ。
……まあ、とりあえず、降りかかる火の粉は払うか。
殴り掛かられたので、避けながら、喉を中指の第二関節を突き出した拳で打った。
「ガッ」
という声を出しながら、僕の横を通り抜けるように転び、激しく咳込む。
おかしいな、手加減してしまった。
もう少し押し込めば、咳込むなんてこともできなくなっていたはずなのに。
元クラスメイトのよしみ、みたいなものかな。
僕の中にも、こいつらを殺すことへの罪の意識があったんだ。……意外だ。
でも、『ある』ことを理解したから、次は、『自分が罪の意識で無意識に手加減してしまう』前提で反撃すればいいか。
「邪魔だから、出て行ってくれ」
忠告と言うよりは、次に来たら殺すので、自分で自分を『まあ、ここまで言ったのに、それを無視したなら、しょうがない』と説得するための言葉をかけた。
「出ない場合、排除する」
肩越しに振り返る。
僕の知っているヤナウエは、僕にこんなことを言われて、黙っていられるようなヤツじゃない。
……期待してるんだ。殴り掛かられることを。
殴り掛かられたなら、『仕方ない』から。
だからヤナウエ、昔のままでいてくれ。
僕を見下してくれよ。僕を人間扱いしないでくれよ。僕の発言、行動、すべてが愚かで、どうしようもなくて、無能で、キモくて、僕が呼吸するだけで、僕に何をしてもいい大義名分を得たと、そう思うような、馬鹿のままでいてくれよ。
お前らのやってることは狡猾だった。
狡猾さが失われたのは、訴える先の警察がなくなったあと──この世界に来てからだった。
正しいよ。お前らはわかってたんだよな。
この世界には、何をしても助けてくれる大人なんかいないって。
だから弱者への搾取をあからさまにして、クラスの中に奴隷を作った。
本当に賢い。その通りだ。
この世界では……
お前が死んでも、僕を裁ける者はいない。
僕の良心はお前に対してはそこまで働かない。強いて言えばナナミさんに対して、クラスメイトを殺してしまったことへの罪の意識を僕は覚えるだろうから……
反撃で殺す。
僕から手は出さないで、殺す。
苦しめて殺す。
聖女でも治癒できない方法で殺す。
さあ、早く、僕にまた、殴り掛かってくれ。
ヤナウエ。
ヤナウエ。
……ヤナウエ。
…………なんで、恐ろしいものを見る目で、僕を見るんだよ。
僕になんか、怯えるなよ、ヤナウエ。
お前はもっと自信満々で、モンスターにも猪突猛進していくリーダーだろ。
……なんで、殴り掛かってきてくれないんだ。
それじゃあ、お前を殺せないじゃないか。
ようやく声を発せられるようになったヤナウエは、青い顔で、床を見ながら、こんなことを言い始めた。
「わ、悪かった……悪かった……れ、冷静じゃなくて……」
「……………………あ?」
「ご、ごめん……れ、レイナ、レイナが、こんなことで、冷静じゃ、なくて、それで……あ、あの、アサギ、ありがとう、ひ、酷いことしたのに、駆け付けてくれて……本当に、ありが……」
「消えろ」
「……あ、は、はい。た、頼む、頼む……」
「…………」
舌打ちが出かけた。
ナナミさんが視界の端にいたから、こらえた。
ヤナウエが、ふらふらと出ていく。……僕を油断させて、殴り掛かろうということでも、ないんだ。
「……くそ」
ヤナウエが弱弱しい振る舞いを見せたことに、がっかりした。
僕は、僕を加害したあの連中には、あのままでいて欲しかったんだ。殺しても許されるクズのままでいて欲しかった。弱者を踏みにじる、頑迷に狭窄に、僕を役立たずの弱者と見たままの、愚かなままのあいつらでいて欲しかった。
急にキャラ変えんなよ。
「……あ、アサギくん……?」
「……なんでもないよ。邪魔者はいなくなったようだから、治療を始めよう」
レイナのイき声はまだ響き続けている。
……ヤナウエを殺そうと決意したあの時間は、静かだった。同じように喘ぎまくっていたはずだけれど、なんだかやけに、静かだったな。
まあ……
余興は、終わりでいいだろう。
依頼をこなそうか。レイナが欲しいというわけではないけれど、ナナミさんのお願いだから。