ダンジョン最奥
淫魔女王のいる場所
不純物の一切が消え去り、僕らのダンジョン攻略は加速した。
二十五階層のボスはすでに倒していて、二十五階層のボス部屋にもう一体いる……ということも、なかった。
戦闘能力は、二十五階層ボス『アラクネ』との戦いで保証されていた。
まるでゲームのように、どれほどのダメージを受けても、コマンドで選択した行動を必ず行う兵隊と、その兵隊たちの痛みとか苦しみとかにあまり興味がない僕の『コマンド操作』は、僕らの戦いを完璧にしていたんだと思う。
いちいちユニットの痛みに共感してしまったら、RPGはやれない。
そして僕らはRPGをするべきだった。『クラスメイトは人間だから』という前提でヤナウエは制度を作って攻略をしていた。それは間違っていない。でも、そのやり方ではきっと、攻略はできなかったんだと思う。
そしてなんとなく、『主人公』が敗北した理由もわかった。
ゲームでの主人公は優しい男として描写される。
クラスメイト全員で帰るんだ! という想いを抱き、それでも攻略のための人を苗床にしたりということをプレイヤーによってやらされ、その中で葛藤したり、申し訳なく思ったり、そういう……『生き残るために、犠牲にしたくないと思っていた大事な何かを切り売りしていく』様子。それが描写されていた。
でも彼は仲間を前衛に立たせて淫魔の攻撃で殺しかけるし、苗床にするし、娼婦として売ることもする。
そうして攻略に成功するわけだが……それは『プレイヤー』という『外部の脳』があってこそだ。
もしも『主人公』が『主人公』の人格のままに、外部からの指示もなくこの世界に放り込まれた場合、あいつは優しすぎて、ダンジョン攻略をできないだろう。
もしかしたら、クラスメイトたちが傷つくのを恐れて、そもそもダンジョンに入れなかったかもしれないとさえ、思う。
ようするに、ダンジョンを攻略するためには、『プレイヤー』が必要だった。
そして僕は『プレイヤー』になれた。
「面白い」
それは淫魔女王の第一声だった。
ダンジョンの地下にある空間で、僕らはついに、『ラスボス』と対面している。
クラスが無事だったころには達成不可能だった奇跡。
ゲームで言えば『中盤ボス』にしか過ぎない。
だがこれは、ヤナウエが行おうとし、そして失敗したダンジョン攻略を、僕が結実させた、ということになるのだろう。
……なるのだろうが、事実を改めて言葉としてみても、『ざまあみろ』とも思わないんだよな。
やっぱり僕はもう、ヤナウエにさほどこだわりがないらしい。
もう思い出すことも、ないだろう。……連中も、ダンジョンのどこかにはいるとは思うのだけれど。もしも僕の推測が当たっていて、『異世界人を強制的にダンジョンに放り込む機能』がどこかにあるとすれば、だけれど。
淫魔女王は、巨大な、女だった。
巨大な──普通の人間の十倍はありそうな、巨大な女の上半身が、ダンジョンの壁から生えている。
正確には胸像のようだ。……それも、そうだろう。何せ、このダンジョンというのは、こいつの『胎』なのだ。こいつの腹部から下は、ダンジョンそのもの、なのだ。
美しい女。けれどその目には爬虫類のような冷たい不気味さがあって、ピンク色の髪は
豊満な乳房をむき出しにした、その女の上半身。胸の谷間には、赤黒い、目のような模様の入った宝石があった。
さて、僕らは勝てるのだろうか?
正直言って、わからない。
勝ったところで、ゲームでは『淫魔女王を倒したらダンジョンが崩れるので、急いで脱出しました』というのがオートで進むけれど、ワープ装置もないこのダンジョンを駆けて戻って、果たして無事に第一階層から戻れるのか。何より、第一階層に出口があるのか。そこもわからない。
死ぬかもしれない。
あるいは、死ぬより酷い末路を迎えるかもしれない……
……興味がわかないな。
一時的に、フッと上向きになった僕の心は、『死ぬかもしれない状況』を前に、また沈み込んでいた。
あるいは死を恐れるあまり、防衛機制が働いているのか。
まあ、倒せば、あるいは倒せなければ、わかることではあるだろう。
「実に、面白い──面白
「……?」
過去形。
そのセリフは、知っている。
ゲームにおいて、『女神の家畜』という立場から脱して人間どもと共謀し、異世界人を半永久的に
しかし彼女は、その状態に飽いていたことが明かされる。
『定期的にエサが運ばれてきて、自動化された牧場で生き続ける。挑戦もなく、他に行くべき場所もない。これは、我らが女神の家畜として生きていたころと、何が違う?』
彼女は安定に飽いていた。
だからこそ、異世界人たちに強さを求めた──まあ、強い方が
だから淫魔女王は、『正々堂々、ダンジョン最奥にたどり着いた者との勝負をして負けた』という状況で、面白かった、と述べる。
それは自分の敵に対する賛辞であり、プレイヤーに『淫魔女王より悪いやつがいるんじゃないか』と思わせるヒントの一つであるはず、だが……
「お前たちは本当に、私の予想を超えた。まさか、お前たちが──」
知らないセリフに接続される。
淫魔女王は堂々とした戦士みたいなことを口走るボスだが、その予想を超えることは、プレイヤーも『主人公』もできない。
あくまでも彼女の整備したダンジョンシステムを乗り越えただけのプレイヤーは、その成長度と強さにおいては確かに淫魔女王の予想を超えるのだろうけれど、このように大興奮という様子で賛辞を浴びるほどのことは、できないのだ。
この世界において、行動は常に淫魔女王の掌の上で、すべては常に女神の目に映る通りでしかない。
……僕らは、淫魔女王にここまで言わせるほどの、何をした?
………………いや。
僕らは──
──本当に、ここに、最初にたどり着いたのか?
淫魔女王は、僕の疑問の答えになる言葉を、放つ。
「──新しい魔王となるとは。見事、見事だ──ササイナナミ」
ぴしり、ぴしり。
淫魔女王の胸にある、赤黒い宝石のようなものが砕ける。
淫魔女王の全身が石のような灰色になり、そこにもヒビが広がっていく。
全身に亀裂がいきわたったところで、淫魔女王──その、ダンジョンの壁から突き出た上半身は、粉々に砕けて……
降り注ぐ『淫魔女王だった欠片』の中に、立つ人物がいた。
……長い黒髪の。
なぜか、赤い瞳の。
全裸にほど近い格好をしているけれど、髪がうねり、触手のようになり、その全身をドレスのように覆っている──
「──ナナミさん」
クラスメイトの中で唯一、僕の報復対象から外れていた彼女。
レイナを苗床にしたことに耐えきれず、僕のもとから逃げ出した、彼女。
『責任』『覚悟』。そんな言葉を繰り返し口にしておきながら、どちらも行動で示すことができず、僕の興味の対象から外れた彼女が……
乾ききった何かを二つ、髪の毛の先にくくりつけ、その髪の毛を動かしてふわふわと浮かばせながら、僕らの前に立っている。
彼女が髪の毛でぶらさげているのは、人間のミイラだった。
そいつらは──
「それは、もしかして、ヤナウエと、ウエマツか」
──消去法で予想するしかないほどに変わり果てた姿になった、ヤナウエと、ウエマツだった。
ナナミさんは、笑っている。
いつもの穏やかで優しくて、それから、どこにも向けていないような、透明な微笑ではない。
明らかに僕を見ていた。
赤くなった瞳で、僕を見て、僕に微笑みかけていた。
「アサギくん、あのね」
僕の問いかけに答える様子はなかった。
彼女はただ、最初から『言おう』と決めていた何かを言うために、言葉を探して、
「私の彼氏になってみない?」
まったくわからないことを、口走り始めた。