ワタナべ寄り
地上・王宮
王宮に戻った時、その様子が一変していた。
その時点でワタナべはダンジョンに戻ろうかと思った。『宮殿だと思っていた場所が、肉色の迷宮になっています』だなんてイレギュラーもいいところだからだ。
だが、それはできなかった。
ワタナべたちが出た途端、ダンジョンとつながる扉は消えていた──
(いや、たぶんこれは……扉が消えたんじゃない。今、この一瞬で、内部構造が変わったんだ)
扉に続くはずの道が、急にぐにゃりと曲がったか何か、したのだろう。
ほんの一歩歩く前まではなかった『横道』が急にそこに出現している。
「ワタナべ……」
「大丈夫だ」
ネコイの不安そうな声にほとんど反射的に答えて、ワタナべはなんだかおかしくなった。
完全に嘘だ。何が大丈夫なのかわからない。状況がまず、全然わからない。
だが、ネコイの不安そうな声に、自分が咄嗟に、無意識に選んだのは、『彼女を安心させるために嘘をつくこと』だった。
それが、おかしかった。
ワタナべはその事実におかしさを覚えるとともに、気恥ずかしくなって、いつもの地蔵みたいな無表情になり、坊主頭を掌で掻いてから、槍を突き出すように構えた。
「行こう」
行くしかない、というのが実情に近い。
しかし、ただの言い回しの問題でしかなくても、少しでも前向きな表現を選びたかった。
これが、守る相手がいる、ということ、なのかもしれない。
ネコイも杖を構えた。彼女は『温度使い』。氷と火炎の魔法を使う。
ワタナべは『槍士』。……クラスメイトたちとの冒険でわかったことだが、女神の加護には『〇〇という道具を使うのに長けている』『○○という概念を操ることができる』、それからどちらかもわからない『聖女』というものがあった。
アサギも含めると『呪い』もまた、聖女と同じように、道具でも概念でもない、謎の加護に分類されるだろう。
インドウなんかは『活力使い』というのが正式な加護名になる。
それに合わせて『戦士』だの『補助術師』だのという分類を王宮からされる、という感じだ。
(槍使いは言い訳のしようもなく槍しか使えないが、温度使いは幅が広い……はず、なんだが。ネコイの性格的に、炎で焼き付くすか、凍らせるかという大雑把な使い方しかできないな……)
ワタナべはこの二人でどうこの先進んでいくかを考える。
もはや王宮は安全地帯ではなく、そもそも王宮でさえなかった。
この肉色の壁、天井、床の空間は、モンスターが出るに違いない『ダンジョン』になっているものと、ワタナベは確信していた。
(二人とも火力で、回復も補助もいない──インドウ、お前のありがたみが、今さらわかる……できれば無事でいて欲しいが、もう、無理なんだろうな……)
ワタナべは『インドウパーティがヤバいのに襲われて全滅も同然の状態だ!』という情報を得た時に、アサギパーティから放り出された。
なのでインドウが『実際にどうなったか』は確認していない。……それはある意味で『希望が残っている』ということでもあったが、あの感じで『きっと、大丈夫だろう』と思えるほど楽観主義でもなかった。
ワタナベは改めて、『二人しかいない』という事実を噛みしめた。
それから、ネコイを振り返る。
「……ネコイ。これから先、誰かに出会ったら、出会うのが誰であれ、警戒を解かないでくれ」
「く、クラスメイトとかは……」
「それでもだ」
地上の状況を掴むまでは、全員、敵かもしれないと思った方がいい。
ワタナべのこの考えは、さっきからずっと本能に響いて来る警鐘に従ったものだった。『とにかくヤバい』と本能が叫んでいる。何がヤバいかもわからない。だが、ダンジョンより、今の王宮の方が、よほど危険で、何が起こるかわからないと、ワタナべの感覚は言っている。
「……わかった」
ネコイも似たような感覚はあるのだろう。
もっと感情的な反論が来るかと思ったが、素直に、それどころか、決心したように杖を握りしめて、神妙にうなずいた。
二人は、進んでいく。
つやつやとした、ピンク色の肉の壁、床、天井。
踏む感触は硬質ゴムを思わせた。硬い。槍の穂先を突き込んでも通らないだろう。でも、その硬さには、奇妙な柔らかさが混じっているような……そういう、感触だ。
二人の進む道は、一本道で、分岐がなかった。
スロープみたいなところを何度か上ったので、感覚的には、クラスメイトたちと過ごした『異世界人区画』に入っているように思えるが、何せ全部がピンク色のつやつやした肉に覆われていて、ここがどこなんだか、さっぱりわからない。
……そもそも、なんで、こんなことになっているのか。
(……十五階層のボスは、どこに消えた?)
それはこじつけかもしれないが、ワタナべは直感的に、『今、この王宮の状況』と、『ダンジョン内で遭遇しなかった、十五階層ボスの淫魔』とを結びつけた。
(そもそも、出られるのか? ……いや、もしかして……出られるように
何かで封印みたいなことになっていたが、何かで、出られるようになった。
では、その『何か』とは──
「お二人とも」
──不意に背後から声をかけられて、ワタナべは槍を薙ぎ払った。
ちょうど、ネコイの頭上を通るような軌道だ。
声の位置からのあてずっぽうだったが、槍はネコイの頭上を通り過ぎて、声の主の頭部に迫った。
……だが。
その槍は、声の主が半歩退くことで、あっさりと、避けられた。
「失礼、驚かせてしまったかな」
しかも、声をかけてきた男は、ワタナベの急な攻撃などなんともないように、落ち着いた様子で、穏やかに微笑んでいた。
……そいつは。
背が高く、細身に見える、金髪を長く伸ばした男だった。
だが華奢そうなのは身体のバランスがいいからで、よくよく見れば、身長はクラスの肉体派トップであるウエマツよりも高いし、手足にも肥大していない『本物の筋肉』がついている。
その人物は、派手な刺繍の入った白いスーツとは裏腹に、実用性一辺倒と思しき武骨なロングソードを片手に持っていた。
抜き身の剣──だがそれは、ワタナべたちに向けられず、床に切っ先を向けるように、だらりと下げられている。
その人物は、
「……アンデルセン王子」
……女神の加護などなくとも、鍛え上げた体だけで、加護を持つ異世界人たちに匹敵、あるいは圧倒する武力を持っているのが、今、ようやく、実感できた。
その武力の持ち主が不意に、何もなかった背後から出現する──
──ワタナべはネコイを守るように踏み出し、槍の穂先を突き付けたまま、問いかける。
「俺たちに、なんの用だ」
「警戒しないでくれ、我が友よ。敵対の意思はない。というより……協力をお願いしたいのだ」
「……協力?」
「王宮が
どうやらアンデルセン王子は、今、王宮が『肉色のダンジョン』と化している理由を知っているらしい。
(信じられるか?)
ワタナベは自問する。
……どうにもアンデルセン王子はうさんくさい男だ。信じられるか、信じられないかと言われると、信じたいと思えない。
だが、他に道もなかった。
ワタナべは、圧倒的に情報が不足している。それに、アンデルセンと敵対したら、勝てない。抜き身の剣を持った彼の姿と、さっきの、たった一回のやりとりを経て、そう判断せざるを得なかった。
ワタナベは、警戒は解かないまま、問いかける。
「……王宮に、何が起きた」
「
「……十五階層のあいつか」
ワタナべは確信をもって発言したが、アンデルセンは「いや」と即座に否定する。
「そいつではない。ただ、まあ、そいつも倒すべき相手ではある。しかし……そいつではないんだよ」
「じゃあ、誰だ」
「ミス・レイナだ」
「…………なんだって?」
「ミス・レイナが急に来て、王宮をダンジョンに変えてしまった。そして、そのダンジョンは、城下町にも広がりつつある。民と家族と世界のため、倒さねばならない。どうか、協力してほしい」
……どうやら。
状況は、ワタナべが思うよりも大きく変化していたらしい。そして……
なぜだろう。
不思議と、レイナがやらかしたと言われて……
やっぱりな、という想いが、胸の中をよぎった。