ダンジョン最奥
ナナミに「私の彼氏になってみない?」と言われた直後から(44話の続き)
ナナミさんからのTPO上まったく想定できなかった『私の彼氏になってみない?』という問いかけ。
その返事に詰まってる間に、僕ではなく、僕の周囲が動いていた。
キサキが斬りかかり、テイラーが『壁』の魔法でそれを援護する。
すでにヨドガワによる補助も、二人にはかかっているようだ──というか、僕にも、
斬り込まれている先はもちろんナナミさんだった。
「アサギ、デバフかけて!」
キサキにしては切迫した声だが……
どうしてあんなにもためらわずにナナミさんに斬りかかるのか、僕はまだよくわかっていなかった。
あの三人の表情や反応は、『やらなければ、やられる』というものだ。
命が懸かっているというのは読み取れるのに、僕からすれば、その命の危機がさっぱりわからない。
どうしたんだよ三人とも、という問いかけも一瞬浮かんだが……
僕は、ナナミさんにデバフをかけることにした。
「あれ、アサギくんも?」
ナナミさんは不思議そうに首をかしげている。
……それだけだった。
デバフがうまく入っていかない感覚がまず、伝わってくる。
そして、キサキの剣が確かに首に当たっているのに、その刃が皮膚より先に進まない現象を、目の当たりにした。
雰囲気からして、テイラーの『不可視の壁』でナナミさんは取り囲まれ、拘束されている。
だというのに、危機感が全然なかった。
……この現象は。
レベル差が、ありすぎる場合の、現象だ。
僕の感覚だと、このキサキたちと僕とで、淫魔女王も倒せるだろうと思われた。
ところがその淫魔女王を……会話の流れから言って、僕らより先に倒したらしいナナミさんに、僕らの攻撃は全然通じない。
確かに『強さ』という点において、今のナナミさんは、僕らをまとめて殺せる。猛獣と人間ぐらいの力の差が、確かに僕らにはあった。
キサキたちの行動は正しかった。
僕は生存本能が弱っていたせいか、もしくは、ナナミさんの敵意が僕に向いていなかったせいか……ともかく、今が『命の危機』だと感じ取ることができなかった。
けれど確かに今は『命の危機』を感じるべき場面なのだ。
……その上で。
僕は、どうするか。
とりあえずキサキたちに合わせてデバフを入れようとはしてみたけれど、ナナミさんの話を聞く限り、僕に命の危機はないだろう。
それに、命の危機がある、と頭で理解してみても……そこまで、生存のために一生懸命にならなきゃ、みたいな気持ちはわかない。
キサキたちは即座に行動したぐらいだし、もしかしたら、殺されると思ったのかもしれない。
では、キサキたちが殺されたところで、僕はどう思うのか? キサキたちを守るために、ナナミさんに敵対するのか?
……なんだか、悩むのも面倒だな。
「まだ受け付けてるなら、少し話をしようか、ナナミさん」
「いいけど、キサキさんたちが……」
ナナミさんは本当に困ったような顔をしていた。
テイラーの『壁』に三方から押しつぶされるような圧を加えられ、今、この瞬間にも、キサキの剣の切っ先が喉を押している──刃はまったく入らないけれど、押され続けている。
その『殺意』を向けられてなお、『困ったような反応』なのだ。
どういう力の差なのだろう?
そもそも、ナナミさんが淫魔女王をソロで倒せるぐらい強くなったその理由の方がよくわかってない。
……まあ可能性について、一つ、想像できることはある。
『単純に
時間的に、それで僕より強くなるのは計算が合わない。
あるいは種族そのものが変わっていて、ステータスの基本値が違う、ということもあるのかもしれないけれど……
別に僕も、
「……キサキたちは、君の存在に『命の危機』を感じているようだ。防衛反応としての抵抗だし、僕から『辞めろ』とは言えないな。僕はこいつらに自殺を命じる権利はないよ。というよりも──自殺を他人に命じる権利なんか、誰にもない」
「ええ? 命の危機? どうして? ……あ、もしかして、キサキさんも、アサギくんのこと、好きなのかな……別に、だったらどう、っていうこともないんだけど……」
僕とナナミさんの視線が、キサキに問うていた。
キサキは、ナナミさんの喉に剣を押し当て、今も貫こうとしながら、答える。
「
僕とナナミさんは、同時に首をかしげていた。
ヤバさ。まあ、強いのは見ればわかる。
あと服装も、毛皮なんだか水着なんだかわからない露出度の高いものに変化しているし、見た目からして、種族そのものが変わっている──人間というよりは、淫魔という姿になっている。
あと、うねうねと、触手のようにうごめく髪に、何かのミイラ──状況からの推測の結果として、ヤナウエおよび、ウエマツだったと思しきミイラを絡めて、浮かべている。
ヤバいのは、見ればわかる。
が、見てわかるヤバさは、見てわかるヤバさでしかない。
ヤナウエなんか、あの見た目で、僕にとっては『天敵』だった。
あいつに与えられた苦痛や恐怖、あいつのせいで派生した生命の危機なんかが、たくさんあった。
でも、ヤナウエは、見てもヤバさがわからなかった。
だから僕の返答は、こうなってしまう。
「人を見かけで判断するのはよくないよ」
そこでキサキさんがこちらを振り向いた。
『信じられない』という顔だが──果たして僕の『人を見かけで判断するのはよくない』という言葉を信じられなかったのか、それとも、ナナミさんの『ヤバさ』が、キサキやテイラー、ヨドガワにとっては『見かけだけ』ではないのか。
僕にはやっぱり、わからない。
クラスメイトの考えが。『常識』という概念が。『普通』というものが、全然、わからなかった。
その僕に、ナナミさんは「そうだよ」と微笑を浮かべて言葉を重ねる。
「お話しをしに来たのに、どうしていきなり攻撃するの? 私たち、クラスメイトでしょ?」
「その髪の毛に絡まってるミイラは、何」
「ヤナウエくんと、ウエマツくん。こんなんになっちゃったけど──お墓ぐらいは、元の世界にあった方がいいでしょ?」
「『こんなん』に
「え? 私」
キサキはナナミさんから飛び退いて距離をとったあと、真っ直ぐに突っ込んで、そのまま、突っ込む勢いを乗せて脳天から真っ二つにしようと、剣を振り下ろした。
ナナミさんは、横に展開されていたテイラーの『壁』を呪力か何かを放って『喰って』どけると、そちらの方向に避けた。
避けた。
ああ、やっぱりか。
「キサキさん、止まってくれ。少し、ナナミさんと話がしたい」
キサキは聞いてくれない。
斬りかかる。けれど、ナナミさんは避ける。
ナナミさんは、『何?』という目でこちらを見た。
どうやら避けながらでも話をしてくれるらしい。
とはいえ……
「ナナミさん、ドレインの効果はもう消えたころだろう? 最初、刃が通らなかったのは、ドレインによるステータスアップだけど、その効果はもう切れてるはずだ。淫魔女王にドレインを決めるのは、すごい。でも、今のキサキに斬られれば死ぬと思うけど」
「でも、止まってくれないから──したいように、してもらおうよ。それが一番、誰も、不機嫌にならないと思うから」
「そう? じゃあ、そのままでもいいか。ナナミさんは、元の世界に帰るつもりなんだ?」
「うん。だって、この世界って、生きるの、大変でしょう? ほら、文明とか、色々」
「それは確かにそうだ。……え、じゃあ、ナナミさんの『帰りたい』動機は、『こっちの世界が不便だから』っていう感じ?」
「うん」
「だから僕に協力を持ちかける目的で、『彼氏になってみない?』って言った、っていうこと?」
「え? ……あ、そうなんだ。アサギくんは……『それ』を冗談とか、方便とか、そういうものだと思ったんだね」
「違うの? 僕とナナミさんだと、釣り合わないと思う。ナナミさんの方が、圧倒的に『上』じゃないか」
「そんなことは、ないと思うけど……でも、うん、ごめん。アサギくんのこと、やっぱりまだ、よくわかってなかったみたい。私は……私は本気で、アサギくんと恋人になりたくて、告白したつもりだよ」
どしん、どしんどしん、と凄まじい音を立てて、テイラーの『壁』がナナミさんを圧し潰そうとする。
ナナミさんは、それを消したり、あるいは、『喰った』りしてやり過ごしながら、キサキの剣を避け続けている。
剣が振られる風の音が絶え間なく耳に届き続ける。キサキは速い。ナナミさんの体には、いくつもの傷が刻まれていた。
けれどその傷は、少し見ていると、すぐにふさがっていく。じゅわじゅわと泡立って、その泡の内側に傷口が消えると、すぐに、綺麗な白い肌に変わる。
「告白されるのは、想定外だな。誰かに脅されてる、っていうこともなく、本当に?」
「うん」
「……ごめん、全然、わからないや。嬉しいとか、そういう気持ちも、わからない。ナナミさんのことを好きかどうかも、わからない。なんだか、知らない言語の古い話でも聞いてるみたいな気持ちだ」
「実はね、私も、アサギくんを好きかどうか、わかってないの」
「……そうなんだ?」
「でも、誰かを好きになってみたくて。だから、アサギくんで始めることにしたの」
「なんで、僕?」
「最初は人に言われたからだったけど……でも、今の状態になって、わかったの。たぶん、今、この世界で、アサギくんが一番、『好まれる人』になってると思う。欲望……っていうのかな。そういうのを持ってみて、初めてわかったんだけど……アサギくん、あなたには、他の誰よりも、価値があるよ。その価値がどういうものかは、上手く説明できないけど……」
「……」
「だから、アサギくんが、私を好きかどうか、わからなくてもいい。私も、わからない。でも、好きになるってどういうことかを、アサギくん相手なら、探していけると思う」
この会話の間も、キサキたちは、全力でナナミさんを殺そうとしていた。
やはり僕は、ナナミさんのヤバさがよくわかっていないらしい。
迷いがないんだ、キサキたちには。僕らがどういう会話をしていて、どういう流れになろうが、ナナミさんは殺すべき相手だと、確信している。元クラスメイトなのに──いや、元クラスメイトだから、なのだろうか? 考えても考えても、やっぱり、わからない。
僕は、どうすべきだろう?
わからない。別にキサキたちを殺したいというモチベーションもなければ、ナナミさんを排除しなきゃという危機感もない。
ここで死んでも、まあ、それはそれで、って感じだ。死ぬ以上の結末になっても、同じことを思う。
だから僕が考えるべきは、ただ一つ。
「……『好きになるってどういうことかを、探していける』か」
思えば、誰かを好きになったことがなかった気がする。
クラスの中で、ナナミさんだけは『安全地帯』だった。だから、他の連中よりは好ましく思っていた。
でもそれは『場所』に対する好意だ。彼女自身を愛しているとか、彼女に対して性欲が湧くとか、そういうものとはまた違うように思われる。
そもそも、僕の学校生活で、誰かに好意を持つことは許されなかった。
僕はあらゆる感情を示してはいけない立場だった。何かを好きだとバレれば、それを貶められ、奪われる。その『何か』が人に対してであっても、同じ結末になっただろう。
弱者は感情を悟られてはならない。それを使って、新しい『罰』を与えられるから。
どのような罪に対しての罰か? それは、『お前が、そこにいる』という罪に対しての、罰だ。
僕は存在するだけで、いけなかったらしい。存在そのものが罪である人間だから、何をしても、すべてが罰の対象になる。根底が間違えているのだから、いかに善行っぽいことをしたって、それはクラスの中で、罰を与えられるべき罪になる。
僕に許されるのは、理不尽に振るわれる雰囲気の、あるいは言葉の、暴力と立証できない暴力に耐え続け、時に痛がって見せ、石を投げられる磔にされた囚人のように、苦悶の声と表情で周囲を楽しませることだけだった。
だから、何かを好きになるという感情そのものを、無意識に封じ続けて……
気付けば僕は、『何かを好きになる』という気持ちをどうやって抱いたらいいかさえ、わからなくなっていた。
『それ』を探していく。
……それは。
「……ナナミさん。僕はやっぱり、あなたのことを好きじゃないと思う。だから、彼氏にはなれない」
「……そっか」
「でも、一緒に、『好きになるってどういうことか』を探していける人がいるなら、嬉しく思う」
「!」
「だから、その告白を、受けます。彼氏かどうかはよくわからないけど、『好きになる』ってどういうことかを、探していこう。……この人生は、終わってないって。まだまだ、楽しいことは、あるんだって。そう信じて、楽しいことを、一緒に探していけたら、嬉しいな」
「うん。……うん」
ナナミさんは涙ぐむように笑った。
その頭部を、キサキの剣が上下真っ二つに引き裂いた。
「じゃあさ」
鼻から上のなくなった、ナナミさんの口が、嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「キサキさんたち、どうしよう。私、クラスメイトに殺されそうになるの初めてで、どうしたらいいか、わからないんだ」
キサキたち。
どうしたら、いいのか。
僕はすでに、こいつらへの『報復』を終えている。
それにこいつらは、僕のために戦ってくれている、僕の……たぶん、仲間なんだと、思う。
でもそれは、僕側の都合だ。
「攻撃してくる相手に、反撃を加減してやる必要はないんじゃないかな」
僕は反撃をためらわない。
『反撃』と呼べる行為が可能になったその時点で、相手を殺してもいい。それが、僕が自分に課したルールだ。
その僕がナナミさんに『少し待って欲しい』と言うのは、間違えているだろう。
実際、ナカイが僕を殴りそうになった時、ワタナベが止めたことがあった。
……あれは、消化不良感が酷かった。ムカついたよ、素直に。なんで邪魔するんだコイツって、思った。
その機会を奪われることを憎む僕が、その機会を人から奪うことはできない。
テイラーの『壁』が消えた。
ヨドガワの支援が消えた。
けれどキサキの剣は、止まらなかった。
だから、ナナミさんの鋭い爪の生えた手が、キサキの胸を貫いた。
キサキの動きが、ようやく止まった。
ナナミさんの鼻から上が、触手のような髪をうねらせ、体に戻って来る。
顔の上下をくっつけて、ナナミさんが、キサキを見ていた。
「なんで私を殺そうとしたの? 酷いよ」
……こんな空虚な『酷いよ』があるんだな。
ナナミさんは、まったく『酷い』とは思っていない様子だった。
ただ、この場面では、そう述べるのが正しい──そんな確信に基づいて、礼儀として口にした。そういう雰囲気の『酷いよ』だった。
キサキは、血の混じった、液っぽい声で、答えた。
「あんたは、アサギを殺すから」
「え!? そんなことしないよ!?」
キサキは答えない。
ナナミさんが、空虚な声を続けた。
「私がアサギくんを殺すなんてそんなこと、ないよ。だって、私は、アサギくんに、彼氏になって欲しいって言ったのに──彼氏になって欲しい人を殺すなんて、そんなこと、ありえないよ。ねえ、キサキさん、そう思うでしょ? ……キサキさんってば。キサキさん……」
ナナミさんが、キサキの顔をのぞきこんだ。
それから、僕に向けて、困ったような微笑を浮かべた。
「死んじゃった」
……ほんのわずか。
その『死んじゃった』という言葉を語る、ほんの一秒ぐらいの時間。
僕はようやく、キサキが、テイラーが、ヨドガワが、会話もせずにナナミさんに攻撃を仕掛けた理由の片鱗みたいなものを、見た気がした。
ナナミさんは、死んだキサキに視線を戻して……
『何か』をした。
その『何か』の結果、キサキは、ヤナウエやウエマツのような、カラカラに乾いたミイラに変貌する。
からん、とキサキの装備品だった剣が落ちる。
ナナミさんは、カラカラになったキサキを、触手のような髪の毛に絡めて、ヤナウエ、ウエマツと同じように、ぶら下げた。
「キサキさんも、元の世界のお墓に入れてあげないとね」
……なるほど、ナナミさんは確かにズレている。
ただやっぱり、危機感のようなものは、僕にはわからない。あれは攻撃しない限り無害なのが見ていてわかる。しかも、反撃さえも、僕が指針を示さなければ、しなかっただろう。
触り方がわかっている。
攻撃されたら反撃するのは、普通のことだ。奪われるべきではない当たり前の権利だ。
だから、危機感はやはり、よくわからない。
敵対しない限り安全なものというのは、安全に決まっている。僕は、ヤナウエにも、クラスの全員にも、敵対した覚えはなかった。なのに、当たり前のように、クラスの中で『サンドバッグ』のポジションを与えられた。その理不尽さの方が、よほど人間的で、恐ろしいものに、僕には思える。
「テイラーさんとヨドガワさんは、いいの? ずいぶん、ナナミさんを脅威視してたみたいだけど」
後ろを振り返る。
二人はぶんぶんと激しく首を左右に振った。
僕は問いかけるようにナナミさんを見た。
ナナミさんは──
「ところで、ボスっぽいの倒したけど、元の世界に戻れないね?」
──気にしてないようだった。あるいは、僕の『テイラーとヨドガワはいいのか』という問いかけに気付いてさえいない、ようだった。
わざわざ深堀することもない。
問いかけに答えることにしよう。
「淫魔女王を倒しても帰れないよ。僕らは……まあ、もう少し、やるべきことがある。まずは戻るべきだろうね。王宮に」
僕の『この世界の真実を秘密にする』という誓いはまだ生きている。『
だから多くは語らないが、ナナミさんは「そうなんだ」と深く気にしていない様子だった。
「じゃあ、戻ろうか。……ダンジョンを攻略できたから、王宮の人たちも喜んでくれるかな」
「どうだろうね」
アンデルセン第二王子とは協力関係を結んでいるが、他の王宮勢力はそうでもない。
ひと悶着ぐらいはあるだろう。『女神』を倒すまでには。
まあ、戻るのが楽しみだということで──
──僕らは、地上を目指すことにした。