ワタナべ寄り
アンデルセン王子について王宮(肉のダンジョン)攻略中
わからない。
ワタナべには、わからないことがたくさんある。
アンデルセン王子は、十五階層の淫魔と知り合い──正しくは、その『元』になった、人? 『聖女』と呼ばれていた、ワタナべたちの前に来た異世界転移者と、親しい知り合い……『親友』らしい。
その『親友』とも、恐らく、アサギと交わしたのと同じような『契約』を交わしていて、その契約の内容は、ワタナべには、はっきりとはわからない。
『世界の真実に気付き、私と妹を助けようとしてくれた人』とアンデルセンは言った。が、ワタナべには、『アンデルセンと妹を助ける』というのが、どういった意味なのかは、はっきりとわかっていない。
何もかも情報が足りなかった。
足りない情報の中から『正解』を、あるいは『正解につながる選択肢』を浮かび上がらせる知性・直観力があればよかった。けれど、ワタナべにはない。
きっと、その知性・直観力は、リーダーに必須のものだ。これがあるかどうかで、リーダーになれるかが決まる。……でも、ワタナべには、なかった。
ない、けれど。
今、ネコイという『守るべき相手』がいる。
だからワタナべは、才能がないならないなりに、実力がないならないなりに、この、『
その最善の行動として、ワタナベが選んだのは──
「アンデルセン王子」
──目の前で、自分たちを先導するように歩く、金髪の覆いかぶさった後姿に、声をかけることだった。
アンデルセン王子は「何かな」と返事をした。
ただし、歩みは止まらない。……急ぐわけでもなく、遅くなるわけでもない。ただ、変わらない。これ以前と同じペースで、先を進み続けている。
ワタナべは、緊張で貼り付くような喉から、考え抜いた末にたどり着いた『自分とネコイの無事を確保するための問い』を投げかけた。
「十五階層の淫魔とあなたとは、今も協力関係にあるのか」
アンデルセン王子は、止まらない。
……歩調や後姿から、その内心を窺うような技能は、ワタナべにはない。
それでも、この質問が、最善だった。
ワタナべには知力も直観力もなく、現状、情報さえ足りていない。
だから、今、できることは、『少しでも、相手が反応せざるを得ないことを言って、ほんのわずかでも、相手から情報を引き出すこと』だ。
たとえば『アンデルセン王子は自分たちを罠にはめようとしているに決まっているので、先制で、あの無防備そうな背中を突く』というような決め打ちも、できない。
なぜなら直観力に優れていないのだから。そういう根拠のない、自分の中の『恐れ』がいかにもとりたがりそうな行動さえ、とれない。
ワタナベの決断が引き出す、アンデルセン王子の回答は……
「……わからない」
「…………わからない?」
「ミスター・ワタナべ。わからないんだ。私は……彼女のことが、わからない」
それは、十五階層の淫魔に『された』らしい、『元聖女』のこと、なのだろう。
「彼女たちをダンジョンに放り込んで、封鎖したのは、我々王家だ。そのことに、彼女はきっと、気付いている。普通に考えれば、彼女は我々を……私を恨み、報復の機会を狙っていることだろう。もしもミス・レイナをそそのかしたのが彼女であるという予想に間違いがないのなら、その目的は『王家やこの世界への報復』だ。そう考えるのが、一番、現状への説明に適切だし、私も納得できる」
「……では、なぜ、『わからない』と?」
「君は、我が親友──アサギタカミネのことを理解できるか?」
「………………」
「別な誰かでもいい。たとえば、ミス・ナナミでもいい。……『その人が、どういう意識で行動しているか、わからない』という人は、クラスメイトの中にさえ、いるだろう?」
否定できなかった。
うまく煙に巻かれているような気もする。何かを誤魔化されているような、気もする。
だが、実際に、『確かに』としか思えない。ワタナべはアサギを理解できない。ワタナべはナナミのことだって、理解できない。あるいは、ヤナウエのことも、わかりやすいと思っていたカリヤのことだって、理解はできていなかった。
……もっとも、カリヤに対するような、『付き合いが深いクラスメイトのことさえ、人は理解できないだろう?』という一般的な話にすり替えられたわけではないのだろうというのは、わかる。
アンデルセンが例示した『アサギ』と『ササイナナミ』は、クラスの中でも、理解しようがない相手にカテゴライズされる。
……ワタナベは、正直に言ってしまうと、ササイナナミが怖かった。
あの、クラスの片隅で、誰とも混じることなく、ただ穏やかに笑っている美しい彼女が、怖かった。
あそこだけ空間の位相でも違うみたいに、ずっと同じ場所で同じ微笑を浮かべているササイナナミは、作り物みたいにしか見えなくて……
『クラスの中に、大きな人形があって、それを誰もが人間として扱っているのに、自分には、人形にしか見えない』という、ホラー系の怖さが、確かにあったのだ。
「……『元聖女』も、アサギみたいな『わからなさ』なのか」
ナナミさんみたいな、とは言わなかった。
アンデルセンがうなずくのが、髪の動きでわかった。
「彼女は、穏やかだった。彼女は、優しかった。けれど、彼女は……どこか、演技をしていたような、そういう雰囲気が、常にあった。……君たちの『クラスという名の社会』で、必ずしも、正直でい続けられないのはわかる。演技が必要なのは、社会に生きる我々の常だ。だが……それでも、君たちは未熟だ」
「……」
「未熟な君たちの、演技の裏にある欲求や、願い、本音は、私からすれば、ある程度は、見ただけでわかる」
その未熟な者たちを異世界から拉致して戦わせている男の発言だ。
……『未熟な者たち』だからこそ、そうしているのだろう。彼らは、コントロールしやすい人材を選んで呼んでいるのだろう。……だから彼らは、その『コントロールしやすい、未熟な人材』と接する技能を磨いている。
あるいは、『この年代の異世界人は、こういう行動傾向がある』ぐらいにまで、マニュアル化されているのかもしれない。
その、『プロの拉致・教唆犯』のアンデルセン王子が、
「彼女の本音だけが、わからなかった」
そんなふうに言う、『前回の転移者』『元聖女』の、淫魔。
「元の世界に帰りたいと思っているのかも、わからない。今の状況を辛いと感じているのか、楽しいと感じているのかさえ、わからない。……ミスター・ワタナベ。私は、ミス・ナナミを『わからない相手』として挙げたが……ミス・ナナミはね、彼女にそっくりなんだ。あの空虚な微笑は、彼女を思い出す」
「……」
「そんな人物が、私に協力をし、妹を呪縛から解き放ってくれるという。ダンジョンの奥にあるであろう『封印の鍵』を持ち帰って、我が妹を縛り付ける魔道具を解除し、妹に……視力を失った妹に、空を見せてくれるのだと、誓ってくれた。……だが、そうするメリットがわからない。彼女自身が、妹を憎からず思ってくれていたとか、私に好意を抱いてくれていたとか、そういうことなら、いいんだ。だが……わからない。彼女がなんのために、そんな命懸けの約束をしてくれたのか、私には、今もまだ、わかっていない。……だから、彼女が、どのぐらいまで、私との約束を『まだ続いている』と判断するのかも、わからないんだ」
命を懸ける約束をした。
だが、相手には、命を懸けるほどの動機が見当たらなかった。
……確かに、怖い。
たとえばアサギなら、傍で見ていて、『ただの、ヤケ』だというのがわかる。
アサギはすべてに飽きていた。何かを楽しいと思う瞬間はあったようだ。少しだけテンションが上がり、目が開いて、爛々と輝き始めるから、わかる。だが、急速に飽きる。飽きるのに、色々な場所に目を光らせて、色々な仕掛けをして……『不確定要素』が爆発するのを、見守っている。
それは恐らく、アサギが『楽しんでやっていること』だ。
だからアンデルセン王子と、命懸けになるかもしれない約束をしたことは、わかる。その内心をつぶさに理解できなくとも、『アサギならやりそうだな』という感覚がある。
アンデルセン王子の言動はどうにも、『彼女』が『彼女ならやりそうだ』とさえ思われないことをやった、というのが読み取れるものだった。
ワタナべはそんな人物がまだほかにもいて、しかも、この『王宮を肉のダンジョンにする事件』の首謀者みたいな位置に立っていることに、絶望感からめまいを覚えた。
……だが、頭から血の気が引いたおかげか、冷静になることができた。
アンデルセン王子と契約を交わした『彼女』の人物像は、そこまで、重要ではない。
重要なのは……
「……では、その『彼女』がまだ、あなたに協力するとして。……その『彼女』が、俺たちを差し出すように要求したら、あなたはどうするんだ、アンデルセン?」
自分たちの身の安全。
自分たちを先導する男が、仲間かどうか。
これだけだ。
アンデルセンが歩いていく。
返事は来ない。歩くペースも、変わらない。
考えているのか、無視しているのか。無視しているなら、それは、彼にとって都合が悪いからか。彼にとって都合が悪いから無視──などという、ワタナべにもわかるぐらいの兆候を、この男が見せるか? 誠実に答えようとしているからこその思考時間ではないか……
様々な考えがぐるぐるとワタナべの頭の中を通り過ぎていく。
まとまらない。だから、制限時間を設けることにした。
(もしも、十……いや、ニ十歩。今からニ十歩、まともな回答がないようだったら……)
槍を握る手に力を込める。
(ニ十歩、回答がなければ、この穂先で、アンデルセンの背中を突く。突いて……殺す)
一撃で殺せなかった場合は……ネコイだけ、逃がそう。いや、それは、無理だろうか。この肉のダンジョンで、『外』にネコイだけで出ることは、できるだろうか。
……また、まとまらない。
祈るしかない。アンデルセンが、まともに答えてくれるのを。
だが、ワタナべの祈りは、届かない。
「……ここだ」
ワタナべが課した制限歩数一歩手前で、アンデルセン王子は、足を止めて振り返った。
足元ばかり見ていたワタナべが顔を上げると、そこには、つやつやしたピンク色の肉のダンジョンの中にあっては不釣り合いな、立派な、金属と石で彩られた扉が存在した。
……覚えている。
この扉は、謁見の間の、扉だ。
アンデルセンは、扉に手をかけながら、ワタナベを見る。
その顔には、泣きそうな微笑があった。
「ミスター・ワタナべ。……彼女がもしも、君たちを差し出すように要求したら、私は……」
扉が開いていく。
向こう側から、暗い赤の光が、漏れて来る。
「……私は、わからない」
「何?」
「……決められない。どうしたらいいか、わからない。私は……私は……妹を助けたいのに、もう、何が、妹を助けてくれるのか、わからない。……何を信じたらいいか、わからないんだよ」
……ワタナべは。
強弱二つの軸で人を分ける時、『弱い』側につい、共感してしまう。
今のアンデルセンは、底知れぬ、胡散臭い、深みのある、強者であることを奥に秘めた男、ではなかった。
自分たちと同じぐらい、何もわからない、手探りでさえ情報も、根拠も集まらない世界で、ただただ目の前に起きたわけのわからないあれこれに翻弄されて、何を決めることもできない、弱い男にしか、見えなかった。
……自分と同じぐらい、弱い男にしか、見えなかった。
扉が、開く。
召喚された時に見た玉座の間が、姿を現す。
召喚された時とはまったく様子が違ってしまっているその場所で……
ワタナべは、玉座に座る、微笑を浮かべた子供と。
……その子供の横に立つ、レイナの姿を、見た。