※この作品はR-18です。

クラス転移したけど、クラスも世界も終わってる   作:稲荷竜

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三人称
アンデルセン王子寄り


50話

 アンデルセン王子の人生は最初から終わっていて、彼に求められていたのは、誰かの尻ぬぐいだった。

 けれど、それを自分に命じていた父も兄も、誰かの尻ぬぐいをさせられていた。

 

 この世界は汲めども尽きぬ汚物の中にあり、その汚物を積み上げたのが、王家の先祖だった。

 だから子孫はそれを拭い去る作業をずっとさせられているし、民もまた、そうだった。

 

 勇者を裏切った。

 

 かつて、女神の加護が世界を照らしていた時代があったという。

 アンデルセン王子が生まれる前、はるか前、数百年も前のことだ。

 

 けれど、王家は女神を裏切って、淫魔に勇者を差し出した。

 

 当時の王家が何を考えてそうしたのか、詳しいところは、アンデルセンもわかっていない。

 もちろん記録はある。意思は書面に遺されている。極秘文書の中には、願いさえ書かれていた。

 でもそんな文字に遺せるような、整理された綺麗な思惑だけで、果たして『女神を裏切る』なんていうことが起こりうるのか、それが、アンデルセンには、しっくりこなかった。

 

 それまで当然だったもの、それまで崇めていたもの、それまで自然とそこにあったものを『裏切る』というのは、実のところ、覚悟なんかいらない。

『してしまう』ものなのだ。

 

 当人は『よし、裏切るぞ!』なんていう決意なんか、きっとしていない。

 なんとなく、たとえば自分の身の安全とか、目先のちょっと美味しい利益とか、そういうもののために行動していたら、なんだか不意に大変な結果につながってしまって、『あれ、そういえば、あの時の自分の行動って、実は、この結果の原因なんじゃ』と思う。

『裏切り』というのはそういうものだ。時に『裏切り』を煽り、後ろから見て放置してきた──異世界人たちの内輪もめを制御してきたアンデルセンは、そういう答えに至っていた。

 

 裏切り者は、裏切り者の顔をしていないし、志も、持っていない。

 

 ある日、結果を振り返って、自分がとてつもない裏切りを働いたことに、後から気付いて、青い顔をする。

 

 そうして、冷や汗をだらだら流しながら、こう言うのだ。

 

『どうにか、なりませんか』

『元通りに、できませんか』

『そんなつもりじゃ、なかったんです』

『だって、仕方ないじゃないですか』

『私は、悪くない。私は、そんなつもりじゃなかった』

 

 彼らは必死だった。彼らは『当たり前』を壊したいなんてちっとも思っていなかった。

 彼らはただ、自分の身がちょっとかわいかっただけだ。想像力がちょっと足りなくて、自分以外の誰かの痛みにちょっとだけ鈍感だっただけだ。

 その結果やったことが深刻な裏切りになる。

 

 ……これは『異世界人』の話だ。

 けれど、勇者を淫魔に差し出した時の王家も、そんな程度の気持ちで裏切って、取り返しがつかないことに後から気付いて、そうして大慌てで体裁を整えて……

 ……末裔に対して、『格好つけた』物言いで、文書を遺した。

 

 そんなくだらないことが、自分たちの今の、『尻拭いの人生』の理由なんじゃないかと、アンデルセンは思っている。

 

 そうして勇者を淫魔に差し出したことと、自分たちの血筋が始まったこととの間には、絶対に関係性があると、アンデルセンは思っている。

 

 自分たちの血筋。

 淫魔の血を秘めた、王家の傍流の血筋。

 

 長く()()が進んで、もうとっくに王家と『淫魔と王家の合いの子』の血筋とは混ざり合った。

 だから今、『淫魔の血筋』と呼ばれるのは、より強く淫魔の特徴を表して生まれた子だけだ。

 

 たとえば、妹のように。

 

 アンデルセンの妹は『小さな淫魔(クライニー)』と呼ばれている。

 名前を与えられることがなかった。淫魔の血を強く宿した王族は、通例として、そうなっているから。

 

 妹は誰が見ても『そうだ』とわかるぐらい、淫魔の強い力を秘めていた。

 そして……

 

 自分の目玉を握りしめて産まれた。

 

 生まれたあとに特殊な施術で呪力(カース)を集めて切除するはずの眼球を、最初からとった状態で生まれたのだ。

 妹が握っていた彼女自身の眼球は、その見た目こそ青い、美しい宝玉のようだった。けれど、誰もがそれを眼球だと確信した。

 

 妹のことについて、『一目でそうとはわからないはずなのに、誰もが確信する』というような事例が、あまりにも起こりすぎた。

 

 父はこれに何かの危機感を覚えたらしい。

 だから、妹は『通常通り』処置を受けて、目玉を切除されたものと扱うようにと王命が降った。

 

 生まれたばかりの王女の手から眼球を拝領しようとした術者が自死したことも、都合の良いように働いた。

 

 もともと、『赤子の眼球をくり抜く』という罪深いことをした者の中には、自死を選ぶ者も多い。

 だがその当時、まだ生まれたばかりの赤子から、術者へ、眼球がそっと手渡された。

 

 ……恐ろしくてたまらない。

 生まれたばかりの『小さな淫魔』は、自分がこれから眼球を求められるのを知っていたかのように、あらかじめ抜いて、手に握っていた。

 さらに術者が来れば、それが自分から眼球を抜き出す役割であるのを知っていたように、自ら、手にした眼球を差し出した。

 

 術者は眼球を受け取り、別な者に渡したあと、『王女の寝所』の警備にあたっていた兵の剣を奪い、自害した。

 その時の術者の末期の言葉を、アンデルセンは手に入れている。

 

「どうか、私を、覗かないでください」

 

 実際には血の混じったかすれた声だったそうだが、確かに、そう言っていた──当時の、術者が自害に使った剣の持ち主で、酒場の『面倒な酔客』となっていた元兵士から、そう聞き出すことができた。

 

 かくして妹は『普通に処置されたことになった』。

 

 王家には『されたことになった』案件がかなり多い。そしてそれは、アンデルセンが王家の暗部の一員となってから、かなりのペースで増えて行った。

 

 例外的処理をせねばならない多々のことが起こる時というのは、それまでの決まり事・制度が古びてしまって、今この時に起きている問題への対処に不十分だということだ。

 

 古びた制度は時代に合わせて改められるべきだが、この王家にはもう、新しい時代のために何かを変える元気もなければ、古い時代の負債をぬぐい切る体力もなかった。

 

 数々の『前例がない問題』が『小さな淫魔』の誕生から起き続けた。

 異世界人たちを呼び出し、戦わせ、淫魔のエサにするという『いつものこと』を繰り返したが、『異世界人の質が悪い』とかで回収できる資源量が減った。

 資源というのは要するに女神の微笑(たいよう)の代わりになるもの、ということだ。当然、これが減少すれば作物の実りが悪くなる。作物の実りが悪くなれば、すべての巡りが悪くなる。その結果、世界が、国家が、また一段縮む。人口が減少する。

 

 アンデルセンは異世界人の『接待』を担当する部署の一員だが、それだけに、『実際の数字』を目にする機会も多い。

 だから、わかってしまう。

 

『たぶん、この世界は、自分が生きている代で、滅ぶ』。

 

 世界が滅ぶなら、何をしたいだろう?

 

 父も、母も、兄も、そして姉も、世界が滅ばないよう、力を尽くしているようだった。

 だが、『異世界人による女神の微笑(たいよう)の代替物の回収』を国家事業の根幹にしていて、その回収量が目減りしているのだから、何をしてもわずかな延命にしかすぎない。

 

 そもそも『勇者』を裏切って淫魔に差し出した遠い祖先がやらかして以降のすべては、『期限を切られた命を引き延ばすための行為』にしか過ぎなかった。

 

 王族には民を生かす責務がある。

 民では想像もつかない脅威を、教育によって想像できるようになり、民では力及ばぬ脅威へ、鍛錬と『配下』というものを使って力及ぶようにする。それこそが、王族の責務。

 

 でも、守り抜いて、延命のために精一杯の努力をして、その先に何がある?

 より遠い時代の死──あるいは、『自分の代では、国を滅ぼさなかった』という、責任の先送り。その程度の成果しか、得られないのではないか?

 

 アンデルセンは急に、『熱』が冷めたのを感じた。

 

 世界は滅ぶ。どうしようもなく。

 周囲は滅びに抗うべく努力をしている。それは尊い。だが、自分には、周囲の熱量についていけない。意味があるとはまったく思えなくなってしまった。

 

 では、何がしたいか?

 

 ただひたすらに鍛えて、ただひたすらに学んで、ただひたすらに民のために生きようとあがき続けた、『一般的な王族のような人生』を歩んできたアンデルセンに思いつく願いは、たった一つきりだった。

 

『そういえば、私には妹がいたな』

 

 ……彼はこの時まで『小さな淫魔』のことを忘れていた。

 胎が同じ妹。同じ血を引いているはずなのに、自分にはないものを持って生まれた妹。

 

 まずは、会ってみることにした。

 面会許可には時間がかかったが、会ってみて、特に衝撃は覚えなかったし、妹なりの愛しさみたいなものも、あまり覚えなかった。

 

 それはおかしいと思った。

 

 だって、こんな世界なのに? こんな滅びが明らかな世界なのに、どうして唯一の『完全に同じ血の肉親』に対して、こんなにも情がわかない?

 何もかもが閉塞していて、何もかもが終末に向かっているこの終わった世界で、神は愛さえ人に許さないのか。

 それはおかしい。だって、誰も愛せない、ただ滅びに向かうだけの世界ならば、なぜ、みんな、生きている? 死んだ方がいいのに、生きている者が多数だということは、きっと、この世界は、生きている人々にとっては、生きていたいぐらい素晴らしいものに決まっている。だというのに、自分にだけ、この世界で生きる理由がさっぱりわからない。これはあまりにも、奪われ過ぎているじゃないか──

 

 とりあえず、妹が粗末なのが悪いということにした。

 だから、飾り立ててみることにした。

 

 アンデルセンは初めて見た妹に愛情を感じることができなかった。だが、愛情を感じられなかったことに、信じられないぐらいの怒りがわいた。ここに、希望を見た。

 明日、いや、今日にも死んでしまっても、なんの後悔もない。生きているより、よほどいい──そう思っていた人生に、希望が見えた。『自分はまだ、こんなにも、憤懣やるかたない想いを抱えることができる』。そういう、希望だ。

 

 妹の服を飾り立て、部屋を飾り立て、妹の部屋へ続く廊下さえ飾り立てた。

 すると妹というのがなんだか『自分の作品』のように思えて来て、愛着は湧き始めた。

 

 でも、わからなかった。

 

 妹は淫魔の力を強く宿しているのだという。だから、近付けば、誰もかれもが、彼女を愛し、彼女を壊したがる。その相反する想いに引き裂かれ、詫びながら自害するのだと言われていた。

 かつて生まれた淫魔の血を濃くよみがえらせた少女は、そうだったらしい。

 

 目玉をくりぬいてもいいぐらいに成長させた──目玉をくりぬいても、死なない程度の体力があるまで成長させた少女。当時の王族の家族に対する優しさによって生かされた『淫魔』は、その容姿と言葉で近寄るものをすべて魅了し、自死に追い込んだ。

 ……だから、現在、王家では、赤ん坊の時に目玉を抜くことにしている。

 

 そうすれば術そのものに耐えきれなくて、すぐに死ぬから。

 

『淫魔』は女神の加護なくば殺せない。だから死ぬのを待つしかない。そう伝わっている。

 だから、すぐに死ぬ赤子の時に、目玉を抜く。呪力を『ただの呪力』とする。その元の持ち主の生命は問わない。

 

 だが、妹は目玉を自ら握って生まれ、それを自ら施術者に差し出した。

 そうしてもう、この時点で十年も生きていて、肉体も、生きている年数なりに成長していた。

 

 ……アンデルセンは妹を飾り立て続ける。

 容姿の方、部屋(ぶたい)の方は充分だ。であればあとは、中身を仕上げる。

 マナーを教えた。教養を覚え込ませた。

 だが、妹は、最初からすべてを知っていたように、正解を出してみせた。

 

 アンデルセンはこの時まで、気付いていなかった。

 

 自分の様子がまさに、妹に魅了されている者、そのものであると。

 

 足しげく通い、持てるすべてを妹に捧げ続ける。

 愛情を抱くことができない。それは間違いない。だが愛着は覚えている。その程度だ。その程度で、その程度、でしかなくて……

 

 …………………………

 

 ………………

 

 …………そうだ、妹をこんな檻の中から出して、青空を見せてあげなくてはならない。

 

 アンデルセンは相変わらず妹に愛情はなかった。

 だが飾り立て続けた自分の作品には愛着があった。その愛着、妹という作品を描いた画家の一人として、妹という人物を立たせるべき背景は、閉塞した部屋の中ではなくて、広い、青空の下であると確信していた。

 

 これはあくまでも愛着でしかない。

 

 けれどそれは、アンデルセンに唯一ある、『この、死んだ方がマシな、終わることが約束されている世界で、生きていく理由』だった。

 

 裏切り者は、裏切り者の顔をしていないし、志も、持っていない。

 アンデルセン王子は、ただ、生きる理由が欲しかった。みんなが持っているらしいものが、自分にだけないのは不満だ、という気持ちを、少しだけ解消したいだけだった。

 

 だってそうだろう? 生きることは、祝福されるべきだ。

 祝福のない命なんかこの世界では死んだ方がいい。それは、他者のためにというよりも、自分のために、そうした方がいい。

 

 だからアンデルセンは己が生きる理由を、己の生命に祝福を与える何かを探して駆けずり回って──

 

 ──ある日、結果を振り返って、自分がとてつもない裏切りを働いたことに、後から気付いて、青い顔をする。

 

 

「……決められない。どうしたらいいか、わからない。私は……私は……妹を助けたいのに、もう、何が、妹を助けてくれるのか、わからない。……何を信じたらいいか、わからないんだよ」

 

 

 妹を助けたいと言いながら、『あれ、そうだったかな?』という気持ちが腹の底から湧いて来る。

 そうではなかった。そんな執着はなかった。少なくとも、妹が囚われている理由は知っている。害を成すからだ。世界に、王家に、害を成す。世界の寿命を縮めるから、妹は囚われているべきだ。

 

 だというのに妹を外に出そうとした。

 外に出そうとして、異世界転移者という戦力を、全員、ダンジョンに追いやった。

 

 これは本当に自分がしたかったことなのか、わからない。

 

 でも、玉座の間の扉は開いてしまう。

 ワタナべとネコイを、そこまで案内してしまう。

 

 なんで玉座の間に来た? そう、報告のためだ。状況が想定を超えて、王の判断を仰ぐ必要があった。王宮がこんな状態ではあるが、玉座の間が最も防備が厚い。それは、異世界人への演出のため、王がそこで顔を見せるからだ。だから、異世界人による攻撃にもある程度耐えられるような防備がある。

 そこに兄の近衛兵が固まれば、王宮がこのような状態でも、世界で一番安全な場所は玉座の間だったはずだ。

 

 アンデルセンは気付けば涙を流していた。

 汗と震えが止まらなかった。

 

 ワタナべとネコイと合流した。二人を先導して玉座の間まで来た。

 そこに、この現象──『王宮を肉のダンジョンにする』という現象の原因であるササイレイナがいるかもしれないと、なんとなく思った。

 

 どうして、ひとまず宮殿の外で仲間を募らなかった?

 

 わからない。アンデルセンは自分の判断がわからない。

 だから玉座を見た。

 

 そこに王はおらず、幼い少女が座っている。

 

 その見た目は、かつて、アンデルセンや『小さな淫魔』と友誼を交わした彼女……

 いつか『小さな淫魔』を救うと誓ってダンジョンに潜り、そうして帰らなかった彼女。十五階層の淫魔の『素材』とされた彼女。それを、幼くしたもの………………

 

 では、なかった。

 

 ……どうして、あの子の足首に……

 玉座に、つながった、足枷があるのだろう?

 

 妹を部屋に捉えている、封印の、足枷。それが、あるのだろう。

 それがつながっている先の肉体は、宮殿の外でレイナに連れられていた『十五階層の淫魔に似た子供』ではなくって、その見た目は、

 

「お兄様、お帰りなさい」

 

 部屋から動けないはずの、妹で。

 

 ここは、本当に、玉座の間なのか。

 王宮が入り組んでいるから、間違えてしまったのか。

 それとも。

 

 それとも……

 自分は最初から、ここに向かわされていたのか。

 異世界転移者を連れて来てほしいという、淫魔の願いを叶えるために。

 

「ミスター・ワタナべ。ミス・ネコイ」

 

 アンデルセンは、泣き笑いのような顔で、二人を振り返った。

 

「逃げろ」

 

 裏切り者は裏切り者の顔をしていない。

 そもそも、裏切っていたことにさえ気付けず、後になってから、冷や汗を垂らして、後悔を覚える。

 

 今、ようやく、本人も気付けたことだが……

 

 アンデルセン王子は、ずっとずっと昔から、すでに、淫魔の操り人形だった。

 

 すべて『小さな淫魔』のために行動させられ、それが自然だと思い込むほど深く操られていた。

 まるで自分から『妹を外に出す』ことを人生の目標として選んだかのように心の根っこを掴まれて、そのための機会を狙い続けた。

 

 小さな淫魔は、近付いた者を魅了する。

 抵抗力のない者ほど、深く深く、魅了する。

 

 そもそも、淫魔とはそういうものだ。

 

 淫魔に魅了された者は、淫魔のためになるように行動する。

 

 たとえば。

 

 

 王家の先祖が、勇者を差し出したように。

 

 

 王族はまた、勇者たちを差し出す。

 淫魔という魅力に抗う術を持たないがゆえに。

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