三人称
ワタナべには、何がなんだかわからなかった。
だが、誰か、この状況を描いていた人がいて、その思惑が壊れたのだけは、わかった。
「なぜ、帰るのでしょう」
恐らく、描いていたのは、あの目隠しをした少女だ。
足枷をした少女。長い長い髪の少女。
アンデルセン王子が、あの少女にすがりつくようにして、動かなくなってしまっていた。
何かをきっと、昔から、深く、潜むように、コントロールをしていた。
そのコントロールは、この状況のためだった。
そして、コントロールできていることに、絶対の自信を持っていた。
それが、崩された。
だから崩した原因へ、感情が強く向いている。
ワタナべは昔から、こういう『まずそうな感情の向き』に注意して生きていたような気がする。決して強い存在ではなかったからこそ、感情の向きに気を遣って、そこに挟まって自分が代わりに感情を向けられないよう、石のように、地蔵のように、生きてきた。
その処世術が、息を潜めさせる。
ワタナべが息を潜めている先で、アサギが、目隠しをした少女に対し、首をかしげていた。
「帰ることに、理由はいるかな」
空気を読まない発言だった。
アサギは結構、空気を察する方だった。草食の小動物のように敏感で、自分が被害に遭うのをわかっていたから、それが少しでも少ない被害で済むように、そういうカンがあった。
でもそれは、状況に応じて仕方なく身に着けたものだったらしい。
今のアサギはまったく空気を読んでいない。
相手の感情に興味がないのを、隠そうともしていない。
その理由も、わかる。
強いからだ。
どうやら、今、言葉を交わしている二人……
目隠しをして、足枷をつけた少女と、アサギとは、同格であり、この場の、二つの派閥の、トップにあたるようだった。
(アサギに味方をする、か)
ワタナべは生きる方法を模索した。
それ以上に、『帰るにはどうすればいいか』を先んじて考えている自分に気付いた。
今さら、アサギは自分を許すだろうか? 許して、連れ帰るだろうか?
そもそもあの様子、『魔王』を倒したのだろう。倒してなお、
アサギは何かを知っている。
だが、アサギの知ることは、本当に、役立つのだろうか。アサギの知識は、この世界で生きている自分たちを、救うものなのだろうか──
ワタナべは、やはり、決断というのが出来なかった。
だが……
ワタナべの行動原理には、贖罪があった。
アサギに対して何か罪を犯したわけではない──
──否。罪を、犯していた。
何もしなかったという罪。
ヤナウエが主導だったから。どうしようもなかったから。だから、自分の身を守るために、クラスでのアサギへのいじめを透明化した。
それを罪だとするならば、きっと、世の中は罪人でいっぱいになってしまうだろう。
けれどアサギにとっては、紛れもなく罪なのだ。
『自分の意思で、罪を犯せ』。
アサギに言われた言葉は、そういうことだ。『しょうがないから』『自分には関係ないから』と責任の所在を自分以外の誰かにして酷いことをするのを、アサギは嫌う。
それは、加害者とまでは言えず、しかし確実にアサギを加害していたクラスメイトたちの姿を彼が見せられ続けてきたからだ──というところまで、ワタナべは言語化できないけれど。『きっと、アサギはそのあたりに、トラウマ、コンプレックス、そういうものがあるんだろうな』ぐらいまでは、読めた。
だから、今、ワタナべがすべきは。
「アサギ」
話し合いがにらみ合いに変化した沈黙の中、ワタナべは、アサギに声をかける。
これは重大な発言だった。その場にいる全員の──レイナを除いた全員の視線が、アサギに集まる。
ワタナベはごくりとつばを飲み込んでから、言葉を続けた。
「状況は、わからない。でも、また、アサギのパーティに入れてもらえるか」
アサギの感情はわからなかった。
驚いている、と言われれば、そういう顔に思える。放心している、と言われても、そういう顔に思える。
ただ、陰がないのはわかった。別に、何かを愉しめることを思いついて、ワタナべで『面白おかしく』する方法を考えているわけでもないのも、わかった。
フリーズだ。
そう、あれはフリーズだ。想定していなかった言葉をかけられて、どうしていいかわからない。そういう顔だった。
十秒も、そういう顔をしていただろうか。
それからアサギは、困ったように笑った。
「まあ、いいよ」
陣営が確定した。
それを合図にしたように、ササイレイナが動き出す。
ナナミを狙って、レイナが突進し、掴みかかる。
ナナミは驚いたように、それに対応する。
戦端が開いた。
アサギが、目隠しをした少女に問いかける。
「言葉の意図がよくわからなかったんだけど、僕が帰ると、あなたにとって都合がよくないから、帰らないで欲しい──という意味、なのかな?」
「言い換えてしまえば、そうです。あなたは、帰る方法をご存じだと?」
「うん」
「……残念です。あなたと結ばれたかった。添い遂げたかっただけなのに」
「最近、謎のモテ期に入っていて困ってしまうな。でも、そういう話なら、シンプルだ」
「……?」
「僕、ナナミさんと付き合うことになったんだよ」
「………………」
「だから、君の気持ちには応えられない。ごめんなさい」
アサギがぺこりと頭を下げる。
今度は目隠しした少女がフリーズした。
フリーズして、
「では、わたくしの糧になり、ともに生きてください」
「だからお断りなんだけど、まあ、言葉でどうにもならないなら、暴力で解決するしかないのかな。残念だよ、『
アサギもわかっていないとなると、恐らく誰も、この状況について理解していない。
それでも、アサギは単純な反射のように、戦いを選んだ。
ともあれ状況は動き、戦いは始まった。
これが最終決戦であって欲しいと、ワタナべは願ってやまなかった。