ササイナナミにはわからないことがある。
なぜ、こんなにも、レイナに恨まれているか、だ。
「ナナミぃ!」
鋭い爪が振るわれて、目の前を通り過ぎていく。
なんだかよくわからない光線みたいなものが、ナナミの真横を通り過ぎていく。
レイナは攻撃的だった。たぶんだいたい同じぐらいの力があるんだろうなーとナナミは思うのだけれど、レイナはその力のほとんどを、直接攻撃に使っているようだった。
正気を失っているようにも見えた。たぶんレイナは、淫魔の力に適合できていないのだろう。
ナナミは改めて思う。
聖女は自分ではなくて、レイナの方だった。
レイナの記憶を追体験したことで、わかったことがある。レイナの方がよっぽど苦労していて、よっぽど一生懸命で、よっぽどひたむきな努力を続けている。
男の人をとっかえひっかえするのは、確かに元の世界ではあまり褒められないことだった。けれど、そうした理由についてもまた追体験で知っているナナミとしては、レイナの努力はまっとうだと思うし、方法だって、『他に、何ができただろう』と疑問に思うぐらいまっとうだったと思う。
だからレイナにはやっぱり、幸せになって欲しい。
そこで一つ、疑問がある。これは、レイナの記憶を追体験した上で、全然わからなかったことだ。
「レイナ、なんでレイナは、私にそんなに怒ってるの?」
そこがさっぱり、わからない。
思考は追えなくもなかった。でも、飛躍があるように思った。
ナナミは、レイナよりも、のほほんと生きてきた。
お母さんに怒られる回数もレイナよりよっぽど少なかったし、同じ顔、同じ家庭環境で、自分ばっかり被害に遭って、ナナミは幸せそうにしている──というのは、まあ、そうなのだろう。
でも、それが、怒りに繋がる理由がわからない。
「レイナ、私が不幸になっても、レイナは幸せになれないんだよ?」
レイナは幸せになりたいはずだ。
お母さんと、自分から離れて、幸せになりたい。比べられたくない。そういう気持ちを持っているはずだ。
でも、それらを達成するには、ナナミを殺すことだけは、あってはならないはずだった。
元の世界において、殺した人と無関係にはなれない。
同じように、殺した人と比べられなくなることはない。
レイナが『母やナナミと無関係になって幸せになりたい』なら、自分に向いてる過剰な攻撃性は、よくわからないものだった。
「私、恨まれるようなこともしてないし」
レイナの人生と、ナナミの人生こそ、無関係だった。
ナナミは、レイナに『妹』というラベルがついているから、大事にしていた。なぜなら、世間で、姉というのは、妹を大事にするものらしいからだ。
常識。
ナナミという少女には自主性が皆無だった。怒られるのは嫌だな、というぐらいの気持ちはあったけれど、何か自分で目標を決めて、そのために一歩を踏み出したことがなかった。
態度さえも、世間に従った。
妹を大事にする、というのは、世間が姉にそう求めてるっぽいな、という雑感から行ってきたことだ。そこにナナミの意思はないし、ナナミ個人の理由でレイナを大事にしようと思ったことは、一度もない。
ササイレイナという個人と、ササイナナミという個人は、同じ家で育った双子の姉妹だというのに、驚くほど無関係だった。ナナミの人生のあらゆることにおいて、レイナの感情や、レイナの選択を気にしたことはなかった。
ただし、ササイレイナという個人にとって、ササイナナミという個人は、たいそう深く関係していた。
レイナの、特に思春期からの行動は、ずっとナナミを意識したものだった。ナナミのいない学校に行こう、とか。あとは……いい男を見つけて、ナナミより上に行こう、とか。ナナミがこうしているから、自分は違うことをしよう、とか。
レイナの行動の原理にはいつもナナミがいた。
記憶を追体験させられてみて、それがよくわかった。レイナの頭の中から、ナナミが消えることはなかったのだ。
だからこそ本当に意味がわからない。
「なんでレイナは、私をそんなに気にするの? 私なんか、気にしなくても生きていけるのに」
鋭い爪が胸をかすめた。
傷がつく。痛い。
でも、痛いだけだ。痛みを与えてきた人を、ササイナナミは嫌いにならない。憎悪を向けて来る相手も、ササイナナミは、嫌わない。
ただ、面倒なかかわり方をされると、面倒だなと思う。
怒っている人がいると、面倒だなと思う。
強いて言えば、ナナミは面倒なことすべてが嫌いだった。
だから、面倒のないように立ち回った。大抵のことは、にこにこ笑っていれば、うまく進んだ。みんな、ナナミにいいように、ナナミの笑顔を解釈してくれたから。
でもレイナだけは、ナナミの中に、『何か』を探そうと、ずっと見たり、つついたりしてくる。
それが心底、わからなかった。
こんな空っぽな人間、他にいないんじゃないかとナナミは思っている。でも、レイナは、ナナミの中に、『何か』があると確信している。もしくは、あってほしいと願っている。
それがなんなのか、ナナミには見当もつかない。
「私、レイナが見たがるようなものなんか、何も隠してないのに。どうしてレイナは、そんなに、私に興味津々なの?」
「なんにもないからだよ!」
レイナの目に正気が戻って来ている。
ただし、凄まじい怒りとともに、戻って来ていた。
攻撃は激しさを増す。
大振りになって避けやすくていいな、とナナミは思った。
「なんにもないなら、それでいいでしょ」
「それが許せねえんだよ! なんで!? なんで、あたしばっかり辛い目に遭う!? なんで、あんたはなんにも考えずに、ぼーっと生きてて、うまくいく!? なんであんたは、あたしの気持ちをわかってくんないんだよ!」
「人の気持ちなんか、誰にもわからないと思うけど」
「双子の姉妹なのに!」
「それが何?」
本気でわからなかった。
でも、何か、レイナの怒りに、新しい燃料を投下してしまったようだった。
「ナナミ、あんたは、化け物だ」
「そうだね?」
人間か化け物かで言えば、今の自分はかなり化け物寄りだろう。
だからナナミは、微笑んだ。
「レイナと、おそろい」
「……わざとやってんの?」
「え、何が?」
いくら言葉を重ねられても、ナナミには、レイナの悩みも、怒りも、さっぱり理解できなかった。
レイナも、言葉を重ねれば重ねるほど、相互不理解が積みあがっていくのを、肌で感じた。
だからレイナの結論は、こうなった。
「あんたより、あたしの方が幸せになるべきだ」
「うん、そうだね」
「だから、あんたを殺す」
「それがわからないんだけどな……」
「気になるんだよ。どうしても。生きてる限り。あたしが苦労してる時にも、あんたが何も努力せずに幸せに生きてると思うと、ムカつくんだ。あんたたちと関係ない場所で生きることができたとしても、あんたが生きて、空っぽの頭で、幸せそうにしてると思うと……気が狂いそうなんだよ!」
「ふーん?」
わからないなりに、理解をしようと思った。
でも、やっぱり、わからなかった。
レイナは奥歯を噛みしめた。
「頑張ったやつは、幸福になるべきだ」
誰もがそう思う、そういう言葉だった。
「頑張ってないやつは、不幸になるべきだ」
誰もがそうは思わない、そういう言葉だった。
けれど、レイナの中では筋が通っていた。
自分より幸せなやつを見て許せなくなる人は、案外、世の中に多い。
放っておけばいい。無視すればいい。誰かの幸福は、自分の幸福・不幸とは関係ないことがほとんどだ。他者の幸せなんかテキトーに祝って、自分は自分で幸せを掴めばいい。それが、無関係になる、ということだ。
けれどレイナの中には、一つ、不思議な前提があった。
「あんたが幸福である限り、あたしは不幸なまんまだ」
……ずっと。ずっとずっと、自分だけが被害に遭い続けて、ナナミだけが幸せそうだった、その理由を考えた。
考えても考えても答えなんか出なかった。言語化できるような答えなど、なかったのだろう。
だからレイナは次第に、こう思うようになった。
双子だからだ。
双子の『幸福』はシーソーみたいなもので、片方が幸福であれば、もう片方が不幸になる。
レイナがいつも、幸福側にいる。だから、自分は、不幸側にい続ける羽目になる。
だって、そうでもないと、納得できない。
同じ顔、同じ家庭環境で、自分だけが酷い目に遭っていることに、納得できない。
不幸に理由はない。加害者に罪の意識はない。被害者は何かが悪いから被害者になるのではなく、加害者という絶対悪に巻き込まれて被害に遭い、後から、そこに理由だの運命だのを見出す。それだけだ。
でも、じゃあ、この『納得できない』という、理不尽に遭い続ける中で育ち続けた、この気持ちは、一体どうやって、昇華すればいい?
そういうものだから、昇華なんかできない──なるほど、正しい。でも、心は、正しさには従わない。気持ちよさに従う。苦しさがあるなら、それを取り除きたいと思う。
理由がない。理由がない。理由がない……真実だと思う。幾度繰り返してみても、そういうものだと、思う。
でも、不幸に理由がないなんて言われても、不幸な自分は報われない。
だから、社会を恨む。他人を恨む。
レイナはナナミを恨んだ。
すべての悪いことに黒幕がいるとして、そいつを倒せばすべての問題が解決する、なんてことはない。
人生には、悪の魔王なんかいないけれど。
それじゃあ気持ちよくないので、誰かを悪の魔王にしたい。
レイナにとって、ナナミは、悪の魔王にするのに、ちょうどよかった。
全部の不幸をこいつのせいにすれば、納得できる。こいつを殺して、『今までの不幸は、やっぱり、ナナミのせいだった』と言えたら、気持ちがいい。
それがレイナの中にある、筋だった。
ナナミに伝わるわけもない、レイナの中で、こじれてこじれて、出来上がった、願望だった。
「レイナの不幸と、私の幸福は関係ないよ?」
ナナミは普通に、指摘した。
それはレイナにとって認めるわけにはいかない、正しい指摘だった。
「殺す」
「困る……」
レイナがナナミに飛び掛かる。
かくして、姉妹は互いに互いのことがわからないまま、戦い……
「困るよレイナ。私、妹は大事にした方がいいっていうの、知ってるのに。殺すまで言われたら、『妹だから許すべきなのか、それとも、妹でも、殺しに来る人は、許さない方がいいのか』わからないよ。そんなこと、誰も話題にしてないし。参考にできる情報がないよ……」
戦い、
「もう考えるのも面倒だから、反撃するね。反撃は止めないでいいって、アサギくんも言ってたし」
……決着が、ついた。
レイナの首にいつの間にか巻き付いていたナナミの髪が、レイナの皮膚の下に潜り込む。
ドレイン。
淫魔のドレイン。聖力を吸う淫魔のスキル。
レイナの体を構成しているのは、呪力だった。だが、ナナミであれば、呪力も吸える。レイナのものであれば、吸える。
なぜって、双子は、魂の形が同じだから。
本来一つの肉体であるべきものを、自分の体に戻すだけだから、双子に対してだけ、ナナミのドレインは通じる。
ヤナウエを、ウエマツを、そしてキサキをカラカラのミイラにしたドレインが、レイナを襲った。
「っあああああ!」
その叫びは、シャウト効果で、ナナミの髪を振りほどくためのものだった。
けれど意味がなかった。
レイナは攻撃的すぎた。
同じぐらいの力を持っているというのに、その力をほとんど『直接ぶつけて倒す』方向に使っていた。
そのせいで、力が消費されている。
動き回って、攻撃しまくって、力を使ってしまったレイナと、ずっと避けて、温存し続けたナナミ。
元々の力が同じぐらいならば、疲れたレイナと全快のナナミで綱引きをした場合、勝つのは、全快の方に決まっていた。
「な、な、み」
ナナミは、レイナの言葉を待っていた。
ドレインの勢いを一切緩めないまま、微笑を浮かべて待っていた。
それが双子の姉妹を殺す時に浮かべる顔なのか、とレイナは思った。
「……苦しんで死ね、化け物」
レイナの体が、分解されて、ナナミの中へ溶けていく。
残り生存者──
アサギ。
ササイナナミ。
ワタナべ。
ネコイ。
テイラー。
ヨドガワ。
総計、六名。