※この作品はR-18です。

クラス転移したけど、クラスも世界も終わってる   作:稲荷竜

60 / 70
一人称
淫魔視点、手記風


60話

 私たちのクラスは、攻略に非常に熱心でした。

 私などは、異世界に呼ばれた時点でもう、『終わった』と思いました。それは、絶望感からではなく、そういうのも少しはあったのかもしれませんが、自覚としては、『解放された』という心情に近いように思われます。

 

 私は元の世界に未練はありませんでした。

 それどころか、自分が『異世界に呼ばれる』という状態であったことを自覚したその時には、喜んだようにさえ、思います。

 

 他のみんなのような、『ダンジョン』『冒険』という方向の熱狂は断じてしていませんでした。しかし、私にとっての煩わしい記憶は、その多くが、元の世界の現実に根差すものだったので、私は、そこからの解放を喜んだのです。

 

『もう少しちゃんとしろ』『一生懸命になれ』という言葉を、私はよく言われていました。それに、一生懸命というものを崇めるような風潮も、世間にはあったものですから、私はますます黙って曖昧に微笑む以上の対策を持たなかったのです。

 

 そこからの、解放。

 

 この世界にはもはや『将来』はありません。『あるべき、目指すべき進路』というものさえ、ありません。

 私は『怠惰』ですから、この世界に来た瞬間にはもう、『終わった』とすべてをあきらめたのです。攻略なんかできるわけがない。戦いなんか続くわけがない。自分たちの人生はここでおしまいで、しかも、おしまいにする責任をとらなくてもいい。そう、考えたのでした。

 

 ところがクラスは攻略に熱心でした。

 誰もが、元の世界に帰るんだという情熱を持っていました。不思議なぐらい、嫌がったり、あきらめたり、あるいは、自分だけ助かろうと暗躍したり、そういう人が、いなかったのです。

 

 その中で私はやはり、異端だったのでしょう。

 

 ずっと、みんなの後ろで、傷つくみんなを見ていました。

 私は空っぽな微笑を浮かべて彼らを治しましたし、そのことで感謝もされましたけれど、彼らの熱意には、最後まで共感ができなかったのです。

 感謝をする。心の底からという様子で。ありがとう、と言う。

 私は、ただ単に己の役割をこなしているだけの人を、そんなふうに全力で労うという発想がわかないのです。むしろ、私は彼らに責められるんじゃないかという、憂鬱な気持ちを最初、抱いていたぐらいなのですから。前に出て汗と血を流し傷つく彼らは、後ろでぼんやり立って、たまに治したり、補助をしたり、汗と血を流さない私を責める。やり場のない憤懣をぶつける。そういう予想さえ、していたのです。

 

 本当にいいクラスでした。

 

 だから、『小さな人(クライニー)』からその提案をされた時、ものぐさで、言われるままに行動をしてしまいがちな私でさえも、一瞬、ためらったのです。

 

「お兄様には内緒の相談なのだけれど、あなた、クラスメイトを裏切らない?」

 

 彼女がこのようなことを、そのかわいらしい口からこぼしたのには、理由がありました。

 彼女はこの時点でだいぶ、自分に『力』がついていることを自覚していたようなのです。

 どうにも最奥の淫魔女王の摂った栄養が、自分にも影響を与えているようで、このまま栄養をつけ続ければ、彼女の足を捕らえる枷を抜けて、自由を得られるのではないか。そういう予想があるようでした。

 

 そして彼女は、異世界人の命運よりも、自分の自由が大事だったのです。

 

 ……正確を期すのであれば、彼女は、自分以外の存在を人間だと思っておらず、どこか、書割とか、ゲームのNPCのように思っていたのだろうなと、そういうのが、正確な表現であるように思います。

『自分の欲望のために他人の命を犠牲にするのか!』と責められれば悪いことをしたような気にもなりますが、『自分の欲望のためにゲームのNPCを犠牲にするのか!』と問われれば、『それはまあ、エンディングの違うルートが見たいとかだろうし、その程度は犠牲にしても、怒られる筋合いがあるようには思えませんが』という感想になります。

 

『小さな人』にとって、異世界人の我々は、ゲームのNPCのようでした。

 だから彼女の提案は、初対面の私にするには、あまりにも埒を外れたものだったと、思います。普通、怒られます。『冗談』では、済まされません。仲間を売れ、という提案なのですから。

 

 しかもこの時、彼女は私にメリットを示したりもしませんでした。

 

 ただ選択肢を提示しただけだったのです。断られようが、受け入れられようが、どちらでもいい。言ってみただけ。そういう投げやりな問いかけだったように、後に振り返って、思います。

 

 ただ、私はその無言を、都合よく解釈してしまったのです。

 

 クラスメイトを裏切る、というのは、私をして、大変なことでした。葛藤さえも許されないほど、常識的な道として、『同郷・同じクラスの仲間を裏切らない』という大前提があります。これを翻すのは、少なくとも、私の視点では、大変なことに違いありませんでした。

 

 大変なこと、つまり、メリットの提示があってしかるべきこと、なのです。

 

 それを提示の一つもない。

 そこに私は、都合の良い解釈を挟みました。

 

 お兄様には内緒の相談、という前置きもまた、私の妄想を後押ししました。

 つまり、異世界人がきちんとダンジョンで戦うように監視する役割らしいアンデルセン王子に、内緒の相談。クラスメイトを裏切るという、冗談では済まされない、大変なことをやれという。

 

 私は、『お前だけこっそりと元の世界に返してやるから』という言葉が、そこに潜んでいるように思ったのです。

 

『小さな人』の浮世離れした不可思議な雰囲気と、眼球がなくてもなお息を呑むような美貌は、私たちに加護を与えた女神様の地上での姿なのではないかとさえ、私に思わせたのです。彼女は、何か説明のつかない不思議なことができそうな雰囲気があり、私の妄想はどんどん、現実的なもののように思われていきました。

 

 ところが、そこまで想像してなお、私はすぐにはうなずけませんでした。

 それはクラスメイトを裏切るのが忍びないなどというそんな話ではなく、そもそも、この当時の私は、元の世界に帰ることに、そこまでの魅力を感じていなかったのです。

 

 煩わしい一切が元の世界には置いてあります。そこに戻れば、せっかく離れた面倒くさいことの中に、また組み入れられることになるではありませんか。

 

 確かに攻略が手詰まりになり、諦念は絶望感に変わりつつあります。

 クラスメイトが遭ったような、尊厳や女性性を破壊するような凌辱をされたいわけではありません。死ぬなら、あっさりと、死にたい。それが叶わない世界であることも、うっすらとわかっていました。

 それでも、『元の世界』とどちらがマシかと問われると、私にはまだ、悩む余地があったのです。それだけ、元の世界は、私にとって、煩わしい面倒ごとばかりを運んでくる、嫌な場所でした。

 

 だからこの時の私は、こう答えたのです。

 

「どちらかと言えば、この世界で、凌辱される脅威に怯えず、面倒ごともなく、生きていきたいです」

 

 まったく正直な発言でした。

 しかし、この時、私は、『小さな人』にとって、『NPC』から『人間』になったようでした。

 彼女の眼球は存在せず、彼女の眼は黒い目隠しの中にあります。しかし私は、彼女の雰囲気の変化について、『目が輝いた』と表現せずにはいられないのです。

 

 のちに思えば、私がこんなことを言い出すまで、『小さな人』はそもそも、依頼を達成した私に何かを与えるつもりがなかったものと思われます。

 ですが、彼女はこの時点で私を『人間』とみなし、持てる力で、私の願いを叶えることにしたようでした。

 

「ええ、大丈夫。あなたの願いであれば、叶えられるわ。それに私、あなたのお友達になりたくなってしまったの。どうか、お友達になってくださらない?」

 

 お友達になる、というのは、私にとって、そこまで構えるようなことではありませんでした。

 私はいつの間にか、人の輪の中に混じっていることが、ほとんどだったのです。特に意識もせず、ただ、空っぽな笑顔を浮かべているだけで、私はいつの間にか、クラスの中で立ち位置を手に入れている。そういう人生でした。

 

 乞われて友達になったことはこれまでにありませんでしたけれど、私にとって『友達』という言葉は、『知り合い』とさほど変わらないものだったのです。

 

 なので戸惑い、しかし、否定するのも、私の『友達』の定義を説明するのも面倒でしたので、承諾をしました。

『小さな人』は、私が思い描いていたより、よほど嬉しそうに笑いました。

 

 そうして私たちは、クラスメイトを裏切り、淫魔に捧げる。代わりに、『小さな人』は、私を『凌辱される脅威に怯えず、面倒ごともなく、生きていける』ようにする。そういう密約が成立しました。

 

 このことはアンデルセン王子には秘密でした。『小さな人』は、私と秘密を共有したことを、無垢な幼い子供みたいに喜んで、アンデルセン王子に『足枷の鍵をとってきてもらうことになったの』と嘘の報告をしながら、ちらりと私の方に視線(目はないはずなのですが、彼女に見られている感覚というのが、不思議とありました)を向けるのです。

 そのかわいらしい様子に、私は正しいことをしたのだという感慨を抱きました。

 たぶんこの時、すでに私は、『小さな人』の、淫魔としての魅力に狂わされていたのだと思います。

 いくら私でも、クラスメイトを裏切る約束をこんなに簡単に承諾してしまうのは、おかしなことです。けれど当時、おかしいとは思いませんでした。これが狂わされているのではなく、なんなのでしょう?

 

 あるいは、最初から、私は狂っていたのでしょうか?

 

 みんなが一丸となって血と汗を流している時も、後ろから見ていて『このまま元の世界に帰れてしまったら、面倒だな』と思っていた私は、おかしかったのでしょうか。

 クラスメイトが酷く凌辱され、大変な状態にされてしまった時、クラスメイトたちがこのダンジョンや自分たちを招いた王族に酷く怒り、声をあげて泣く者までいる中、冷めた気持ちで『まあ、そういうリアクションはわかるんだけれど、そんなことしても、現状は何も変わらないのに、元気だな、みんなは」などと思ってしまった私は、おかしかったのでしょうか。

 

 私は人の輪にいつの間にか馴染むことができます。

 大抵、空っぽな微笑を浮かべているだけで、いい方向に解釈されて、いい扱いをされます。

 

 何もかもが、面倒です。クラスメイトと一緒に熱くなることが、できません。

 

 それは、異世界に転移させられたこの時のみならず、体育祭も、文化祭も、『二度とない、青春』というような雰囲気で、Tシャツを作ったり、遅くまで居残り申請をして準備したり、友達の家で泊まりこんだりとしている人たちを、自分とは違う生き物のように見ることしかできませんでした。

 

 そうして、責められているような気持ちになるのです。

 

 一生懸命な人たちの中で、一生懸命になれない者は、無言の叱責を受け続けるのです。熱くなるべきところで熱くなれないと、じわじわと『許されるスペース』が狭くなり、最後にはもう、身をいっぱいに屈めないと入れない小箱のような場所しか許されず、その中で、クラスメイトたちを見上げているような心地で過ごすしか、なくなるのです。

 

 息苦しい。

 

 私はいつでも、元の世界に息苦しい狭さを感じていました。

 呼吸をするだけで精一杯でした。何か呼吸以外のことに使うエネルギーなど、人生の中には残っていなかったのです。

 

 けれど、この狭い息苦しさを知らない人たちからすれば、私はずいぶんと怠惰に見えるようでした。

 必死に、生きていたつもりなのですけれど。

 

 クラスメイトを裏切る。

 

 それは私にとって、積極的な行動ではありませんでした。

 

 私の居場所はいつでも、クラスメイトの一番後ろなのです。

 

 強敵に立ち向かう彼らを黙って見送るだけで、彼らはあっさりと全滅しました。

 

 私は聖女でした。

 

 治るはずのない傷を治し、補助によってクラスメイトを強化し、それで、熱い感謝の言葉を受けました。

 

 私が役割を放棄したことで、クラスメイトは瓦解したようです。

 

 そうして私は『小さな人』から報酬を受け取り、淫魔となりました。

 

 この世界で、凌辱される脅威に怯えず、面倒ごともなく、生きていきたい。それが満たされる存在の中で、『小さな人』が叶えられる姿は、淫魔でした。

 

 約束通り、凌辱される脅威に怯えず、面倒ごともありません。生きていくのに、不自由も、ありませんでした。

 

 けれど、そうして生きていくにつれ、私は、元の世界が恋しくてたまらなくなってしまったのです。

 

 退屈だからでした。

 ものぐさな私は、それでも、退屈に耐えられるわけでは、なかったようなのです。わずらわしいと思われたすべては、私にとって、どうにも、退屈を紛らわす『刺激』でもあったようなのでした。

 

 クラスメイトたちは。

 ……熱くて、懸命で、私には理解できない、あの一生懸命なクラスメイトたちは。私にとってどうにも、かけがえのない仲間でもあったようなのでした。

 

 クラスメイトたちの一生懸命さに狭苦しさと息苦しさを覚えながらも、私は、彼らから与えられる刺激に、空っぽではあるけれど、微笑みで反応することで、どうやら、退屈を感じずに済んでいたようなのです。

 

 私の居場所は、あのクラスにありました。

 そしてもう、クラスは戻りません。

 私が裏切り、その背を見送ってしまったからです。

 

 罪の意識が、芽生えました。

 遅すぎる意識でした。

 

 何かをしないと、狂いそうでした。喜ばしいことです。私はまだ、狂っていなかったと、ようやく気付くことができたのですから。

 私は、彼らを故郷に帰したいと、考えるようになりました。

 

 もう彼らは帰れない。骨の一片まで純粋聖力(ギフト)となり、淫魔女王に吸収されてしまった。

 それでも帰してあげたいのです。何かを。たとえば、思い出を。供養をしたいのです。私たちの経験はとても他者に信じてもらえるものではありません。けれど、元の世界に彼らのことを遺さなければ、私は本当に狂ってしまうでしょう。

 

 機会を待ちました。

 待ちきれたとは、言えませんでした。

 

 私は次に来た転移者に働きかけようと思ったのです。

 ところが私は、聖力に満ちた転移者を見て、食欲を抑えることができませんでした。

 

 ある意味で、そのお陰で、私は『ボスの部屋』から解放されました。

 私は淫魔女王の家臣でありながら、『小さな人』の眷属です。淫魔女王と『小さな人』とは、力の綱引きのような状態にあるらしく、どちらかが弱ればどちらかが強まる、そういう関係にありました。

 

 私の強化は、その綱引きを、かなり『小さな人』寄りにしたようです。

 そのお陰で、部屋から解放されました。淫魔女王の支配を、『小さな人』の影響が上回ったのです。

 

 それで、何ができたのか?

 

 ……何もできませんでした。飢えと本能に任せて、うろついて、発見した子を犯し、その聖力を喰う以外には、できなかったのです。

 

 でも、私のしたことがきっと、乱数の一つにはなったのでしょう。

 

 結果はすべて、うまくいきました。

 

 私は女神の聖力を喰らって、元の世界に戻る機会を得たのです。

 

 これでようやく、クラスメイトを元の世界に帰せます。

 かけがえのない仲間たち。私が裏切って壊してしまった、私の居場所。

 元の世界に戻ったら、みんなの御両親にでも、事情を説明して回ろうか……しかし、私はやはり、ものぐさでした。それは信じてもらえるわけがないし、とても面倒くさいな、と思ったのです。

 

 私が経験したすべてを無理なく遺せる、そういう方法は、ないものか。

 実話として話しても、頭がおかしいと思われるだけ。私はこの経験を、頭のおかしくなった人のたわごととして処理されることだけは、どうにも我慢ができないようでした。面と向かって真剣に語っても、哀れむような視線を向けられる。そういうことを想像するだけで、私は、腹の底から、低い叫びが漏れそうになるのです。

 

 私たちは異世界に転移しました。

 剣と魔法の世界でした。恐ろしい淫魔が出て、クラスメイトたちを追い詰めました。

 

 しかし。

 

 ……しかし、クラスメイトたちは、団結して、ついに、淫魔女王を倒し、女神を喰らい力を得て、王宮にあった異世界人送還の技法を手にし、元の世界に帰るのです。

 全員で、帰るのです。

 

 そのあり得なかった未来をそのまま記すのは、私にはできませんでした。

 私が裏切ったクラスメイトたちが救われる様を、どういう顔をして記せばいいのか、わからなかったのです。

 

 だから、たとえば。

 私以外が選択をし、私以外が決断をしたならば、きっと、『あるべきハッピーエンド』を迎えることができるかも、しれないなと考えました。

 

 ゲームに、しよう。

 

 ものぐさな私ができるわけがないと思いました。でも、不思議と、その選択が正しいとも思えました。

 

 他の方法を想像して、しかしどれも、しっくりときません。

 まるでその道筋だけが正解であるかのように頭の中に残り、そこになら迷わず、この面倒くさがりな私でさえも、たどり着ける。正しいことをしているような実感が、わく。そう思えてならないのです。

 

 私は人生の意味を見つけました。

 きっと、他の人は、体育祭や、文化祭の時、その一瞬一瞬に、そういったものを見つけていたのだと思います。

 

 熱くなれる。それだけで、世界が広く、呼吸がしやすくなったかのように感じられました。

 

 裏切りと犠牲の果てに、私はようやく、元の世界で生きる力を手に入れたようです。

 きっとこれは、クラスメイトからの贈り物なのでしょう。

 

 今初めて、私はクラスの一員になれたような気がします。

 

 異世界に散った三十六名の冥福を祈り、彼らの想い出を胸に、私は……

 

 元の世界で、生きていけそうです。

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