※この作品はR-18です。

クラス転移したけど、クラスも世界も終わってる   作:稲荷竜

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三人称
ワタナべ視点
元の世界? に戻ったあと


61話

 違和感があった。だから調べた。

 そうしたら、自分たちが今いるのが、2001年だということがわかった。

 

「……どうしよう」

 

 絶望的な声は意外にもネコイが最初に発した。だからこれが深刻な事態なのだと、ワタナべもようやく実感を持てた気がした。

 手の中に槍がないのが不安だった。あの、ダサい、陶器みたいな光沢のある鎧がないのが、心細かった。異世界に渡るまでは『ない』のが普通だったあの武装は、あまりにも注目を浴びすぎるので、そのへんに捨ててしまったのだ。

 

 ワタナべたちは2026年の学生だ。

 

 この時代、産まれてさえいない。

 

 元の世界に戻れた、と最初はしゃいだ。そして、集っていたクラスメイトたちは解散しそうになった。

 けれどニナカワが様子のおかしさを指摘して全員を呼び止め、調査をしたらこれだ。愕然とする。ワタナべと女子六人。いつの間にかササイナナミと、あの、女神を喰らった淫魔はいなかった。途方に暮れるのは七人だった。あるいはあの二人は、どこか違う場所にいるのかもしれない。

 

 真夏の繁華街にはじりじりと身を焼くような日差しが照り付けていた。ワタナべたちが異世界に飛ばされたのは新学期始まってすぐのことだったから、夏ではない。異世界に行っている間に時間が経過している覚悟はしていた。それでも、戻れるならそんなことは気にならなかった。

 確かに元の世界には戻った。でも、それは、自分たちが産まれる前の過去だった。

 愕然として、当たり前だった。

 

「え、えっと」

 

 率先して声を出したのはテイラーだ。

 セーラー服を着た帰国子女。金髪碧眼で手足が長くて、腰の位置が高い。彼女は目立った。ワタナべのように異世界のシャツとズボンという姿だからという理由ではなく、色々な人が集う繁華街で、彼女の容姿はそれでも目を惹く美しさだった。

 

「魔法は、使えます」

 

 一瞬だけ、その事実に希望を見た。

 けれどすぐに、湧きかけた空気は沈静化した。

 

『だから、なんだというのか』。

 

 全員の頭の中に、そういう言葉があったことだろう。

 ワタナべ。槍使い。槍を持てばその扱い方が瞬時にわかる。槍に類する、『先で突くか斬るかできる長い棒』ならば、自在に扱える。前線に立てば、それまで戦いなんかしたことのなかったただの学生であるワタナべさえも、熟練の戦士のような槍捌きでモンスターを倒せた。

 だから、なんだというのか。

 

 ネコイは温度使いだ。細やかな扱いができればきっと、色々と応用が利くだろう。でも、応用を利かせる必要性を覚えたのは、冒険が始まってずっとずっとあとだった。

 炎を出せる。凍り付かせることができる。

 それは本当に強かった。杖を、あるいは手をかざした先が勝手に燃え上がったり凍り付いたりするのは、ネコイに万能感を抱かせる、まさしくチートだった。

 だから、なんだというのか。

 

 テイラーは壁を出すことができた。守るのはもちろん、攻めるのもできた。

 ヨドガワなんか、時間を操ることができる。物体を加速させたり、あるいは遅くしたり。傷を『負う前の時間』に戻したり。時間そのものを停止・遅延させるなんていうほどのことはできないけれど、まさしく魔法と言える魔法だ。

 だから、なんだというのか。

 

 剣を使えても、槍を使えても、炎を扱えても、時間を操ることさえできても、なんの役にも立たない。

 フェイクを疑われつつ手品師でもやるか、動画でも出して注目を集めるかしかない。

 異能を扱う闇の組織にでも拾ってもらえればいいのだが、そういうものは、きっと、ないだろう。

 この世界にファンタジーはない。そういうものは、異世界にしかない。

 

 それらはすべて、『現実の世界で生きていく』という目標を前には、無力だった。

 この、産まれる前の、一体何があって、何がないのかもわからないような世界では、なおさら、活かし方さえ、わからない。

 

 こういう状況で生き抜く力が強そうなのは、ヤナウエだった。

 でも、いない。……もう、いない。

 

 明確なリーダーがいない状況で、みんなの意見を整理して、ディベートの活性化を促すのが得意なのは、インドウだった。

 ……もういない。

 

「どうすれば戻れるのよ!」

 

 ニナカワが叫んだ。なぜか、ワタナべをにらみつけていた。

 この状況の責任は自分にないとワタナべは理解している。だが、ニナカワが自分に憎悪を向ける理由は理解できた。売ったからだ。売って、娼婦にしたから。

 

 このメンバーの中で、ワタナべは自分が『少数派』であることを認識する。

 自分とネコイだけが、『売った側』なのだ。テイラーもヨドガワも、売られて強さを授かった。ハナイもハシグチも、売られて娼婦になった。そしてニナカワは、自分が売った。

 

 女子だらけ、という時点でも肩身が狭いのに、さらに別な理由でも肩身が狭い。

 

 ……それでもニナカワが自分の排斥を真っ先に叫ばないのは、きっと、理解しているからだろうと、ワタナべにもわかった。

 

 ここはまだ、異世界だ。

 

 産まれる前の、元の世界。過去。それは紛れもなく、何も知らない、何もできない、異世界に違いなかった。

 

 自分たちはまだ戻れていない。

 そして、ここはファンタジーな法則が通用する場所ではない。……未来に戻る方法は、ある。今が2001年なら、元の時代までは、あと25年ある。

 25年、生きて時間を重ねればいい。

 そうしたら、自分たちは、元の時代に戻れるだろう。

 25年分、歳をとった存在として。

 

 25年。

 

 ……どう、生きればいい?

 

 戸籍も、ない。産まれてない。もしかしたら、親たちが今この時代を、学生として生きているかもしれない。同年代の自分たちが親たちのもとへ行けたとして、『将来、あなたたちの子供として産まれる者です』なんて名乗って、どうにかなるのか? なるわけがない。

 

「……記憶を失ってる、ということにして保護を求めるとか……あーそのー、ど、どうでしょ?」

 

 ヨドガワが卑屈な笑顔で言った。たぶん笑う以外にどうしたらいいか、わからないのだろう。

 その意見は可能性がまったくないでもないと思われた。だけれど、明るい未来は見えなかった。

 そもそも、明るい未来なんか、ここから先にあるのだろうか?

 

 自分たちは戸籍もない不審者で、しかも、未来と異世界の記憶を持つ錯乱者だ。

 未来の知識を活かして何かをする? その『何か』とは? 株? 宝くじ? 銀行口座も作れない身でそんなことをしてどうする? しかも、別に、株や宝くじ、競馬だって、この時代に何が勝つかを知らない。そんなものに関心があるクラスメイトは誰もいなかった。

 

「……協力するしかないわよね」

 

 ニナカワが親指の爪を噛んでいた。

 彼女が感じている引っ掛かりは自分とネコイの存在だろうな、とワタナべは思った。けれど、どうにも彼女の視線は、クラスメイト全員を向いていて、誰に対しても憎悪めいた、不承不承という色があるようにも見えた。

 

 話し合いが、始まった。

 

 ナナミを探そう、という意見は誰からも出なかった。それどころではなかったし、この時代、この世界で『淫魔』となってしまった彼女は、自分たちが生きる上で邪魔になると、誰もが思っていたのだろう。

 そんなものを世話する余裕はなかった。……同じだ。スドウ。アサギをいじめていたグループのお調子者。喉と目を抜かれて戻された『いらない部分』。

 誰も世話しなかった。ヤナウエたちでさえ、スドウを王宮に任せて放っておくことを、暗に認めていた。言葉に出さず、議論もせず、スドウという存在について考えるストレスを切り捨てていた。

 同じことが、ササイナナミに対して起こっている。

 

 そう感じて、でも、ワタナべもまた、ナナミについて、触れないように気を付けた。

 

 余裕がないから。

 

 ……アサギがいじめられていたころから、繰り返されてきた透明化だ。

 いじめられている。悪いことだ。そばで見ていて不快なことだ。

 でも、止めたりはしない。そんな余裕がないから。今、生きていくだけで精一杯だし、やりたいことだって、色々ある。だから、他人が被害を被っているのを止めるほどの余力なんか、誰にもない。

 

 だから、罪にならない。

 そう言い聞かせてきた。

 

 ……そう、言い聞かせる。まるで悪いことをしていて、それを放置しているみたいだ。

 実際そうだ。悪いことは、している。ただ、『仕方ない』という言葉で、それを『悪い』とカウントしないようにしいてきた。実際、仕方なかった。どうにかする力もないし、力がないなりに行動したあとに発生するであろう『自分への被害』と付き合い続ける覚悟もない。

 普通、ない。

 

 だから、『仕方ないから』と罪のカウントをやめて、他者の被害を透明化することを責めるのは、『普通なお前が悪い』と責められるようなものだ。

 それはさすがに受け入れられない。そんなことを受け入れては、無限に罪が増えていく。だからどこかで、脳が自分の精神を防衛する。その働きとして、身近で起きている被害を透明化する。そうして正義感が強いだとか、責任感があるだとか、そういう評価を受ける時、身近で起きている他人の被害は、すっかり記憶から消え去って、なくなる。

 

 生きていかねばならないというシリアスな問題を前に、透明化された罪を詳らかにするのは、いたずらにコストを増やすだけのことだ。

 

 わかっている。

 

 でも、ワタナべは、口に出してしまう。

 

「ナナミさんを探そう」

 

 交わされていた議論が止まった。

 まるで止まる理由を探したがるような、答えの出ない議論だった。

 

「……生き残ったクラスメイトを、探そう。いや……俺が、探す。勝手に、探す。放っておけないから、探す。俺は……アサギに起こっていることを見て見ぬフリをした。ネコイを助けるために仕方ないと思って、ニナカワを売った。……もう嫌なんだよ。クラスメイトを犠牲にして、クラスメイトを救う、みたいなことは。……もう耐えられない。だから、ナナミさんを、探す。もうこれ以上、クラスメイトに減って欲しくないんだ」

 

「おい、ワタナべ」

 

 ニナカワの声はドスが利いていた。

 それまで『仕方ないから』──過去に来てしまった。協力するしかない。そう思って封じ込めていた感情のすべてが噴出するような、憎悪にまみれた目が、ワタナべに突き刺さった。

 

「お前、わかってんの? お前がたった一人、男なんだよ。男しかできないこと、世の中には山ほどあんの。男しか許されないこと、世の中にはいっぱいあんの。男だから見逃されてること世の中には死ぬほどあんだよ。わかるか?」

「……わかるつもりだ」

「わかるつもりなら、女六人見捨てて、一人の女を探しに行くとか、言わないんだよ」

「……」

「お前を殺したいんだ、こっちは。でも、お前だけが男だから、この時代で、私たちの中で、お前だけしかできない役割があんの。それが何かはまだわかんないけど、絶対に役立つと思ってるから、お前のこと、いったん生かしておいてやろうとしてんの。わかる?」

「……」

「ササイナナミを探すとか、私にとってはどうでもいいんだよ。私が生きていくためにお前が必要。ここが、大事なの。私だけじゃない。テイラーとかどうすんだ? 見た目完全に外国人だろ。どう生きてくんだよ。この昔の日本で。いいから黙ってろ。私たちのためになることだけ考えろ。さもなきゃ殺す」

 

 ニナカワの手の中には、真夏の日差しの下で流れた汗が溜め込まれていた。

 実のところ、暑さはワタナべたちの過ごした時代と比べるとさほどでもなかった。ただ、状況が、必要以上に汗を流させていた。なじめない場所の空気が、じりじりと心臓を焼いていた。

 

 ワタナべは、自分が言ったことがどれだけのわがままなのか……

 実は、最初から、わかっていた。

 

 発言する前から、わかっていた。今、この七人は間違いなく運命共同体だ。しかも『ダンジョンに入ってモンスターと戦い、奥の魔王を倒してください』なんていう目標さえ与えられていない。

『生きていく』。この、途方もない、何から手をつけていいかわからないことを目指す運命共同体。戸籍も口座もないという単純なことによって、生きていく難易度が途方もない。その状況でただ七人の、信頼できる仲間。

 

 そのうち一人が、抜ける。

 しかも男手が。

 

 自分たちが産まれるよりも前の時代だ。この時代の話は目にすることもある。すでにワタナべたちからすれば『近代史』である二千年初頭。ワタナべたちの生きていた時代よりもデリカシーがなく、雑だったらしい時代……

 

 男尊女卑、というほど男が有利ということもないだろう。

 だが確実に『男にしか許されないこと』は存在する。たとえば深夜のコンビニバイトだったり。募集されている仕事の多さだったり。現代と違って『女子枠』みたいなものもそんなにないだろうこの時代には、確かに、ワタナべという『男』にしかできないことは、山ほどあるのだ。

 ……それらは英雄的なことではなく、もっと地味で、しかし、この時代の人が『まあ、男でないとな』と無意識に前提としている、そういうことが。

 

 ワタナべが黙ってしまっている。

 先ほどまで進まなかった話が、進んでいる。

 

 リーダーがいなかった。でも、ニナカワが、今の一幕でリーダーになった。

 出た意見を、ニナカワが検討し、それを返し、返されたものをもとに、議論が進む。

 

 ワタナベは黙っていた。

 

 これは『全員を助ける』ということが許される話ではなかった。

 トロッコ問題だった。しかも、ワタナべが思っていたより、はるかにシビアで、余裕のない、トロッコ問題だ。

 

 わがままだった。わかりながら、言った。ナナミを探す。クラスメイトを見捨てない──そういうことに、誰かが共感してくれるかもしれないと、思った。

 でも、誰も共感してくれなかった。ネコイさえも、共感を示してはくれなかった。

 

 生きていくことのシビアさは、男よりも、女の方が、わかっていたのかもしれない。

 

 生きていくというのは、自分よりも、みんなの方が、前提にできていたのかも、しれない。

 

(俺は、やっぱり、中途半端、なんだな)

 

 理想とする生き方はあった。清く正しく公正で、後悔のない、そういう生き方だ。

 けれど、それを成すには、ものすごい力が必要だった。『いじめを見て見ぬフリを、しない』という程度の──あえて『程度』と軽く扱ってみても、そんな程度のことさえ、ものすごい力を求められた。

 これ以上のことが世の中にはあり、これ以上の罪が日常的に見て見ぬフリをされている。

 そんな世の中に対し、ワタナべはあまりにも無力だった。

 

「無駄かもしんないけど、ヨドガワのばあちゃんのとこに一回行ってみる。もしかしたらって言うから」

 

 ニナカワがまとめた。それが結論らしかった。

 

「それで住居がどうにかなったら、あとは働かないといけない。それとも誰か、宝くじの当選番号でも知ってるやついる? ……いるわけないか。スマホもない。動画配信もない。なんだこの時代? ……んで、ワタナべ」

「……」

「お前、記憶喪失のフリして病院行け」

「…………え?」

「お前が一番、そういうことしても安全だから。うまくいけば、戸籍をもらえる」

 

 記憶を喪ったフリをして病院に行くことで、どのような危険が生じるのか、ワタナべにはわからなかった。

 ただ、ニナカワの決定に逆らえる空気ではなかった。

 代案があればあるいは、と思った。もちろん、ない。ワタナべは無力だった。

 

 最初から最後まで、無力だった。

 

 覚悟はできる。その覚悟の通りに行動するのができないだけで。

 責任感はある。その責任感が己を責めないように生きていくことができないだけで。

 正義感もある。その正義感にもとらない道を歩み続けることができないだけで。

 

 生きていくということは、自分の中にある何かを折り続けることだ。

 折られたものは『青臭い感情』というラベルを貼られる。そんなふうに見下して、唾でも吐きかけるみたいに扱う必要はないのに、『持っていてはいけないもの』『持ち続けるヤツはダメなヤツ』みたいに、扱われる。

 

 それはきっと、誰も、『青臭い感情』を捨てたくなんてなかったからだろう。

 

 でも、捨てなければならなかった。持ち続けるには途方もない力が必要で、人は、自分に力がないと認めるのが苦手だから。

 だから折られて捨ててしまった感情を、『価値のないものだった』と信じ込みたがる。

 自分ではない誰かがまだその感情を持てているなら、『恥ずかしいやつだ』と見下したがる。

 

 自分は弱くないと思い込むのに、強い誰かの存在は邪魔だから、頭の中で『強くないこと』にしてしまう。

 そして、そのことを、自分で信じ込む。『青臭い感情』は本当に青臭く、それを持ち続けるやつは、本当にだらしなく、情けなく、幼稚だと、信じ込むのだ。

 多くの人が信じ込んでいることは『常識』という名前で呼ばれる。そして、常識という見本に即していない部分が目立たない人が、大人と呼ばれる。

 

 ワタナべは大人になりたくなかった。

 でも、なる以外の道がなかった。

 

 だから、ササイナナミのことを、あきらめた。

『もう二度と、クラスメイトを見捨てたくない』という青臭い感情を、折った。

 

「……わかった。病院に行く。その後の行動も、従う」

 

 ニナカワは笑った。

 見下したような嗤いだった。

 

 きっと、生きていく中で、こういう嗤いを向けられることは無数にあるのだろうなと、ワタナべは理解した。

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