ヨドガワ寄り
ヨドガワタツコ。
『
異世界に行く前の自分なら間違いなく大興奮で、ネット掲示板にこっそりとスレッドでも立てていただろうな、とヨドガワは思った。
しかも、こっそり、恐る恐る、立てていた。いきなり動画で時間を操ってみせるとかは、どんなにいい『時間を操っていることを信じさせるアイデア』がわいたとしても、絶対にない。掲示板で、嘘だと思われてもいいような予防線を張って、あくまでも『ネタですよ』みたいな顔をして、ひっそりと自慢する。自分はそういうタイプだと、ヨドガワはよくわかっていた。
生きる。
そういうでっかいものが人生の真ん中にいきなり壁として立ちふさがってきた時、ヨドガワが不意に思い出したのは、祖母のことだった。
祖母。たぶんこの時代は、誰の祖母でもない。母親と父親はきっとまだ学生で、その母親で、将来、自分が産まれることなんかもちろん知らない、そういう人なんだろうなと思う。
それでもヨドガワが、『おばあちゃんなら、もしかしたら、住む場所を用意してくれるかもしれない』と述べた。根拠は述べられなかった。人に示せるような根拠なんか、ないから。
ヨドガワの祖母は『豪快な女傑』という雰囲気の人だ。
オタク趣味のせいで父母からの視線が心地よいものではなく、弟からもうっすらと存在そのものを迷惑がられているなと感じていたヨドガワは、よく祖母のところに行っていた。
祖母は別にオタク趣味に理解がある方ではなかったが、不快感も示さなかった。
今の子には、色々な趣味の選択肢があるのねえ、という感じで、住みわけができる人だった。
祖母のもとにいることをヨドガワは好んだが、その中で苦手だなと思っていたこともある。
それは祖母の人格に由来するものではなく、とにかく祖母の家には来客が多い、ということが理由だった。
都心のとあるビルを持っている祖母は、ごみごみした都会の中だというのに、人嫌いで隠棲している賢者のような雰囲気を持っている。
そんな雰囲気はヨドガワ以外も感じていたようで、とにかく祖母のもとには、色々な相談事──別名厄介ごと──が持ち込まれるのだ。
ヨドガワは気配を消して上階でゲームなどしていたが、タイミング悪く来客中に入ってしまい、知らない大人に挨拶をせざるをえない状況に追い込まれることもあった。
そんな時に祖母の目が険しくなった。それは、ヨドガワに向けられた視線ではなく、むしろ、ヨドガワの存在を知った、相談に来た大人に向けられる視線だった。けれど、そこに込められた殺意が怖かったのを、ヨドガワは印象深く覚えている。
おばあちゃんなら、もしかしたら。
そう思ったのは、祖母がそういう、厄介な話をよく持ち込まれる人だったから、もしかしたら、自分たちの厄介な事情の希少性が相対的に低くて、受け入れてもらえるかなという希望的観測があった。
あと、土地持ちであることをなんとなく知っていたので、困っている若者の集団に住居を提供するぐらいの、いわゆる『人助けをするための余裕』があるんじゃないかな、という期待があった。
……それから、もう一つ。
これはいよいよ、どう取り繕っても根拠とは呼べない話なのだが。
ヨドガワは、祖母が、『知らない人を世話していた』と言われているのを、両親の口から聞いたことがあった。
あの人みたいになるんじゃないか、と両親がヨドガワの将来について、誰かに似るのを憂いているのを聞いてしまったことがある。
もしかしたら、その話題に出てきた『あの人』というのは、自分なのではないか。そういう可能性、細い糸とさえ言えないものを、ヨドガワは辿ってみることにしたのだった。
本当にこの時代になんの寄る辺もない状態でなければ、言ってみようとさえ思わなかったことだ。
かくしてヨドガワが提案し、ヨドガワと、ニナカワ、あと『ニナカワさんの二人きりはマジ勘弁』という理由で間に挟まってもらうことになったハシグチ。この三人で、未だ孫のいない、ヨドガワの祖母へと会いに行った。……ヨドガワの母がいなさそうなタイミングを見計らって。
門前払いも覚悟できた訪問だったが、とりあえず中に入れてもらえることになった。
そうして出会った祖母は、ヨドガワの知る祖母よりずっと若い。……それはまあ、そうだろう。二十五歳、若いのだ。ヨドガワが産まれた当初からカウントしたって、十歳ぐらいは若い。
とはいえ目の厳しさと、背筋がぴんとしているのは変わらない。
変わったのは、ヨドガワの知る祖母はよく和服を着ていたのに対し、この祖母は、仕立ての良さそうなスーツを着ていることだった。
その祖母は、ヨドガワを見て、しゃべり出そうとするニナカワを片手で制して、『なんで私がここにいるんだろう』という居心地悪そうな顔をしているハシグチを見て、それから、口を開いた。
「働かないヤツに貸す宿はないよ」
「受け入れてくれるんですか!?」
ニナカワが口走っていた。ダメ元だったが、予想をはるかに超えるスピードで話が進んだからだ。
祖母はヨドガワを見ていた。ヨドガワは、祖母の鋭い視線の中に、幼いころに自分に向けられた愛情があるのを感じた。錯覚かもしれなかった。
「ワケありなのは見ればわかるよ。学生がするような顔じゃない。悲壮な顔だ。ウチは駆け込み寺じゃあないんだが、そういう人材の受け入れ先になってるしね」
「そうなの?」
ヨドガワはついうっかり、孫の口調でたずねてしまった。
まだ生まれていない孫だ。怒られるかと思い、「あ」と声が出た。それだけしかできず、吐いた言葉は呑めなかった。
しかし祖母の視線には親しさがあった。まるで、ヨドガワのことを孫だと知っているかのような、不思議な親しさだ。確かに顔つきには似ているところもあるのだろう(血縁なので)。それだけでは説明のつかない、なんらかの確信が、祖母の態度にあるように思えた。
でもその感覚をニナカワたちや、祖母当人に告げようとは思えなかった。
「この時代、『女社長』はまだ珍しくてね。実際には結構な数いるんだが、有名で、ある程度の力があるのは、ホテル業界のあの人か、ウチかぐらいなんじゃないかね。だから、ワケありの女の子が『働かせてくれませんか』って来ることもある」
ヨドガワは、祖母の『社長』という顔を聞いたことはあったはずだった。だが、意識にはのぼっていなかった。ヨドガワにとって、祖母は祖母であり、土地を持っているらしい、とかいう話は両親の話で知っているが、ヨドガワ自身は、祖母の口から、祖母の立場について聞こうと思ったことは一度もなく、祖母が聞かせようとしたことも、一度もなかった。
ヨドガワは祖母が社長であった事実を『そういえばそんなことも聞いたことあったっけな』と無関心に受け止めた。提供した事前情報が少なすぎたため、ニナカワに睨まれていたが、気にしなかった。
それよりも、祖母の言い回しが気になった。『この時代』。まるで自分たちが、この時代の住民ではないと見抜かれているような気がしたのだ。気にしすぎの可能性も、大いにあったけれど。
「高卒で働くのがすっかり珍しい時代になっちまったが、まあ、学歴なんざあとからでもつけられる。大事なのは『生きてく覚悟』だ。グダグダ自己アピールされるよりも、その目つきでわかるよ。藁にも縋る想いの人間の目はたくさん見てきたからね。ウチがその藁だ」
やはり祖母は優しかった。
その優しさは、やっぱり、『相談に来ていた人』に向けられるものではなく、身内、それも母や、その結婚相手である父ではなく、『孫』に向けられる、そういうものだった。
ニナカワが何かを猛烈にまくし立てている。たぶんお礼の言葉だろうな、とヨドガワは思った。
睨まれた。だからようやく気付いて、『ありがとうございます』と言った。
祖母はやっぱり、ヨドガワを見て笑っていた。その笑顔にはいよいよ勘違いでは済まないぐらいに、『身内への親しさ』が込められていた。
何かを知っている。何かを経験している。あるいは、自分が彼女の将来できる孫であることを見抜かれている、そういう想像さえできた。
けれどヨドガワはそこを突っ込む性格ではない。相手から何かを言われない限り、余計なことは言わない。ものぐさというよりも、自分から不要な刺激を発して、他者とのコミュニケーションというコストを増やしたくない──やっぱり、『ものぐさ』かもしれない。そういう性質が、ある。
かくして、想像よりとんとん拍子で住居と働き口の問題をクリアした。
……とはいえ、『だから、働くのはまったく問題ない』とまではならないのが、人生のままならないところだった。
◆
祖母のもとで過ごし、会社という組織に組み入れられて、仕事ということをする。
ニナカワはよくやった。ハシグチも、ハナイも、かなりやった。
ネコイは駄目だった。テイラーは、本人の資質がどうという以前に、見た目が外国人であることが、かなり足を引っ張ったようだった。
ヨドガワもダメだった。
生きていく理由というのが、見出せないことに、後から気付かされた。
昔からそうだ。生きていく理由が、よくわからない。でも、世間は、死ぬことを悪いと言う。実際、死に場所を探してみても、なんだかどこも、死ににくい。特に、両親や弟、何より祖母に迷惑をかけずに死のうと考えると、その手段も場所もどこにもなかった。
だから仕方なく生きていた。
ヨドガワはオタク趣味を持っている。でも、積極的なオタクではない。消極的、無料で、受動的にできる暇つぶしを選択していたら、結果的にオタクのようなものになった。そういう存在だ。
ゲーム。デイリーは毎日真面目にこなすし、イベントにもそれなりの熱意で参加する。シナリオも読む。でもそれらすべてはどこか義務的で、楽しいと感じたかどうかは、わからない。
そういう義務さえこなせないと、どうにも落ち着かない──ヨドガワが、他者から見れば『ゲームなどに熱心』に見えた理由は、そんなところだった。
働く。
辛い。
生きていく上で必要なのはわかる。でも、そこまでして生きていく理由がわからない。
生き残ったクラスメイトは運命共同体だ。だから、他のクラスメイトのために頑張ろうと思った。そして他人のために頑張れない自分に気付かされた。ああ、自分って、わがままで、自己中心的で、怠惰で、才能みたいなものがなくって、何も産み出せない。特技もない。趣味もない。
そのくせ自我を完全に殺して機械的に働くことさえも、できそうになかった。モラトリアムの中でしか呼吸ができない社会のゴミ。それが自分です、はい。とヨドガワはヘヘヘと三下みたいに笑う。
「それで、樹海にでも行こうと思ったんですよ」
死ににくい。祖母に迷惑をかけずには。
だがしかし、この時代のヨドガワは『何』でもない。縁者と呼べるのはクラスメイトだけだし、そのクラスメイトにしたって、自分という負債がなくなれば喜んでくれるんじゃないかと思った。
たとえば元の時代まで生きて、過去の──未来の──自分に、『これからお前は異世界転移するんだ。気を付けろ☆』と忠告をする? 二十五年後の自分が、学生の自分に?
不審者通報タイーホの三段活用で終了だ。だいたい、気を付けろと言われても、何をどう気を付ければいいか、今もってわからないというのに。
掲示板に『未来から来たけど質問ある?』というスレッドを立ててみた。反応はあったが、誰も信じていなかった。当たり前すぎた。
だって活かせる知識が何もない。未来に発売されるスマホゲーのタイトルを挙げたって、誰も興味なんか抱かない。そのうち予言した通りのタイトルが出て正しかったと証明される可能性はあるけれど、それだけだ。今、何かに役立てられる知識というのが、ない。
掲示板の自称未来人は、たいてい、何かいっぱいの知識があった。科学技術とか、政治とか、そういうものに関心があって、知識を持っていて、もっともらしくカキコする文章力があった。
ヨドガワにはどれもない。『未来から来た』ことは、なんのアドバンテージにもならない。
価値がない。
価値を創造する努力もしたいと思えない。
だから樹海ツアーに行きたかった。
そうしたら、休みをとった理由を祖母に詰められている。家まで呼び出されて。
正直に告白した。
へへへ、と三下みたいな笑いを浮かべて、どうにもならねえなこれ、と、全面降伏の顔でべらべら正直に語っている。
祖母は頭痛を覚えるような顔をしていた。凛々しい美人だなと思った。同じ血が流れているのに、猫背で卑屈な自分とは全然違う。
両親も弟も頭がよくて、アクティブな趣味があって、なんというか、『正しい人間』だった。祖母も正しい人間だ。でも両親と比べてさえハイエンドすぎて、逆に気にならないレベルで正しい。
その正しさが今、ヨドガワの目の前で、軍勢を展開し、こちらを詰問していた。
「わかった」
祖母はそれだけ言った。
だから『あ、じゃあ失礼します……』と立ち去ろうとした。
けれど意外な言葉が続いた。
「アンタは、あたしが面倒を見るよ」
「え、なんで……? 生きた不良債権、将来性のない生ゴミですが……?」
「二つ理由がある。一つは、アンタが妹に似てるから。……アンタみたいのの存在を社会が許さない時代っていうのがあってね。その当時、あたしの妹は自殺した。その罪滅ぼしをしたい」
それは初めて聞く話だった。
たぶん、両親も、祖母の妹の話はあまり知らなかったのではないだろうか?
とはいえ筋が違うのはヨドガワにもわかる。ヨドガワは孫だが、妹ではない。妹さんに向けられるべきものを向けてもらうほど立派な人間でもない。さすがに遠慮が勝る。
「もう一つの理由はね」
しかし祖母はさっと話を進めてしまう。ヨドガワはいつも、母や父、弟、それに祖母の話の速度についていけなかった。現実は読みたいペースでテキストを進めてはくれず、場の総意によってテキスト速度が決まる。
ヨドガワのペースは、『総意』よりいつも遅くて、できることは、とっくに終わった話についての感想を頭の中にしまいこむか、曖昧に笑ってやり過ごすことだけだった。
それを知っているかのように、次の発言のあと、祖母は、ヨドガワに答えを編み出す時間をくれた。
「アンタ、異世界帰りだろ」
まだまだ異世界系物語は主流とは言い難い。
祖となるものはとっくに出ていた。ライトノベルでも異世界に渡った話はあった。あったが、ヨドガワのいた時代ぐらい一般的ではなかった。
そんな時代に、そういうサブカルチャー系といかにも縁がなさそうな祖母の口から放たれる『異世界』という言葉。
「なん、で、そう思うんですか?」
掠れながら言葉をひり出した。本当に『ひり出した』という感じだった。屁みたいなうめきだったと自分で自分をぶん殴りたくなる。
これは仲間たちの安全にかかわるかもしれない話だと遅れて気付いた。異世界帰り。そう思われてたからどうなるか、ヨドガワでは想像もつかない。だが、間違いなくそれは自分たちの秘密であり、秘密であるという認識だから、バレたらなんかまずそう、ぐらいまでは想像が及んだ。
祖母の答えは、ヨドガワの乏しい想像を、はるか遠くまでぶっちぎった。
「ヨドガワタツコ」
「は、はい」
「苗字の方は知らんがね。タツコってのは、あたしの妹の名前なんだよ」
「…………はい?」
「顔立ちも似すぎてる。アンタ、もしかして、あたしの妹なんじゃないか?」
ヨドガワはまた一つ、祖母についての情報を思い出した。
自分の名前は、祖母がつけた。
由来は知らなかった。でも、それはきっと、望まぬ死を迎えた妹の名前だったのだ。
そこから始まった話は、ヨドガワの想像をさらにはるか遠くまでぶっちぎった。
祖母の妹は、空想に逃げ込みがちな人だったらしい。
社会になじめず、その当時にあった『女なら』というジェンダーロールになじめず、かといってヨドガワの時代みたいにある程度の『ごろごろ』とか『自由』が認められる社会でもなく、『女』になれないなら居場所がない、生きている価値がない──そのぐらいの空気感があったらしい。
その中でタツコ──祖母の妹は、よく、『ここではない世界』の話をした。
死ねば魂がそこに行く。そこは幸せな場所で、自分の本当の居場所はきっとそこなんだ。そういう話をしていたらしい。
ヨドガワが学生をやっていた時代であれば、世にあふれていた『異世界転生』の概念。
しかし祖母の時代にそんなものにたどり着くというのは、いったいどれだけ、現実から疎外されているような想いを抱えていたのだろう。
……が。
まったく、事実ではない。
ヨドガワは確かにタツコだが、祖母の妹ではない。
あたしはタツコを助けたくて死に物狂いで働いたんだ、という話が始まった時、ヨドガワは『あ、もうダメだ』と確信した。
祖母の目が、尋常ではなかった。
事実なんかどうでもいい。空想以外に価値がない。そういう目だった。
共感してしまった。
たぶん祖母も生きる理由を持たない人だったのだ。でも、世間が生きろとうるさいから生きてきた。生きていくなら、辛いことを乗り越えるために、生きる理由がいる。でも、ない。
だから祖母は、死んだ妹を生きる理由にしたのだろう。妹を救いたい。そういう感じ。
そして、うまくいきすぎた。
うまくいく。社長になる。たぶん、多くの会社を持っている。
でも、祖母の目標は永遠に叶わないのだ。何せ、妹を救いたいと思っているのに、救うべき妹はいないのだから。
そこにタツコという名前で、明らかに血縁のある顔立ちの女が転がり込んできた。
事実はもはや、どうでもいいのだろう。祖母は、目標を達成したことにしたいのだ。
あるいは『駆け込み寺じゃないけれど、女の子を受け入れている』というの自体が、『異世界に行った妹が帰って来るかもしれない』という、妄想というか、もはや、怨念とか、恩讐とか、そういうものに基づいたことだったのかもしれないとさえ、思わされた。
話が通じる目ではない。
祖母の目はヨドガワを見ていない。
ぺらぺらと空転する祖母の言葉を聞きながら、ヨドガワは考えた。
どうしたら、みんなに迷惑をかけないだろう。
もしも自分がここで『いえ、全然違いますけど』と祖母の言葉を完全否定してしまったら?
こんなに顔が似ていて、名前まで『タツコ』の自分が、祖母の妄執を終わらせてしまったら?
……ぶっちゃけ、どうなるかはまったくわからない。
でも、そこにはなんらかの『変化』が生じそうな予感がある。
望ましい変化かもしれない。案外、何も変わらないかもしれない。でも、変わる可能性がある。
ヨドガワは。
生きる理由がないから、死のうと思った。
辛いことに耐えてまで生きていく理由が、ないから。
でも。
自分が祖母の妹のフリをすることで、みんなの扱いがよくなるなら。
それは、『生きる理由』になるんじゃないだろうか?
(よく考えたら──)
祖母が何かを語っている。その語り口はいよいよ尋常ではない熱を帯びていて、正直に言って、怖かった。たった一人の、何年前に死んだのかさえヨドガワからはわからない妹に対して、そこまで熱を入れられる。そういう側面が祖母にあったことが、怖かった。
でも、現実が辛いほど、空想の方に逃げ込みたくなる気持ちはわかる。
それに。
(──死ぬの、痛そうだし、苦しそうだし、やだな。生きてられるなら、その方がいいや)
ヨドガワは消極的なオタクだ。受動的に、無料で受けられるサービスばかりやっていた結果、オタクと呼ばれる存在になった。そういう者だった。
受動的に、無料で受けられるサービスが、今、そこにあった。
妹になるだけで、生き残ったクラスメイトたちにさえ得があるサブスクに入れる。
一生のうちで一番頭を働かせて、ヨドガワは口を開いた。
「え、っと、記憶は、曖昧で、よくわからない部分もあるん、だけど」
祖母の言葉がピタリと止まっていて、非常に怖かった。
発言を誤れば殺されそうな雰囲気だった。
ヨドガワは、『おばあちゃん』を知っている。
だから、『おばあちゃん』とほとんど同じ調子で、言う。
「お姉ちゃん?」
姉さんと呼んでいたのか、姉さまとかいうかわいい呼び方だったのか、それとも『おい』とかの乱暴な呼び方だったのか。ヨドガワは、祖母の妹のことを全然知らない。
だが正解したらしい。
「お帰り、タツコ」
祖母は報われた笑顔をしていた。
タツコも笑った。うまく笑えなかった。でもそれが、『らしい』ようだった。
あるいは、祖母も、妹のことなんか、ほとんど覚えていないのだろう。
ただ、自分の辛さが報われたという結末があれば、それでいいのだ。
タツコは、
(まあ、私も、頑張ったんじゃないかな)
ただのオタクで、クラスメイトの役に立てなくて、売られて、酷い凌辱を受けて、気付けばまさしくチートというような力を得ていたタツコは。
ここを、ゴールとした。
偽りでも欺瞞でもいい。『終われた』と思った瞬間、ふっと気が抜けて、涙があふれた。
人生に目標は必要で、目標はいつか達成されるべきだ。
たとえそれが嘘でも、必要なのが『自分が達成したと思うこと』なのだから、なんの問題もない。
ヨドガワタツコはこうして死んで、祖母の妹として生まれ変わった。
(終わった)
抱いた言葉に込められた意味は複雑すぎて、ヨドガワはそのすべてを言語化することができない。
だが、終わった。
嘘と欺瞞にまみれたこの状況は、間違いようもなく、終わっていることだけは、事実だった。