※この作品はR-18です。

クラス転移したけど、クラスも世界も終わってる   作:稲荷竜

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三人称
ニナカワ寄り


63話

 ニナカワサクラコにとって、娼婦にされて異世界のゴミどもの慰み者にされたのは、最悪の経験だった。

 でも、現実での暮らしも、大差なかった。

 

「サクラコちゃん、これやっといてね」

「はぁい」

 

 ニナカワはこの社会で、『学歴のない』『訳ありの』『若い女の子』だった。

 

 住居を手に入れた。仕事を手に入れた。

 戸籍はなかった。ないことさえ、相談しなかった。用意してもらう道はあったのかもしれない。裏組織を通じて作る……とかではなく、普通に、記憶喪失で身寄りがない者と正直に申告して、用意してもらう道だ。

 

 けれどニナカワは、『戸籍もなく、記憶もない、当然、後ろ盾のない女』という存在になりたくなかった。そういう存在になるとどうなるのか、異世界で思い知らされていたからだ。

『女子学生』という価値がある。『若い女』には価値がある。

 それを思い知らされた。だから、その価値に頼る状況になることが、どうしてもできなかった。

 はっきり言って、異世界でかわるがわる犯され、好き放題に体を責められ、漏らしたり、イッたりする姿を愉しまれた経験は、トラウマだ。自分が『そんなこと』になっていると知っている存在はおろか、想像が及ぶ情報を持っている存在さえ皆殺しにして、全部なかったことにしたい。そのぐらいの、『あってはならないこと』だった。

 

 けれど、ニナカワの殺人計画は実行されずに終わってしまった。

 

 それどころではないから。淫魔が女神を喰って、視界が暗転したあの時。『帰れる』までは予感した。その予感は正しかった。

 ただし、自分たちが産まれるより前の時代に帰ることになるとは、思ってもいなかった。

 

 後ろ盾がないことの恐怖を、ニナカワは異世界で思い知らされている。

『一人しかいない』ということがどれだけ怖いかを、ニナカワは異世界で思い知らされている。

 

 だから『仲間』は重要だった。七人。少ない。いくら異世界の『女神の加護』をそのまま残っていたって、あんな、直接戦闘にしか用法のない力が、いったいなんの役に立つというのか。

 現実を生きる上で、水を操ることができても使い道はほとんどない。暗殺者にでもなる? では、その暗殺業務をどうマネタイズする? マネタイズまでできた上で、どのように支払いをしてもらう? どのように脅かされずに生活をする? ……戦闘能力ほど役立たない力も、この世界にはない。ニナカワは考えるまでもなく、女神の加護に頼って暮らしていくことをあきらめざるを得なかった。

 

 水を操る。医療関係にでも行くか? 戸籍のない自分がどうやって? うまく売り込んで介護職でもする? それとも──異世界での経験を活かして、こっちの世界で売春でもやる? パパ活という言葉はまだない時代みたいだけれど、そういう活動はあるらしい。調べればできそうな気もした。

 

 やりたいわけなんか、ない。

 そういうことをしないために、必死に、生きようとしているのだから。

 

 結局、ニナカワの選択肢は少なかった。

 

 主導権をとれたのは良いことだった。たぶん放っておいたらワタナべがリーダーになっていたと思う。

 素っ頓狂なことを言い出してくれたのは、ニナカワにとっての追い風だった。目の前に自分の女──ネコイのこと──がいるのに、ここにいない女を探しに行くとかふざけたことを言ってくれたおかげで、ネコイもこちら側に引き込めた。ニナカワの立ち位置の確保は、ワタナべが失点を重ねすぎたことが理由の、棚から牡丹餅だった。

 

 ササイナナミ。

 考えたくもない。

 

 あの存在はニナカワにとって爆弾だ。しかも、いつの間にかいなくなってしまったことで、埋まっているかどうかさえわからない地雷になってしまった。

 ヨドガワのお陰で住居と職を手に入れたニナカワにとって、『目立たないこと』が生存戦略の一つになってしまっている。戸籍がない。口座がない。出生記録がない。そんな状態で『異世界から来た淫魔なんですけど、私にはこういうクラスメイトがいて……』とニナカワの存在でもどこかで明かされてしまったら? 悪夢の幕開けだ。掘られれば掘られるほど怪しい点しか出てこない自分が、社会に出て職を世話されてしまったら、あとはもう、目立たない以上の処世術はない。

 繁華街でワタナべの防具と槍を捨てさせたのもニナカワだ。ここが古い時代で助かったことがあるとすれば、ワタナべとそれを囲む自分たちの姿が、すぐさまSNSなどで拡散されなかったこと、それだけだった。お陰で悪目立ちを避けられた。

 

 地味に生きることにした。

 そうしたら、普通に、普通の苦労をすることになった。

 

 学歴のない若い女。どう見ても訳あり。

 セクハラという概念もないこの時代、セクハラに遭うことになった。

 

 ヨドガワの祖母に世話された会社はたぶん、世間の中ではすごくまともな方なのだろう。女の子の駆け込み寺みたいなものだ、と言っていた。だから、女性が働ける環境としては、恐らくこの時代のハイエンドなのだ。

 それで、『これ』だった。ジェネレーションギャップ、というものを感じる。世間の平均的なリテラシーが低い。たったそれだけのことで、毎日誰かしら殺してやろうと思うぐらいに、ストレスが溜まる。

 

 ふと、心が異世界に帰ることがある。

 

 自分がまだダンジョンにいて、関わる男はモンスターで、ここで何体か殺すべきなんじゃないかと、思う。

 手の中にペットボトルがあると、その口を自然と相手に向けている自分に気付く。慌ててなんでもなかったフリをする。違和感を抱かれるほど大きな動作ではないと思う。でも、マイクでも向けるインタビュアーみたいに、ペットボトルの口を相手に向けるのは、小さな動作でも目立つかもしれない。いや、きっと、目立つだろう。

 

 現実世界では、小さなことほどよく目立つ。

 

 ニナカワはそのことを思い知らされる日々を送ることになった。

 

 異世界から『帰って』きて、一年。

 一年目は良かった。『まだ、良かった』。戻ってきて、この世界になじむために必死になることができたから。余計なことを考える余裕がなかった。それがよかった。

 

 二年。

 少しだけ余裕が出て来てしまった。そして人間関係が広がって、自分に語れないことが多すぎるのを、なんだか周囲に察されているような気がする。

 当たり前だけれど、二十五年前の世界では、何もかもが古かった。ニナカワが歴史の授業でしか知らないようなことが、『今、起きていること』なのだ。

 それは大きな事件について教科書で読んだ程度にしかわからない、なんていう大きな話じゃない。子供のころ見ていたアニメ。当たり前にやっていた遊び。学校生活の中で当たり前に触れる流行りもの。実際にその時代に暮らしていないとわからない、しかし、暮らしている人たちが当たり前に持っている感覚が、ニナカワにはわからない。

 

 自分がズレているのは、周囲の態度でわかる。

 けれど、何がズレているのか、わからない。

 

 必死に考えた。でも、考えてもわからない、言葉にできない、理論にできないことが、あまりにも多かった。

 だというのに自分以外は全員がその『何か』を共通認識として持っている。しかも、その人たちは、『何か』を持っていない人に対して『何か』を教えてくれるわけではない。ただ遠巻きに笑って、『何か』を持っていないニナカワが近付くと、さっさと話をやめて、まるで親しい人みたいな笑顔で接して来る。

 

 それは、ニナカワにとって初めて感じる疎外感であり、『この世界に、居場所がない』という感覚だった。

 

 三年。少しだけ自己客観視をしたことがある。そうして、何かに気付きかけた。アサギのことだったように思う。

 もう少し必死に言語化をしてみれば、『今、自分が置かれている状況は、学校生活でアサギが置かれていた状況そのものだ』というのがわかっただろう。

 けれどニナカワはその結論を無意識に避けた。それは余計なもので、今、必死に生きて、それでもうまくいかなくて、心がギリギリになっている自分をさらに追い詰めるだけのものだと察したからだ。

 

 四年。

 

 ………………あと、二十一年も、ある?

 

『元の世界』に戻るための時間があまりにも長すぎることに気付いた。

 そして、四十代になるまで耐えて、『元の世界』に戻って、それで、どうするのかを考えた。

 途中で考えを打ち切った。その先にニナカワの心を安んじるような回答がないことを察したからだ。

 

 ニナカワは都合よく思考を打ち切ることができる。

 だから、間違いに気付くのに時間がかかる。

 

 ニナカワは実のところ、ストレスへの耐性が非常に低い。うまいのは、ストレスがかからないように立ち回ること、強烈なストレスを覚える前に、思考を止めてしまうこと。その二つだ。

 

 だからどうしようもなく、解決できないストレスを目の前にして、それを無視できなくなると、突飛で極端な結論にたどりついてしまう。『娼婦であった過去をなくしたいから、知ってるやつを全員殺す』などが、その『突飛で極端な結論』だ。

 しかもその結論にさほどの執着もない。それを『実際的な解決にはならない』と頭の端っこできちんと理解しているからだ。だから生物として最も大事な目標のためには、噴出寸前まで行った殺意を引っ込めて、自分を売ったワタナべやネコイを生かして『身内』とみなすこともできる。

 

 生物として最も大事な目標とは、何か?

 生存だ。

 

 ニナカワは無意識に『生きる』という目的のために動いている。『本当に、生きる意味はあるのか』『今から生きていって、元の時代に戻れたとして、いったい、どうするのか』ということは、考えない。そういうのを悩む前に、『当然、生きる』という前提で行動を開始する。

 それは強さでもあった。しかし、一度立ち止まって考えてしまうと、『そこまでして、なぜ、自分は生きるのか?』という疑問を抱き、答えが出ないし、ストレスのかかる思考を続けられないので、何もかもが止まってしまう。

 

 それでも五年は耐えた。

 

 そして、爆発した。

 

 仕事でのことだ。ニナカワは『この時代においては、さほど問題視されないセクハラ』を向けられた。

 五年もこの時代で生きてきた。そろそろ慣れてもいいはずだった。周囲からは、カリカリするニナカワに対し、『そういうものなんだから、慣れなよ』と、『仕方ない人だな』という意味を含んだ笑いを向けられつつ言われていた。

 

 しかし耐えられないものは耐えられない。

 ニナカワは自分の尊厳をわずかでも傷つけ、自分に負担を強いる存在を許すことができなかった。異世界でお尻の穴を弄ばれた。人ではなく、そういう装置みたいに首枷で拘束されて、脚を閉じられないようにされて、好き放題にされた。漏らすまでいじられた。感じたくない場所で感じさせられた。イかされた。消えて欲しい過去。

 

 そもそも最初から男そのものが嫌いだったのだと思う。汚い。穢れた存在。どうしてあんな生き物が存在しているのかわからない。世界に創造神がいるのならば、『男という存在を創った』という一点のみで無能だと判断できる。そのぐらい、ニナカワにとって、この世界にいらない存在が、男だった。

 

 その想いは普通に生きていればさほど強く育つこともなかっただろう。だが、異世界での経験が、ニナカワの中のその想いを育て、強めてしまった。

 

 だからこの時代の人にとっては『まあ、相手が男なら、そういうこともあるよね』と笑って受け入れられることであっても、ニナカワにとっては、一回一回、莫大な殺意を呑み込み、やり場のない憎悪を自分の中に必死に詰め込まねばならない難業だった。

 

 もう、耐えられなかった。

 

 異世界から帰って五年目。ニナカワは久々に『女神の加護』を使った。

 ペットボトルから放たれた水が男の目玉から入り、脳を貫いて、頭蓋を飛び出し天井に突き刺さった。

 

 ゾクゾクした。

 

 わけがわからないという顔で倒れて、だくだく血を流しながらこと切れる姿を見て、ゾクゾクした。

 これはきっと挿入の悦びなのだとニナカワは思った。この征服感。この支配感。無抵抗に突き出される尻を目の前に、相手の心なんかまったく考えないまま、身勝手にいじり、貫く。男の快楽だと思った。ニナカワは絶頂していた。

 

 これは、男に自分がされてきたことだ。

 

 そう解釈した瞬間、ニナカワの中で、この殺人は正当化された。

 

 罪を犯すのは悪人ではない。

 少なくとも、己を悪だと思ってはいない。

 

 罪悪感というものを、犯罪者が常に抱いているわけではない。

 むしろ、そんなものを抱きながら罪を犯せる人間が、いったい、どのぐらいいると言うのか?

 

 いじめ。

 

 人は己の罪を矮小化するための単語を好む。自分の犯したことに無数の『仕方ない』をくっつけて、罪に浮力をつけようとする。

 そしてうまく罪が空の上に飛び去ったなら、二度と、同じ罪を感じることはない。

 

 ニナカワは相手が男であるならば、殺人は許されると考えた。

 なぜなら、自分がされてきたことだからだ。むしろ、自分は、何度も何度も魂を殺された。それに比べれば、たった一回、苦しみも屈辱もなく、わけがわからないという顔で死ねるだけで終わるのだから、楽なものであり、自分は男に比べて、かなり慈悲深いと思った。

 

 でも、世間はそうは思わなかったらしい。

 

 隠蔽も何もせず、死体を前にぼんやりとしていたニナカワは、すぐに警察を呼ばれてしまった。

 捕まる理由がわからなかったが、どうにも相手は話が通じそうもないので、ニナカワは逃げた。

 

 警察の検死の結果は、『警察関係者の証言』としてテレビのニュースになった。『水、あるいは氷が凶器としか思えない』──これは超能力殺人として、あるいは『現実的な』トリックを付け加えられたり、あるいは超能力者が実在するものとして報道されたりと、話題になり……

 

 大層、目立った。

 

 ニナカワという存在が注目を浴びることになり、ニナカワと一緒に『ある会社』に雇われた五人の少女たちにもスポットライトが当たった。

 報道は怒りを煽るために行われるバラエティコンテンツである。それは、ニナカワたちにとっての『現在』よりも、彼女たちが来てしまったこの時代の方が、激しい。

 SNSによる拡散というのがまだまだニュースバリューに乏しかった時代である。マスコミの報道はことさら派手に大げさに繰り返し繰り返し取沙汰し、犯罪者にわずかでも関係する者のことであれば何をどう暴いて晒しても許されるという前提で行われた数々の調査は、ニナカワと同時期に出現した他の五人のことも深掘りした。

 

 ……未来の視点で言えば、その熱狂的な深掘りは、一過性のものでしかなかった。

 

 実時間において三か月、ワイドショーをにぎわせた。話題にされてる当人たちからすれば無限と思えるような時間だったし、三か月同じことを擦り続けるというのは、この時代のワイドショーの中ではかなり大きな取り扱いにあたる。

 だがしかし、未来にはほとんど残らない一過性のものなのだ。その時代を生きていた人が、たとえば十年後、その話題について聞いた時、『ああ、そういえば、騒がれてたことがあったかな』と思う。騒がれていた人の報道された実名さえ、記憶の中では曖昧だ。ちょっと興味がわけば検索して、『そうそう、こんな名前だった』と思う。その程度のものでしかない。

 

 ニュースというのは、そのニュースで扱われている最も弱い複数名の人生にしか影響を与えない。

 大企業が潰れるほどの不祥事というのは稀であり、報道が原因で起こった不買運動が大きな企業を潰すことはなく、不祥事を起こした政治家は政治家として続投するし、殺人犯は名前を変えて別な場所で生きたりする。

 

 ニナカワはこうして一過性の話題になった。

 

 彼女が十年後逮捕されるまで、ニナカワサクラコの名前が出たのはこの三か月が最後であり、逮捕されたその時、一週間ほど過去のニュース映像を交えて報道され、次の一週間でもう忘れ去られた。

 

 その代わり、報道されている間は好き放題に言われた。

 ニナカワサクラコは異世界で男の慰み者にされていたのを最悪の経験だと思っている。けれど、この世界での彼女への扱いも、異世界とそう差があるものではなかった。

 ニュースをにぎわすまでの彼女はやっぱり、弱い立場で歪んだ性の発露の捌け口とされたし、ニュースになってからは、世間で好き放題におもちゃにされ、人格や精神性を凌辱され続けた。

 

 彼女の人生は異世界に行ってしまった時点でどうあがいても終わっていた。

 これを『いじめを見て見ぬフリをした因果が応報したのだ』と述べるには、あまりにもやられ過ぎな罰であろうと、彼女の『仲間』はこぼしたことがあるが……

 

 後から向けられる同情で救われる者などいない。

 すべてはもう、終わったことだった。

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