ネコイ寄り
ネコイが『帰還』後数年経って行方不明になったというのに嘘はなかった。
だがその行方不明は、ネコイ自身の意思によるものだった。
であれば、ネコイの行方について尋ねられたヨドガワが、『失踪』と表現しないのはなぜか?
それは、途中まで居場所を掴んでおり、ある日を境に、行方がわからなくなったからだった。
ネコイは、ササイナナミを探しに行った。
ネコイとナナミの関係は薄い。ナナミのクラスメイトとの関係がそもそも薄い。彼女は高嶺の花であり、透明人間だった。クラスの中で独特な立ち位置を確保していた。誰かと特別親しいことはなかった。特別仲が悪かったのは──当時はそんなことにもネコイは気付かなかったけれど──妹のレイナだけで、あとは、レイナの彼氏のヤナウエとさえ、一定の親しさで付き合っていた。
ナナミのおかしなところは、ヤナウエと一定の親しさで付き合う一方、アサギとも一定の親しさで付き合っていたことだ。
派閥というのは社会に出る前、学校にも存在する。
こちらと仲良くするなら、こちらと付き合いにくい、という程度の話だが、ヤナウエとの付き合いがあるなら、アサギに味方するような言動はとりにくい。
どこかに『基準』があって、それを踏み越えない限りヤナウエも特に気にしないのだろうけれど、その『基準』はどこかに条文を掲載しているわけでもないので、普通の人は、ヤナウエにターゲットにされるのを恐れて、アサギには触れないようにする。
だが、ナナミは誰に触れるのもためらう様子がなかった。
振り返ればおかしな人であることは明白だ。
ネコイは実のところ、ナナミが最終的にどういう状況だったか、うまくわかっていない。
なんかすっごいえっちな格好をしていたな、とか。翼が生えてたな、とか。髪の毛どうなってんの、とか。そういうのはちょっと思った。でも、ナナミと再会した状況はそんなのを気にしていられるようなものではなかったし、その後の展開も早く、何かを疑問に思う前に、気付けば2001年の日本にいた、というのがネコイの感覚だった。
ナナミがクラスから抜けていたわずかな時間で、ネコイにとってナナミは、『クラスメイト』から『全然わからない人』にまでカテゴリを変えていた。
ではその『全然わからない人』を探しに行こうということにしたのは、どういう理由か?
一つ。ネコイの状況。
ネコイは社会に出て働くのがうまくできなかった。
ヨドガワの祖母の世話で仕事を与えられたものの、見た目の子供っぽさから侮られ、精神の未熟さからうまく業務というのができない。
また、思ったことをすぐ言葉にしてしまう性格も災いした。……これは恐らく、『自分たちが生きていたより前の時代に戻る』なんていうことがなくともいずれネコイの首を絞めた性質ではあっただろう。しかし『慣らし』の期間を経ずにいきなり知らない場所で仕事に就いたことで、より強く首を絞めることになった。
そしてニナカワの殺人があった。
ネコイは思ったことをすぐ口に出すし、基本的には生意気なことを思う人格だが、それでも、現在の状況が『踏ん張らなければいけないもの』だというのを察する程度には社会性があった。
そこで踏ん張っていたわけだが、ニナカワが、よりにもよって『不可解な方法』で人を殺して逃亡したため、世間の注目がネコイたちにも集まってしまった。
もともと限界いっぱいだったネコイのキャパシティはあっさりとあふれ、業務中に突然泣き叫んだかと思うとしゃがみこんで動かなくなり、ハナイやハシグチといった『まともに働けている人』に連れられて、そのままヨドガワの部屋に押し込まれた。
その後、働くことができなかった。
2026年であれば医師が病名を診断してくれるような症状だった。だが、2001年の世界ではまだまだ『それ』が病気であるという認知が進んでおらず、そもそも保険証もない状態で医師の診断を受ける発想もなかった。その発想は、ネコイ本人のみならず、周囲にも、そしてヨドガワの祖母にも、なかった。
ネコイは駄目になってしまった。
ワタナべを頼ることは考えた。というか、考えられなかった状態で、薦められた。
ネコイとワタナべの関係はなんとなく全員が察するところだ。付き合っているわけではないが、『もう、それ以外にないでしょ』というような経緯が二人の間にはあるものとみなされていた。ワタナべが、ネコイのためにニナカワを売ったという話に端を発する認識だ。
ネコイはそこで目覚めた。
ぼんやりとして、何も考えられない状態だった精神が、『ワタナべを頼れ』と言われた瞬間、急に息を吹き返したのである。
『頼れない』。
甘えることしか知らなかったネコイは、自分がそう思ったことにびっくりした。
だが、社会に出ていくらかの経験を積んだ影響で、なんとなく『ギブ』と『テイク』は一対一の関係で、もらうことばかりを求めていると、いずれ何ももらえなくなるというのを肌で感じていた。
ネコイは『これまでワタナべに世話になったから、その恩を返そう』──だなんて、殊勝な気持ちを抱いたわけではない。
どちらかと言えば保身方面の思考だった。社会に見捨てられ、クラスメイトたちにも何となく腫物のように扱われているのがわかる。その上で、ワタナべに負担をかけてこれにも決定的に見捨てられてしまえば、いよいよ後がない。
そこで、ササイナナミを探そうと思った。
ワタナべが『探そう』と言っていたことは覚えていた。だから、そのぐらいでっかい要求を達成して、ワタナべにササイナナミを差し出せば、きっと、多少頼りすぎてしまっても見逃してもらえるだろう──という姑息な打算があった、というよりは、言語化までいかず、なんとなくそういうふうなことを思い浮かべた、という程度の思い付きだった。
じゃあ実際どうしたらいいか、というのがわからない。
そこでネコイはあまりにも普通に、ヨドガワの祖母に相談した。
ヨドガワを通り越しての相談だ。しかもネコイは『上手く事実を隠して相手から情報や資産を引き出す』ということができない。
そうしようという思いはあった。だが、うまくできなかったのだ。
結果、異世界に行っていたことを、ヨドガワの祖母にバラしてしまった。
あまりにも荒唐無稽な話だ。働くということができない上に妄想癖まである。そう判断されるのがオチだった。
ところが、ヨドガワの祖母は、『異世界にいた』という話に深く納得し、微笑さえ浮かべてみせたのだ。
ネコイは話が通じたことを単純に喜んだ。その裏に、ヨドガワの祖母の強い妄執、あるいは後悔があって、亡き妹への強すぎる執着があったことを、ネコイは知らない。
妹が死後異世界に──妹の想像していた『幸せな世界』に行き、そうしてなんらかの手段で自分のもとへ戻って来たという物語を信じるヨドガワの祖母は、タツコ以外から裏をとれたことに喜んだのである。
そうしてネコイが『一緒にいたクラスメイトのうち一人が行方不明だから、探したい』と述べると、その資金援助を承諾した。
タツコの友達を探そうという立派な行為を応援しようという意図だった。
ネコイたちがいたのは、到底『タツコが想像した幸せな異世界』という場所ではなかったが、異世界のディティールについて、ヨドガワの祖母は興味を示さなかった。なぜなら、タツコがいた異世界は、彼女の想像通りの場所に違いないからだ。
かくして妄執と無能が奇妙に噛み合い、ネコイはササイナナミ探しに発つことになった。
このころ、マスコミの興味はニナカワ事件ではなく、その事件の中で出現した『謎の外国人』テイラーでもない、まったく別のものに移りつつあった。
殺人罪を犯したニナカワ本人と、それを拾った会社、そして見た目が派手で、『外国人』として報道できるテイラー。マスコミはそれ以外への興味があまりなかったのも幸いした。あと、ネコイの見た目には花がなかったし、小さかったせいで、無関係な子供と思われていたという事実もある。
子供みたいな体格のネコイは、ササイナナミを探して旅を始めた。
手がかりは一切なかった。
でも、真剣だった。
『とにかく何かで自分の価値を証明しないと、全員から、ワタナべからも、捨てられる』という恐怖を本能的に感じたことに端を発した旅だったが、その旅にネコイは、これまでの人生で感じたことのない気持ちを覚えていた。
すなわち『責任感』。自分の口から出た言葉には自分が責任を負わねばならず、自分の行動の結果は自分が受け止めねばならないという、ある意味で『姫』のような学校生活を送っていたネコイが、キサキやワタナべ、インドウに守られて感じる必要のなかった気持ちである。
旅はまず、北の方から始まった。
この時代はようやく交通系電子マネーの導入が始まったぐらいのころだった。
首都圏なのでそこで移動する限りは電子マネーでの電車移動が可能だが、首都圏から離れると改札が電子マネーに対応していないということもあった。
さすがに紙の切符を駅員がハサミで切って……というほど古い時代ではない。だが、長距離電車の終点などでは、『乗車券にハンコを押す』という形式で通過を証明するような手法が未だ残っていた。
ネコイの旅はまずそういった『2026年にはない問題』で詰まった。
イライラした。叫んだ。叫ぶと、人が『なんだ、なんだ』という目で見る。ネコイの見た目が幼いのもあって、声をかけられる。声をかけられると、目立つ。叫んだ時点で目立ったが、余計に目立つ。
お嬢ちゃん、お母さんは? などと呼ばれる。この時点でネコイはすでに成人していた。それでも体格の小ささと、それ以上に精神の幼さが、彼女を実年齢より十歳は若く見せていた。
こういうふうに目立つと最悪なパターンが三種類ある。
一つは『温かい対応』だ。ネコイが迷子になって困っている子供だと判断して、とにかく親切にしてくる。お母さんは? おうちは? ……さすがにそんな、幼児みたいな声かけをされるほどには幼く見えないはずなのだが、癇癪を起こしている子供に大人が対応する場合、十代後半ぐらいの子供に対しても、幼児向け対応になりがちだった。
そういう場合はとにかく逃げるしかなかったので、逃げた。逃げても、そんなにはしつこく追いかけられないし、通報されることもめったになかった。『めったに』なので、たまにはあった。でも電車に乗って他県にまで行けば、そこから先は追われることはなかった。
普通に誘拐されそうになるパターンもあった。
子供みたいな見た目の女が大騒ぎしていて、周囲に親らしき者がない。親切なフリをして近付いて、誘拐するねらい目だ。
もちろん身寄りがなさそうで、見た目も金持ちには見えないので、そういった場合、誘拐が成立してしまえば『エンディング』に到達することになる。
ネコイは一回、ほぼエンディング間近まで行きかけた。しかし、ネコイはただの学生ではない。『温度使い』。また、異世界でモンスターを相手に戦っていた経験もある。『チョロい獲物』だと思って油断している男を倒して逃げるぐらいはなんでもなかった。怖かったけれど。
そして最後のパターンは、ネコイを知ってる人と出会ってしまった場合だ。
もちろん親戚も友人も、一緒にこの時代に来たクラスメイト以外にはいない。なのでこの場合、ネコイの姿をテレビで見た人、ようするにニナカワの事件絡まりでネコイを知っている人に見つかり、出会ってしまった場合と、そういうことになる。
こういった人はたいてい、正しい記憶を持っていない。
ニナカワではなくネコイが殺人を犯したものと思って『正義感』を発揮したり、あるいはネコイを被害者だと思っている人もいた。遠巻きに写真を撮られるケースが最悪だった。
スマホがまだ普及しきっていない時代であり、ライブ配信もそこまで盛んではなかった。けれど知らないところで撮られた写真が、知らないところで情報として上げられるのは、気持ちが悪いし、怖いものだ。
ネコイは旅で様々な苦労をした。
普通の時代で普通に生きていられたらしなくていい苦労がたくさんあった。でも、普通の時代で普通に生きていけても、しただろう苦労もたくさんあった。
北の方を巡るころにはもらった資金がほぼ尽きかけていた。ヨドガワの祖母に連絡すると追加の資金をもらうことができたけれど、苦言は呈された。
ヨドガワの祖母は『タツコのお友達探し』には協力的だが、そもそも前提として『働かない者を世話することは嫌い』であり、『女だからと言い訳して無限に甘えるような輩も嫌い』だった。彼女は女手一つで会社を複数経営するところまで上り詰めた女傑であり、己に甘えを許さない人特有の、他者の『普通』を『甘え』とみなす自他への厳しさ、境界の薄さがあった。
また、そういった前提を加味しなくとも、ネコイの言動は普通に甘えすぎだった。困ったら誰かを頼ればいい、というのはネコイがずっとやってきたことである。
もう、キサキはいないのに。
インドウも、いない。
ワタナべからは自分で離れた。
誰かに視線を向ければ、誰かが庇ってくれるような状況ではない。
独りぼっちだ。
そこでネコイは泣いた。自分でもなんで泣いたかわからないほど、急に涙が出てきた。
周囲の注目が集まる。長距離移動の電車内だった。しばらく止まらない。誰も声をかけてこないで欲しいと心から願った。
でも、声をかけてくる人がいた。
「大丈夫?」
女性の声だった。放っておいてほしくて無視した。
しかしガラガラの長距離鈍行列車だ。隣に腰かけられてしまった。
ぞくりとした。
ネコイの感覚が、隣にいる温度を知っていた。
涙が止まって、体が勝手に震えた。
ネコイは真っ赤になった目で、自分に声をかけてきた人物を見た。
そこにいたのは、
「久しぶり。変わってないね」
そこにいたのは、
淫魔だった。
十五階層のあいつ。忘れもしない、その顔。その目。
ネコイの体が勝手に震える。だというのに、お腹がうずいて、股が濡れてくる。
漏らしそうだった。でも、こらえた。
こらえた上で、相手を見て、言葉を投げられるぐらいには、今のネコイの精神は強くなっていた。
「……なんで、ここに」
「なんでって、このへんに……じゃなくて、この電車の向かうあたりに住んでるからだけど……」
向こうはなぜか戸惑った顔をしていた。
かつて、自分で凌辱した相手をなぶるでもなく、ただ『泣いている子供を見た。知り合いだった。だから声をかけた』という、人間としてあまりにも普通の行動をしているだけという様子だった。
「近い時代の人だったんだね。もっと未来の人かと思ってたよ。……とにかくえっと、なんだろ、話でも、する?」
知り合いをたまたま見つけたという程度の気軽さで、淫魔は提案してくる。
ネコイはどう言葉を発していいかわからなかった。心さえも、どうしていいか、わからなかった。
でも、うなずいた。
ネコイは淫魔と再会した。
そして、彼女の話を聞くことになった。