君の身(からだ)は。〜入れ替わる体温と、忘れない快楽〜 作:坂本太郎
その感覚は、いつも唐突にやってくる。
意識の輪郭が朝の光に溶け、まどろみから覚醒へと引きずり戻される瞬間、世界は完全に書き換わっているのだ。
「……ん」
東京の四谷。ワンルームのマンションで、立花瀧は目を開けた。いや、正しくは「立花瀧の精神を宿した宮水三葉」が、その日の朝を迎えた。
カーテンの隙間から差し込む鋭い日差し。聞き慣れない都会の喧騒。それらは糸守の静寂とは対照的で、何度繰り返しても心臓が跳ねる。三葉は、瀧の逞しい腕を寝惚け眼で見つめ、それから自分のものではない、骨張った大きな手のひらをじっと見つめた。
(今日も……瀧くんだ)
三葉は、シーツの下で瀧の身体をゆっくりと動かした。男子高校生特有の、硬く筋張った脚。そして何より、足の付け根あたりに感じる、自分にはない「異物」の重み。三葉は顔を真っ赤にしながら、パジャマの上から恐る恐るその場所に触れてみる。
ドクン、と掌を押し返すような拍動。それは三葉が知る「生命」の鼓動よりも、もっと原始的で、もっと暴力的な熱を持っていた。
「……最低。私、何やってるんだろ」
口ではそう言いながら、三葉は瀧の身体が発する特有の匂いに包まれ、言いようのない昂ぶりを覚える。憧れの都会。憧れの男の子の暮らし。その一部を、物理的に「所有」しているという優越感。
彼女は、瀧の身体を使って自分の知らない快楽の扉を叩くことに、恐怖と、それ以上の甘美な期待を感じ始めていた。
時を同じくして、数光年ならぬ数百キロの距離を超えた岐阜県・糸守町。
宮水三葉の寝室で、立花瀧は「三葉」として目覚めていた。
「……はぁっ、はぁ……っ」
瀧(中身)は、激しく上下する胸の膨らみに手を当て、荒い呼吸を整えようとしていた。
目覚める直前まで見ていた夢。それは、三葉の身体を借りて、三葉自身を愛撫するような、ひどく歪で淫らな夢だった。
朝の冷気が、汗ばんだ三葉の白い肌をなぞる。瀧は、細い指先を自分の……いや、三葉の太ももの内側へと滑らせた。
(……やべぇ。これ、マジで夢じゃねーんだよな)
触れれば、そこに確かな弾力がある。
揉めば、その場所は淡い桃色に染まり、三葉の喉から「ひう……っ」という、自分のものではない可憐な喘ぎが漏れる。
瀧は、自分が今、究極の「不可侵領域」に踏み込んでいることを自覚していた。三葉は自分のことを知らない。けれど、自分は三葉の身体の隅々まで、彼女自身さえ気づいていない敏感な場所までも、指先で知ることができる。
「ごめんな、三葉。……でも、これ……すげぇよ」
三葉の澄んだ瞳が、鏡の中で潤んでいる。
瀧は、三葉の身体を通して感じる、内側から突き上げてくるような繊細な疼きに身を任せようとしていた。男の身体では決して味わえない、どこまでも深く、重層的な快楽。それは一度知ってしまえば、元の世界に戻っても決して忘れられない「毒」のようでもあった。
二人が、入れ替わりを単なる「奇妙な夢」として片付けられなくなったのは、いつからだったか。
ノートに残された「お前、誰だ?」という走り書き。スマートフォンの日記に記された、知らない誰かの日常の記録。
それらは、二人が互いの人生を分かち合っている証拠だったが、同時に、互いの「身(からだ)」を密かに共有しているという秘密の共有でもあった。
三葉の身体で過ごす瀧は、次第に彼女の肉体が放つ熱に、自らの欲望を投影するようになる。
瀧の身体で過ごす三葉は、彼の肉体が求める衝動に、自らの好奇心を委ねるようになる。
「君の身(からだ)は。」
それは、問いかけであり、独白であり、そして契約でもあった。
名も知らぬ相手の体温。
一度も直接会ったことのない、けれど誰よりも深く触れ合った相手の、震える肌。
その快楽は、いつしか「入れ替わり」という現象を、単なるトラブルから、狂おしいほどに待ち遠しい「密事」へと変えていった。
この物語は、そんな二人が、互いの「身」を媒体にして愛を刻み、失った記憶の代わりに「体温」という名の消えない傷を心に刻んでいく、結びの記録である。
今、この瞬間も。
飛騨の山あいで、東京の喧騒の中で。
二人は互いの身を借り、自分の名前を忘れるほどの絶頂へと足を踏み入れていく。
その先に待つのが、隕石による絶望なのか、それとも再会という名の奇跡なのかを、まだ誰も知らないまま。
「……待ってて。今、行くから」
誰に向けたかも分からない呟きが、二人の入れ替わった喉から同時にこぼれ落ちた。
朝陽は、残酷なまでに美しく、二人の「身」を照らし出していた。