王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
昼の陽射しは穏やかだったが、王城の中庭に面したテラスに流れる空気は、思っていたよりずっと張っていた。
白いクロスのかかった丸卓の上には軽食と紅茶が並び、見た目だけなら貴族らしい優雅な昼のひとときだ。
けれど、その席に座っている顔ぶれを見れば、そんな平和な言葉はすぐに引っ込む。
俺の正面には第四王子ズヌイ兄さん。
その隣には、今回の同席者であるココ・ヘクマティアル。
そして俺の隣には、当然のようにアーサーが座っている。
こういう場に来ると、どうしても思う。
王位争奪戦ってのは、剣や兵だけでやるものじゃない。
笑顔と雑談と茶器まで、全部が立派な武器になる。
「いやぁ、ヤマタ君。さっそく君の事で話題になっているよ」
席についてから最初に口を開いたのはアーサーだった。
紅茶のカップを傾けながら、いかにも楽しそうに笑っている。
昨日の今日でそんな顔ができるあたり、やっぱりこの人はどこか壊れていると思う。
「……アーサーはかなり面白そうにしているだろ」
そう返すと、アーサーは悪びれもせず肩をすくめた。
「それはそうだよ。貴族であるリアスをこちらの陣営に引っ張れたんだからねぇ」
「引っ張れたって言い方は、本人に聞かれたら怒られるぞ」
苦笑しながら答えたものの、城の中で噂になっていること自体は否定できなかった。
クル兄さんの妃候補だったリアスが、今は俺の妃として扱われている。
表に出ている事実だけ見れば、それは十分すぎるほどの事件だ。
ズヌイ兄さんは、そのやり取りを面白そうに眺めていた。
口元には軽い笑みが浮かんでいるが、目だけは妙に冷静だ。
あの人は大抵、笑っている時ほど何か計算している。
「噂になるのも仕方ないさ」
ゆったりと背を預けながら、ズヌイ兄さんが言う。
「まさか一番下の弟が、ああも派手に盤面を動かすとは思わなかったからね」
「俺が動かしたっていうか、勝手に動いた感じなんだけどな」
「それを動かしたって言うんだよ」
そこで初めて、ズヌイ兄さんの隣のココが小さく笑った。
柔らかい笑みだった。
人当たりがよく、軽くて、場の空気をほどよく和らげるような笑い方。
けれど、妙に綺麗に整いすぎていて、逆に少しだけ引っかかる。
「ヤマタ王子は面白い人なんだねぇ」
声は明るい。
親しげで、商談の場でも相手を安心させそうな声音だった。
「はじめまして、でいいのかな。ココ・ヘクマティアルだよ」
「ヤマタ・ドラグウェルです」
名乗り返しながら、俺は彼女の笑顔を見た。
綺麗な人だと思う。
ただ、美しいとか愛想がいいとか、そういう分かりやすい感想より先に、妙な違和感が残った。
笑っている。
ちゃんと笑っているはずなのに、そこへ気持ちが乗り切っていない。
そんな感じだ。
「リアス嬢の件、すごい話題だよ」
ココはさらりと言う。
その軽さが、かえってこの人の手慣れた感じを強くしていた。
「ズヌイ王子と話していたんだけど、君って意外と怖い人なのかもしれないねぇ」
「俺が?」
「だって、第三王子の婚約圏にいた人を持っていったわけでしょ?」
そこだけ聞けば、たしかにそう見えるかもしれない。
実際にはそんな乱暴なつもりはなかったし、本人の意思が先にあったのだが、他人がそこまで細かく見てくれるはずもない。
「怖いって言われてもな……」
言葉を探しながら、俺は紅茶に手を伸ばす。
「正直、俺はそこまで器用じゃないよ。たまたま話して、たまたま相手がこっちを見てくれただけだ」
「たまたま、ねぇ」
ココは面白そうに目を細めた。
その表情は崩れない。
崩れないんだけど、今の一言で少しだけ探る角度が変わった気がした。
「でも、君みたいな人は商談だと厄介だよ」
「どうして?」
「自分で何を武器にしてるか、分かってない人は読みづらいから」
その返しに、思わず言葉が止まる。
商談相手として値踏みされている、という事実そのものは驚かない。
けれど、その言い方には妙な本音が混じっていた。
商売の話をしているようでいて、少しだけ疲れている。
俺はカップを置いて、ココを見返した。
「ココさんは逆に、何を武器にしてるか分かりやすい人だな」
ズヌイ兄さんがわずかに眉を動かし、アーサーの口元が楽しそうに緩む。
ココ本人だけは笑顔を崩さない。
「へぇ。例えば?」
「笑顔」
そう答えると、さすがにココのまばたきが一拍遅れた。
「場を和ませるし、相手を油断させるし、何考えてるかも見せにくい。便利そうだ」
「褒めてるのかな、それ」
「半分くらいは」
そこでアーサーが吹き出した。
肩を震わせながら、いかにも面白いものを見つけたみたいに笑う。
「ほらねぇ、ズヌイ。だから私はヤマタ君を面白いって言ってるんだよ」
ズヌイ兄さんは笑みを消さなかったが、視線だけが細くなった。
その変化はほんの少しだったけれど、俺には十分分かった。
一方で、ココは黙っていた。
笑っているのに、今だけ少しだけ静かだ。
俺はその沈黙が気になった。
商売の場で笑っている人間は珍しくない。
でも、この人のそれは、上手すぎる。
上手すぎるから、逆に違和感が残る。
「……疲れない?」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
ズヌイ兄さんが不思議そうに俺を見る。
アーサーだけは、横で嬉しそうに目を細めていた。
「何がかな」
ココはまだ笑っている。
けれど今度は、その笑顔の奥にほんの少しだけ温度が落ちた。
「ずっと笑ってるの」
そう言うと、今度こそココの表情が止まった。
ほんの一瞬だった。
すぐに元の柔らかい笑みに戻ったが、それでもさっきとは違う。
「ヤマタ王子って、不思議だねぇ」
囁くみたいな声だった。
「普通はそこ、商売の話に乗るところだよ」
「商売の話してる顔じゃなかったから」
俺がそう返すと、ココは小さく息を吐いた。
笑ったのか、呆れたのか、どちらとも取れない息だった。
「……なるほどねぇ」
そこで、ズヌイ兄さんが間を切るように手を叩いた。
「さて、どうやら今日はただの挨拶で終わらなさそうだ」
軽い声音だったが、その裏の計算高さは隠していない。
ただ、もう遅い気もした。
少なくとも、ココの視線は最初に俺へ向けていた時と、少しだけ質が変わっていた。
商談相手を見る目じゃない。
もっと厄介で、もっと個人的な何かを測り始めた目だ。
隣で、アーサーがわざとらしく紅茶を飲む。
そして、いかにも「面白くなってきた」と言いたげな笑みを浮かべた。
たぶん、この場で一番満足しているのはあの人だ。
俺は内心で小さくため息をつきながら、改めてココを見る。
彼女はまた綺麗に笑っていた。
けれど今は、その笑顔の奥に何かがあると、はっきり分かってしまっていた。