王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
昼下がりの光は柔らかいのに、王城の廊下を歩く空気は妙に静かだった。
窓から差し込む明るさが石の床へ長く伸びているせいか、余計に人の気配が薄く感じられる。
リアスの件があってから、俺はどこを歩いていても少しだけ視線を感じるようになった。
悪意ばかりじゃない。
興味や噂好きや、単純な値踏みも混じっている。
王位争奪戦なんてものが始まった以上、そういう目から逃げられないのは分かっていた。
自室へ戻る途中、中庭へ面した小さな休憩所の前で足が止まる。
白い柱に囲まれたその場所には、昼の光を背にして一人の女が立っていた。
「やあ、ヤマタ王子」
ココ・ヘクマティアルだった。
ズヌイ兄さんの隣で笑っていた時と同じ柔らかな声音なのに、今はそこに誰かへ合わせるための飾り気がほとんどない。
それだけで、昨日の会談よりずっと距離が近い気がした。
「一人なんだな」
「うん。今日は商談じゃなくて、個人的な確認に来たからねぇ」
さらりと言って、ココは細い指先で椅子を示した。
座れ、ということらしい。
こういう時、断るのが正解なのかどうか、未だによく分からない。
けれど少なくとも、この人は断られたところで笑って済ませる顔ではなかった。
向かいへ腰を下ろす。
中庭の噴水の音が、妙に遠く聞こえた。
「確認って?」
俺が先に聞くと、ココは楽しそうに目を細める。
笑っている。
けれど、あの笑顔の奥にあるものが、前より少しだけ見えやすい。
「君がどういう人なのか、かな」
「そんなの、この前少し話しただけじゃ分からないだろ」
「だから来たんだよ」
答えが早い。
軽い口調のくせに、そこに迷いがない。
ココはテーブルに肘をつくでもなく、姿勢を崩さないまま俺を見る。
商人というより、観察者みたいな目だった。
「君ってさ、どうしてああいうことをするの?」
「……ああいうこと?」
「リアス嬢の時も、リンカの時も」
そこで初めて、言葉が少し重くなる。
試している。
しかも、ただの噂話として聞いているわけじゃない。
答え方次第で、俺の中身を測るつもりなんだろう。
「得になるから、じゃないよねぇ」
「ならないな」
即答すると、ココは少しだけ目を見開いた。
たぶん、そこは濁すと思っていたんだろう。
「ズヌイ王子なら、そこはまず損得で答える」
「だろうな」
「クル王子なら合理でまとめる。アイダ王子なら責務とか理想で話す気がする」
「兄さん達の分析、ずいぶん辛口だな」
「商売相手として見てるからね」
笑って言う。
やっぱりこの人は、相手を最初に“人”ではなく“交渉対象”として見ている。
「じゃあ、俺は?」
その問いに、ココは少しだけ間を置いた。
青空を映したみたいに明るい笑みなのに、その奥だけが静かだ。
「分からないから困ってる」
妙に素直な答えだった。
「リアス嬢を取ったのも、リンカを拾ったのも、盤面だけ見れば君の方が得してる。
でも、君本人は得した顔をしてない。むしろ、面倒ごとが増えたみたいな顔をしてる」
「実際増えたし」
「そこ、普通はもう少し誤魔化すところじゃない?」
「誤魔化して得するなら頑張るけど、今のところ上手くいった試しがない」
正直に言うと、ココが一瞬だけ黙った。
風が吹いて、彼女の髪が頬にかかる。
その髪を払う仕草は綺麗だったが、そこで初めて、作った笑顔じゃない表情が少しだけ混じった気がした。
「……変な人だねぇ」
「よく言われる」
「誇ることじゃないと思うけど」
「俺もそう思う」
そこまで言ってから、ふと気になって聞き返した。
「ココさんは、何を確認したかったんだ?」
すると今度は、彼女の方が視線を逸らした。
ほんの一瞬だけだったが、その動きに無防備なものが混じる。
「君が、ただの善人なのかどうか」
「善人?」
「笑顔で近づいて、最後は自分の手元に置く。そういう人、商売の世界だと珍しくないから」
なるほど。
そういう見方をされるのは、少し納得した。
リアスもリンカも、結果だけ見れば俺の側へ来ている。
外から見れば、綺麗な顔をしたやり口のいい男に見えてもおかしくない。
「で、どうだった?」
聞くと、ココは静かに俺へ視線を戻した。
今度の笑みは薄い。
でも、前みたいな完璧な笑顔じゃない。
「違った」
その一言が、思っていたよりゆっくり落ちた。
「君、自分がどれだけ危ないことしてるか、ちゃんと分かってないでしょう」
「……否定できない」
「人を拾うって、そういうことだよ」
責めるような口調ではなかった。
むしろ、少しだけ困ったような響きがある。
俺は返事を探しながら、中庭の噴水へ目を向ける。
水音は変わらず穏やかなのに、会話の方だけ温度が変わっていく。
「分かってないわけじゃない」
少し考えてから言う。
「ただ、目の前で困ってる奴がいたら、見捨てる方が後味悪いんだよ」
ココは何も言わなかった。
沈黙が落ちる。
けれど、不思議と息苦しさはなかった。
やがて、彼女が小さく笑う。
「……なるほどねぇ」
その笑いは、今までで一番自然だった。
楽しそうで、少し驚いていて、それでいて嬉しそうでもある。
さっきまでの営業用の笑顔とは、明らかに違う。
「何だよ」
「ううん。ちょっと、嬉しかっただけ」
そう言われて、今度はこっちが黙る番だった。
ココは立ち上がり、風に揺れる中庭の木々を一度だけ見たあと、また振り返る。
「今まで、そういう答えを返してくる人、見たことなかったから」
その声は軽い。
でも、軽いまま流すには惜しいくらい、本音が混じっていた。
「また話そう、ヤマタ王子」
去っていく背中を見送りながら、俺はようやく息を吐く。
商談をしたつもりはない。
けれど、何かを確かめに来た相手に、何かを持って帰らせた感覚だけはあった。
そして、多分。
あの人は、ズヌイ兄さんの妃候補としてここへ来ているはずなのに、今は少しだけ別のものを見始めている。
そんな気がした。