王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
昼の陽射しが白い石壁を照らしていた。
王城の中庭に面した回廊は明るく開けているはずなのに、今この場だけは妙に空気が薄い。
先に足を止めたのはアーサーだった。紫の髪を指先で払いつつ振り返ると、少し遅れて歩いてきたココ・ヘクマティアルが、柔らかな笑みを崩さないまま距離を詰めてくる。
「ずいぶん露骨だねぇ、アーサー王女。私を待っていたのかな」
「ええ。あなたも、話したいことくらいはあるでしょう?」
アーサーがそう返すと、ココは肩をすくめて欄干へ軽く寄りかかった。
陽の下でも、その笑顔の奥だけは影が差している。アーサーはそれを見逃さない。
「それで? ズヌイ王子の代理として来たのかな。それとも、ココ・ヘクマティアル個人として?」
「半分ずつ、ってところかなぁ。商談は大事だし、興味も本物だよ」
「興味、ね」
アーサーは小さく笑った。
その言葉を使う時点で、ココの視線がもうズヌイの隣だけに置かれていないことは明らかだった。
「単刀直入に言うね。ズヌイの隣は降りなよ。あなたはあそこにいても、結局は値札をつけられるだけだ」
「ひどい言い方だなぁ。あの人、商売相手としてはかなり優秀だよ。話が早いし、損得も分かりやすい。そういう男は嫌いじゃない」
「そうでしょうね。でも、夫としては最低だ」
「夫として見ていないから問題ないんだよ」
笑いながら返したココの目が、ほんの少しだけ細くなる。
挑発を受け流しているようで、その実、次の一手を待っている顔だった。
「それで、こちらへ来いって?」
「ええ。ヤマタ君の側へ」
「ふうん」
ココはそこで初めて、あからさまに面白がるような息を漏らした。
「ねぇ、アーサー。あなたはどうしてそこまでヤマタ王子に固執するのかな」
「固執?」
「違うなら執着でもいいよ。あなた、あの子を王にするって本気で言っているでしょう。恋人の肩入れにしては熱が高すぎるし、利益だけで動くには危なっかしい。見ていて、ちょっと混ざってる」
その言葉に、アーサーの笑みはむしろ深くなった。
この女は本当に目ざとい。だからこそ欲しいし、だからこそ厄介だ。
「あなたこそ、もう気づいているんじゃない?」
「何を?」
「ズヌイは優秀な商売相手。でも、魅力的なのはヤマタ君の方だってこと」
ココはすぐには答えなかった。
ただ、吹き抜ける風に髪を揺らしながら、少しだけ空を見上げる。
「商売相手としては、まだズヌイ王子が上だよ。金も流れも人も持ってる。あの人は分かりやすい」
「ええ。でも、あなたが見ているのはもうそこじゃない」
「断言するんだねぇ」
「するよ」
アーサーは一歩だけ近づいた。
笑顔は崩していないのに、声の温度だけが静かに落ちる。
「ヤマタ君は、人を値段で見ない。利で切らない。あなたみたいな女にとって、それがどれだけ珍しいかくらい、私には分かる」
「……まるで私を知ってるみたいに言うんだね」
「似てるからね。嫌になるくらい」
その一言で、ココの笑みがほんの一瞬だけ止まった。
すぐに戻ったが、さっきまでの営業用の軽さとは少し違う。互いに同類だと認めた者同士の、面倒な静けさがそこにある。
「それで? ヤマタ王子の隣に行ったら、私に何の得があるのかな」
「得だけで数えるなら、あなたはズヌイの隣にいればいい」
「ずいぶん正直だねぇ」
「でも、あの子の隣なら、少なくともあなたは“使える札”以外のものとして見られる」
ココは目を細めた。
「それは商売にならない」
「ええ。でも、あなたはもうその“商売にならないもの”を面白いと思い始めてる」
柔らかい沈黙が落ちた。
回廊の向こうでは侍女たちが通り過ぎていくが、この場へ近寄る気配はない。二人の間にある空気が、声のない拒絶になっていた。
やがてココが、ふっと笑う。
「怖いなぁ、アーサー。勧誘してるのに、脅しも混ぜるんだ」
「脅しじゃないよ。確認」
「何の?」
「あなたが敵に回るなら、面倒だってことの」
その言葉は笑顔のまま差し出された。
刃を絹で包んで手渡すような声音だった。
ココはしばらくアーサーを見つめ、それから肩を揺らして笑った。
「いいねぇ、そういうの。やっぱりあなた、ただの婚約者じゃない」
「当然でしょう。ヤマタ君を王にするのは私だもの」
「そこまで言うメリットは?」
「メリットじゃないよ。確信」
アーサーは迷いなく言い切った。
その瞬間だけは、盤面を楽しむ策士の顔ではなく、未来を先に見ている者の顔になる。
ココはその表情を見て、ようやく少しだけ息を吐いた。
納得したというより、理解してしまった、という顔だった。
「なるほどねぇ。ズヌイ王子にはない熱だ」
「だから、あなたも来るといい」
「今すぐ返事をしろ、とは言わないんだ?」
「言っても無駄でしょう。あなたはそういう女じゃない」
「ふふっ、分かってるじゃないか」
ココは欄干から背を離し、アーサーの横をゆっくり通り過ぎる。
すれ違う瞬間、その笑みがわずかに深まった。
「じゃあ、もう少し見させてもらおうかな」
「何を?」
「ヤマタ王子が、どこまで“値段のつかないもの”を抱え込めるのかを」
答えを聞いて、アーサーもまた小さく笑った。
完全な了承ではない。だが、拒絶でもない。それで十分だった。
ココは数歩進んでから振り返る。
「でも、アーサー。安心しない方がいいよ」
「何を今さら」
「私、あなたの最大の味方にもなれるけど、一番面白いライバルにもなれるから」
「知ってる」
アーサーは即答した。
そのくらいでなければ、わざわざ欲しいとは思わない。
ココは満足そうに目を細め、昼の光の中へ歩いていく。
その後ろ姿を見送りながら、アーサーはゆるく息を吐いた。
厄介だ。
けれど、だからこそ価値がある。
そして何より、あの女はもうズヌイだけを見てはいない。
それだけで、盤面は十分に動き始めていた。