王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
夜も更けて、王城の廊下から人の気配が薄れてきた頃だった。
書き物を切り上げようとしたところで、扉が三度、控えめに叩かれる。こんな時間に訪ねてくる相手など限られているはずなのに、聞こえた声は少し意外だった。
「起きてるかな、ヤマタ王子」
扉を開けると、ココが瓶を片手に立っていた。
昼間と変わらない笑顔ではあるが、肩の力が抜けていて、商談の席で見る張りつめた気配がない。薄い夜着の上に外套を引っかけただけの姿は妙に無防備で、そのくせ目だけは相変わらず、こちらを測るように細い。
「……どうしたんだ、その酒」
「どうしても飲みたい気分でねぇ。ひとりで飲むには少しつまらなかったから、君を巻き込みに来たんだよ」
ずいぶん勝手だ。
そう思ったものの、追い返せるほど冷たくもなれず、結局そのまま部屋へ通した。
卓にグラスを二つ並べると、ココは手慣れた動きで酒を注ぐ。琥珀色の液体が灯りを受けて揺れ、部屋に甘い香りが広がった。最初のうちは他愛のない話だった。王城の料理は味が濃いとか、ズヌイ兄さんの笑顔は計算高すぎるとか、アーサーの勘の鋭さは人間離れしているとか。ココはいつものように軽く笑いながら言葉を転がし、俺もそれに付き合っていた。
だが、二杯目を空ける頃には、少しずつ空気が変わり始める。
「ねぇ、ヤマタ王子」
「ん?」
「君って、本当に変だよねぇ」
グラスの縁に唇を触れさせたまま、ココがじっとこちらを見る。
酔いのせいか頬がわずかに赤く、いつもの笑顔も少しだけ輪郭が柔らかい。
「またそれか。最近やたら言われるんだけど」
「だって変だもの。損になることを平気で拾うし、面倒そうな人間ほど放っておけない顔をするし。商売人としては最悪だよ」
「褒めてないよな、それ」
「全然」
くすくすと笑う。
その笑い方が、前よりずっと素に近い。俺は苦笑しながら自分のグラスを傾けた。
「でも、今ここに来てる時点で、ココさんもそんなに商売人向きじゃないんじゃないか」
その一言で、彼女の手が止まった。
まっすぐ言い返してくるかと思ったのに、しばらく黙ったあと、小さく息を漏らす。
「……それ、ずるいなぁ」
「何が」
「そうやって、さらっと見抜くところ」
三杯目は、彼女の方が早かった。
酒を注ぐ手つきが少しだけ雑になり、椅子に座る姿勢も崩れていく。やがてココは、向かいではなく俺の隣へ移ってきた。距離が妙に近い。香水と酒の匂いが混ざって、頭が少しだけ熱くなる。
「ねぇ」
「近いって」
「いいでしょ。今は商談じゃないし」
そう言って、彼女は俺の肩へ軽く額を預けた。
からかっているのかと思ったが、押しつけてくる重みが思ったより素直で、思わず動けなくなる。
「ズヌイ王子の隣はね、楽なんだよ。得になることが分かりやすいから。何を渡せば何が返るか、ちゃんと見える。そういう相手は、商売としては最高」
「……だろうな」
「でも、君は違う」
囁く声が少し掠れていた。
ココは俺の袖を指先でつまみ、拗ねたように揺らす。
「君の隣は、全然計算できない。得になる保証もないし、むしろ面倒ばっかり増えそうなのに……それでも、こっちの方が気になるんだよ」
その言葉に、胸の奥が妙に静かになる。
うまく返事が見つからないまま黙っていると、ココが顔を上げた。青い瞳はとろりと潤んでいて、昼間の切れ味はどこかへ溶けている。
「君、今、困ってるでしょ」
「そりゃまあ、困るだろ」
「そういう顔、好きだなぁ」
「やめろ、変なこと言うな」
「変じゃないよ」
くすっと笑って、彼女は俺の腕へ絡みつくように身を寄せた。
普段の余裕ある笑みとは違う、甘えるような、少し子どもっぽい表情だった。
「君のそういう顔、私ばかりに見せてよ」
「酒に酔ってるだろ」
「酔ってるよ。でも、酔ってる時の方が本音って出るんだよねぇ」
参った。
こういう時、突き放すのが正解なのかもしれない。けれど、今のココを見ていると、それは違う気がした。打算も笑顔も一度横へ置いて、ようやくこぼれた顔を、今ここで乱暴に扱いたくなかった。
「……ほどほどにしろよ」
「やだ」
即答だった。
しかも答えたあとで、本人が一番おかしそうに笑う。
「本当に、君の前だと駄目だなぁ。ちゃんとしていたいのに、ちっとも上手くいかない」
そう言って、彼女はもう一度俺の肩へ体重を預けた。
外では夜風が庭木を揺らしている。静かな部屋の中で、ココの吐息だけが妙に近かった。
このまま朝になったら、きっと本人は何事もなかったように笑うのだろう。
それでも今夜だけは、その笑顔の奥に隠れていたものを、少しだけ見せてもらった気がした。