王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
ズヌイ兄さんの私室は、王子の部屋というより商人の応接間に近かった。重たい机の上には書類が積まれ、壁際の棚には酒瓶と細工物が整然と並んでいる。趣味の良さというより、値の張る物をちゃんと分かって置いている、そんな部屋だ。
案内された椅子へ腰を下ろすと、兄さんは向かいで足を組み、いつもの薄い笑みを浮かべた。だが今日は、その笑みの縁が少しだけ硬い。
「わざわざ来てくれるなんて嬉しいよ、ヤマタ」
「呼ばれたから来ただけだよ」
「はは、そこはもう少し兄を立ててくれてもいいだろうに」
軽い調子だった。軽いままなのに、部屋の空気は妙に冷えている。たぶん、ココの件だ。あの人が俺の側へ完全に移ったせいで、ズヌイ兄さんの盤面は一つ崩れた。表では笑っていても、面白くないはずがない。
兄さんは琥珀色の酒をグラスへ注ぎ、自分の分だけ口をつけた。
「ココが世話になっているそうだね」
「世話ってほどでもない」
「謙遜しなくていいよ。僕の妃候補だった女が、今は君のところにいる。十分すぎる変化だ」
その言い方には棘があった。けれど、怒鳴る気はないらしい。むしろ静かに測ろうとしている。
「ココは物じゃない。自分で選んで動いたんだろ」
「そこが問題なんだよ」
兄さんは笑ったまま言った。
「彼女は利で動く女だ。損得の見えない場所へ自分から寄るような人間じゃない。にもかかわらず、君のところへ行った」
指先でグラスの縁をなぞる音が、小さく響く。
「ねえヤマタ、君はココに何を見せた?」
「別に何も。普通に話しただけだよ」
「それで崩れるような女なら、最初から僕の隣には置かない」
視線が細くなる。普段の軽薄さの奥にある、本当の温度がやっと見えた気がした。ズヌイ兄さんは、利益が減ったから苛立っているだけじゃない。理解できないズレが、気に入らないんだ。
「兄さんこそ、ココをどう見てたんだよ」
そう返すと、兄さんは一瞬だけ目を止め、それから肩をすくめた。
「優秀な商売相手。頭が切れて、金の流れも読める。隣に置くには十分だろう?」
「それだけか」
「それ以上が必要かい?」
その問いに、すぐ答えは出なかった。必要かどうかは分からない。ただ、それだけで見ていたなら、ココが離れた理由はそこにある気がした。
短い沈黙が落ちる。窓の外では風が木々を鳴らしていた。
やがて兄さんは背もたれへ体を預け、少しだけ笑みを深くした。
「まあ、いいさ。失った札を惜しむのは性に合わない。ただ――」
そこで言葉を切り、まっすぐこちらを見る。
「君は思っていたより厄介だ」
「お互い様じゃないか」
「そうかもしれないね」
今度の笑みは、さっきまでより自然だった。諦めたわけじゃない。むしろ、ここからどう崩すか考え始めた顔だ。
俺もたぶん、同じ顔をしていたと思う。
ココが離れたことで、兄さんとの間にあった曖昧な距離は消えた。ここから先は、笑いながら腹を探る時間になる。剣も怒声もまだいらない。ただ、互いに相手の手札を数え始めた。それだけで十分だった。