王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
ズヌイ兄さんはしばらく黙ったまま、手の中のグラスを揺らしていた。
琥珀色の酒が壁の灯りを受けて揺れるたびに、その横顔の影もわずかに形を変える。
いつもならそこで軽口の一つでも挟むはずなのに、今日は妙に静かだった。
「……なるほどね」
ようやく落ちた声は、怒りとも嘲りともつかない、妙に乾いた響きをしていた。
「ココが離れた時点で、少しは考えたんだ」
兄さんは視線を酒へ落としたまま続ける。
「僕は王には向いていないんじゃないか、ってね」
「兄さんが?」
思わず聞き返すと、ズヌイ兄さんは苦く笑った。
「意外そうな顔をするなよ。自分のことくらい分かっているさ」
そして、こちらへ視線を向ける。
その目にはもう、さっきまであった探るような鋭さが少しだけ薄れていた。
「僕は金を集めるのは上手い。人を使うのも得意だ。
欲しい物を手に入れる為の道筋を読むのも、そこそこできる」
「それは分かるよ」
「でもな、ヤマタ。王になる人間っていうのは、それだけじゃ足りないらしい」
その言葉に、俺はすぐには返せなかった。
ズヌイ兄さんが自分でそこまで言うとは、正直思っていなかったからだ。
「ココは利で動く女だ。
少なくとも、僕はそう見ていた。
けどそのココが、お前の方へ行った」
兄さんはそこで小さく肩をすくめる。
「つまり、僕のやり方じゃ拾えないものがあるってことだ。
それを持っているお前の方が、王に近いんだろうな」
それは負け惜しみでも嫌味でもなく、妙にすっきりした声だった。
腹の探り合いの末に出た結論というより、もう前から薄々分かっていたことを、自分の口で認めただけなのかもしれない。
「諦めるのか」
「諦めるさ」
即答だった。
それがあまりにも早くて、逆に拍子抜けする。
ズヌイ兄さんはグラスを置き、机の上で指を組む。
「王位に執着しているように見えたかもしれないが、僕にとって大事なのは王冠そのものじゃない。
王になれれば便利だった。
なれないなら、なれないなりの稼ぎ方を考えるだけだよ」
「国外追放の後まで、もう考えてるのか」
「当然だろ」
兄さんは今度こそ、いつもの調子に近い笑みを浮かべた。
「ドラグウェルの外にも市場はある。
むしろ王族の看板が外れた方が、好きに動けることもある。
国外追放なんて、見方を変えれば新規開拓みたいなものさ」
「前向きすぎるだろ……」
思わず苦笑いが漏れる。
普通、国外追放ってのは人生の終わり寄りの言葉だ。
それを商売の次の段階みたいに語れるあたり、やっぱりこの人はズヌイ兄さんだと思う。
「お前も苦労するぞ、ヤマタ」
兄さんは、どこか面白がるように言った。
「人を拾って、拾った人間に好かれて、そこから先も背負う。
王ってのは多分、そういう面倒の塊だ」
「今から嫌になること言うなよ」
「でも、お前はそれをやるんだろう?」
問いというより確認だった。
俺は少しだけ考えてから、曖昧に肩をすくめる。
「……分からない。けど、逃げるつもりはないよ」
その返事を聞いて、ズヌイ兄さんは静かに笑った。
「なら、僕の負けだ」
その一言で、この会談は終わったのだと分かった。
もうここに、互いを崩そうとする空気はない。
あるのは、盤面を降りる男と、そこへ残る男の、妙に穏やかな確認だけだった。
「まあ、国外へ出た後に良い商売先があったら教えてくれ」
「そこは普通、逆だろ」
「いや、お前は王様になるかもしれないんだ。
太い取引先とは、早めに縁を作っておいた方がいい」
「……本当に兄さんらしいよ」
また苦笑いが漏れた。
さっきまでの緊張が嘘みたいに、部屋の空気は少しだけ軽くなっている。
ズヌイ兄さんは満足そうに椅子へもたれ、最後にグラスを持ち上げた。
「じゃあ、未来の王様。せいぜい頑張れ」
「兄さんも、国外で変な商売しすぎるなよ」
「保証はできないな」
そんなふうに笑い合えたのが、不思議だった。
けれど多分、これがこの人なりの引き際なのだろう。
王にはなれないと理解しても、最後まで損得勘定と冗談を手放さない。
そういう男だからこそ、ズヌイ兄さんはズヌイ兄さんだった。