※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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聖女の心

訓練場の熱気は、しばらく肌に残っていた。

 

兵士たちの声、木剣のぶつかる音、土を踏み込む足音。

その中心で旗槍を振るっていたジャンヌさんの姿は、正直、俺が想像していた聖女候補とはだいぶ違っていた。

 

もっと祈っている人だと思っていた。

白い衣を着て、静かに微笑んで、兵士たちを後ろから支えるような人。

けれど実際の彼女は、兵士と同じ場所で汗を流し、真正面から打ち合い、倒れた相手に手を差し伸べる人だった。

 

だからこそ、少しだけ引っかかった。

 

訓練の後、俺はジャンヌさんに案内される形で、軍事区画の奥にある礼拝堂の裏庭へ向かった。

石造りの礼拝堂は静かで、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに遠い。

裏庭には小さな泉があり、白い花が風に揺れている。

 

「申し訳ありません。騒がしい場所でのお話になってしまって」

 

「いや、むしろ見られてよかったです。ジャンヌさんがどういう人なのか、少し分かった気がします」

 

「私がどういう人か、ですか?」

 

ジャンヌさんは少し不思議そうに目を瞬かせた。

鎧を外した後でも、背筋はまっすぐだった。

ただ、聖女候補という言葉が出るたび、どこか肩に力が入る。

 

「少なくとも、ただ飾られているだけの人じゃないんだなって」

 

「それは……褒め言葉として受け取ってもよろしいのでしょうか」

 

「もちろんです。俺、飾られているだけの人より、ちゃんと自分で立っている人の方が好きなので」

 

言ってから、少しだけしまったと思った。

変な意味に聞こえていないといいんだけど。

 

ジャンヌさんは困ったように微笑む。

その顔に、さっき訓練場で兵士たちを押し返していた迫力はない。

 

「私は、戦うことならできます。兵と共に立つことも、前線で旗を掲げることも、怖いとは思いません」

 

「それは見ていて分かりました。正直、かなり強かったです」

 

「ありがとうございます。けれど……聖女として祭り上げられることとは、少し違う気がするのです」

 

声がそこで少しだけ落ちた。

 

俺はすぐに返事をせず、泉の水面を見た。

風で揺れた白い花びらが一枚、水に浮かんでいる。

 

「元々、別の候補がいたんですよね」

 

「はい。神殿では、ほぼその方で決まりだと言われていました。信仰も厚く、民からも慕われている方です」

 

「その人を下ろしてまで、自分が選ばれるのが引っかかっている」

 

ジャンヌさんの指が、膝の上で静かに握られた。

 

「……はい」

 

短い返事だった。

けれど、その一言に込められた重さは、決して短くなかった。

 

「私は戦場の人間です。手も、心も、綺麗なままではありません。兵を守るために敵を倒し、勝つために前へ出ることを選んできました」

 

彼女は自分の手を見る。

白く整った指なのに、訓練でできた小さな傷がいくつも残っていた。

 

「そんな私が、祈りの象徴として立つことが、本当に正しいのでしょうか。しかも、他の方の場所を奪ってまで」

 

俺はその言葉を聞きながら、ようやく分かった気がした。

 

ジャンヌさんは、聖女になりたくないだけじゃない。

必要とされているから断れない。

けれど、誰かを押しのける形になるから受け入れきれない。

その間で、ずっと立ち止まっている。

 

「ジャンヌさん」

 

「はい」

 

「もしかして、聖女になりたいかどうかより、求められているから応えなきゃいけないって思っていませんか?」

 

ジャンヌさんが、言葉を失った。

 

責めたつもりはない。

けれど、少し踏み込みすぎたかもしれないと思った。

それでも、ここで誤魔化すと、たぶん彼女はまた同じ顔をする。

 

「誰かを守りたい気持ちと、誰かの期待を全部背負うことは、同じじゃないと思います」

 

「同じでは、ない……」

 

「兵士たちを守りたいなら、それはジャンヌさんの本心だと思います。でも、だからって聖女にならなきゃいけないかは、別の話じゃないですか」

 

ジャンヌさんは、ゆっくりと視線を落とした。

強く握られていた指が、少しだけ緩む。

 

「私は……期待されることが、怖いのかもしれません」

 

その声は小さかった。

戦場で声を張る彼女とは別人みたいに、静かだった。

 

「期待に応えられなかった時、失望されることが怖い。けれど、応えようとすれば、誰かの場所を奪ってしまう。それも、怖いのです」

 

「怖いなら、怖いって言っていいと思います」

 

「それは、許されるのでしょうか」

 

「少なくとも俺は、許されていいと思います」

 

そう言うと、ジャンヌさんは少しだけ目を丸くした。

 

「王子であるあなたが、そのようなことを仰るのですね」

 

「王子だからって、何でも立派に言えるわけじゃないですよ。俺なんて、毎回アーサーやココに振り回されてますし」

 

「ふふ……それは少し、想像できます」

 

初めて、彼女の笑い方が少し柔らかくなった。

聖女としての微笑みではなく、ジャンヌさん本人の笑い方に見えた。

 

それだけで、俺は少し安心する。

 

「ヤマタ様」

 

「はい」

 

「もしよろしければ、またお話を聞いていただけますか。私はまだ、自分の気持ちをうまく言葉にできそうにありません」

 

「俺でよければ、いつでも」

 

軽く答えると、ジャンヌさんは胸の前で手を重ね、静かに頭を下げた。

 

「ありがとうございます。あなたと話していると、私は聖女候補ではなく、ただのジャンヌとして立っていてもよいのだと思えます」

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 

聖女候補。

ヨルムン兄さんの婚約者。

軍の象徴。

 

いくつも名前を乗せられている彼女が、ほんの少しだけ、自分自身の場所へ戻れたのなら。

今日ここに来た意味は、ちゃんとあったのかもしれない。

 

遠くで訓練場の声がまた響いた。

ジャンヌさんはそちらへ目を向ける。

 

その横顔はまだ迷っている。

けれど、さっきより苦しそうではなかった。

 

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