※この作品はR-18です。

王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記-   作:ボルメテウスさん

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聖女の悩み

礼拝堂の裏庭には、昼の熱が少しだけ残っていた。

 

訓練場から離れているのに、まだ耳の奥には兵士たちの声が残っている。

木剣がぶつかる音、土を踏む足音、ヨルムン兄さんの豪快な笑い声。

その全部が遠くなった場所で、ジャンヌさんは泉のそばに立っていた。

 

白い花が風に揺れる。

鎧を外した彼女は、さっきよりずっと静かに見えた。

それでも背筋は伸びていて、どこか戦場の空気を残している。

 

「ヤマタ様」

 

先に声をかけてきたのはジャンヌさんだった。

 

「先ほどは、失礼いたしました。私のことで場を乱してしまって」

 

「いや、俺が余計なことを聞いたんです。謝るならこっちですよ」

 

そう返すと、ジャンヌさんは少しだけ目を伏せた。

 

「余計なこと、ではありませんでした」

 

声は静かだった。

けれど、言葉を選ぶ間がいつもより長い。

 

俺は泉の縁に腰を下ろし、少しだけ距離を取った。

無理に近づくと、彼女はまた聖女候補の顔に戻ってしまう気がした。

 

「訓練、すごかったですね」

 

「戦うことには慣れています。兵と共に前へ出ることなら、迷いはありません」

 

「それは分かりました。正直、俺が想像していた聖女候補とは全然違いましたけど」

 

「……やはり、そう見えますか」

 

ジャンヌさんは困ったように微笑む。

その笑みは、周囲に向ける整ったものではなく、少しだけ自分を持て余している顔だった。

 

「私は、祈りだけで人を救える者ではありません。旗を持ち、前へ出て、敵を倒してきました。手も心も、綺麗なままではないのです」

 

「それでも、兵士たちはジャンヌさんを慕ってましたよ」

 

「はい。それが……怖いのです」

 

思いがけない言葉だった。

 

ジャンヌさんは自分の手を見つめる。

白い指には、訓練でできた細かな傷が残っていた。

 

「必要とされるのは、ありがたいことです。兵たちが私を信じてくれるなら、応えたいと思います。ですが、それが聖女という形になると、胸の奥が詰まるのです」

 

「元々の候補の人がいるからですか」

 

「それもあります」

 

ジャンヌさんの指が、ゆっくり握られる。

 

「あの方は、民に慕われ、神殿でも長く祈りを捧げてきた方です。本来ならば、その方が選ばれるはずでした。なのに、私がヨルムン様の婚約者であり、軍に支持されているという理由で、席を奪う形になる」

 

言葉の端に、押し殺した苦さが滲んでいた。

 

「私が選ばれれば、兵たちは喜ぶでしょう。ヨルムン様を推す者たちも、王位争奪戦に有利だと言うでしょう。けれど、それは正しいのでしょうか」

 

風が止んだ。

泉の水面だけが、小さく震えている。

 

「ジャンヌさん」

 

俺は少し迷ってから、口を開いた。

 

「聖女になりたくないんですか?」

 

ジャンヌさんはすぐに答えなかった。

その沈黙が、答えそのものみたいだった。

 

「分かりません」

 

やがて落ちた声は、思ったより弱かった。

 

「なりたいわけではない。ですが、皆が必要としていることは分かります。求められたなら、応えなければならないと思っていました」

 

「それ、もしかして」

 

俺は彼女の横顔を見る。

 

「聖女になりたいかどうかより、断ったら誰かを裏切ることになるって思ってませんか」

 

ジャンヌさんの瞳が揺れた。

 

言いすぎたかもしれない。

けれど、今の彼女は自分の胸の内を、きっとまだ掴みきれていない。

 

「誰かを守りたい気持ちと、誰かの期待を全部背負うことは、同じじゃないと思います」

 

「同じでは、ない……」

 

「兵を守りたいなら、それは本物だと思います。でも、だからって聖女にならなきゃいけない理由にはならない。少なくとも、誰かを押しのけて苦しいなら、苦しいって言っていいんじゃないですか」

 

ジャンヌさんは何も言わなかった。

ただ、強く握られていた指が、少しずつ緩んでいく。

 

「私は……必要とされることが怖いのかもしれません」

 

小さな声だった。

 

「期待されることも、失望されることも。どちらも怖いのです」

 

「怖いなら、怖いって言っていいと思います」

 

「それは、許されるのでしょうか」

 

「俺は許されていいと思います。聖女候補でも、戦場の英雄でも、その前にジャンヌさん本人なんですから」

 

ジャンヌさんはゆっくり顔を上げた。

その目に涙はない。

けれど、張り詰めていた何かがほどけたように、呼吸が少しだけ深くなる。

 

「あなたは、本当に不思議な方ですね」

 

「最近、そればっかり言われます」

 

「けれど、今はその不思議さに救われています」

 

そう言って、ジャンヌさんは初めて柔らかく笑った。

聖女としての微笑みではなく、ただのジャンヌさんとしての笑い方に見えた。

 

胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 

「ヤマタ様」

 

「はい」

 

「もしよろしければ、またお話を聞いていただけますか。私はまだ、自分の気持ちをうまく言葉にできそうにありません」

 

「俺でよければ、いつでも」

 

軽く返すと、ジャンヌさんは小さく頷いた。

その仕草は礼儀正しかったが、さっきより少しだけ近い。

 

「ありがとうございます。あなたと話していると、私は聖女候補ではなく、ただの私でいてもよいのだと思えます」

 

遠くで訓練場の声が響く。

ジャンヌさんはそちらを見たあと、もう一度こちらを向いた。

 

その視線はまだ迷っている。

けれど、その奥にあった苦しさは、ほんの少し薄れていた。

 

俺はそれを見て、今日ここで言葉を交わせてよかったと思った。

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