王位争奪戦-ラスボス婚約者と共にネトリ戦記- 作:ボルメテウスさん
礼拝堂の裏庭を出る頃には、訓練場の熱気も少し落ち着いていた。
兵士たちは武器の手入れを始め、さっきまで響いていた怒号も、今は笑い声や雑談に変わっている。
ジャンヌさんは神官に呼ばれて別の建物へ向かった。背筋は伸びていたけれど、歩き出す前にこちらへ向けた顔は、少しだけ柔らかかった。
その背中を見送っていると、背後から豪快な声が飛んでくる。
「よう、ヤマタ。ずいぶん真面目な顔で戻ってきたじゃねぇか」
振り返ると、見晴らし台の上でヨルムン兄さんが腕を組んでいた。
夕方前の光を浴びているせいか、ただ立っているだけでも無駄に迫力がある。
俺はため息をつきながら階段を上がり、兄さんの隣へ立った。
「兄さんが仕組んだんじゃないのか、これ」
「俺はそんな器用なことはしねぇよ。面白そうだから見てただけだ」
「それはそれで質が悪いんだよなぁ」
俺がぼやくと、ヨルムン兄さんは腹の底から笑った。
この人の笑い声は、訓練場の鐘よりよく響く。
「で、ジャンヌはどうだった?」
「強い人だったよ。あと……思っていたより、ずっと悩んでる人だった」
「そりゃそうだろうな。あいつは聖女なんて綺麗な看板より、戦場の方が似合う女だ」
兄さんの口調は軽い。
けれど、ジャンヌさんを見る目そのものは、意外なほど雑ではなかった。
「じゃあ、なんで聖女候補になってるんだよ」
「俺が決めたわけじゃねぇ。軍の連中と神殿の連中が、勝手に盛り上がってるだけだ」
ヨルムン兄さんは訓練場を見下ろす。
兵士たちの何人かが、ジャンヌさんの去った方をまだ見ていた。
「あいつは強い。前に出る。兵が崩れそうな時でも旗を下ろさねぇ。そういう女を見た兵どもが、勝手に信じる」
「信じられるのは、悪いことじゃないだろ」
「ああ。だが、信じられすぎると、今度は本人が逃げられなくなる」
その一言で、俺は少し驚いた。
「兄さん、分かってたんだな」
「分かるさ。俺は馬鹿じゃねぇ。ただ、止めるのが面倒だっただけだ」
「そこは止めろよ」
「ははっ、言うじゃねぇか」
笑っている。
けれど、その笑いの奥に、少しだけ本音が見えた気がした。
ヨルムン兄さんはジャンヌさんを道具として見ていない。戦場に立てる女として認めている。
だからこそ、聖女として担がれる流れを止めきれない自分も、どこかで分かっているのかもしれない。
俺は横顔を見ながら、ずっと気になっていたことを聞いた。
「兄さんは、本当に王になりたいのか?」
ヨルムン兄さんは一瞬だけ黙った。
その後、訓練場に響くくらい大きく笑った。
「俺が王になったら、この国は潰れるぞ」
「自覚あるのかよ」
「当たり前だ。俺は戦が好きだ。強い奴とぶつかるのが好きだ。国を守る王にはなれるかもしれねぇが、国を長く育てる王には向かねぇ」
ひどいことを、なんでもないことみたいに言う。
でも、この人の場合は冗談ではない。
「俺が玉座に座ったら、まず周りの国と喧嘩する。勝てば楽しい。負けても楽しい。だが、国民はたまったもんじゃねぇだろ?」
「それ、笑って言うことじゃないだろ」
「だから俺は王に向かねぇって話だ」
あまりにも潔い。
ここまで自分の適性を理解しているなら、むしろ立派なのかもしれない。
いや、やっぱり王子としてはどうなんだ。
「負けたら国外追放だぞ。そこはどうするんだよ」
「傭兵になる」
「即答かよ」
「外には戦場がいくらでもある。王子の肩書きがなくなったところで、腕さえあれば食っていける。むしろ、そっちの方が俺には合ってる」
俺は何も言えずに額を押さえた。
ズヌイ兄さんは国外で商売を考えていた。
ヨルムン兄さんは国外で傭兵になる気満々。
うちの兄たちは、追放後の人生設計が前向きすぎる。
「だが、ジャンヌは違う」
ヨルムン兄さんの声が、少しだけ低くなった。
「あいつは俺みたいに好き勝手に生きられる女じゃねぇ。背負うものを見つけると、逃げずに立っちまう」
「だから苦しんでる」
「ああ。だから、お前がどう動かすか見たい」
「俺に何を期待してるんだよ」
ヨルムン兄さんは、まるで試合前の戦士みたいに歯を見せた。
「戦いだよ、ヤマタ」
「いや、俺はジャンヌさんと戦うつもりはないぞ」
「剣だけが戦いじゃねぇ。人の心を動かすのも戦いだ」
返す言葉に詰まった。
この人は本気でそう思っている。
恋愛や説得や救済まで、全部戦いの一種として見ているのだ。
「ジャンヌを惚れさせてみろ。あいつが自分で、お前の隣へ行きたいと思うくらいにな」
「言い方が最悪なんだよ、兄さん」
「だが、お前ならできるかもしれねぇ」
ヨルムン兄さんは俺を見た。
からかっている顔ではなかった。
「俺は戦場で相手を倒す。ズヌイは金で相手を動かす。クルは頭で人を測る。アイダは正面から人を従わせる」
そこで、一拍置く。
「お前は、相手が自分から歩いてくるようにする。そいつは、かなり厄介な力だ」
「そんなつもりはないんだけどな」
「だから厄介なんだよ」
また笑い声が響いた。
俺はうんざりした顔で訓練場を見下ろす。
ジャンヌさんの姿はもう見えない。
けれど、さっきの迷った横顔だけは、妙にはっきり残っていた。
「ジャンヌが本気でお前を選んだなら、俺は止めねぇ。だが、軍は止まらねぇぞ」
「そこが一番面倒なんだよな」
「だから面白いんだろ」
「兄さんとは一生分かり合えない気がする」
「ははっ、そりゃいい。分かり合えない兄弟の方が、戦ってて面白ぇ」
俺は苦笑いするしかなかった。
ただ、少しだけ分かったこともある。
ヨルムン兄さんは、ジャンヌさんを縛りたいわけじゃない。
むしろ、彼女が本気で選ぶところを見たいのだ。
それが俺の隣かどうかは、まだ分からない。
でも、この兄はもう観客席に座るつもりでいる。
そして俺は、また面倒な戦いの真ん中へ押し出されようとしていた。